第1章 3 兎の目はなぜ赤い?

第1章 3  兎の目はなぜ赤い?

 担当教員たちのスタンプラリーを終え、梓はようやくアルバイト許可証を完成させた。両親はアルバイト先が東雲堂だと知るや否や、あっさり許可してくれたから、なかなか幸先のいい出だしのはずだった。しかし、問題はその後だった。出張やら年休やら、部活動の引率やらで不在の教員が数名いたり、アルバイトの理由などあれこれといらぬ詮索をされたため、その道のりは完成に際して、自然に梓に安堵の溜め息をつかせるのに十分なほど長く、少し辛いものであった。しかし、最後の部顧問の印鑑はあっさりと貰えた。文化祭までまだ大分時間があると思っているせいか、それとも元々与えられた役割が裏方だったせいか、またまた何にも考えていないせいか、サエキはまるで宅配便を受け取る時のように何も言わずに印鑑を押した。むしろ、県大会突破を目指して燃えさかる三年の先輩連中への説明というか、説得の方が骨が折れた。まぁ、最終的には「自分の仕事をしっかりすれば問題なし」というお墨付きをもらった。もちろん、アルバイトのことを耳に入れるより先に、先輩方のお口にお手製のカップケーキを放り込んだせいだろう。

「・・・・・・何? あず、バイトすんの? 」

 そんな梓の様子に、部室のソファーでだれていたケースケがおっとりした口調でそう尋ねてきた。その口調や「あず」という呼び名は、一緒に遊んでいた頃の幼なじみのケースケのものだ。エリがいる時は「梓」と呼び捨てのくせに、どこか調子のいい小馬鹿にした態度の物言いをするくせに、こうして彼女が不在だと、不意に別人のような態度になる。猫を被るという言葉があるが、ケースケの場合、エリの前では悪ぶった狼を被っているのかもしれない。

「そうだけど? 」

「どこで? 」

「別にどこだっていいでしょ。ケースケには関係ないじゃない」

 梓はさらりとケースケの追求をかわした。いや、実際はケースケにものすごく関係はある。そもそも、あのウサギの耳を折った原因は彼だ。しかし、あのウサギを元通りにしたいと望んだのは自分だから、関係ないといえば関係ない。

「いや、だって、いやらしい変な店とかだったら、危ない目に遭うのは、あずだぜ」

 ケースケの言葉に梓は思わず苦笑いする。観光地とはいえ、こんな田舎の元城下町にそういった店は存在しない。まだまだ町内会のご老人たちが健在で、自分たちの目が黒いうちはーーなんて、そういう店が建つという噂があれば、噂のままで終わってしまう状況だ。

「ふぅん」

 ケースケがなぜそんなに自分を心配するのかは知らないが、そこまで言うなら修理費を要求してみようかと思ったが、梓はそこで言葉を飲み込んだ。エリが数名の取り巻きを連れて部室に現れたからだ。

「あっ、梓センパーイ、ちょうど良かったぁ」

 語尾に常に「はぁと」がつきそうな、鼻にかかる甘ったるいエリの声。彼女に恋する男子連中にはたまらないものだろうが、梓にとってそれは背筋をぞわつかせるほど気持ちが悪いものだ。

「何? 」

 できることなら耳を塞いでおきたいが、一応先輩という手前、梓は一応は後輩の話に耳を傾けてみた。

「センパイの従兄さんってぇ、ワケありのものを扱うお店をしてるんですよねぇ」

 ワケありのものを扱う店なんて言われたら、いくら平和なこの雁野町であっても商売上がったりだ。だからこそ、梓は静かに訂正を入れた。

「・・・・・・正確には骨董屋だけど。で? 」

「図書館に幽霊が出るーって話、この前ケースケセンパイがしてくれたじゃないですかぁ」

「ああ、そうね」

「だからぁ、センパイの従兄さんに、除霊?してもらえたらぁって思ってぇ」

「はぁ?! 」

 エリの言葉に梓が思わず聞き返した声は奇しくもケースケのそれとも重なった。そもそも澪の骨董屋では確かにそういう事情(ワケ)ありの品物を取り扱うこともあるが、あくまでそれは骨董商としてであり、除霊とかそういうのは専門外だ。だいたい、手に余ると澪が判断したものは近くの定光寺という寺に寄進という形で供養していることを梓は知っている。

「えっと、エリちゃん・・・・・・あのね、東雲堂は確かにそういうワケありの品物も扱うけど、そういうのは専門外だと思うよ」

 エリのぶっとんだ発言に日頃被っていた皮が脱げてしまったのか、ケースケの口調は素に戻っていた。しかし、それに梓以外は誰も気づかない。

「ええーっ! だってぇ、パパがこの前ヤバい文箱を売ったら、その後すぐに別の人が買ったらしいけどぉ、何も起きなくなったらしいんだもーん」

「・・・・・・気のせい、だったんじゃないの? 」

 確かに澪の店には多少曰く付きの品物はあるが、さすがにここで肯定してしまえば、ある意味営業妨害になりかねない。修理代のためにバイトする店を自分の発言によって閉店させるわけにはいくまいと、梓はさらりとそう返した。

