祈りの歌姫と紅き竜 38
見えている紅き竜の姿を全て霧散させるのに、大した時間はかからなかった。煙を払うような気安さで、タジはエダードの虚像を破壊していく。
「とうとういなくなってしまったわね」
どこかから、声だけが響いてきた。場所を特定しようにも、ドーム型の洞穴は音が壁を滑るように反響して、公衆浴場のように響く。ウフフ、と笑うエダードの声が癪に障る。
これは、技術だ。タジは確信する。
イヨトンのように、紅き竜はその存在をあたかもそこに存在していないかのように見せかけることができる。そう仮定すれば、タジが破壊したものがエダードの虚像で、どこかに潜んでいるということも納得できる。
「俺が来る前に、事前に作っておいた、ということか」
「フフ、当たり」
先ほど、祈りの歌姫を作ったときと同じことを、事前にエダードはこの洞穴全体を使って行っていたのだ。
炎を吐いて、虚像を作る。
「そうだ、あの時は確かにエダードはそこにいたんだ……」
虚像が炎を吐くかどうかは悩ましいところである。遠隔でそういう操作ができないとも限らないが、仮にできないと仮定したら?少なくとも紅き竜の口元にエダードは存在し、炎を吐いていたことになる。
それだけではない。
歌姫が虚像だったとして、彼女が用いたという魔法は果たしてどうしていたのか。ごっこ遊びを真剣に行いたいと思うのなら、歌姫の力は本物でなければならず、しかしその能力を遠隔で操作できないとしたら……。
それと、現在エダードが用いている技術。これらの条件を満たす結論は……。
「エダード!ちゃんとガードしろよォ!」
この場にいるはずの魔獣に向かって叫ぶ。
それからタジは大きく跳び上がり、洞穴の床に向かってあらん限りの力で拳を振り下ろした。
振り下ろした拳は空気を穿ち、穿たれた空気は圧となって洞穴の地面を叩く。拳の雨霰である。
洞穴の地面にタジの拳の倍ほどの形をしたものが刻印されていく。タジが連続で振り下ろす拳が、地面をえぐるように降り積もっていくと、突然それは現れた。
それは、タジの拳圧を受け続けて気を失った、紅き竜エダードの“本当の姿”であった。
「歌姫?」
タジの眼前にエダードが披露してみせた真っ白いワンピースの少女。赤き髪を地面に広げるようにして倒れる少女は、確かにその姿をしていた。
「まさか……」
即座に空気の殴打をやめて、少女に駆け寄る。
口の端から血を流す少女。まさかこの少女が、紅き竜の正体なのだろうか。
少女の上半身を抱え上げると、少女は苦しそうに笑った。
「やっぱり、あなたの強さは常軌を逸しているわ……。困ったわね、アタシが攻撃されるわけにはいかなかったのだけれど……」
「おい、まさか本当にお前がエダードだっていうのか?」
「そうよ、アタシが紅き竜エダードの正体……ああ、回復してきたわ」
エダードの正体、と名乗る少女は、体の機能を確認するようにタジの腕の中でゆっくりと首を回し、痛みがないことを確認すると、ゆっくりと腕から離れて立ち上がった。
「さあ、トリックもばれてしまったし、挨拶をしましょう」
そう言って、エダードはタジに向かって右手を広げて差し出した。
握手だ。
タジは、差し出された手に思わず目を瞠った。
「……なぜ握手を知っている?」
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