第6話 第六幕

 もう山猫が戻ってきたのかとミラが振り返ると、そこには黒尽くめの大男が立っていた。


 ミラは男の姿を眼にした途端、足がすくんで動けなくなってしまう。その男から強烈に放たれる突き刺すような殺気に、ミラはすっかり呑まれていた。


「……ベルノ=インテグラだな」


 黒尽くめの大男はミラの先にいるベルノを睨め付けながら呟くと、鈍い輝きを放つ異様なまでに大型な両手剣をだらりと構えた。


「ミラ、下がっているのだ」


 ベルノはミラの前にすっと身体を入れると、男を真っ直ぐに見据えた。


「お主、マジェスタ宰相の刺客か?」


 腰を落として下肢に力を込めると、ベルノは鯉口を切った。


「お前が知る必要はない!」


 男は大きく踏み込むと、大型の両手剣を素早く斜めに振り下ろしてきた。加速のついた重量級の剣をまともに受けては、ベルノと雖もひとまたまりもない。


 間合いを外そうとベルノは身体を後ろへ下げるが、背後にはミラが控えているため、大きく下がることができなかった。


 ベルノは刀を抜くと、刀身に左肩を当てて、男の一撃を刀と身体で受けとめた。凄まじい衝撃と激痛が全身を駆け巡り、皮膚は破れ、骨が軋む音をたてた。


 その瞬間、ベルノは左肩に損傷を受けたことを悟る。しかし、大男は間髪入れず、次の攻撃に移る。勢いよく大きく振りかぶり、両手剣を力一杯に振り下ろした。


 ベルノは構えた刀を柔らかく傾けると、振り下ろされた両手剣をその刀身の上へ滑らせて受け流した。


 いなされた男の両手剣が、地面を派手に刻んで突き刺さる。


 すると、ベルノはその隙にミラの襟首を掴んで向こうへと放り投げた。ミラを背にしたままでは分が悪い。この左肩では彼女を守りきれない。


 ベルノは、この大男が手加減を考慮できる相手ではないと覚悟を決めた。ベルノが青眼に構えると、男も既に体勢を整えていた。


「真月一刀流といったか。ジアーロでも屈指の剣術だと聴いていたんだが、どうやら間違いのようだな。そんなチャチな剣で何ができる!?」


 男はベルノが構えた薄く細い刀を見て怒気を強めた。


海津国四条宗近霧雨かいづのくにしじょうむねちかきりさめ。こいつは魔刀でな。その名の通り霧雨を降らせる。赤い血の霧雨をな」


 ベルノが左手に力を込めて柄を握り絞ると、その醒めた蒼色を湛えた刀身が怪しく光を返す。


 すると、ベルノの瞳に蒼い炎がゆらりと浮かび上がった。そして、次第に大きくなる蒼い炎に合わせるように、ベルノの正気が少しずつ失われはじめる。もう左肩の痛みは感じなくなっていた。


 ―― 一撃で決めねば。そう長くは持つまい。


 持つ者の心を喰らう魔刀の力は、長引けば命取りになりかねなかった。


 次の瞬間、ベルノが素早く踏み込むと、大男もそれに答えるように大きく振りかぶった。


 男の両手剣が打ち下ろされるのと、ベルノが胴を引いたのはほとんど同時だった。ベルノの左肩の肉が裂け、血が噴き出す。


「ベルノ様っ!?」


 二人から離れて息を詰めていたミラが、ベルノの鮮血を眼にして思わず声をあげた。


 すると、その声に大男がゆっくりと振り返る。そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたかと思うと、血飛沫をあげて崩れ落ちた。


「紙一重といったところか……」


 ベルノは口の中で独り呟きながら、片膝を地面についた。


「べ、ベルノ様……酷い出血です!」


 血の気の失せた顔色をしながら、ミラが慌てて近寄ってくる。


「なに、心配はいらん。見かけよりも軽症だ。それよりも……」


 ベルノは刀を収めて立ち上がると、倒れている大男をあらためた。


「……事切れているか。生かす余裕はなかったとはいえ、悔やまれるな。少ないカレン様との繋がりだったかも知れん……」


 すると、ベルノは男の懐から何か光るものが覗いていることに気が付いた。手に取ってみると、それは三日月型をした薄い小さな銀のプレートだった。


「これは……」


「何ですかいったい?」


 ミラがベルノの手元を覗き込みながら尋ねた。


「これはジアーロ王室の用いる割符だ。この男、誰かに会うはずだったのだ」


 ベルノは男の懐を開き、他の持ち物も確認してみると、畳まれた一枚の書付が出てきた。しかし、その大部分は男の血で浸されてしまっている。ベルノは書付を手にすると、慎重に折り目を開いていく。


「……デルタで……二十三日……あとは殆ど読めませんね」


 横から覗き込んでいたミラが呟いた。


「デルタとは?」


「街の南の外れにある色街です」


「いつの二十三日かわからんな……一番近いのは来月か」


「手がかりになりましょうか?」


 少し上気した顔で、ミラがベルノを見上げてくる。


「なに、元より手かがりは何もないのだ。あたってみようではないか。ようやく掴んだ糸かも知れん。手繰ってみる価値はあるのではないか?」


 ベルノは左肩を押さえながら、口の端を上げてみせる。


「そうですね。これで事態が動くことを期待しましょう。でも、ベルノ様。まずは手当をしなければ」


 ミラは荷物から布を取り出すと、ベルノの肩を止血しはじめた。

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