祈りの歌姫と紅き竜 37

 エダードは大きく息を吸うと、タジの目の前の地面に向かって炎を吐いた。

 ごう、という音とともに、炎は渦を巻いて柱を作りだす。その熱量に、タジは思わず腕で顔を隠した。

「何をするつもりだ?」

 炎を吐いているエダードに答える気はないらしい。ただ延々とくべられる炎は、ときどき炎色反応を起こしたように色を変えていく。炎色は混ざり合い、炎は揺らめき、しかし柱は衰える気配がない。

 エダードが炎を吐ききると、炎柱も徐々に勢いが治まってくる。炎の渦がゆっくりと霧散していく幻想的な光景の中に、一人の少女が立っていた。

 炎のような真っ赤な髪の毛に、純白のワンピース。凛と結んだ口、ゆっくりと開いた瞳は潤んで宝石のように輝いている。

「その子が、祈りの歌姫よ。と言ったらあなたは信じるかしら?」

 人間を一人、紅き竜はタジの目の前で作ってみせたのだ。

 紅き竜が祈りの歌姫と呼んだその少女は、何度もまばたきをし、それからゆっくりと辺りを見回している。その様子は、まるで初めて美術品を目にした人間のように、周囲の光景から何かを懸命に学び取っているようだった。

「バカな……」

「魔法よ」

 タジの脳裡にいくつもの疑問が現れては泡となって消えていく。

 魔法は人間を一人作りだせるほどに万能なのか?作りだされた人間は人形のように意識が真っ白な状態で作られるのか?それとも記憶を保持して作り直されるのか?そもそも目の前の少女は本当に祈りの歌姫なのか?炎の渦の中で紅き竜によって作られた少女なのか?それとも魔法は魔法でもどこかに匿っていた少女をこの場に呼び出しただけなのか?

「おい、そこの女の子」

 次々に現れる疑問を振り払うように、タジは少女に向かって問いかける。少女はタジの方を向くと、小首を傾げた。

「戦場であるチスイの荒野を駆けて人間を鼓舞し、魔獣と戦っていた祈りの歌姫とは君のことか?」

 小首を傾げた少女は、タジの言葉にしばらく考え込んでいたが、ふと何かを思い出したように、タジに向かって何度も頷いた。

「そうだよ。私が、祈りの歌姫」

 少女は、自らを祈りの歌姫と名乗った。だとしたら、目の前にいる少女は確かに祈りの歌姫なのだろう。

 タジが安堵するその瞬間に、エダードは堪えきれない、と言った様子で笑った。

「アハハハハ!」

 共鳴するように、目の前の少女も笑った。

 全く同じように笑って見せるエダードと少女。次の瞬間、タジは少女に向かって突進し、その首を掴もうとした。

 首は掴めなかった。

 手は空振り、目の前にいたはずの少女は、雲のように消えた。

「それが祈りの歌姫。どう、分かったかしら?」

「よく分かったよ。俺はどうやらアンタを倒さなければならないということがな」

 歌姫は存在しない。

 正確には、存在していたと思っていたものは、紅き竜の作りだした幻想だった。暇つぶしの人形遊びに付き合わされた人間に乞われて、既に焼却処分された人形を取り戻そうと躍起になった憐れな人間。

 それがタジだ。

「あらァ、八つ当たりかしら?」

「そう受け取ってもらって構わねぇよ」

 タジは腕を肩から大きく回して、それからエダードに向かって突進し、全力で殴りかかった。その一発で紅き竜を滅する、と思うほどの一撃。しかしそれは紅き竜の体をすり抜けるように虚空を切り、タジは発光する苔の生えた壁面に思い切りぶつかった。

「蜃気楼か?」

「さて、本物のアタシはどこかしら?」

 見つけてごらんなさい、とばかりにせせら笑う紅き竜の陽炎に向かって、タジは跳ね回る鞠のように壁面を利用して三角飛びを繰り返し攻撃を加える。

 エダードの姿は錐で穴を開けられたようになっていくが、当の本人に損傷は皆無のようであった。

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