明けの明星

 ――やっと戻ってきてくれたね。


 それは聞き覚えのある声だった。


 ――二年も待ってたんだよ? 待ちくたびれちゃった。


 声は澄んでいて、鳥のさえずりのようだ。


 ――ねえお兄さん。そろそろ起きたら? ナツも起きたし。それにお兄さんを送り出したときの約束も果たせるから。


 夢の中なのだろうか。それとも死後の世界?


 雪人はゆっくりと目を開ける。空は真っ白だった。


「起きた?」


 空が、唇のような赤いものを三日月形にして問いかける。


(ん? 空が問いかける?)


 雪人は目を二回ほど開けたり閉じたりした。そして上半身を起こす。


「今回は耳元で叫ばなくて済んだね」


 雪人の目の前には一人の少年がいた。空の三日月は、真っ白な肌に浮かぶ少年の唇だったのだ。


「君は……」

「お兄さん久しぶり。覚えてる?」


 無邪気な笑顔で言った。

 その少年はアケだった。


「覚えてるけど……。なんで俺はこんなところにいるの?」

「さっきまでの世界を抜けたから、らしいわ」


 雪人の背後から声が聞こえた。振り返って見ると、雪人から一メートルほど離れて、ナツが立っている。


「それはどういうこと?」

「アケの話だと、あの世界で死ぬと私達はあそこから抜け出せるようになっていたらしいわ。私達は大砲に撃たれて死んだ。だからここに居るの」

「ってことはもうあの世界を巡るのは終わり?」


 雪人はアケに聞く。


「そうだよ」


 雪人は愕然とした。

 あの甘美な時間はとつぜん終わりを告げたということだ。


「これからどうなるの?」


 雪人はアケに聞いた。同じ空間にナツもいる。ならばさっきの世界に戻ることも出来るのではないかとも思った。


「そうだね」


 そう言ってアケは立ち上がる。視線は雪人に向けたままだった。


「お兄さんとの約束を果たそうか」

「約束?」


 雪人には覚えがなかった。


「あれ? お兄さんをクレのところへ送り出すときに言ったよ? 帰ってきたときに全部教えてあげるからって」


(ああ、あのときそう言っていたのか)


 砂嵐のような激しい音の中にかき消されたアケの声。それは長い間忘れていたが、今思えばそうだったかもしれない。


「そういえば、アケ君が俺を送り出したあと、クレに会ったんだが、なぜ彼は君のことを知らなかったんだい?」


 少し考えてからアケは言う。


「たぶん忘れっぽいから忘れちゃったんだと思うよ。クレは。僕たちは長い間会っていないし、それにクレはこの世界に来た人を迎えるだけだからね。僕のことを忘れても支障ないのさ」

「そう……」


 そういうものなのか、と雪人は思った。少し信じがたいが納得はできた。

 そうこうしているうちにアケが言う。


「それじゃあ、約束を果たそうか」


 アケは二人を交互に見る。


「この世界は実は、とある実験のために存在しているんだ」

「「実験……?」」


 二人は同時に聞き返した。


「そう、実験。君たちが干渉出来ない存在が、この世界に君たちを送り込んで実験をしている」


 二人は顔を見合わせた。アケの口から出た突拍子のない言葉に反応をしあぐねたのだ。


「まあ、そうだよね。実感がわかないのもしょうがないか。なにせ君たちは世界の真実を知らないんだから」

「真実?」


 雪人は聞き返す。だがアケはそれには答えず、話を続けた。


「君たちはとある哲学者が提言した、世界シュミレーション仮設というのを知っているかい? 

 知的生命体は宇宙全体をシミュレートできるコンピュータを作れれば、そんなシュミレートを何億回と行うはずだ。そのときシュミレートされている世界の住民は、たぶん自分たちの世界はシュミレーションであることに気づかない。このとき、自分たちの世界がシュミレーションでない確率はとても低いんじゃないか。そう言う理論さ」

「つまり……?」


 雪人が聞く。


「つまりは君たち、ああ、それは僕を含めて、君たちはただのコンピュータ上のシュミレーションでしかないってことだ」


 アケは微笑みながら言った。その顔からは嘘をついているという気配が感じられなかった。


 それにその説明には少し納得がいく。最近のVR技術というのは発展が著しい。それが極限まで進化すればアケの言うようなこともかのうだということだ。


「ねえ、アケ、それはどんな実験なの?」


 ナツが口を開く。

 アケは少し考えてから言った。


「人間は救いようもない事態に陥ったときどう反応するか、かな。

 君たちは君たちの世界で既に死んでいる。でもそれは事故死。君たちに自覚はあまりない。

 そんな運命に見舞われたデータをこの世界に移植し、実験材料にする。この世界でもって自分が死んだことを自覚させるのさ。そこで一度救いようもない状態に置く。そして最後に僕が君たちにこの世界がシュミレーションであることを明かして反応を見るんだ。

 それに君たちの精神構造はシュミレーションしている知的生命体と同じように作られている。だからその反応を見れば彼ら自身の研究もできるってわけ。

 さらにニーチェの名言『神は死んだ』って言うことについても聞いておく。神に関してどのような考え方持つ人なのか把握していると、なにかと検証に便利だからね」


 アケの言っている意味はなんとなく雪人は理解できた。

 そして自分用たちをただのモルモットのように扱っている、自分たちが認知できない存在への怒りも。

 だがそこは抑えるしかなかった。自分たちは何をしたって、たぶん彼らには逆らえないから。


 だが雪人には、それ以外に思うことが一つあった。


「アケ君、一応君の言葉は信じるけど、俺はどう死んだのか覚えてないんだけど」

「え? まだ気づいてかなかったの? さっきの世界ではしっかりと示唆していたのに」

「示唆していた?」

「そうだよ。ナツは分かる?」


 アケはナツに視線を移す。


「ええ、確かに。私はそれで死因を思い出せたから」

「それで死因は何だった?」

 アケは無邪気に言う。


「飛行機事故。あの神社で見せられたものよね。なかなかの悪趣味だとは思うけど」

「正解だよ。やっぱり君は四年間いただけあるね。君には死の示唆をたっぷり見せられたから。それで、君はどうだい?」


 アケは雪人を指差す。


「えっと、俺は……」


 雪人は頭の中にある関係のありそうなものを探った。だがなかなか出てこなかった。

 一年前、二年前と、できるだけ古いものも引っ張り出す。

 すると、ふと一つの事柄が頭に浮かんだ。


「踏切での事故……」


 そう呟いた。途端、アケの顔が一気に明るくなる。


「それだよ。ああ、思い出してくれて良かった。それでないと話を進められないから」


 アケはほっとしたように言う。

 そして話を続けた。


「さて、君たちは自分が死んだことに気づいたんだ。でもここで伝えておかなきゃいけないことがあるんだ。

 君たちはこの実験が終わったら消される運命にあるんだ。なにせ君たちにとって死=シミュレートの終了だからさ。残念だけど制限時間はあちらの時間で二時間。君たちはあちらで二時間経ったときに消されてしまうんだ」


 そう言い残すと、アケは風に崩されていく砂山のように雪人たちの前から消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る