第1章 2 兎の目はなぜ赤い?

 雁野町、古くから城下町として栄えたこの町には神社仏閣やそれに伴う祭りなどが多く遺されている。今も行楽シーズンや祭りの季節になるとまぁ観光客で賑わうが、それ以外の時期は静かな町である。そんな町の一角にその店はある。

 「東雲堂」

 古いものなら何でも取り扱っている、いわゆる骨董屋。そんな骨董屋など雁野町にはいくらでもあるが、この「東雲堂」は他の店とはちょっと毛色が違う。今の時刻は十九時、いつもなら店はもう閉まっている時間帯なのだが、今日は珍しくまだ開いていた。

 「まぁまぁ・・・・・・梓さん、気持ちは分かりますがーー」

 「だって、ガラクタなんて、あんまりじゃないっ! 」

 相当腹が立っているのか、珍しく頬を上気させてそう主張する従妹の梓を宥めながら、澪は苦笑いを浮かべていた。梓がハンカチで大事そうに包んだ、小さな包みを持って店に飛び込んできたのはもう一時間半前のことだ。

 「だって、だって、このコ、何も悪くないのに、悪いのはケースケなのに・・・・・・」

 怒り狂った状態から一時間半、そろそろ感情が悲しみにシフトして来ているのが、梓の声から伝わってくる。二人の目の前には、左耳が折れたウサギが折れた左耳と共に、ハンカチの上に鎮座している。その瞳はどこか、申し訳なさげだった。

 「それは理解ります・・・・・・けど、梓さんがそうやって泣くのも、このコにとっては辛いんですよ」

 「だって、ガラクタなんかじゃないもん。このコ、ちゃんと立派なウサギじゃない。なのに、サエキのババアは廃棄しろなんてーー」

 そこで感情が完全にオーバーフローしたのか、梓は大粒の涙を零して泣き出した。その声に近所の店の顔見知りたちがぞろぞろと店先に顔を出す。

 「梓ちゃん、どうしたんだい? 」 

 「また、澪坊が泣かしたんだろ」

 「いや、何でも、角のスズちゃんの孫が原因らしいよ」

 「そういえば、最近とみに色気づいてたって、スズちゃんが言ってたねぇ」

 「まぁ、梓ちゃんもそういう年頃になったんだねぇ」

 「こりゃ、澪坊もうかうかしちゃいらんないねぇ」

 「お前に梓はやらーんとか、死んだレンちゃんの代わりにちゃぶ台を引っくり返すぐらいのことはしないとねぇ」

 「というより、そろそろ澪坊こそ所帯を持たないと」

 「誰かいい人がいればいいんだけどねぇ」

 「あそこの料亭に入った若い仲居さん、なかなか可愛いけどねぇ」

 「ああ、もう少し俺が若ければなぁーー」

 「馬鹿お言いじゃないよ。もう少しどころで済むかい? もう後期高齢者も間近じゃないかい」

 野次馬たちがめいめい勝手なことを言うことは予測できていたものの、さすがに自分の恋愛事情まで詮索されては、たまったものではない。それに、先程から『ああ、あたしのせいでお嬢ちゃん、本当に済まないねぇ』と申し訳なさそうに呟く客人を放っておくわけにもいかないだろう。

 「分かりました・・・・・・僕がこのコは預かりますから。それで、いいですね? 」

 澪がそう尋ねると、梓は顔を上げ、まだ涙で濡れたままの瞳を彼に向けた。梓がこんな瞳を向けてくるのは、何かお願いしたい時だ。多分、ウサギの耳が折れたままでは可哀相だから、預かっている間に耳を元通りに修理して欲しいということだろう。無論、折れてしまった耳は市販の接着剤でくっつけることはできる。しかし、梓がそういう簡易的な処置で納得するぐらいなら、最初からこの店に、自分にこの案件を持ち込んではこないはずだ。と、なれば、方法はあれしかあるまい。

