二章 異世界の摂理

   一話 夢の女の子

 鳥のさえずりで目が覚める。今は朝なのか? 窓の方を見ると柔らかい日が差し込んでいた。でも、時間はわからない。


「ふわあ……、はあ。」


 体を起こしてあくびをしながらのびをした。寝ぼけ眼をこすって、ベッドから降りる。もう一度のびをしながら辺りを見渡すと、いつもの見慣れた部屋だった。そう、俺の部屋……。


「俺の……部屋……?」


 うん、これはあれだな。今までのが夢だったってオチだな。まあ、良い夢だったから良いか。でもだとするとここは異世界じゃない。


 どこからが夢だったかわからない。ただ、一つ言えるのは異世界のことが全て俺の頭の中のことだったって事だ。自分でも驚く程の想像力だったな。


「ま、とりあえず学校か。」


 俺が呟き、下に降りようと扉に手をかけた瞬間、ドアが開いた。突然のことの上に寝起きという最悪の状況が重なり、何も出来ないまま、前方に重心移動する。

「うわあっ!」


 バタバタッ、ガタンと大きな音を立てて倒れる。


「いてて……。ん?」


 見知らぬ女が、俺を押し倒すような形で覆い被さっていた。理解が追いつかず、思考を一旦停止して再起動する。そして考えたことはこれだった。


「可愛いな、お前。」


 目の前の少女の顔が一気にゆがみ、右手を挙げたかと思うと、左の頬に強烈な痛みが走る。


「いってええええええっ!」


「いつまでも起きない先輩が悪いんですよ。」


 目の前には、五六の姿がある。うん、ふくれっ面だが、いつも通りきれいだ。じゃなくて、俺の部屋は? あの女の子は?


 いや、とりあえずこの状況を整理しよう。五六の後ろには、質素な木の天井がある。ということは、今までのが夢でこれは現実。女の子は存在しない。そして五六は俺の上にまたがっていると……。


「って、何してるんだお前!」


「えっ? 何って、先輩を起こしに来たけど起きないから、その……ビンタしました。」


 ああ、あの少女にビンタされたのは現実でビンタされたからか。どうりで今も鮮明にヒリヒリとした痛みがあるわけだ。納得がいった。


「そうじゃなくて、何で俺の上にお前が乗ってるんだ。」


「え? あれ? なんで? あ! いや、これは違くて!」


 おろおろと慌てた様子の五六。理由は明白で、顔がどんどん赤くなっていく。すぐに降りようとしていたが、シーツが脚に絡まって落ちそうになった。


「っ! 危ない!」


 体が勝手に動いた。ガタガタ、バタンという騒音が鳴る。体に痛みを覚えながら目を開けると、俺は五六に覆い被さっていた。何でこうなるんだ。


 赤かった頬がさらに紅潮していく。嫌な予感がした。


「先輩の変態!」


「いってええええ!」


 怒号と共に、今度は右の頬に強烈な痛みが走る。


 予感は的中した。痛みで転げ回っている間に、五六は走って部屋を出て行った。


 そういえば、起こしに来たって言ってたな。後で感謝と謝罪の意を伝えなければ。なんて謝ろうか。そんなことを考えながら、頬を押さえてゆっくりと起き上がり、部屋を出て廊下を歩く。朝から二回もビンタされたのに、というかされたからかもしれないが頭がぼーっとした。


 いつの間にか俺はあるドアの前に立っていた。


「あれ? 何で俺この部屋にいるんだ? ……まあいいか。」


 少々疑問が残るものの、深くは考えずにドアを開ける。洗剤のような、良い香りがした。何だろうと思い顔を上げる。


 目の前には四十川がいた。ただの四十川ではない。下着姿だったのだ。終わった……。一瞬でこれまでのことが走馬燈のように流れる。


 死を覚悟したが、しばらく硬直状態が続いていた。本能でチャンスと感じる。


「え、えーと、ごめんなさああいっ!」


 ドアを力強く閉め、ダッシュでその場から離れる。すぐに後ろから悲鳴が聞こえたのは言うまでも無い。何なんだ。今日はとことんついてない。いや、見方を変えればついている。


「って、そうじゃなくて! ああああっ! もうなんなんだよ!」


 立ち止まってよく考える。ちょっと待てよ、もしかしてこれは夢なんじゃないのか? あのよくあるパターンだ。夢の中で夢から覚めたっていう奴だ。でもその場合、俺は四十川と五六に少なからず下心を抱いていることになるよな。


 ……けど今はそんな事気にしている場合じゃない。覚悟を決め、大きく両手を広げて目を強く瞑った。


「よしっ! いくぞ!」


 パァンという破裂音が廊下に響く。とてつもない両頬の痛みを感じながら、おそるおそる目を開けた。絶望、その一言が頭の中によぎった。景色は全く変わらない。さっきまでいたところだ。そしてジンジンする頬と手。最悪だ。


