3ー9 仲間という名の鏡
騒動から2時間経過した、6合目の踊り場。
登山道を登るにつれ、繭のような物体がチラホラと目に付くようになった。
まだ先ほどの巨大な蜘蛛とは遭遇してはいないのだが、嫌でも目に付くようになってくると、むしろ遭遇せずにここまで来れたことに疑問が出てくる。
特にこの踊り場は、今まで見てきた繭の量の倍以上が群棲しているようで、一つの産卵場所となっている雰囲気だった。
ただ、今までの繭と違い、中から這い出たのか、取り出されたのか分からない穴の開いた奴もいくつか存在している。しかも、数分前に起きたようで、繭内部には粘着性の透明な液体がテラテラと光を反射している。正直言って、気持ち悪い光景だ。
(這い出たのなら近くにいるだろうが、これが引きずり出されたものなら……)
「……うっくっ」
思案している最中、小さな呻き声が聞こえた。振り向けばカキョウが少し青ざめた表情で口元を押さえている。
こちらの視線に気づき、すぐにそっぽを向いてしまった。明らかに無理をしている。
心配で声をかけようと彼女のほうに一歩踏み出した時、自分たちの足元が急に暗くなった。
見上げれば太陽を背にしながら接近する、見覚えのある巨大な鳥の影。先日、フェザーブルクへの登山中に遭遇したヘルヴァルチャーと呼ぶ巨大な鳥。
見上げた時には、自分の真上で影を落としてきた奴が、こちらに向かって爪を剥き出しにしながら急降下してきている。
急いで背のブロードソードを引き抜き、その流れで幅拾い刀身に怪鳥の爪攻撃を当てるよう無理やりタイミングを合わせた。急降下の衝撃を体勢が整う前に受けたために、後ろに転倒しそうになった。
怪鳥は攻撃後に再び上空へ舞い上がった。先日も見た光景のはずだったが、今回は規則性無く5匹の怪鳥が乱雑に荒々しく入り乱れるように飛翔し、次の手に備えているように見えた。 まるで怒りを孕むように。
「なるほど……納得しました。この繭の中身を食べていたんですね」
数日前に、この怪鳥たちの大きさについて話したのを思い出した。
成人男性と変わらない大きさの身体を維持するために必要な食料をヒトから、この大きな蜘蛛たちへと切り替えていただけだった。ヒトを狩るよりは、生まれる前の繭の中から引きずり出すほうがずっと楽なのを、この怪鳥たちは理解している。
そう、こいつ等は今の俺たちを『縄張りを脅かす敵』として認識し、襲おうとしているんだろう。
怪鳥たちは、再びこちらに鉤爪を向けながら急速に降下し始めた。今度は3匹同時に。残る2匹も波状攻撃と言わんばかりに、先の3匹からタイミングをずらして急降下を開始した。
向けられる動物的敵意に、ヒトの言葉なんて通じる訳が無い。
だが、相手は自他の血の匂いに反応して集まってくる習性があるために、前衛による攻撃ができない。
しかも今度の下界は谷でも川でもないために、下手に落下させたらヘルヴァルチャーたちを街へ誘導してしまいかねない。
「──プロテクションウォール!!」
ほぼ無意識だった。4人の前に駆け出し、ブロードソードに一気に魔力を流し込みつつ、魔法の名を叫ぶ。目いっぱい地面を踏み込み、3匹の中でも最も距離の近い怪鳥の鉤爪にブロードソードの幅拾い刃の背を合わせた刹那、鉤爪が刃にヒットし、魔術が発動した。
刃を起点に、後方にいる4人を覆うほどの半球形型の魔力で出来た保護膜が形成され、同時に飛来した残り2匹と、更に続いてきた2匹の攻撃を自分含めて全員に通すことなく、防ぎきった。
この技は、物理攻撃を軽減する補助魔法『プロテクション(保護膜形成魔法)』を使用者を起点に半球状に展開し、物理攻撃を一時的に無効化する機能拡張魔法である。厳密には、自分の魔法発動起点が武器に依存しているために、アーツと魔法の複合技となっている。
5匹が再び飛翔するのを見届けると、魔法を解除した。こうした保護膜や障壁、結界を形成する魔法が解除される時は、総じてガラスが砕け散るような風景と音が鳴る。
