荒野に虹を 25

 暗殺者がそもそも剣を片手にしていたのは、殺すためではなかったとイヨトンは言う。

「本当に謀殺だけを目的とするのであれば、その剣で首を斬れば済む話です」

「原因不明という価値を欲張ったという考え方もある」

「それこそ結果論ですよ。首を刎ねてから神の祝福をかければ、原因不明に拍車がかかりこそすれ、失敗に怯えることもありません」

 暗殺者が神の祝福に関する知識を十全に得ているかと言われれば、それはタジにも悩ましいところである。全てを知っている者をわざわざ暗殺者に選ぶか、という問題と、内密を保持出来ないような木っ端の者に神の祝福などという人間社会の劇毒を扱わせるか、という問題とがせめぎ合う。

「暗殺者に小瓶の中身を詳細に説明しなければ良いのです。曰く、この小瓶の中身は真実を誑かす者に鉄槌を下し、真に国を思う者には毒とも薬ともならぬ水である。このような文句を用意し、そしてその言葉を信じる者であれば、簡単に利用されるでしょう」

 そしてそれは騎士団ですらなくとも良い。

 重要なのは、話術に騙される脆弱な心の持ち主であるということだけだ。

「逆に言えば、暗殺者は暗殺者ですらなかった、ということか」

 イヨトンは大きく頷く。

 そこでタジはようやくイヨトンの真意を理解した。

 それは暗殺ではなく、儀式だったのだ。しかし、一発必中の。

 暗殺者にとって、それは暗殺ではなく、真に国を思う者――とここでは例示しよう――とそうでない者とを炙り出すための峻別の儀式であり、その日の夜から全員に対して行われる試練であると説明されていた。しかし実際は、儀式ではなく単純にその者を犠牲にする行動を取ろうとしたのだ。剣を持っていたのは、暗殺者側の自衛であり、その延長線上に神の祝福を剣から伝わせたという行動があっただけだ。

「もしそういう考えの下に今回の暗殺が行われていたら、いよいよ恐ろしい事態だ」

 眠りの国には、それだけの権謀術数を巡らせてまで、チスイの荒野を永久の戦争へと駆り立てる層があるということだ。あまつさえ魔獣側と取引を行っているというのは、ある意味で言い逃れが出来ない。

「……この黒いアザはそのままにしておいた方が良いのだろうか?」

「タジ様?」

 暗殺の失敗によって、向こうは計画の修正を余儀なくされているはずである。そのために得た時間は大きく、またタジの手を蝕む禍々しく黒いアザもまた、チスイの荒野が真の平和を手に入れるための手札の一つになるかもしれない。

「どうしたものか……」

「確かに、その手札は相手を追い詰めるのには有効でしょうが……。しかしタジ様、私たちが現在相手をしているのは決して敵ではありません」

「イヨトンの言う通りですよ」

 不意に部屋の扉が開かれて、タジは驚きのあまり身構えた。

「全く、あなたは相変わらず頭が固いというか、物事に対して一直線と言うか……」

 イヨトンが身構えなかったのは、その人物が分かっていたからだ。

「ムヌーグ」

「お久しぶりですね、タジ様。世界を楽しんでおられますか?」

 ブロンドヘアをなびかせて、ムヌーグが不敵に微笑んだ。

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