第1章 4 兎の目はなぜ赤い?
「澪・・・・・・その、ごめん」
祖父の死後いささか変わり映えのしなかった棚の模様替えをしながら、梓が済まなそうな口調でそう告げてきた。
「まぁ、仕方ないです・・・・・・僕がそういう曰く付きの品物を扱っているのは皆さんご存知のことですからね」
梓にとってはこの東雲堂に曰く付きの評判がつくのが心苦しいことなのだろう。だが、澪にとってはこんな話なんて、もう慣れっこだ。それよりも、この店の店主である自分と従妹であることで、逆に彼女が困ったことになるのでないかと、そちらの方が心配だ。そんな澪の心情を知ってか知らずか、同居人たちが梓に聞こえないとは知りながらも、あれこれと慰める。
『仕方ないよ、梓ちゃん。阿呆にはつける薬はないからさぁ』
『そうそう。若旦那なら、きっとその件の"くりすたるがらす"って奴も見つけてくれるさ』
『そうそう。それに、多少は謝礼もはずんでくれるらしいから、若旦那にとっちゃ悪い話じゃないんだよ』
今回部外者である澪が学校に入ることになった事情の裏には、エリとその保護者からのくだらない依頼を口実としながらも、何としてもOB寄贈のクリスタルガラスを探し出したいサエキ、学校自体の思惑が絡んでいた。
「まぁ、謝礼も弾んでくださるし、不要なものをこちらの言い値で引き取っていいということでしたので、僕にはそこまで悪い条件じゃないですから。気にしないで下さいよ」
同業者や同居人たちから、梓の学校にはなかなかの掘り出し物たちが眠っていることは情報として入っている。しかも、ほぼこちらの言い値でそれらを引き取らせてくれるというのだから、まぁ悪い条件ではない。しかし、それを言ったところで、梓の中の罪悪感が薄れることはあれ、なくなることはないのだろう。
「でも・・・・・・」
「それなら・・・・・・僕が学校で仕事をする時、お手伝いをお願いしても? 」
「それは当然だよ。 校長先生とサエキからそれは直接お願いされたもの」
梓はさも当然のようにそう答えたが、澪としてはやはり確認をしておきたかった。
「いえ、でも・・・・・・正直、まぁ怖い思いをするかもしれませんから。改めて頼みますよ」
これまで恐怖体験及び命に関わるような案件がなかったわけではない。実際、「声を聴く能力がなかったら・・・ということも少なからずあった。今回は学校内でのことだし、周囲の話から、そこまでの危険はないと判断したからこその頼みだ。
「・・・・・・澪、私もずっとこの店に出入りしてるから、多少はそういうのは耐性あると思うんだけど」
どこか過保護かつ他人行儀な従兄のそんな言葉に、梓は不服そうにぷぅっと頬を膨らませた。すると、店の隅で同居人の誰かが「よく言うよ」という呟きとともに誰かがぷっと吹き出す、軽く小さな破裂音が響くのが澪には聞こえた。梓も破裂音だけは聞こえたらしく。ふと音のする方を向いた。音は今はもう東雲堂の看板狸となった、信楽焼の狸、通称たぬ坊のものだ。
「たぬ坊が吹き出しましたね」
澪がそう微笑むと、心当たりがある梓はぱっと頬を染め、入口でどんと構えている狸の置物に向かって小さく舌を出した。。
「ち、小さい頃だったんだもん。仕方ないじゃないっ」
幼い頃、梓はよくこの店に預けられていた。それこそ、そんな小さな来訪者を、当時まだ店に来たばかりの悪戯好きのたぬ坊が放って置くはずがない。遊びたくて、触れて欲しくて、気づいて欲しくて、梓がいるとわざと大きな物音を立てたり、カタカタと動いてみたりと、一般からすれば「怪奇現象」と判断されかねないようなちょっかいをあれこれと出していた。
『ねぇ、一緒に遊ぼうよ』
たぬ坊のそんな「声」を聴けば、悪意がないことは理解できたはずなのだが、いかんせん梓にはそういう能力はなかった。だから、彼の悪気のないちょっかいに、毎回のように幼子だった梓はただ怖がって泣くばかりだった。
「たぬきさんが、たぬきさんがぁーー」
たまたま祖父は留守だった時なんかは、もう大騒ぎだった。梓は大事な店主の孫娘ということもあり、その頃から同居人たちから大事に思われていた。そんな梓が泣いた。店がてんやわんやの大騒ぎとなったのは言うまでもない。
『おのれ狸、そこになおれ。叩き割ってくれる』
『叩き割るなんて生温いよ。粉々にしてやんな』
『あーあー、梓ちゃん、そんなに泣いたら、お顔が腫れちゃうよぉ』
このままでは店の同居人による制裁でろくでもないことになると判断し、当時店の奥にいた自分が「ごめんよぉ、驚かせるつもりはなかったんだよぉ」と訴えるたぬ坊の言葉を伝え、二人の仲立ちをして梓を何とか泣き止ませた覚えが澪にはある。
『おいらたちから見れば、まだまだ梓ちゃんは子どもだよ』
「声」は聴けないくせに、自分に向かって舌を出し抗議する梓を、たぬ坊は笑う。澪はそのやりとりにその目元を微かに緩ませた。
『あたしから見たら、若旦那も相変わらずだけどねぇ』
すると、澪のそんな様子に店の奥で鎮座している招き猫の玉緒が呆れたようにそう呟いた。澪はふっと苦笑いを浮かべた。そう言われる心当たりはあった。
『だって、あの頃から若旦那、梓ちゃんに惚れてたでしょ。今だってーー』
玉緒は大きく見開いていた瞳をふっと細めて微笑んだ。澪は黙ってその微笑を受け流し、彼女から顔を背けた。「あの頃」のことがふと脳裏によぎり、自分の口元が歪んだことに気づいたからだった。
東雲堂物語 天野 湊 @minato_amano
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