「気のせいじゃないですよぉ。エリもぉ、何度かその文箱がガタガタひとりでに動いてぇ、中の手紙を出しちゃったのを見たんですぅ」

 エリは自分が頬を染めながら興奮気味にそう主張するものの、当の梓が全く反応しないものだから、どうやら機嫌を損ねたようである。ぷぅっと頬を膨らませ、口を尖らせる。

「・・・・・・疲れてたんじゃない? 」

 まぁ、確かに澪の店の品物はあまりに構わないと勝手にガタガタと音を立てたり、油断するとちゃっかり別の場所にお出かけする品物が多少、いやほとんどだが・・・・・・持ち主に危害を加えたりするものは皆無だ。たいてい、彼らは持ち主に対して少なからず好意を持ち、良かれと思って行動しているのだと、だからそういう理由だけで怖がってはいけないのだと、死んだ祖父は常々言っていた。だからこそ、梓は店の品物については「怖い」という感情を持ったことがなかったし、そうした品物の「声」を聴いたり、対話できる祖父や従兄のことを羨ましく思った時代もあった。もちろん、今となっては、それが羨ましいだけの能力でもないことは理解できている。

「そりゃ、パパもまぁまぁ疲れてますけどぉ・・・・・・もしかして、エリの言ってることぉ、嘘だと思ってません? 」

 多分、件の文箱が音を立てたりしたことも、本当の意味で大事にしてくれる持ち主に出会って大人しくなったことも本当のことだろうが、ここでそれが本当だと言ってしまったら、なかなか面倒なことになる。梓はそう判断し、話の方向を少しずつ変えることにした。

「ううん、嘘だとは思ってないけど・・・・・・その、何でいきなり図書館の除霊なんて話になったの? 」

「エリたちぃ、ツボネ様にぃ、何かぁ放課後に書庫整理?しろって言われたんですぅ。正直、体罰だと思うんですぅ」

 エリの言葉に出てきた「ツボネ様」というのは、国語のハヤサカのことだ。ハヤサカはまだ年齢は二十代後半になったばかりぐらいの女性教師、だからお局様扱いはどうかと思う。確かにその年齢の女性は高校生から見れば十分「お局様」だと言われればそれまでだろうが、正直それはそれで気の毒だ。だが、ハヤサカは無闇に罰を与える教師ではない。何か必ず然るべき理由があるはずだ。

「なんで? 」

「えー・・・・・・ちょっとだけぇ、記事の切り抜きをしちゃったんですぅ」

 要は図書館の本を切り抜くという、昨今流行のマナー違反をした結果、司書教諭であるハヤサカに指導されたということだ。

「それ、アンタが悪いじゃん」

「だってぇ、本の内容を写すのが書くの面倒でぇ」

「そーやって言うから反省してないと判断されて、ペナルティを与えられるんじゃない」

「ぶぅーっ」

 エリはわざとらしく膨れっ面をしてみせ、ちらりと取り巻きに視線を流す。すると、取り巻き連中がまるで判を押したような同じ口調で口々にあれこれ言い出した。

「でも、やっぱりオバケが出るようなところで作業とかって嫌じゃないですか。それに、もしタタリとかで死人が出たら、いけないし」

「そうそう、もしかしたら呪われるかもしれないし。それに、エリっちがケガしたら、演劇部も大変ですよ? 」

 主役ならまだしも、ちょい役のエリがケガをしたところで代役を立てるか、彼女の役柄を他の役に振り分ければいいだけでそこまで支障はない。ただ、それを口にするのも面倒だし、それを聞いたエリや取り巻きが煩くなるのも理解っているから、わざわざ言うつもりはない。とはいえ、だいたい書庫整理ったって、ある程度は図書館に常駐している司書が普段から図書委員を使って管理しているのだから、そこまで面倒な作業ではないはずだ。

「なるほどねぇ・・・・・・」

 梓はそう生返事をしながら、どうこの阿呆な連中の要求を突っぱねるか、断る口実を考えてみた。何重にもオブラートに包んだ罵詈雑言はあれこれと浮かぶくせ、一番必要ないい考えがどうも浮かばない。その間も、エリが自分にちらちらと助けを求める表情プラス潤んだ瞳を向けてくるのをある程度無視していた。だが、それがいけなかった。いや、そんなエリに熱を上げている、とある馬鹿者の存在すら忘れていたことが最大の敗因だ。

「じゃ、俺が頼んでやるよ。澪さんとは知らない仲じゃないし」

 エリの哀願攻撃に勝手に陥落したケースケのその言葉を耳にしたとき、梓はただただ脱力するしかなかった。

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