「あっぐ、つぁ……、ハァ……ハァ……」
全身を駆け巡る一時的な痛みと倦怠感に、剣をなんとか地面に突き刺して体重を預けつつ、膝をついた。
防ぎきったのは良いが、この技は元々魔法であり、使用者の魔力量と熟練度によって、物理攻撃を防ぐ回数や膜の強度、範囲が大きく左右される。逆に、自分の力量よりも越えた範囲や威力を望む場合、このように身体に極端な負荷がかかってしまう。さらに、戦士タイプであるために本来は範囲の拡張など、魔力の体外放出が苦手にも関わらず、無理やり蛇口をひねり出したようなものなので、余計に負荷が大きくなっている。
咄嗟の判断とはいえ、これでは戦力減だ。急ぎ、呼吸を整えようとするが、身体に纏わり付く倦怠感がどうしても抜けず、中々立ち上がれない。
「ダインさん、ありがとうございます。後は私が引き継ぎます」
そういってネフェさんが俺の前、つまり最前線に立つと、上空を旋回しつつ次の攻撃を窺う怪鳥たちに向けて今回新しく持ってきた愛用の長い杖(ロッド)を右腕でかざし、普段はコンパクトに折りたたまれた純白の翼をバサッと一気に広げた。
それはキスカの森の地下研究所で見たネフェさんと同じ姿。翼が太陽の光のような淡い黄金色から、魔法に応じて色が変化していく。色は淡い紫へ。バチッ、バチッと翼と同じような色の電流に似た火花が翼を中心に全身に発生し始め、周囲が蜃気楼のように揺らめき、この空間に存在する全ての流れがネフェさんの持つロッドの先に集中していった。
「ッ!?」
強い静電気に当てられた時の痛みが、頬を伝う。肩のショルダープレートや腕のガントレットを見れば、ネフェさんに発生している紫の電流みたいな光の筋が生まれては、ネフェさんのほうに向かって消えて行くのを繰り返している。
やがてネフェさんが掲げるロッドの先に集中していた電流は、目に見えるほどの球体となり、こぶし大から純人族(ホミノス)の成人男性の頭ぐらいの大きさまで成長していった。
ここまで肥大化すれば、魔力感応の低い俺でも分かるほどの圧倒的な魔力の圧縮と、マナの吸収。知性のある者ならこの環境変化に危機感を募らせるはずだ。
それでも怪鳥たちは距離を保ちながらこちらの状況を窺いながら旋回している。
「うーん……逃げてはくれませんか」
やはり、この環境変化を察知して逃げ去ってくれることを望んでいたのだが、怪鳥たちはそれでもこの餌場に対する執念を燃やしているようだ。
それまで遊んでいた左手がロッドを掴み、さながらロッドをこれから突き刺そうとする槍のように両手で持った。
「分かりました……私たちも食べられちゃう訳にはいけませんので」
その言葉を境に場の空気が変った。
雰囲気的な意味でなく、ロッドの先に集まっていた魔力とマナが形を変え、直径がネフェさんの身長と同じぐらいの大きな魔方陣へと変化した。明らかなる攻撃の意思。これでもまだ逃げようとしない怪鳥たちは、最終警告をも無視して再び降下を開始した。
ぐんぐんとこちらに向かって降下する怪鳥に、魔力とマナを溜めながら構えるネフェさん。
待っているのだろう。鳥たちが、逃げられず、下界にも落ちない位置になるのを。
「──サンダー……ストーム!!」
ネフェさんは詠唱に併せて、両手で持ったロッドを怪鳥たちへと突き出した。
それに呼応するようにロッドの前に展開していた魔方陣が強烈に光り、ロッドの先からラッパのような逆三角錐の格子状の雷撃が広がり、空中を我が物顔に飛びまわる怪鳥たちの自由を奪った。
まるで空に投げられた漁の網のように広がった雷撃は次第に窄んでいき、怪鳥たちは次々と雷撃に当たって気を失う。
当たったからと言って終わりではなく、今もなお浴び続けられる雷撃に、身体は次第にこげていき、落下時の傷から出る血すら蒸発させられ、この踊り場に堕ちてくる怪鳥たちは、美味しくなさそうな丸焦げ状態となっていた。
「ふぅ……これでどうでしょうか?」
