決戦の日曜日・裏

 忠道さんは今の季節を本当にわかっているのだろうか。

 流石に日が暮れてきているとはいえ太陽はまだジリジリと肌を焼く。


 なぜ散歩?

 だめじゃないんだけど、せっかく表参道なんだから、カフェでお茶して休憩とかどうですかね?

 とは言えないので、やんわりとあそこ有名なカフェですよねとか、暑いですねと言ったけど、彼はどんどん先に進んでいく。


 歩くのは嫌いじゃないけど、

 かかとの太いヒールだから歩きにくいことはないけど、

 流石に疲れた。


「もう少し先に行きましょうか」

 はぁと頷いて見せると、彼はそのまま私の少し前を歩く。

 私の顔は今大丈夫だろうか。笑顔で答えられていただろうか。

 スーツを着ている彼は、私なんかよりもっと暑そう。なんで夏にスーツ?

 私なんて何とかクローゼットに仕舞い込んだワンピースを見つけ出し、クリーニングして準備しておいたくらいだ。

 何を着たらいいか困る時は、きれいめのワンピースを着ておけば大抵どうにかなる。コーディネートに迷うほど洋服も持っていないし。だからって前のデートと同じ服を着るわけにもいかない。



 手を握ろうかと考えて、やめた。

 忠道さんは真面目。

 これといって目立つ嫌いなところはないが、好きなところも取り立ててない。

 散歩に行こうと言っておいて手も引いてくれない所にはびっくりしている。

 ……もしかしたら、きちんと私との距離を保っているのかもしれない。


 私達の目的は結婚だ。婚活サイトで出会い、デートする。それはときめきではなく値踏みに近い。お互いにこれからの人生を共に歩める相手かを審査している。

 付き合いたてのカップルのような浮かれたものじゃない。

 それでも今日は何度目かのデート。


 表参道を歩く間、これといって彼から話しかけてくることはない。

 口下手だという彼は会話が苦手みたいなんだけど、そこまで嫌じゃない。喋らなくても2人でいられるのは、私にとって結構大事なことだ。


 彼がもう少し先に行くというなら、ついて行こうじゃないか。

 汗が頭からつつ、と額に流れる。


 これまでの婚活、デートはするがその後が続かない。

 年齢を重ねるごとにデートの回数は減り、審査には落ちる方が多くなっていく。

 目的がはっきりしているから、若くて容姿の良い女性だったり、高い年収の女性の方が価値がある。

 婚活サイトでなくてもそうだろう。

 これから子供を産んだりバリバリ働くこともできる若い女性か、すでにバリバリ働いている女性がいいに決まっている。


 高望みはしていないと思う。

 私のようなありふれた女は、待っているだけで魔法のように幸せが降り注ぐことはないのだ。自分が幸せだと思う物を、もがいて足掻いて掴みに行かなければならない。

 私にはもう余裕もない。


 愛は大切だけど、愛だけの生活には限界があると、私は思っている。

 生活するために必要なだけの収入を持っている男性が良い。


 打算的で意地の悪い私の婚活。




 道は表参道を抜けて、青山一丁目方面へ。

「あれ、この辺って……」


 前に雑誌で見た憧れのレストランは、確かこの辺だった。お店の周りの風景も載ってたから、覚えている。


「お待ちしておりました。吉本様」


 彼に声をかけた黒いスーツの男性が案内する先は、「eleganza《エレガンザ》」。

 私の憧れのレストラン。


 そのまま店内へ案内され、席へ着いた。窓際の、他のお客さんが気にならない2名席。

 予約してくれたのだろうか。

 さっきまでの疲れが吹っ飛んでしまった。思わず口元が緩む。

 忠道さんはなんだかドヤ…って顔をしている。

 予約してくれたんだ……。



 そこでふと頭をよぎる。


 普段着ないスーツ。

 青山一丁目の高級レストラン。

 サプライズで予約。



 これは何かある。

 どっちだろう。プロポーズ?それともまさか別れ話?



 手のひらがじわりと汗ばむ。

 どうやらただの食事ではない。


「咲子さん、の、飲み物は何がいいですか?こっちは、食事のメニューだ……

 あれ?こっち……わ、ワインリストもありますね」


 忠道さんは口下手なのにわかりやすい。こういうお店には慣れていないのだろう。事前にコース料理を予約しておくこともできたのに。


 放っておけない気持ちにさせる慌てよう。メニューリストとワインリストをあたふたと開く手にそっと触れる。


「忠道さん、せっかくですからじっくり選んで決めましょうか」


 事前に予約した料理を食べるのもいいけれど、これから食事をする人となにを食べるかを、メニューを見ながら一緒に考える時間もすごくいいものだ。


 ただ1つ心配事が。

 私は食事が好きなのに、人前で料理を全部食べられない。

 出された料理が1人分でも食べきれない。食べる所を人に見られていると思うと、汚い話だがなぜか戻したくなってしまう。

 少食の方が女らしいなんて微塵も思っていない。料理を作ってくれる人にも申し訳ない。自分が一番よくわかっている。

 だけどこればっかりは気合いを入れてもどうにもならず、これまでも相手に不快な思いをさせないように言い訳しながら残すしかなかった。思えば、こういう所が審査落ちの原因かもしれない。


 だが今日は残せない。残してはいけない気がする。

 憧れのレストランをわざわざ(しかもサプライズ)予約してもらって食べれませんなんて失礼にも程がある。


 忠道さんが注文を終えた後すぐにお手洗いに立つふりをしてこっそりウェイターさんのところへ向かい、私の分の料理を少なめにしてもらいたいとお願いした。ウェイターさんはにっこり笑って快く対応してくれた。



「素敵」

 席に戻って改めて店内を見回したりして、つい独り言が出てしまった。私は満足してる時や楽しい時、独り言が出てしまう。

 さっきのウェイターさんの対応にすっかり安心した。流石は高級レストラン。やはりサービスの質が違う。細やかな気配りに感動する。


 後は楽しむばかりだった。

 私の方が量が少ないと忠道さんにわからないように料理を盛り付けてくれているので気兼ねなく食事を楽しめる。

 ワインも美味しい。あぁ、ずっと飲みたかったオーパスワンを今日飲めるなんて。素晴らしい日曜日。

 だけど残念でもある。明日があるから飲み過ぎないようにしなければ。



 楽しい時間は過ぎ、後はデザートを残すだけとなった。


「今日は、このお店に連れてきてくださってありがとうございます。覚えてたんですね。前にこの店いいなって言ってたの」

「喜んでもらえたみたいで、よかった」


 どちらともなく笑みがこぼれる。

 ちょうどいいタイミングで店員さんがデザートをもってきた。


「あっ……」


 口元を押さえてデザートを見つめる。

 ロウソクが立てられ、メッセージを添えた一皿。


 なにも言えずにデザートを見つめていると、忠道さんが口を開いた。


「さ、咲子さん……」


「僕はどうしようもない口下手で、会社でもプライベートでも苦労してきました。

 いつからか話すこと自体が、こ、怖くなってしまって、1人でいることに慣れていました。」

 でも。

「あなたに会って僕は……変わりたいと思ったんです。

 大切な誰かと、か、家族になって、家族と——幸せになりたい」

「咲子さん。僕はこれからもずっと、あなたの側で、あなたを幸せにしたい」

「結婚、してください」


 スーツのポケットから指輪の箱を取り出し、私の手にそっと握らせる。


 ゆっくりと箱を開ける。

 目に熱いものが滲む。



 あぁ。




 別れ話じゃなくてよかった。

 ちなみにオーパスワンはせっかくなので持ち帰った。

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