恋愛編

守れない約束(残酷描写あり苦手な方は飛ばして下さい!)

 貴方は覚えているでしょうか?


 貴方は正義感が強くて、道の酔っ払いの喧嘩や絡まれている人を見かけると必ず助けに入ってらっしゃいましたね。わたくしが、心配だからお止めになると約束して下さいと幾ら申し上げても、貴方は、俺はこんな事で死なないから大丈夫だと仰り聞き入れては下さいませんでした。

 そしていつも喧嘩した方々と仲良くなって一緒に呑みに行ってしまい、私はよくヘソを曲げたものです


 貴方は覚えていらっしゃいますか?


 三月五日。

 貴方と私が祝言を挙げた日です。

 私が十六の時でした。とても質素でしたね。神主も、親戚友人もいない中、二人で三三九度の盃をひっそりと交わしました。とおも離れた貴方の事を、私はお慕いしておりましたから、それは嬉しかった。

 祝言の後、この喫茶店で紅茶を飲みました。当時は贅沢な飲み物でしたから、私は大層驚きました。

 今日の記念にと貴方が仰ったので、私はひとくち、またひとくちと、噛み締めるように大切に飲みました。

 また貴方は仰いました。毎年この日、ここで紅茶を飲めたらいいのにと。

 その日の幸福は、ひとくち毎の紅茶の温もりと共に私の胸に染み渡りました。


 翌日、貴方は居なくなってしまいました。私は泣くのを堪えられませんでした。貴方は仰いました。

 有難う。約束してくれ、もう俺のことは忘れると。お前は幸せになりなさい、と。嫌だと言って私は泣きました。

 あの時私は、貴方と共に幸せになりたかった。貴方と共に生きて行きたかった。私に貴方なしでどう幸せになれというのか。涙が止まりませんでした。


 三月十日。

 街は焼けました。

 焼夷弾の熱さから逃れるため、人は川へ、池へ飛び込みました。

 それでも逃れられず、水の中にたくさんの人が詰まり、苦しみ呻きながら死んでいきました。

 貴方と過ごした喫茶店も、無くなってしまいました。



 あれから七十年余りが経ちました。

 私は結婚して子を産み、孫ができました。夫は私の愛する大切な方です。毎年こうして喫茶店に来る事を、何も言わずに許してくれます。今日は日曜日だというのに、行っておいでと送り出してくれました。

 子供達も頼もしく成長し、立派な大人になりました。孫はただただ可愛いです。

 今日は三月五日。

 焼け野原から見事に立ち直ったこの街に、ふと貴方の面影を探してしまうのです。沢山の人がいろいろな事を仰いますが、貴方を忘れることなどできません。私の今の暮らしは間違いなく、貴方がくれたものなのですから。

 いつまで経っても約束を守れない私を、きっと貴方は怒るでしょうけれど。


 貴方の望んだ幸せを、紅茶の温もりと共に今、私は噛み締めているのです。


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