こちらもようやく倦怠感が抜けきり、立ち上がることができるようになり、周囲を見渡せば丸焦げになったヘルヴァルチャーたちの煙い匂い以外はこれといった変化がなく、相変わらず虫の繭らしき物体がいくつも並ぶ踊り場となった。
「流石です」
「いえいえ! これもダインさんが防御魔法を展開してくださったから、あれだけの準備が出来たんですよ」
だが、すぐに動けなくなるほどの倦怠感に襲われてしまい、これではカキョウを叱り飛ばしてしまった手前、完全に彼女の事は何もいえない立場となってしまった。
「そ、そういえば、ダインさんも……魔法、使えたんですね」
すぐにでも先の件を謝りたくなり、振り返ろうとした瞬間、運悪くもルカに越えかけられてしまった。
「あ、ああ……。使えると言っても、アレと合わせても片手で収まるぐらいだ」
ヒトは生まれながらに種族と生まれた土地、環境によって、ある程度の属性適性が決まってくる。
種族でいうなら、以前にキスカの森で話に上がったカキョウの有角族(ホーンド)は火、ネフェさんの有翼族(フェザニス)は風、巨人族(タイタニア)は地、魚人族(シープル)は水。
その他の種族は生まれた土地のマナに左右されやすい。例えば、トールは牙獣族(ガルムス)であるが、生まれ育った土地が風のマナが溢れるウィンダリアに近いルノアであったために、風属性系統との相性が良い。ルカは生まれは分からないものの、育った環境が世界で唯一聖属性を教授できる教会だったために、彼女は聖属性となる。
自分の場合は生まれ育った場所も地属性のマナがあふれるティタニス国だったために、マナの適性は圧倒的に地属性へ偏っている。
先程使ったプロテクションウォールも地属性の代表的な防御魔法の一つである。
むしろコモンの魔法はあれしか使えないし、先程のようにコモンクラスの魔法を使うだけで強烈な倦怠感に襲われるほど、実際は魔法を使うには適しない身体である。ちなみにプロテクションウォール以外のコモン魔法を使うと完全に意識を持っていかれるために、はっきり言えば魔法は使えないに等しい。生粋の戦士タイプである。
「でも……使えることには変わりはないんだね」
そう、最も声をかけたかった人物から、先に声を掛けられる形となってしまった。
この展開は不味いと急ぎ振り向けば、彼女の顔からはもう驚きなのか、悲しみなのか、怒りなのか、呆れなのかまったく分からないほどの、見開かれた無表情。
しかし、彼女はそれ以上の言葉を発することなく、すぐに背を向け歩き出してしまう。
まるで拒絶するように。
数歩歩いて振り向けば、彼女の顔は丸で貼り付けられたような笑みを浮かべている。
「ほら、早く行こう。日が落ち始めちゃう」
再び背を向け歩き出した彼女を、皆で追いかけた。
何もかもが裏目に出始めている。
ただ皆を守りたいだけなのに。
力があってもこんな状況なら、こんなことになるなら無いほうがよかったのかもしれない。
少々乱暴に愛剣を背中に納め、彼女の背中を追った。
◇◆◇
基本的には、戦士タイプであれ万人が簡易魔法(インスタント)は使う事ができる。
これがこの世界の常識だったはずだ。
なのに、忘れていた。
そう、男性陣は基本的に魔法を使っていなかっただけ。
トールは最近、竜巻を起す魔法のようなものを使っていたが、本来使っている鎌鼬の技は最初から魔法みたいと感じていたので、違和感は無かった。
だが、彼は違う。
本当に今日まで一切魔法を使っていなかったのに、突然使った。
咄嗟の判断で、彼が動けなくなっても最良の結果を生み出した。みんなの前に出て展開された障壁によって、怪鳥たちの攻撃は確かに防がれ、おかげでネフェさんが強力な魔法の準備に取り掛かれたのだから。
あれだけアタシに言っておきながら、自分だって動けなくなるじゃん……とも思ったが、状況が違いすぎる。
そして、 彼が魔法を使えないと思い込んでいた。いや、思い込みたかっただけなのだろう。
だからこそ、心の何処かで“アタシと違う”“裏切られた”と思った。
(ダメだ……黒い感情しか沸いてこない……!!)
