第5話 第五幕

 日の暮れた宵の口。ウェストリバー地区に架かるトゥーラン橋のたもとで、ベルノとミラは野営をしていた。夜の監視を始めて三日が過ぎようとしていた。焚き火で作ったパン粥をミラが差し出してくる。


「済まんな。しかし、ほとんど白湯のような粥だの」


 固形物を確認できない椀の中を覗きながら、ベルノがぼそりと洩らした。


「文句があるなら食べなくてもいいんですよ」


 ぎろりと尖らせた視線を向けてくるミラ。今回の山猫を挙げられなければ、いよいよ困窮することになる。自ずと食材を節約しようと汁物が多くなるのも道理であった。


「いやいや、文句など言っておらんぞ。有り難くいただくのみだ」


 薄い粥を一口啜ってベルノが続けた。


「しかしの、どうにも腑に落ちんのだ。山猫を捕らえるために賞金を掛けるなど聞いたことがない。そもそも、治安省で捌き切れない案件を民間に卸すのが懸賞金制度なのではないのか?」


「知らないのですか? 最近では一般市民にも門戸が開かれて、誰でも賞金を掛けることができるようになったのですよ。なので、罪人だけが賞金の対象という訳ではなくなったのです。今回のように獣が対象になったとしても、なんら不思議はありません」


 言いながらミラも一口啜ると、塩気が少し足りないような気がした。


「しかし、たかが山猫に六十万ガロも出すものかの?」


 事態がいつ急変するやもしれない待機中は、できるだけ早く食事を済ます必要があった。ベルノはあっという間に粥を胃の腑に収めると、満たされぬ腹を摩りながら呟いた。


「それだけ困っているということでしょう。だいたい、腕に覚えのある者ほど、こうした雑用じみた案件は敬遠するものです。いくらこなしたところで名も上がりませんからね」


「……」


 ベルノは複雑な心境でミラの推測を聴いていた。武人としての矜持を思えば、名を上げることは重要なことだった。しかし、今の身の上としては、名が広く知られるようなことは避けねばならない。公的に手配をされていないとはいえ、マジェスタ宰相一派がこのままベルノを放置をしておくとも思えなかった。


 実際、いつ治安省から自分の手配書が回ってくるか、ベルノとしては気が気ではない毎日を送っていた。そんなベルノの心境を慮り、ミラが躊躇いがちに口を開く。


「……ベルノ様のお気持ちは察しますが、わたしたちも食べていかなければなりません。なのであまり、」


 するとその時、向こうで大きな騒めきが起こり、ミラの言葉を遮った。


「来たか」


 ベルノは刀を手に取ると、音のした方へ走り出す。


「先に行くが、火の始末を頼んだぞ」


 事が起こった場合の動き方は打ち合わせ済みだった。ミラも直ぐに体勢を整える。


「斬ってはなりませんよ!」


 盗られた金品を回収することが条件になっているのだ。絶命させてしまえば、それも難しくなる。ミラはベルノの背中へ念のために声をかけた。


「わかっておる」


 そう答えるベルノの声はもう遠くなっていた。


 ベルノが走って騒めきの起こっている場所へとやってくると、既に周辺には灯りが集まり、人だかりができていた。


「済まんが、そこを通してくれ」


 言いながら、ベルノが人々の輪の中心へと分入っていくと、塀に追い詰められた黒い影が、全身の毛を逆立てながら威嚇をしていた。人々が手にしているランプの灯りが当たると、それは小柄な大人ぐらいの大きさはある巨大な山猫だった。唸り声を発している口には何かを咥えている。


「ようやくご対面という訳だな」


 ベルノは山猫の正面に立つと刀へ手を掛けた。斬るつもりはなかったが、荒ぶっている山猫の様子から、自衛のために構えておく必要はあると感じられた。


「旦那! やっちまってくれ!」

「おぉっ! やれやれ!」


 ベルノが腰を落として殺気を漲らせたのを見ると、唐突に野次馬が歓声をあげた。すると、その声に驚いたのか、山猫は弾けるような俊敏な動きで屋根の上へとあがり、そのまま夜闇の中へ溶けるようにして消えてしまった。


「聞きしに勝る素早さだな」


 ベルノは全身の緊張を解いて柄から手を離すと、屋根の向こうへ視線を彷徨わせた。


「うわぁ! やられた!」


 すると、並びの一軒から素っ頓狂な声があがった。その声につられるように人が集まってくると、家人と思われる男が怒りをぶつけるように口を開いた。


「金庫がなくなっている! なんだってそんなうまいこと持っていくんだ!」


 光る物を集める癖があるのではないか、安易な保管に問題がある、そもそも金庫など本当にあったのかなど、人々は口々に無責任なことを言いはじめる。


 そんな人々の声をかわしながら、ベルノはその場を離れて裏通りへと脚を向けた。そして、何かに導かれるように町の外れへと歩いて行く。


「して、奴はどうした?」


 薄っすらと月明かりが差す道の真ん中で、ベルノは急に脚を止めると、木立を見上げて尋ねた。


「今日はちゃんとサインを見つけられたんですね」


 ミラだった。ベルノがここまで真っ直ぐやって来られたのには訳があった。ミラが所々に道順を示す印を付けていたのだった。それは蝋石で石壁に描かれた線であったり、草木の枝であったり、心得のない者には気付くこともできない暗号となっていた。