「俺、どうすれば良いんだ……?」


 もう泣きそうだ。とぼとぼと、当てもなく歩く。どれだけ歩いていたかわからない。だが前を見てなかったせいで、突き当たりで人にぶつかってしまった。もう謝る気力も無いが、最低限のルールなので謝ろうと顔を上げる。


 俺は目を疑った。あの、あの夢の女の子が目の前にいたのだ。本当にどうしたんだ俺。現実逃避のメーターが徐々に最大値に近付いていく。


「何を呆けているのだ、少年! そっちからぶつかってきたというのに、謝ろうともしないとはとんだ無礼者だな!」


 両の頬を膨らませている少女。五六に勝るとも劣らない美少女だ。髪は姫カットで、きれいな黒髪。すっと通った鼻筋と、大きな紅い瞳、薄いピンクの唇。そして、華奢な体つき。


 背は五六と同じくらいか、それより低い。顔立ちは柔らかく、幼女感は隠しきれていない。五六に妹がいたらこんなふうになりそうだ。そして服装は、何というか異世界版の高校生用制服……みたいな恰好。


 そんなふうに、ぼけーっとしながら彼女のことを見ていた。すると、だんだん少女の表情が曇ってくる。やばいと、本能で感じてとっさに顔を守るように覆う。


「……大丈夫か? 少年。もしかして調子でも悪いのか? さっきからずっと目がうつろだぞ。……! よく見たら頬が赤くなっているではないか! 誰にやられたのだ!?」


 あれ? 何かちょっと違うパターンで来たぞ。普通、ラノベとかなら『何じろじろ見てるのっ! 変態!』とか何とか言われてビンタされるところなのに、どうしたんだ。不安そうな顔でこちら顔をのぞき込んでいる少女。


 ん? 何か徐々に距離が近くなっている気がするのだが。案の定、顔に彼女の吐息がかかる。


「どわあっ! 何してんだてめえ!」


 とっさの判断で後ろにのけぞる。危ない、俺の理性がぶっ壊れるところだった。こいつは何なんだ、本当に。彼女の顔をじっと見つめる。彼女もまたこちらを不満そうな顔で見つめている。


「なんだ、貴様。無礼にも程があるぞ。人がせっかく心配してやったというのに……。」


 少女の唇が小さく動き、ぼそっとその言葉を呟く。目を横にそらしながら、腕を組んでまた頬を膨らましている。心配してくれていたのか。悪い奴ではなさそうだな。いや、初対面の人を悪い奴という評価から始める俺の方がよっぽど悪い奴か。


「あ、えと、その……ごめん。ちょっと考え事をしてたらいきなり目の前に君の顔があったから、びっくりしちゃって。」


 こっちを見直す少女。しかしまだふくれっ面である。何がそんなに不満なのか俺には理解が出来無い。


「えーと、君は何で……。」


「少年の謝罪の意は伝わった。だが私は君ではない! リベリア・ヘンリエッタだ!」


 上半身をかがめ、上目遣いでそう言う。とても可愛い、不覚にもそう思ってしまった。だが、人の名前を正式名称で呼ばないのはお互い様だろうと、すぐにへりくつが頭の中に浮かぶ。しかも、名前を聞いてもいないのにそんな理不尽なこと言われても困る。そこで、ちょっとしたいたずら心で意地悪をしてみようと考えた。


「なら、お前も少年じゃなくて人のことは正式名称で呼べ!」


「では名前を言え!」


「それは断る! とっても大事な個人情報だからな。」


「じゃあどうやって正式名称で呼べと言うのだ!」


「そこは自分の頭で考えて下さい、お・じょ・う・さ・ま。」


 即答しながらも、しっかりと相手のいやがることをやっていく。我ながら恐るべしだな。少女は悔しそうな顔で、顔を赤くしてプルプルと震えている。なんだか優位に立った感じがして、彼女のことを鼻で笑った。


「さあ、自分が正式名称で呼んで欲しかったら俺の名前を当てるが良い! 出来るはずも無いがな。」


 堂々とどや顔で言い放つ。少し意地悪すぎるかなとは思いつつも、今は楽しさが勝っていた。ちらっと彼女のことを見る。今にも爆発寸前と言ったところだ。


「うう! 悔しいが、今は時間が無い。今度会ったら容赦しないからな!」


 雑魚敵のようなことを言って彼女は去って行った。まあ、それなりに楽しめたし、いいか。とりあえず戻ろう。ふう、という溜息をしながらのびをして周りをぐるっと見渡す。……もう一度見渡す。やっと今の状況に気づいた俺は愕然とした。


「……ここ、どこだ?」

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