魔法も使えない。虫も嫌い。状況判断能力も少ない。
(ダメだ……ダメだ、ダメだ……アタシには、何もない……)
ある意味支えを失った。同類であると錯覚し、同じように傷を舐めあって、必死に戦場に立っているんだと思うことで、自分の無力さを考えないようにしていたのだろう。
(どうしよう……私、この任務が終わったら……)
捨てられてしまうのだろうか。
振り向くのが怖い。彼らの顔を見るのが怖い。
そんな感情がグルグルと渦巻きながら、黒い風を避けつつも夕日も水平線に落ちようとしていた頃、7合目に到着した。
7合目は風によって抉られた切り立った岩々や山肌に鉄の杭が打ち付けられ、柄尻の部分からは色とりどりの小さな旗が付いた飾り紐によって着飾られていた。これらの旗は風神信仰の名残りであり、風の神がそこに居る事を示す象徴であるとのこと。
この7合目よりも更に上が、風の神である大精霊が住まう神域と言われている。
ただし、10年も閉ざされていたために手入れされていない旗たちは草臥れていたり、ボロボロになっていたり、色がくすんでいたりと、かつての栄えある姿は無い。だがそれもまた、黄昏時の美しさと寂しさを引き立てる役者となっている。
また、この7合目は巨大な岩々の間を縫うように幾つかの山小屋が点在する宿泊地であり、旗飾りと合わさって、過去にここは大きな賑わいを見せていたのだろうと思った。
自分たちはその中でも比較的綺麗で、何か起きても対処しやすいような出入り口前が広めの小屋を今日の宿とした。
小屋の中は登山者が10人ぐらいは泊まる事を想定してか案外広く、入口側に焚き火ができるよう外から地続きになっている空間が広く作られており、その奥には寝るための空間として、板張りの上げ床があった。
その空間は故郷で見た農家によくある構造の玄関だった。
「へぇ……土間っぽい」
上げ床の手前には靴を脱ぐための低めの段差である上り框も付いており、ますます故郷の家を思い出す。
だからこそ、刀の柄に置いてある手が再び動き動き出している。
上り框に歩を進め、靴を脱いで上げ床に上がれば、そこは何年も使われていなかったために積もっていた埃を足の裏に感じた。右足を水平に動かしてみると、ほんのり白かった床に足の跡と埃が退いて見えた床の元の色が見えた。
(まずは掃除かな……)
当たりを見渡せば、壁に木の棒と藁で作られた箒が立てかけてあった。箒を手に取ると、まずは上り框から埃を土間側に掃き出した。続いてショートブーツなる靴を脱ぎ、上げ床の右の壁沿いに埃を左側に追いやるように掃きながら奥へ。奥壁に達すると、折り返して今度は右手側、つまり往路と同じように入口左の壁へどんどん埃を追いやっていく。
正直、何かをやっていないと、また心が黒い感情に飲み込まれてしまう。
せめて、自分ができる事を率先してやらなければ……。
皆の視線を無視しながら、何度も往復を繰り返して、左の壁際まで来たら、今度は土間側に全部を掃き出し、さらに外へ追いやる。
本当なら濡れ雑巾あたりで拭き掃除もやりたい。拭きあげたところで、最終的には防犯のために土足で上がるのだが、埃の積もった床の上で寝るのも確かにつらい話であるが生憎、雑巾のような捨ててもよさそうな布は持ち合わせておらず、今日はこの状態で過ごすしかないと思った。
ところが掃き掃除をしている後ろで、カッチャカチャ音がしている。
振り向けば、どこからか見つけてきた布を飲み水か何かで濡らして追い拭きしてくれるダインの姿があった。
大剣は壁に立て掛け、脛当と履物は脱いで土間側の半面を拭きあげていく。もう半面はネフェさんが担当している。
二人が懸命に床を磨いている姿を何気なく見ていると、視線に気づいたのかダインが顔を上げた。
彼とは目が合いそうになったが、咄嗟に視線をずらす。
皆がどんな表情をしているのか見たくない。
……なんて、我が侭が通るほど甘くはない。
「ほい、お疲れ様ー。はいこれ」
「ぴゃい!!」
トールに声を掛けられ、振り向こうとしたら、金属製の取っ手付き湯飲みが頬に押し当てられた。
差し出された湯飲みはキンキンに冷やされ、中には透明の液体が入っていた。匂いを嗅いでみるも無臭だった。
「……水?」
