狼の尻尾亭 03

 小屋の外で炭焼き用の薪に火を点け、その上にシチューの入った陶器を乗せたところで、何者かが炭焼き小屋に向かっていることにタジは気づいた。

 獣であれば森から来るのだが、その気配は村の方からやってくる。

 エッセはつい先ほど目の前の食事を持ってきた。それならばトーイか、と思うものの、近づいてくる足音がやけに四角く整っている感じがある。訓練された者特有の、力強い足音だ。

 村の人が怖いもの見たさでやってきた、という雰囲気ではない。もっと剣呑で、緊張感を伴っている。

 足音は炭焼き小屋の数メートル近くで不意に止まった。人の気配は依然ある。湿った視線はじっくりと観察されているかのよう。訪問者は気配だけをまとってそれ以外を押し殺していた。

 タジは火にかけた陶器に目を落とし、さじを入れてぐるりとかき回した。気をつけないと突然沸騰することがあるから陶器を火にかけるのは難しい。側面についていた羊肉ベーコンの脂がスープに溶け込んでいく。火加減がよい頃合いになったので、丸パンを木の棒にさして焼き始めた。

「隙ありッ!」

 辺りにパンとシチューの匂いが漂い始めるのと、タジの真上から一人の人間が降ってくるのはほとんど同時と言ってよかった。

 刀剣を下に突き刺すようにして落下してくる人間の、柄を握る両腕を見もせずに掴んでブンと投げる。落下の衝撃は呆気なく削がれて、後に残ったのは、無様に転がる甲冑姿の人間だった。

「なんのッ、覚悟ォッ!」

「威勢の良さは認めても良いけど、こっちは食事中なの」

 転がる勢いを利用して立ち上がり、甲冑姿は猛然と剣を振り下ろす。タジは丸パンを宙に投げ、両手で熱くなった陶器の縁を持つ。

 甲冑姿の振り下ろした剣は薪を割り、灰と火の粉の煙を辺りにまき散らす。シチューに灰を入れたくなかったタジが思わず両手を上げたところで、甲冑姿は剣を返し、握りを変えた。腰を落としてタジの空いた腹へと突き刺す体勢だ。

 ガチン、と何かが鳴って、甲冑姿は痺れた両手を確認した。

 後方で何かが落ちた。言わずもがな、それは甲冑姿が持っていた剣である。

「一度しか言わない。痛ぇからやめろ」

 タジは、野生の獣を逃がすときと同じくらいの威圧で甲冑姿を睨みつけた。

 タジが逃がす野生の獣は野ウサギなどという可愛いものばかりではない。群れ成す狼や、森から猪突猛進してくる大猪、顎だけでなく前脚の発達した鰐、果ては人間五人分を超える体積の熊などもいる。頻度としては猛獣に分類される獣の方が絶対数が少なく、村へやってくる頻度も片手で数えるほどしかなかったが、タジが威圧をして逃げなかった獣はいなかった。

 その威圧を見下されるように眼前でまともに受けた甲冑姿が失禁したことを誰が責められよう。腰を抜かしてへたり込み、身動きも取れずに下半身に染みが出来る。

「おーい、まだ見ているのがいるんだろ?出て来いよ」

 タジが感じた人の気配は複数だった。

 呼びかけに応じるように、一人の甲冑姿と、そしてもう一人、白銀を思わせる煌びやかな軽装備で身を固めた女性が、木々の合間から現れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る