祈りの歌姫と紅き竜 32
「タジ殿、前言を撤回してください」
口を押さえるタジの手を振り払ってラウジャが怒りの矛先を向けた。
「前言?」
わざと煽るようにふるまう。その言葉の意味するところは分かっている。
「歌姫を救出したら、その人の自由を約束してください!タジ殿の所有物として好き勝手にしていいほど、歌姫の命は軽くはないのです!」
「ラウジャ……ッ!」
オルーロフが迂闊を咎めようとしても無駄だった。
「そうだな、ラウジャの言うとおりだ。俺は紅き竜から歌姫を解放し、その後は歌姫を自由にさせようじゃないか。そしてそのことに何人たりとも異論を差し挟ませないようにしよう」
「タジ殿!おやめください!」
今度はオルーロフが激高する番である。
オルーロフは二人のやり取りに含まれる意味をよく理解していた。歌姫の“その後”をどうするか未決のままにあったものが、二人の会話によって定まってしまった。
歌姫の“その後”をより政治的な思惑の中に捉えようとしていたのは間違いなくオルーロフだ。ラウジャはまだ若く、騎士の志、その在り方に忠実であるがゆえに純粋に歌姫を捉えている。ビジテは騎士の身分に無く、政治的な思惑の部分において部外者に近い。
「俺は、今回の事件……そうだ、事件という言葉を使おう。今回の事件における全ての原因は歌姫にあると考えている」
「タジ殿、それは一体どういう……?」
「こう言っちゃなんだが、歌姫がいなかったら今回の事件は起こっていないだろう?戦場の優位が人間側に傾いたのも、破竹の勢いで勝ち続け人間側に傲りを生じさせたのも、紅き竜が現れたのも、戦線の指揮官が逃亡したのも、元を糺せば全て歌姫が存在していたことが理由だ。それまで戦場は、拮抗と均衡による平和を享受できていたのだろう?」
三人は押し黙る。
「この中ではラウジャが一番純粋だよ。歌姫を救出すれば、また人間側は優位に立って、今度こそ魔獣を駆逐し眠りの国の領土が広がると信じている。しかし、志を同じくするはずのオルーロフがどう思っているか、お前に彼の腹の内が読めるか?オルーロフは老獪だ。歌姫をどのように利用するか、懸命に頭を巡らせていることだろう」
「オルーロフ殿……」
動揺したラウジャが不安そうにオルーロフを見る。真っ直ぐな瞳を、オルーロフは直視できなかった。
「さあ、ラウジャ。お前は言ったなぁ?歌姫の命は軽くない、と。歌姫の自由を約束してください、と。歌姫の自由とは何だ?国の命令に従い魔法の歌を歌い続けることか!?お前が歌姫の自由の形を決められるのか!?」
語気を強め顔を寄せるタジの威圧感に、ラウジャはその場にへたり込む。
「救出した後の歌姫の選択は、歌姫の自由だ。その選択を俺は誰にも邪魔させない」
啖呵を切った後の天幕内が、静寂に包まれる。すっかり日の上った天幕の外には、周りを取り囲むように数人の人影が見える。何が話し合われているのか、気になる者が何人もいるのだろうが、それを咎めるはずの人物は、タジの言動に威圧されて、咎めに出ることもできずにいる。
「あなたたち!天幕に耳を傾けていないでさっさと持ち場に戻りなさい!ただでさえ人手に窮しがちな現状で、暇を持て余していいことなどありません!」
突然、天幕の入口に人の気配がしたかと思うと、大声を張り上げて盗み聞きの現行犯に声の平手打ちを食らわせる。
イヨトンが戻ってきたのだ。
「タジ様、あまりお二人を脅しませんよう」
「はッ」
鼻で笑うタジに歩み寄ると、テーブルの上に広げられた地図に目を落とし、羽ペンでとある地点に丸をつけた。
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