狼の尻尾亭 02
時を選ばぬ野生の獣と魔獣との襲撃に、わずかながらの仮眠と食事で奔走するタジの顔は峭刻の度合いを深めていた。怒りはなく、苛立ちもなく、ただ村を襲ってくる者を追い払うだけの装置となるには、タジはまだ血気に満ちている。時には地団駄を踏んで村の人間を脅かすこともあるし、真夜中にやってきた魔獣を倒した時には、その手応えのなさに月に向かって大きく吼えたこともあった。
タジを知らぬ人々が恐れるのも無理からぬこと。
アエリ村長が信用していること、毎朝必ず食べ物を渡しに行くエッセが必ず帰ってきて、様子を報告することがなければ、タジがガルドの代わりに一帯の領主になったのではと考える人が出てきてもおかしくなかった。
「野ウサギか……」
耳がしなる鞭のようになった野ウサギが数羽、森から現れた。
魔獣ではなく、自衛のために身体の一部が進化した野生の獣である。片方の耳が発達し個体によっては体長よりも長い耳を有する野ウサギは、耳を自在に操って木の実を掴んだり、あるいはそれを投擲したりする。
「いい加減学習しないものかねぇ」
いくら野生の獣だからと言って、二十日以上森を抜けてはタジに追い払われるということを繰り返せば多少も学ぶと思うのだが、なかなか、野生の獣がニエの村を襲う頻度は減らなかった。
もしかしたら、魔獣がけしかけているのかも知れない、とタジは考える。
「まあ、やることは変わらないんだけどさ」
一羽がタジを発見して、仲間に合図を送る。一匹がタジに向かって飛びかかると、タジは振り上げられた野ウサギの耳をつまんで、軽く振り回した。野ウサギの体はそれだけで制御を失い、鎖につながれた分銅のように己の重みで回転が加速されていく。
タジが二三度回してつまんでいた耳を放すと、一羽の野ウサギは他の野ウサギに覆いかぶさるようにして衝突し、目を回して体を起こすことすらままならなくなった。それを見た他の野ウサギは我先にと森へ逃げ帰り、最初に飛びかかってきた野ウサギも、何とか自力で起き上がれるようになるまで回復すると、体を引きずるようにして森へと戻っていった。
「ふう」
タジの口から思わずため息がでる。
時間稼ぎがいつまで必要なのか、アエリは明言しなかった。また、策についても詳細は聞かされなかった。指針も目的もない中で、ただ目の前に流れてくる仕事をこなすだけというのは、不毛という言葉が脳裏をよぎる。
「今日は確か、羊肉のベーコンと蕪のシチューだったか」
朝にエッセから届けられた籠の中には、陶器にスープと丸パンが二つ入っていた。代わりに朝の報告を受けて帰っていったときには、木の蓋の間からまだいくらか湯気が出ていた。
「もう冷めちまったよなぁ……」
独り言が多くなっている、とはタジ自身も思う。いけないと思いつつも、炭焼き小屋で待機をしている時間は多くはなく、エッセもトーイも、村のこれからに向けての仕事があるとのことでなかなか話す機会がとれない。他の村人はタジを怖れているし、アエリ村長に至っては、別方向でタジに勝るとも劣らない仕事量だと言う。
そのことを聞いたのは何日前だったか。
日付の感覚さえも若干麻痺している。炭焼き小屋は森に食い込むように建っているために、昼日中でも薄暗く、昼と夜との時間も曖昧だ。
「とにかく、炭焼き小屋に戻って飯にしよう」
一度大きく伸びをして、炭焼き小屋へと戻っていった。
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