荒野に虹を 14
「無論だね。俺は惰性のために余計な害を被る世の中なんてごめんだ」
「それは社会の一つの真実ですよ。誰かが他人を出し抜いて人の上に立つ。そうやって機能する社会もあるのです、タジ殿」
「それを認めてしまったら、それこそ誰かに犠牲を強いることになる」
大きく息を吸い込んで、吐き出す。
「防げるかもしれない犠牲を防ぐ、という点でモルゲッコーと俺の考えは近しいものがある。後は互いの立場と、そこから見える景色の問題だ」
「何か考えがあるのですか?」
「……イヨトンの言う通り、俺たちは一度眠りの国に戻る必要がある。王の心証が悪くなると言うのは、新しい産業を立ち上げるには確かに負債が大きい。しかし逆に言えば、王に対して直談判の出来る機会でもある。そこでだ、ゴード」
タジはゴードに顔を寄せた。ゴードがそれに倣って耳を近づける。
タジは小声で言った。
「現時点でもっとも有効な公共事業案と、それに関する隘路はなんだ」
ゴードはやや考えて、それから同じように小声で答える。
「以前も言ったように、田畑の開墾です。しかしそれでは際限ない魔獣の出現という根本の問題が解決しないのと、そもそも水がチスイの荒野に流れないという問題があります」
「……生活用水はわざわざ眠りの国やその他の地域から運んでくるんだよな」
「その通りです」
「この辺りの地形に関する地図や、それぞれの街の水源に関する資料はあるか?」
「もちろん、準備してございます。しかし、先ほど言ったように根本の問題と政治的な問題、二つの要素に挟まれていて……」
ヒソヒソと男二人で相談をしていると、イヨトンが不意に二人の顔の前を手で遮った。
天幕の外に人影がある。
月光に照らされた人影はしばらく入口をうろうろしていたが、ふと立ち止まると、天幕内にギリギリ聞こえるほどの声で話しかけた。
「お三方、いらっしゃるんでしょう、お三方」
「ケムクか?」
夜風のようにケムクがするりと天幕内に入ってくる。ほっと胸をなでおろし、しきりに入口を気にしているが、タジとイヨトンが察知する限りでは外に人の気配はなかった。
「何をしている?」
「タジ殿。眠りの国へ帰られるのですか?」
わずか半日の間に、ケムクにさえその情報が伝わっている。当然、モルゲッコーの手腕だろう。惚れ惚れするほどだ。
「ああ、帰るよ。ケムクはどうするんだ?お前も一応俺のお付きみたいなものだっただろう?」
「私は正式に赤獅子の騎士団の一人として荒野に残ることになりました。人手が足りませんからね。部隊の再編の際にわざわざ眠りの国から派遣する必要がないというのが理由なのでしょう」
それより、と話題を遮って、ケムクは問うた。
「何かチスイの荒野で誰かが陰謀を企てているという話が、わずかに出ているのです。出所は分かりませんが、雲行きが怪しくなっております。私としては、眠りの国で一度報告を行ったら、もう一度タジ殿に戻ってきていただきたいのですが……」
ケムクの幼稚なお願いを、タジは一蹴した。
「陰謀?そんな人間同士の醜い争いにどうして俺が首をつっこまなきゃならないんだよ。そんな面倒事は政治のうまいオルーロフあたりにでも相談しな。俺は明日の午後にでも眠りの国に帰るさ」
「そうですか……それは残念です」
失礼しました、と肩を落として天幕を去っていくケムクの後ろ姿を見送ってから、タジは思わず口の端が歪んでしまうのを止められなかった。
「モルゲッコーは本当に動きが早いな。主導権を奪わせないつもりか」
ゴードも表情が緩んでいた。邪悪な笑みと言った方が良いかも知れない。
「逆につけこむ隙が出来たように思いますね」
「奇遇だな、俺もそう思う」
「……二人とも、いたずらを仕掛ける子どものような表情になっていますよ」
イヨトンの指摘もむべなるかな、タジとゴードはイヨトンに向かって悪魔のような笑顔を見せる。蜜蝋の灯りに照らされた二人の顔は、隈取のような陰影を浮かべていた。
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