第1章 1 兎の目はなぜ赤い?
夕方になると、図書館には幽霊が出る。
生徒の間でそんな噂がまことしやかに囁かれはじめたのは、晴れの日ばかり続き、梅雨らしくない梅雨の最中の頃だった。そして今日になって、その降り残しを一気に済ませてしまおうとするように、作業を始めた三時半から現在に至るまでずっと大雨が降り続いていた。
「で、その三年の先輩が帰ろうとした時に視線を感じて、振り返ったらーー」
「きゃぁぁぁぁ」
そんな荒れ気味の天候に加え、今となっては珍しくなった白熱電球のみが明かりの薄暗い倉庫、怪談を語るには絶好のシチュエーション。だが、ケースケはまだ何も言っていない。それなのに、むやみやたらと悲鳴をあげる、「結構可愛い女の子」カテゴリーに属する、エリ。ケースケはそんな彼女が自分の話で怖がっているのが可愛いと思っているのか、どこかにやけ顔だ。ケースケにとって、こうした行動はエリにとって無意識のものであるという認識に違いない。ちょっとおバカな可愛い仔鹿がちょっとでも近づこうものなら、もうその喉に牙を突き立てたい。ケースケの表情はにやけながらも、その裏側には距離を見定める獣が潜んでいる。
しかし、傍目からよく観察すれば、エリだっておバカな仔鹿ではない。実際、そんな風に悲鳴を上げながらも、エリはちらりとケースケの様子を伺っている。その眼差しは肉食獣のように鋭い。自分がどうすれば異性から可愛く見られるのか、思われるのか、ちゃんと計算しているわけだ。ケースケは「イケメンかつ性格もいい」カテゴリーに属するから、エリにとっては絶好の獲物なのだろう。多分、エリの方が一枚上手な気がする。だが、そんなことは実際はどうでもいい。今は歴代の演劇部の先輩たちの思い出の品でいっぱいになって、腐海と化した部倉庫での捜索作業の途中である。そんなくだらない雑談に時間を割いてる場合じゃない。
「・・・・・・とりあえず、作業はしてくれない? 」
梓はケースケとエリの表面上はラブコメ風のやり取りに、突き放した口調でそう水を差した。
「ちっ・・・・・あー、はいはい」
「梓センパイ、こわーいっ」
「ってか、梓もさぁ、そこは空気読んで怖がれよなぁ」
「ですよねー。梓センパイのそこって残念ですよねぇ」
梓のその冷たい言葉に、二人はめいめい勝手なことを口にした。しかし、それらの悪態に梓が全く反応しなかったため、面白くなかったのか、作業に戻った。しかし、いかんせん嫌々だから、棚にあるモノを扱う手もどこか乱暴だ。少し高い棚にある箱を踏み台を使ってとればいいのに、長い棒を使って叩き落とす始末だった。それを辞めさせようと梓がタイミングを伺っていた次の瞬間、 ガチャン
ケースケが棚から叩き落した木箱から、何かが割れる音がした。
「ヤベっ」
「ヤバいですよぉ」
「・・・・・・ちょっと、どいて」
今回倉庫を片づけているのは、以前とあるOBが「小道具」として寄贈した、現在価格ウン十万円のクリスタルガラスの置物を探すためだった。何でも、今度の学園祭でそれを来賓控室に飾りたいとか主張する、学園長の命令だった。さすがにウン十万円のものを壊したかもしれないという恐怖でお地蔵さんになったケースケを押しのけ、梓は恐る恐る木箱を開けた。
「・・・・・・なぁーんだ。壊れたの、ただのガラクタじゃないですかぁ」
横から覗き込んできたエリの言葉通り、木箱に入っていたのは、例のクリスタルガラスの置物ではなく、白磁器の小さなウサギの置物だった。そのフォルムは丸々とした可愛らしいもので、瞳はまるで生きているように鮮やかな赤い色をしていた。しかし、入っていた木箱を叩き落とされた衝撃のせいか、ぼっきりとその左耳が折れていた。
「ただのガラクタかぁ」
「ガラクタ・・・・・・」
エリの言葉をケースケと梓はそれぞれ復唱した。すると、騒ぎを聞きつけて、先程から倉庫の外で別の職員と雑談していた顧問のサエキが駆けつけてきた。当然、顔色は真っ青だ。
「何の音っ? まさかーー」
「あー、大丈夫ですよぉ。壊れたの、コレですからぁ」
梓の手から木箱を取り、エリがそれをサエキに見せた。箱の中身が件の置物ではなかったことを確認すると、サエキはほっとした表情を浮かべ、こう続けた。
「あー、それならいいわ。それ、危ないわよねぇ。いい機会だし、廃棄しましょう」
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