祈りの歌姫と紅き竜 43

「その子は幻ではなく、私の分身。もっとも、神に与えられた力がある訳ではなく、紅き竜として、魔瘴を得た強き姿としてあるだけなのだけれど」

 エダードの言葉に応じるように、紅き竜は大きく一回羽ばたいてみせた。土煙と共に、千切れた発光する苔が一面に舞い上がり、キラキラと紅き竜を祝福しているようである。

「アンタの言うことを聞く魔獣よ。連れて行きなさい」

「連れて行く、って……連れて行ってどうする?」

「サァ?それはアンタ自身が考えるべきことよ。人間側は紅き竜エダードと言えばこの姿しか知らないのだから、使い方は色々あるでしょう?あなたがここに何をしに来たのかを思い出しなさいよ」

 タジがここに来たのは、歌姫の救出のためだ。それが叶わない今、次善の策として紅き竜を見せしめに殺すことは、犠牲に対する報復としては正しい。

 しかし、エダードによる紅き竜誕生の実演を前にして、そのような残酷なことを、タジはする気になれなかった。

 それは人間側を裏切ることになるのだろうか。

 タジの懊悩が紅き竜に伝わったのか、紅き竜は心配そうにタジに鼻をこすりつける。

「ふふ、アンタが不安がっているからそいつも不安なのね」

「産後の妻のような話し方をやめてくれ」

 頭痛がしてくる。しかし、奇妙なことに、彼女の産んだ紅き竜はタジに対する贈与であった。身を傷めて生んだ我が子を、どこの馬の骨ともわからぬ男に預けることに抵抗はないのだろうか。

「アンタは、アタシにとって少しだけ特別なのよ。それこそ、アタシが命がけで作りだした分身を預けてもいいくらいには、ね」

「特別?」

「勘違いしないでね、恋愛感情とかではないから」

 ともかく、紅き竜はタジの言うことをよく聞き、ついてきてくれるようだ。人一人分くらいなら乗せて飛ぶのに訳はなく、その速度は折り紙付き。移動手段としては申し分ない。

「維持費と人々の恐怖の矛先が向くということが問題だが」

「今のアンタの名声なら何とかできるんじゃない?ニエの村を救い、チスイの荒野を平らげた英雄!紅き竜を配下に加え、お呼びとあらばひとっ飛び」

 口が回るのは回復してきた証だろう。それでも体は動かせずにいるのだから、ただ単純におしゃべりがしたいだけのようにタジには見えた。

「ひとっ飛びなら、今日はここでのんびりさせてもらうか」

「え?」

「紅き竜は生まれたばかり、エダードは衰弱、そんな状態で置いていくのは寝覚めが悪い。せめてアンタが回復したのを見届けてから紅き竜をもらっていくよ」

「アンタ……底意地が悪いのね」

 弱っている姿を見せたくないらしい。しかし会話を楽しみたい様子も見え隠れしており、そこに横たわる葛藤は深い。

「人間側には、いつ帰るかを伝えていないからな。半日くらい帰らずとも何も起きやしないさ」

 横たわるエダードの隣に腰を下ろして、紅き竜を眺める。

 立派な竜だ。彫像のように美しく、その姿は機能美とは別の美しさを湛えている。

「それに」

 わずかに言い淀んだタジは、意を決して口を開いた。

「俺も、誰かに彼女のことを聞いて欲しかった」

「ロマンチスト」

 エダードの忍び笑いに苦々しさを感じつつ、二人は日が暮れるまで、誰にも話すことのできなかったあれこれを、取り留めもなく話すのであった。

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