「夜道で探すのは、ちと骨が折れたがの」


 ミラが得意とするこの暗号がベルノは苦手で、サインに気が付かずに通り過ぎてしまうことも少なくなかった。


「そこへ入って行って、まだ誰も出てきていません」


 木の上から、軽い身のこなしで降りてきたミラが指で示した先には、以前は納屋だったと思われる荒屋があった。


「では、参るとするか。くれぐれもそなたは無理をしないようにな」


 ミラの短刀遣いには優れたものがあったが、あれは護身術であり、積極的に戦う技ではなかった。ベルノは万が一の場合はミラを庇えるように、彼女の位置を意識しながら歩みを進めた。


 そして、灯りが漏れる戸板までやってくると、慎重に中の様子を窺った。隙間から覗く視線の先には古ぼけた机が見え、その上には意匠の凝らされた小綺麗な箱が置いてあった。


 ――あれが例の金庫に違いない。


 ベルノはそう確信すると、戸板を蹴破って中へ飛び込んだ。


「なんだっ!?」


 すると、驚いた面持ちで男が一人躍り出てきた。


「お主が盗った物、返してもらうぞ」


 ベルノが刀の鞘へ左手をやると、鍔がカチャリと硬質な冷たい音を立てた。


「いったい何のことだ?」


 男は血走った眼に力を込める。


「町に山猫を放ち、人々の耳目を集めている隙に空き巣に入る。なんとも陳腐な手を使うのだな。そんなものが気付かれないとでも思っていたのか?」


 そのベルノの言葉を聴くと、男は素早くナイフを構えた。


「ちっ、今日で最後だったのによ」


 男が静かに腰を落として四肢に力を込める。その時点で、ベルノには相手の力量が読めた。


 ほんの僅かだが、上体が下肢に乗り切らずに安定を欠いている。それは極めて小さな歪みであり、普通であれば問題になるようなものではなかった。


 しかし、ベルノにはそれで十分だった。男が踏み込んで斬りかかってくると、ベルノは刀を抜かずに柄頭で鳩尾に一撃を叩き込んだ。


「ぐはっ!」


 男は強烈な突きを喰らって、胃液を吐きながら身体を折り曲げると、床に両膝をついた。


「げほっ、げほっ!」


 勝負がついたとみて、ベルノは男を見下ろしながら詳細を問いただそうとする。


「ベルノ様っ! 危ない!」


 すると突然、ミラが叫び声をあげた。


 ミラの声が響くのと同時に、男は素早くベルノに向かって何かを飛ばしてきた。


 瞬間、素手で払うことに危険を感じたベルノは、机を横倒しにしてこれを防いだ。倒れた机には細い針のような金属の棒が数本刺さっていた。


 ベルノは机を飛び越えると、そのまま男の側頭部へ強烈な蹴りをくれてやる。男はもんどりを打って倒れ、そのまま動かなくなった。


「毒針ですね。気を抜き過ぎですよ、ベルノ様」


 机に刺さった針を抜きながら、ミラは刀を抜いて戦わなかったベルノを暗に詰った。


「うむ。まぁ、そう言ってくれるな」


 言いながらベルノは男を縛り上げて床へと手荒に転がした。そして、机から落ちた金庫を拾い上げると、軽く揺すってみる。


「これも宝石かの」


「えぇ、盗られた物は宝石だけが戻ってきていないそうですから。賊の狙いは宝石一本なのでしょう」


 日中、ミラは被害者たちから詳細を聴き出すことに奔走していた。そして、そこで得た話を統合した結果、二人はこの山猫事件が人間によるものだと確信をしたのだった。


 するとその時、外で小さな物音がした。ベルノが外へ出ると、例の山猫がそこいた。


「済まんな。そなたの主人はワシが仕留めてしまったよ」


 ベルノは手を伸ばすと、山猫の顎の下を撫ではじめた。最初は警戒する素振りを見せていた山猫だったが、次第に喉の奥をゴロゴロと鳴らしはじめた。


「やはり、だいぶ人馴れしていますね」


 戸口から見ていたミラが、ベルノの背中へ言葉をかけた。


「ほれ、これが仕掛けのようじゃ」


 ベルノは振り返ると、何かの塊をミラへ投げて寄越した。


「山猫が咥えておった」


 受け取った物をあらためると、それは大振りなお手玉のような匂い袋だった。


「何か香のような匂いがしますね」


 ミラが鼻をひくひくさせていると、山猫がやってきてミラの腰へ身体を擦り付けてきた。


「この子はどうなるのでしょう?」


「捕まれば無事では済むまい」


 山猫がどうなるかなどわかりきったことであったが、ミラは尋ねずにはいられなかった。山猫の頭を軽く撫でてやると、ミラは手にした匂い袋を森の方へとおもいっきり放り投げた。すると、山猫はそれを追って勢いよく走りだした。


「直ぐに戻ってくるぞ」


「えぇ。でも……」


 森へと消えていく山猫の後ろ姿から、ミラは眼を離すことができなかった。主人のいなくなった孤独の身を、自分に重ね合わせているのかもしれなかった。


「さぁ、残りの宝石が何処にあるのか、あの男に教えてもらわねばならんな」


 言ってベルノが納屋の中へと踵を返すと、ミラもその後に続いて中へと入ろうとした。


 すると、後ろで小さな物音がした。

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