不自然な

 雪人は翌日から早速ナツの様子を窺い始めた。


 できるだけ気づかれないように、昨日の話題をふったり、何気ない仕草を観察したりする。


 それを三日ほど続けるつもりだ。さすがに一日だけで結論を出すのは早い。


 二日目までは特段変なところはかった。この様子だと三日目も問題はなさそうだ。


 雪人はすっかり安心した。

 きっと聞き逃すか、そういう意味では取らなかったのだろう。


 そう思っていたから、雪人はその日の夜更けに起こった出来事は衝撃的だった。


 寝ていると、ナツが彼の部屋に乗り込んできたのだ。


 雪人は揺さぶられて起こされた。

 目覚めたときに目の前にナツがいたときは、何も声が出ないほど驚いた。


 そうこうしているうちに、ナツに促されて訳もわからずベッドの縁に座らされた。

 ナツそれを確認すると、ナツは雪人の前で仁王立ちして、満月より少しだけ欠けた月の光を背中に浴びた。

 ナツの表情は逆光になってよく見えなかったが、笑顔でないことはわかった。


「最近あなた、私のことを観察していない?」


 彼女の口から最初に出た言葉はこれだった。


 雪人は心臓を銃弾で撃ち抜かれたような気がした。

 だが彼は、心臓の健在を確認する。なにせ心拍が非常に激しかったから。


「いや、そんなことは」


 かなりたどたどしい口調で言う。

 「ヤバイ」という言葉が脳裏を掠める。


「本当に?」


 ナツはぐいっと顔を雪人に近づける。

 雪人は顔を少し強張らせる。


「雪人、嘘ついていない?」

「そ、そんな。さすがにいきなり顔を近づけられたら誰でも顔は固くなるよ」


 雪道は必死で返す。


「そう。わかったわ。実は私、あなたに確認したい事があって来たの」


 ナツは顔を離してから言った。


「あなたが三日前、私を山まで迎えに来てくれたときに言ったことは本当?」

「えっ?」


 それはひどく単刀直入だった。そしてそれは、今までに彼女が言ったどんなことよりも衝撃的だった。


「この二日間、あなたを観察してたの。でもあなたは何か私を観察しているようで、まったく意図がよめなかった。それで、あの言葉の意味は何なの? 『離れたくない』っていうのは?」


 雪人は口をぱくぱくさせる。


「ねえ。雪人の本心を伝えて」


 そう言ってナツは真っ直ぐ雪人を見つめる。

 その瞳はダイアモンドのように美しく光を反射し、目尻には必死さが現れていた。


 雪人はどうするか悩んだ。

 ナツはナツなりにニ日間雪人を観察していたのだ。だがそれは実を結ばず、彼女は直接聞くという強行手段に出た。


 自分はそれに誠心誠意応えるべきなのか。それとも今ははぐらかして機会を待つべきなのか。


 非常に難しい選択だった。


 ナツの目は相変わらず雪人をしっかりと見据えている。力強いその瞳は、雪人の姿をはっきりと映す。

 

「俺は!」


 雪人は心を決めた。


「ナツ、俺は君とずっと一緒にいたい。ここから抜け出せなくたって俺は構わない。どうか俺と、俺と……!」


 ひどく不器用な言葉だったがそれが雪人のありのままだった。

 ナツは小さく頷く。


「わかった、ありがとう」


 そういうとナツはすたすたと扉の方へ向かって歩いていってしまた。


「え……」


 雪人は部屋に残された。目の奥には彼女の後ろ姿がまだ残っている。


 雪人はそのままベッドに倒れ込んだ。頬をいつの間にか涙が伝っている。


 完全に失敗した。自分の決心は間違っていたのだ。今はときでは無かった。それが今の結果である。


(まあ、今じゃなくても結果は同じだったかもしれないけど)


 雪人は顔を枕に埋めた。

 自分が上げる嗚咽を誰にも聞いてほしくなかった。

 その一晩で枕はびちゃびちゃに濡れた。




 雪人は枕から顔を上げる。気づくと窓の外からは燦燦と太陽の光が差し込んでいた。いつの間にか寝ていたらしい。


 宿の前の通りからは道を行く人の話し声が聞こえていた。もう昼下がりなのだろう。太陽も空高い。


(おばさんは、起こさないでおいてくれたのかな)


 雪人は一瞬、ナツが起こさないでと言ってくれていたのではないかと思ったが、よくよく考えてみれば今日は日曜日だった。

 なかなか起きてこない自分を、宿の婦人は疲れていると思ってそのままにしておいてくれたのだろう。

 

(今日一日ここにいよう)


 雪人は体を腹ばいから仰向けにして思う。

 まだナツに会う勇気はない。

 昨日の今日のことだ。そんなに立ち直りは早くない。

 胸のうちは黒い霧がかかったように暗かった。このままだと食事も取らなくていいだろう。泣き疲れと落胆で、吐き気がしそうだ。


(俺はこの先、どうナツに接ししよう……)


 色々と考えていたが、だめだった。

 友情と恋愛感情は違う。友情の中に恋愛感情を持ち込んだ時点でその関係は崩れる。

 たとえ友達として接しようとしても、心の奥底ではその事実が顔を出ししまうからだ。何気ない問いかけにも変に反応することになる。純粋な友でいようとすることは不可能だ。


 絶対的な分岐点を超えてしまった。


 それが今回の行動の結果だ。


 雪人は再び目を閉じる。そして長く息を吐く。


(数日は会わないほうが良いのかな……)


 雪人は腕を目に当てた。そして口元が少し歪んだかと思うと、頬を一条の涙が流れ落ちていった。

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