残された時間

 雪人はアケを引き留めようとしたが、間に合わなかった。アケの腕を掴んだところでアケの体は砂のように消えてしまった。


「二時間……」


 雪人は自分の手を見ながら、アケが言い残したことを繰り返した。

 アケの言ったことが真実ならば、自分たちに残された時間はあと二時間しかない。

 映画を一本見終わるかどうかという時間だ。


(そんな時間で何か出来るのか?)


 雪人は思った。

 この地平線まで真っ白な世界で、人どころか虫の一匹も見かけないような世界で。


 雪人はナツに目を向けた。彼女もまた同じように思っているのだろう。このすっからかんの世界では何もやれることがない。


「ナツ」


 彼女に話しかける。


「俺と居た二年間はどうだった?」


 雪人は最期に聞いておきたかった。彼女が自分と過ごせて幸せだったのかを。


「何を言っているの?」


 ナツは怪訝そうな顔をする。


「最期が迫ってるから聞きたいことを聞いておこうかと」

「それ本気で言ってる?」

「うん」


 頷いた雪人に、ナツはため息をつく。


「あのね、まだアケが言ったことが本当かもわからないのよ? それをまるきり信じ切るのはどうかしら?」

「でも、嘘を言っているようには思えなかったけど」

「あなた、嘘を見抜くのが得意なの?」

「そういうわけじゃないけど……」

「じゃあ、あなたの言葉は信用出来ないわね」


 雪人は一瞬答えに窮した。


「ねえ、あなたは神はいると思う?」

「え?」

「答えて」


 ナツは雪人の目をしっかりと見据えた。


「俺はあまり信じていないけど」

「そう」


 そう言うと、ナツはそっぽを向く。


「私はいると思ってる」

「そう」


 雪人はそっけなく言った。あの信仰の態度からしてみれば、いると思っていて当然だろう。


「そう思っちゃ悪い?」


 不機嫌そうな顔を雪人へ向ける。


「悪くはないけど……」

「なにか不満そうね」

「俺自身、そんな信じてないからね。それに自分たちはシミュレーションだなんて言われたら、さらに居ないような気がして」

「そう、でも今は神様がいると信じたほうが良くない?」

「どういうこと?」

「つまりは、勝手にすがっちゃえば良いってこと」

「勝手にすがる?」

「そう。神様はいると思って、すがらせてもらう。そうすれば何かあっても神様が救ってくれるかも、って思えるわ。そうすればこっちのものよ」


 ナツは親指を立てて言った。


「つまり、何が言いたいの?」

「つまり、こんな状況でも前向きに生きろってこと」


 彼女がそう言ったとき、あの湖畔で、物理学者に自分が言い放った言葉が頭をよぎった。


 ――たとえ本当に出口がなくても、徒労に終わっても、その出口を探し続けなければならない。その過程が大事なんだと思います。


 その言葉を向けるべきはあの物理学者ではなかったのだ。それは今の自分だったのだ。


(もう少しでブーメランをするところだったのか)


 そのことはなんとも可笑しく思えた。自分に皮肉を言っていたなんて。


「ふふふっ」


 雪人は思わず吹き出す。


「なにかおかしいことがあったかしら?」


 ナツは不思議そうな顔をする。


「いいや。別に」


 雪人は晴れやかに返した。そして言葉を続ける。


「ナツ、神にすがのも良いけど、ここから抜け出す方法も考えないか?」

「え?」

「神にすがったって、二時間くらい祈るしか方法はないんだろ? なら半分の一時間くらいは、ここから抜け出す考え方を探そうよ」

「そうね。それも良いわ。諦めないことがたぶん一番大事だろうから」

「うん」


 雪人が彼女の言葉に頷くと、さっそく二人は思案を始めた。

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