暗闇の狭間
歩いているうちに、景色はまたいつの間にか住宅地へと戻っていた。ここも神社のような一画だったのかもしれない。どこか別の場所へ繋ががる中間の空間のような場所。
だが今歩いている住宅街の景色は雪人の記憶にないものだった。
「ナツ、ここがとこだかわかるかい?」
雪人は訊く。
「わかるわ。このあたりもよく来てるから」
「そう」
ナツは入り組んでいる路地を迷わず進んでいく。これなら彼女に任せておけば大丈夫だろう。彼女が見せたいと言っていた場所に、問題なく着くけるはずだ。
「それにしても不思議ね」
彼を先導していたナツが呟く。
「え? 何が?」
「あの列車よ。あれは半透明じゃなかった」
「ああ」
言われてみればそうだ。今までこの世界で見てきた乗り物は、みな半透明だった。
「でも電車もそうだとは限らないんじゃない?」
「いいえ。違うわ。今まであの踏切で見た列車は半透明だった」
「へえ、そう」
もしかしたらこの世界には何か自分たちが気づいていない不思議な法則があるのかもしれない。
「雪人、真剣に考えてる?」
「何を?」
「電車が半透明じゃなかった理由よ」
「ああ、もちろん。この世界の中の不思議な法則かなんかなんじゃない?」
「ふざけているの?」
「いや、本気なんだけど」
ナツはため息をつく。
「いいわ、私だけで考えるから」
「ご、ごめん」
「すぐに謝るのね」
「ごめん」
「ほらまた! これじゃあ怒らせちゃうわよ」
「ごめっ――」
危うく言いそうになる。雪人は言葉を探す。
「自分ひとりで考えてろって言えばいいのよ。あなたは男なんだから」
ナツは振り向いて雪人の鼻先をつつく。
雪人は石のように固まった。
「やっぱり面白いのね、あなた。いいわ。もうこれで難しいことを考えるのはおしまい。不思議だねってことで構わないわ」
ナツは楽しそうに道を進んでいった。
「あ、待って!」
雪人はまたナツを追う。ここに来てからというもの、彼女に振り回されてばっかりだ。
進んでいくうちに、だんだんと人家がまばらになってきた。家と家との間を田んぼが埋め始め、街灯も減っていった。空は暗く、星が見え始めている。
(ん?)
雪人は違和感を覚えた。
"空が暗くなっている?"
黄昏色だったはずの空はいつの間にか夜の色だった。
「ねえナツ!」
雪人は大声で叫ぶ。
「なに?」
面倒くさそうに振り向くナツ。
「空が暗くなってるんだ!」
雪人はまるで大発見をしたようだった。
ナツはいたずらっぽく口角を上げる。
「やっと気づいたの? あなたと歩き始めたときからだんだんと暗くなってたのよ?」
「えっ?」
「この世界の時間は時間じゃない。空間なのよ」
「どういうこと?」
ナツは説明を始める。
「簡単に言えば、時間と空間が逆転してるってことね。本来私たちは、空間を移動できても時間は移動できないけれど、ここは違う。ここでは私たちは空間を移動できないぶん、逆に時間を移動できるの。だからおなじ地点で同じことが繰り返されている」
「つまり、空間を移動すれば時間がずれていくってこと?」
「そうね。そういうことよ」
「そう」
雪人はもう一度空を見上げた。確かに空は前方に向かってだんだん暗くなり、後ろに向かってはだんだんと明るくなっていた。
「ところでナツ、この道をどこまで行くの?」
二人の歩く道は田んぼの中を夜の方に向かってまっすぐに伸びている。道の右側は電柱が並び、五本おきくらいに小さな街灯が付けられていたが、それも程なくして無くなりそうだった。
「私にもわからないわ」
「え? この先に目的地があるんじゃないの?」
「いいえ、もうここが目的地よ」
「どういうこと?」
「もうすぐわかるわ」
前を向いたままナツは言った。
目的地と言われても、特段変わったところがなかった。強いて言えば街灯が少なく異様に暗いことくらいか。
「とくにこのあたりからね」
ナツの声がした。さっきの位置から百メートルほど進んだころだった。
雪人は辺りを見る。だが真っ暗で何も見えない。
「なにか変わった?」
「ええ、あれを見て」
ナツは雪人の背後を指し示す。
「あれがこの道にある最後の街灯よ。ここから先には街灯がない。つまり真っ暗」
(真っ暗って……)
今までも十分暗かったというのに、それよりも暗くなるとなると危険ではないだろうか。
「ナツ、この先に行ったとこはあるの。そうじゃなかったら引き返そう?」
「何を言っているの? 大丈夫よ。私はここに三回くらいは来てるから」
「来てる? 二年間行ったことがなかったんじゃないの?」
「訂正するわ。行ったことはある。でもなぜか通り抜けられないの」
「通り抜けられない?」
「ええ。でもなぜか進んでいくともとの場所に戻ってきちゃうのよ」
「それじゃあ、俺と行ったって一緒なんじゃあ……もしかしたらこの世界の端なのかもしれないし」
するとナツは雪人をまじまじと見る。いやそういう風に見えただけだった。彼女の表情は闇夜に消えてわからない。
「あなた、クレに会ってきた?」
ナツが聞く。
雪人は頷く。
「でもそれは何も関係ないんじゃない?」
「大アリよ」
その声は得意げだった。
「あの子は言わなかった? 夜を渡って朝を迎えろって。それってこの先に朝があるってことじゃないかしら」
雪人は記憶を手繰った。確かにそんなことを言われた気がする。
「でもどうしてそんなことが断言できるの?」
「二年間考えた成果よ」
自信に溢れた答えだった。
「どういった経緯?」
「そうね。ここに来て一年くらいが経ったときのことよ。空を見上げながら黄昏から夜へ歩いていると、ふとアケの言葉が頭をよぎった。そしてピンときたのよ。あの言葉はこのことなんじゃないかって。空間の移動による時間の移動を示しているんじゃないかって」
だがその考えには少し違和感があった。どこか重要なところが足りないような違和感。
「もう行くわよ」
しびれを切らしたのか、ナツは一人で歩き出す。
「待って!」
雪人は声を張り上げた。
「なんかその論理おかしくない?」
「え?」
「もしこの先に朝があるんなら、きっと黄昏の前にも昼があるはずだ。ナツは其処に行かなかったの?」
「行ったわよ。でもここと同じ結果だった。どこまで行っても昼には着かないで、もとに戻ってしまう。それこそ濁流に逆らう小舟ように」
ナツは少し苛立っていた。
しかし構わず雪人は言葉を返す。
「ならなんでここがそうでないと言えるの?」
「アケの言葉よ。彼は昼を渡れといったのではなくて夜を渡れと言ったわ」
「でも!」
「あなた恐いんじゃないの?」
「えっ」
「私の推理が間違いだったら今度は昼の方へ行けば良いだけなのに。なんで行こうとしないの?」
「うっ」
言葉を返せなかった。実のところ行きたくはない。
「なら無理矢理でも引いて行くわ」
「えっ! ちょっと!」
ずいと雪人は腕を引っ張られる。
彼の体は粘着質の闇の中に吸い込まれて行った。
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