荒野に虹を 27

「なるほど……あの歌姫には怪しいところがありましたが、そういうことでしたか」

 タジにとって、ムヌーグは数少ない信頼できる人間の一人だ。その明晰な頭脳と率直な性格は素直に好感の持てるものであり、多少の悪態も、勝気な女性らしさに溢れている。

 何より、タジが悪事に走ればたちまち反旗を翻し、タジの首を取りに剣を向ける、そういう気概が見えるのがタジには心地よかった。非を指摘することができる人間がいることの、何という心強いことか。

「怪しいところ?」

 ムヌーグは歌姫――それは結局紅き竜エダードの分身体であった――を遠目に見たことがあると言う。

「強いて言えば、何もないことが怪しかった。まるでタジ様のように、出自も分からず、多くを語らず、しかし実力は抜きんでている。そういう者でした」

「それは俺のこともまだ疑っているってことかい?」

 挑発するような視線には乗って来ず、ムヌーグは淡々と語り続けた。

「タジ様と違うところは、この社会の常識をよく知っていた、というところでしょう。奇抜な衣服も着ず、己に魔法の適正があることを騙らず、ただその力のみを眠りの国へ差し出そうとする、感情の少ない人間。それが祈りの歌姫に対して私が抱いた印象です」

「ようするに眠りの国に対して便利過ぎた、ってことだな」

「その通りです。彼女の存在は眠りの国に大きな利をもたらす。眠りの国として、彼女を利用しようという判断は全く間違っていなかった。ただ、間違っていたとしたら」

「その大きな利にのこのこと飛びついてしまったことだろうな」

 ムヌーグは自嘲するように微笑んだ。

 降って湧いたような幸運を前にして飛びつかない人間は、社会的地位を求める者たちの中にはいない。我先にと飛びついて利益を享受し、何か不都合なことが起こったら別の誰かに後始末をなすりつけようとする、それこそが権力志向の人間がとる振る舞いだ。

 まして相手の正体は伝説の生物である。その擬態は精緻を極めていただろうし、自分が騙された相手が大きければ大きいほど、自分は悪くない、相手が強大すぎた、と言い訳も立つ。

「まあ、少なくともそういう言い訳をレダ王が好むとは思えないがな」

「タジ様はずいぶんとレダ王を買っておられるのですね」

 タジは、レダ王の中に為政者の矜持を感じていた。

「真意は分からない。今回のことだって、裏で糸ひいているのがレダ王、って可能性は、完全にないわけじゃあない。何と言っても俺たちがやろうとしていることは、眠りの国の一部分を大きく変えようという試みなんだからな」

「タジ様はレダ王にチスイの荒野の改革を否定されたらどうするのですか?」

「この国に王は一人ではないらしいからな。ダメなら他を当たるさ」

 眠りの国は四人の王による合議で成り立っている。合議と言ってもほとんど会議は必要ない。大抵の場合、四人の王は議題に関して意見が一致することがほとんどなのだ。

「他を当たっても無駄だと思いますが」

「まあ、こちらの献策はこの国にとっても悪い話じゃあないし、いざとなったら多少強引にでも進めちまおうかな、とも思っている」

「それで、強引に進めるにしてもその黒いアザはどうするんですか?」

「ああ、これか。特に問題はなさそうだし、これが手札の一枚になるのなら別にこのままでも……」

「それでは、太陽の御使いとしての威厳が失われます。手を」

 言われるがままに手を差し出すと、ムヌーグは懐から小瓶を一つ取り出した。

「イヨトン、銀の手桶を持ってきなさい」

「はい」

 イヨトンは命令に従い一瞬で外に出て、またあっという間に銀の手桶をもって戻ってきた。

「兵舎にこんな高価そうなものが?」

「いいえ、近くの貴族の屋敷から拝借してきました」

「拝借、ってお前……」

 あまりに涼しい顔をしたイヨトンに、タジは文句を言うことさえできなかった。

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