 「・・・・・・金継ぎ、ですか」

 どうやら澪の読みは当たっていたらしく、梓はこくりと頷いた。そして、客人も『できれば、そうしてもらえると、あたしも嬉しいねぇ』と乗り気のようだ。とはいえ、東雲堂で懇意にしている職人に頼むとなれば、一般の金継ぎ価格よりもやや高めになってしまうし、時間もかかる。

 「・・・・・・ちゃんとお金は払うから」

 さすがに高校生ともなれば、修理にそれなりの金がかかるのは理解っているらしく、梓は神妙な顔つきでそう言った。

 「あー・・・・・・まぁ、それは有り難いですがねぇ」

 澪はそう答えながら、頭の中で算盤をはじいた。金額がやや高めとはいえ、高校生の梓に払えない額ではない。アルバイトでもすれば十分に支払える。その点では経営者としては、問題ない。ただ、従兄として引っかかる点がある。まず、本来ならば、それは梓が払うべき金ではないのだ。むしろ、ケースケが払うべき金なのだ。子どもの頃はまだ可愛かったが、最近ちょっと見栄えが良くなって女の子にモテはじめたとかで、ややその態度が目に余っている。特に梓に対しては酷い。だいたい、修理費を稼ぐアルバイト先で、梓にどこぞの悪い虫でもついたらどう責任をとってくれるのか。それこそふざけるなと言いたい。八歳も年下の従妹に対して、自分がやや過保護なのは自覚済みだが、それもこれも彼女が可愛いのだから、仕方ないことだ。だいたい、その部顧問のサエキとやらも問題だ。これだけのものをガラクタ扱いするわけだから、日頃どれだけのものに囲まれて生活しているのだろう。まぁ、ただ見る目がないだけかもしれない、会ったことのない人間をそこまで落とすのも気が引けるが。

 『ああ、見ず知らずのあたしにそこまで・・・・・・ありがとう、お嬢ちゃん』

 梓の神妙な態度に客人が感極まったようにそう叫んだ。だが、その声は店先から中を覗く野次馬たちにも、当の梓にすら届かない。それは澪にしか聴こえない。

 『若旦那ぁ、そろそろ店仕舞いしなよ。働き過ぎて疲れちゃあ、いい仕事はできないんだよぉ』

 『左様。それに、そちらの新入りにこの店のことを説明する時間が必要じゃ』

 『新入りったって、あんたもこの店じゃそっちの部類じゃないかい』

 『それは・・・・・・毎回出戻ってくるそなたには言われとうないなぁ』

 『そりゃ、狭っくるしい箱の中で閉じ込められてちゃ、息苦しくて仕方ないんだよ。それに耐えられないだけさ』

 『眠い』

 『あの方がガラクタなら、おいらは何なんだよ』

 『良かった、さすがにアンタも客観的な目は持ち合わせてたみたいだねぇ。それより若旦那、そろそろあたいを磨いておくれよぉ』

 『おや、それを言うなら、私も磨いて欲しいよ』

 『たまには場所を変えておくれ。ここからの景色は飽きた』

 『いっそ、店の中を模様替えして欲しいもんだ』

 『無理を言うな。蓮の旦那が死んじまった今、若旦那一人でこの店を切り盛りしとるんだから』

 『誰か雇えばええのに』

 『同感。この店は人手が足りない! 』

 『ああ、でも誰でもとは言えぬな。我らのことを大切に扱ってくれる者でないと』

 『それなら、梓ちゃんをーー』

 『そうさね。小さい頃からここで遊んでるだから、勝手は知ってるだろうしねぇ』

 店先、店の奥の同居人たちがめいめいに勝手なお喋りをはじめるのを耳にしながら、澪はふっと微笑んだ。確かに店は人手不足だし、この店で働くなら、梓にまず悪い虫はつかないだろう。同居人たちにしては、なかなかよい提案だ。

 「なら、修理代代わりにウチでしばらく働いてもらえませんか。アルバイトとしてーー」 

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