ナツ

「な、なにしてるんですか!?」


 驚いて雪人は叫ぶ。


「あなたが寝そべってて気持ち良さそうだったから寝てるのよ。でもあまり気持ち良くないわね」


 女性そう言うと立ち上がり、服についた汚れを払う。


 彼女は白いワンピースを着ていた。年齢は雪人と同じくらいだろうか。色白の顔に黒い大きな瞳。濡羽色という言葉がよく合う長い髪で、住宅街を抜ける風になびいていた。


「それで、あなたはここで何をしているの?」


 女性が聞く。


「俺は、その……転んで立ち上がる気力がないというか、体力が無いというか……」

「そう。なら私が引き起こしてあげる。掴んで」


 ナツは雪人に手を伸ばす。随分と聞き分けが良いようだ。


「あ、ありがとうございます」


 雪人は戸惑いながらも女性の手を掴んだ。

 だが上半身を起こそうと地面に立てたとき、雪人の腕は肘のところで小枝のように折れた。雪人は地面に叩きつけられる。


「大丈夫!?」


 慌てるナツ。彼女は雪人を抱き起こそうとする。


「だ、大丈夫です! 腕に力が入らなかっただけなので。このままで良いですから! それよりも、このままで良いからあなたについて聞かせてくれませんか?」

「そう……」


 ナツは躊躇いがちに雪人から手を離した。

 雪人は再び頬にアスファルトの冷たさを感じる。


 ナツは屈んで話始めた。


「私の名前は青山ナツよ。ここに来たのは二年前、クレっていう少年に連れられて来たの。この街に入ったときはクレの姿が見えていたのだけれど、数分するといつの間にか居なくなってしまった。それから何時間も彼を探したけれどそれっきり。出口もわからなかったわ。それで一週間くらいは絶望に打ちひしがれていたのだけれど、その後吹っ切れて、店先の食べ物なんか盗みながら暇つぶしをしてた。最近では街を彷徨って出口を探しているわ」


(いや、いくら相手から見えないからと言って盗みはだめだろ)


 雪人はツッコミたかったが、止めておいた。聞きたいことを聞く。


「ナツさんもクレに会ったことがあるんですか? ならアケも?」

「ええそうよ」

「なら、ここに来る直前の記憶とかはありますか?」

「そうね……どうやって来たかは覚えてないけれど、飛行機に乗っていたのは覚えているわ。でもまあ、気づいたらここにいたって感じね。ああでも、飛行機に乗っていたときに大きな衝撃を感じたというのは記憶にあるわ」

「衝撃ですか……その衝撃が何だったか記憶はありますか?」

「残念ながら覚えていないわね」

「そうですか。なら俺と同じですね。俺の場合は飛行機が電車に変わりますけど。それ以外はほぼ変わりません」

「そう。ところであなた。この街に来たのはいつ?」


 不思議なことを聞くなと思った。


「ええっと、たぶん今日ですね」

「今日? 本当に?」


 ナツは納得が行かない様子だった。

 彼女はぐいっと顔を雪人に近づける。


「な、なんか疑ってるんですか?」


 雪人は慌てて言う。


「いいえ、疑ってなんかいないわ。ただ本当かしらと思っているだけ」

「それを疑うというのでは?」

「まあ気にしないで。私はあなたが勘違いをしているのではないかと思っただけだら」

「勘違い?」


 雪人は少し無愛想に言う。


「ええ。勘違い」


 そう言うと、ナツはどこに持っていたのか、腕時計を取り出し文字盤を雪人の目の前に突きつける。


「あなたも気づいてるでしょう? この街の空はずっと変化していないって」

「まあ、いつになっても暗くなりませんからね」

「なら一日過ぎていても気づかないという可能性はない?」

「ああ、確かに」

「でしょ? じゃあ日付を言って。見るから。西暦まで含めてね」


 さすがに一日は経っていないだろうと雪人は思っていが、ナツがあまりに真剣に時計を見つめているので答えることにした。

 

「20☓☓年の、8月7日」


 しかしナツはそれを聞いた途端、毒虫でも見つけたかのように顔を強張らせる。


「間違えじゃないわよね?」

「そんなに俺、信用なりませんか?」

「いえ……でもそれ」


 なぜかナツの顔は引きつっていた。


「二年前の日付なのだけれど……」

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