荒野に虹を 17
眠りの国に着くと、日はすっかり沈んで、空は群青色に染まっていた。輝く星は不気味なほどにまぶしく、そしてやはり日没後の眠りの国は一切の働きを拒否している。
「働きを拒否しているとは言っても、夜に働かなければならない仕事もあるだろう?」
両替商は、日の出ている時間帯しか商売をしない。それどころか、木窓を閉め切った室内や、逆に太陽があまりにまぶしい日なども商売をしない。砂金や砂銀の計量による両替を行うためで、手元がみえない商売はあこぎと言われかねないからだ。
よってタジは夕食の代金も出せずにいた。
もっとも、夕食に関してはギュンカスター商会から店を紹介してもらい、用立てまでしてもらったので、問題はない。
「しかし、宿に関してはなぁ……」
タジが骨付き羊肉の焙り肉をかじる。岩塩とスパイスの効いた羊肉は、かみしめるたびに肉汁が口の中に広がる。荒野では血の滴る肉は贅沢品というよりも、無いに等しかった。
「兵舎を使う以外ないでしょう。こう見張りが多くては気が散ってしようがありません」
食事をとる二人の席を取り囲むように、意識が向けられているのが分かる。それは追跡が苦手という段階の話ではなく、わざと追跡していることを見せびらかしているようですらある。
「アルアンドラがいれば良いが」
アルアンドラはイヨトンやムヌーグの属する白鯨の騎士団の第一中隊長だ。ムヌーグよりも序列が上で、豪放磊落な性格は見ていて気持ちがよい。タジはそういう豪快な男が嫌いではなかった。
「いるかは分かりませんが、私が問題なく兵舎に入れる以上、宿泊に関しては問題ありません。ですので、自由に抜け出すことも可能だと思われます」
「抜け出せなかったらゴードが死ぬだけだ」
チスイの荒野を去る前に、タジとイヨトン、それからゴードの三人で確認をしたことだ。
ケムクがわざわざモルゲッコーの到着と同時に訪れ陰謀に関する話を出してきたのは、間違いなくモルゲッコーとそれに味方する何者かの肩入れによるものだ。ケムクがそこに加担しているかどうかは定かではないが、探りを入れるために駒として使ったのは容易に想像できる。
だとしたら相手方は既に何らかの具体的な情報を嗅ぎ取っていると考えてよく、そこに三人が結託して何事か企てているという話が伝わっているという体で行動した方がより良い。
タジとイヨトンは荒野から立ち去らなければならず、一方のゴードは荒野における商会の物流、その流れのまとめ役になっている。安易に立ち去ることは出来ないし、またその場にい続けることが、何らかの発言に対する正当性を有するだろうとゴードは考えてもいた。
そして、ゴードがチスイの荒野に残ることは、常に暗殺の危険と隣り合わせであるということだ。タジとイヨトンがおらず、赤獅子の騎士団とは直接的な後ろ盾を持たぬ教会付きの商会であるため、チスイの荒野におけるゴードの所属する商会の権力自体は強くない。後発であるギュンカスター商会の方が権力を持っているだろう。そういう状況を、ゴードたちは常に機を見て敏にして穴埋めしてきた。
しかし、場が膠着すれば機敏であることの利点は薄れ、権力の弱さがどうしても露呈してしまう。
その果てに待っているのは、闇に乗じた謀殺だ。
「しかし昨日の今日でわざわざそんな危険を冒すでしょうか?」
「モルゲッコーは決断の男だよ。おそらく既にある程度の策を練って荒野に立った以上、後は馬脚を現さないうちに全てを始末するだろうさ」
冬瓜とワカメを思わせる具の入ったスープを飲み干して、タジは言った。
「だからこそ、今日はチスイの荒野に戻る必要がある」
「まあ、兵舎であれば何とでもなるでしょう」
イヨトンは羊肉を食器で綺麗に切り取って、一口ずつに切り分けたものを平らげた。
「美味しかったですね」
「ちょっと大味だったけどな」
「口の周りにスパイスがついてますよ」
タジが手の甲で拭うのを、イヨトンは子を注意する母のような眼差しで睨んだ。
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