玖 たのしいけいやく
俺は今。
「こ、これがいいのだろう?」
あぬびすに。
「はやく、早くするのだっ」
――キスを迫られている。
数分前のこと。俺がちょうど冥界の管理人になろうとしていた頃だ。
「……理由はともかく、俺は適役ってわけだな?」
『その通りです』
横ではあぬびすも頷いている。
「じゃあ早速、俺を管理者にしてくれ……つっても、どうすんだ?契約書とか書くのか?」
悪魔の契約書なんてのはよくある話だ。死者の書とか書いても不思議じゃない。
「いや、特に何か書いたりするわけではないのだ」
「へー、そうなのか」
「しかしお主も随分あっさりと引き受けるのだな」
「だってどうせ普通に暮らしても暇なだけだし……それに逃げられないし」
この部屋に出口はない。
「普通、か……」
あぬびすの目が少し悲しそうに見えたのは気のせいだろうか?
『あ、先程書くものはないと言いましたけど、儀式的なのはあります』
「あ、やっぱり?」
「うむ」
まあそうだよな。そうじゃなきゃ面白くない。
「で、儀式って何やるの?」
黎次は少し身を乗り出す。
「お主の片眼をくりぬくだけなのだ」
あっさりとえげつないことを言われた気がする。聞き間違えたのだろうか。
「あー、もう一回聞いていい?」
「お主の片眼をくりぬくのだ」
俺は椅子を蹴飛ばし全力で逃走を図った。
この部屋に出口はない。
「そう逃げるでないのだ」
あぬびすが迫ってくる。先端が不気味に、とても不気味に発光している杖を片手に。
「ちょっと待て!聞いてない!片眼えぐられるとか聞いてない!」
「それは今まで言っていなかったのだから当然なのだ」
そりゃそうだけども!
「いや、でも、待って!ちょっと待った!」
そう叫びながら後ずさると、背中に硬い感触があった。これ以上に下がろうとすると、体が押し戻される。ああ、コレは壁ってやつか。
そしてそれは、本当に彼の逃げ場がなくなったことを意味していた。
{多分痛いのは一瞬だけッスよ、落ち着けッス}
不意にどこかから声がした。
「誰だ!?」
{誰とはヒドいッスね、さっきまでずっと一緒にいたッスよ?}
その声は、けるべろすの体から発せられていた。
「けるべろす?!どうした!?」
さっきまでの柔らかい物腰とはうって変わって、なんかウザい後輩みたいな感じになっている。よく見たら髪の毛の色も藤色から赤紫に変わっていた。
{あ、そーいえばまだ言ってなかったッスね、アタイって、三重人格なんスよ}
「なにそれ!今判明すんの?!絶対タイミング違うって!」
{かすかに残ったケルベロス要素ッスよ?もーちょっと大切にしてほしーッスー}
けるべろすは不機嫌そうに唇をとがらせている。
そうこうしている間に、あぬびすは俺の眼前にまで迫っていた。空いたあぬびすの左手が俺の頭の横に突き出される。これは間違いなく、史上最低の壁ドンだろう。
「さて、契約の時間なのだ」
「いやお願い本当待って待って頼むってねぇ!」
必至に抵抗しようと両手であぬびすの体を突き放す――つもりだったのだが。
「う、動かない!なんで?!」
{アタイが金縛ってるからッスよ、黎次サンっ}
けるべろすは得意気にそう言った。黎次にとっては絶望の宣告であった。
「右と左、どっちなのだ?」
「どっちも嫌だあぁぁっ!!!」
アイアンクローをかけるような手つきであぬびすが手を伸ばしてきた。杖はあぬびすの足元にほったらかされたが、それにツッコミを入れる余裕が、今の黎次にあるはずはない。
ここでけるべろすが口を開いた。
{あー、そーいえば別の方法があったかもしれないなー?}
あぬびすの手が止まった。
「マジで?!」
{そうッスよねー、あぬびすサン?}
けるべろすはこちらにやってきて、あぬびすの顔を覗き込む。
「あ、いゃぁ、そ、その方法は」
{んー、どうしたんスかねぇ?}
「頼む、その方法とやらを教えてくれ!目を失いたくはないんだ!」
俺は必至にけるべろすに頼み込む。これからの視界が懸かっているのだ、何としてでもその別の方法を聞き出さなくては。
{教えてやってもいいッスけどー、高くつくッスよー?}
「別にいいから、教えてくれ!」
「ほ、本当にそれはダメなのだ……」
あぬびすはたじろいでいる。
{簡単ッスよ。二人が――
滅茶苦茶口の中が苦い。がぶ飲みしているジャスミンティーのせいだけではないだろう、きっと。
「……なあ、けるべろす。高いってどのくらいだ……?」
{財布出すッス}
はあ……いや、安いもんだよ、片眼に比べたら。とても大きい、大切な何かを失った気もするけど。
To be 魂tinued...
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