ラブコメ編

決戦の日曜日

 さっきから汗が止まらない。

 スーツを着ているせいだ。

 付け加えるなら今の季節は夏。


 並木道が有名な表参道を、ハンカチを片手にへろへろ歩く。かきすぎた汗のせいか、たまに吹く風が冷たく感じる。

 時間は18時半、やっと日没の時間だ。もう少ししたらだいぶ涼しくなるかも知れない。

 後ろから爽やかな青いワンピースを着た彼女がついてくる。少し前から彼女の視線は足元に落ちたままだが、今の俺にはどうすることもできない。

 彼女の表情を見て、また別の汗が出てきてしまう。



 あぁ、彼女の手を引いて優雅に散歩する予定が台無しだ。


「もう少し先まで行きましょうか」


 後ろにいる彼女、咲子さきこさんへ声をかける。手汗びっちょりの今、彼女の手を握ろうものなら確実にドン引き間違いなしだ。そんなこと、いくら恋愛経験の少ない俺にもわかる。1+1=2 くらい簡単なことだ。


 あぁ暑い。

 ぶっちゃけ手汗びっちょりどころじゃないのでジャケットも脱げない。


 だけど俺はこの並木道の先に行きたい。行かねばならない。

 予約したレストランがある。彼女には内緒で。

 さりげなく腕時計を見る。よし、時間は丁度いい。


 思えば今日まで長かった。

 人前で上手く話せない俺ももう40出前。いい加減口下手を言い訳にできないと婚活サイトに登録した。


 案の定、幾度となくお見合いをしては断られ続けた。しかしそんな情けない俺にもやっと巡ってきたこのチャンス。


 逃してなるものか。

 男、忠道ただみち勝負の日。


 今日俺は、彼女にプロポーズする。



 表参道を歩ききったら、青山一丁目方面へと進むと、咲子さんがぽつと呟く。

「あれ?この辺って……」


 数メートル先に立っていた黒いスーツの男性が、こちらに気づいて駆け寄ってくる。

 何も言わずに彼女を連れて男性の方へと歩く。


「お待ちしておりました。吉本様」


 優雅に会釈をした男性は、今日予約したレストラン「eleganza《エレガンザ》」の店員だ。

 イタリアで修行したシェフが、和の食材を取り入れたイタリアンを提供している。口コミでじわじわと人気に火がつき、今では金・土曜の予約は数ヶ月先まで埋まっている。ダメ元で電話したら、運良く日曜日に予約が取れた。

 スマートに店内まで案内され、席に着いた頃には咲子さんの表情もだいぶ和らぎ、目に光が戻っていた。


 実はこの店、前に咲子さんが雑誌をみていいなぁと言っていたお店。

 最初のサプライズは成功したようだ。



「咲子さん、の、飲み物は何がいいですか?こっちは、食事のメニューだ……

 あれ?こっち……わ、ワインリストもありますね」

 こういう店はメニューの冊子がたくさんある。慣れないワインリストについ戸惑ってしまう。


 メニューを開く手がふわっと暖かくなる。

「——忠道さん、せっかくですからじっくり選んで決めましょうか」


 微笑む咲子さん。俺が焦ったり困ったりするタイミングを見越しているかのように、スッと心に入ってくる。


 手のひらの暖かさに幾分落ち着きを取り戻し、2人でメニューを開いてあれこれと話し合う。これもまた楽しいひと時。

 最後はソムリエの店員さんに相談した。


「……じゃあ、まずグラスのシャンパンを2つ。料理はこのコースでお願いします。ワインはグラスの白、シャルドネの——それと、オーパスワンをボトルで」


 何とか注文を終えると、別の店員がテーブルセットを変えにくる。


「素敵」

 店内を見渡してうっとりしながら、ため息のように独り言を呟く。

 すごく楽しんでる証拠だ。咲子さんも口数は多い方ではないが、楽しい時や満足してる時はつい独り言が出てしまうと、初めて会った時にそう言っていた。

 普段から少食でよく食事を残してしまう彼女も、これまでの料理は全部食べられたようだ。

 コース料理は一皿の量が少ないから、ちょうど良かったのかもしれない。


 順調に食事が進み、いよいよデザートを残すのみとなった。



「今日は、このお店に連れてきてくださってありがとうございます。覚えてたんですね。前にこの店いいなって言ってたの」

「喜んでもらえたみたいで、よかった」


 どちらともなく笑みがこぼれる。

 ちょうどいいタイミングで店員さんがデザートをもってきた。


「あっ……」


 彼女が口元を押さえてデザートを見つめる。

 ロウソクが立てられ、メッセージを添えた一皿。

 予約の時に相談して、このサプライズを用意しておいた。


 よし!いける……!


「——さ、咲子さん」


「僕はどうしようもない口下手で、会社でもプライベートでも苦労してきました。

 いつからか話すこと自体が、こ、怖くなってしまって、1人でいることに慣れていました。」

 でも。

「あなたに会って僕は……変わりたいと思ったんです。

 大切な誰かと、か、家族になって、家族と——幸せになりたい」

「咲子さん。僕はこれからもずっと、あなたの側で、あなたを幸せにしたい」

「結婚、してください」


 スーツのポケットから指輪の箱を取り出し、咲子さんの手にそっと握らせる。


 咲子さんの指がゆっくりと箱を開ける。彼女の目にはうっすらと涙が滲んでいた。




 この日、僕達は家族になった。

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