「そそ。外に井戸があってね、水は汲み上げれるだけど、長々と使われていなかったから、ルカちゃんに浄化してもらって、ネフェさんにはマグカップを凍らせてもらって、飲める冷たい水を作ったんだ」
「が、がんばりました」
トールの後ろからは、少しヘロヘロ状態になったルカが、水の張ったお鍋を持って現れた。恐らく飲み水と夕飯用のお水を大量に浄化したのだろう。
ごきゅっと一口。液体は確かに水であり、まろやかな舌触りが喉を通り、食道へ直接響かせる冷たさが、故郷の水源から直接溢れる冷水を思い出させた。
10年も閉ざされていれば、水道管は水が流れない状況では一方的に劣化し、滞留している水も腐っていく。
それがどうだろう? これほど飲める水に変り、冷やされた金属の取っ手付湯呑──マグカップによって、様々な感情が渦巻いて、加熱していた頭を一気に冷やした。これらが全て瞬間的に出来るのも魔法だからできる所業。
「……魔法はやっぱすごいし、便利ね」
ずっと思っていた。そう、魔法とはとてつもなく便利なものである。
便利と言っても、あくまで役に立った、重宝されたと言う偶発的な瞬間に起きる感情的な言葉であることが多いと思う。それが日常と化している世界において、便利は便利ではなく、当たり前だからこそ、人々はそれが便利である事を忘れる。
こうやって使えない人間からの僻みではあるが、それが世界の常識なら、自分達は少数派であり亜種なのだ。
故に何度も夢を見る。
火さえ使えれば、虫のモンスターを近づかせる前に焼き殺す事ができる。
火さえ使えれば、灯を熾すのも苦労はしない。
火さえ使えれば……アタシは誰からも否定される事はなかったんだ。
「…………まぁ、確かに便利だけど、俺は無くてもいいとは思う」
何を言っているのだろうか? それは彼が魔法と言う力を持ち、それがありふれた環境にいるから出てくる言葉ということか?
「……それ、本気で言ってる?」
トールがこちらに向いたとき、一瞬目が見開かれた。あー……、アタシ今、すんごい顔してたかもね。心の底、今真っ黒だと思うし。
「実際に魔法に置き換わる物が徐々に開発されてきてるんだ。こういう水を清めるのも、何度か布を通したり、煮沸すればいい。火をつけるのも火打石があれば事足りちまう」
「……言ってる事矛盾してない?」
キスカの森では自分が有角族だからって、炎の魔法を使ってほしいといってきたのだ。有角族ならば使えて当然という認識でこちらを見てきたのだから、根底には言葉以上に魔法が日常的なものであることが分かる。
「まぁね。だけど、正直考えさせられた。誰にだってできない事はある」
しかし、彼は思いのほか、自分の矛盾をあっさり認めた。
できない事として、トールは風系統の力は使えるが、その傍系である雷系統の力はまったく使えないし、ましてや他の属性は一切反応しないらしい。
ルカとネフェさんは魔法が得意だとしても、物理攻撃に対する防衛や護身術は無いと言っていい。これはアタシが見ても分かる。
ダイン、使える魔法があっても、使った途端あのように使い物にならなくなるなら、いっそ無いほうがいいと言い放った。
魔法は確かに便利であり、今の世界では当たり前になってしまっていても、得手不得手はどこにでもあり、無いほうがいい時だって多い、と。
「か、カキョウさんは私と同じ女の子なのに、あ、あんなに軽やかに武器を持って、みんなの前で戦ってて、とても……とてもすごい事だと思います!」
ルカは一生懸命励ましてくれているんだろう。嬉しいものの、それは自分にはそれしかないからであって、魔法が使えるならもっと上手い戦い方だって生まれるはずだ。
もっと……人間らしく生きれるはずなんだ……。
だって、アタシの故郷では、皆男女共に武器を持って前に立ち、魔法を使って盛大に戦うのが当たり前なんだ。
アタシは……どこに行っても役立たずなだけなんだよ。
「ま、物質的な便利が結構生まれてきているんだから、魔法を気にしなくていい時代がそこまで来ているはずさ」
「……そんな時代、本当に魔法がなくならない限り来ないよ」
ちびっと、お水をもう一口。物質的便利がきたところで、時間的便利が解消されなければ訪れる事は無いと思う。
「分からんぞー? 便利になるってのは、自分の労力をいかに費やさないようにするかだから、魔法を使って体力や精神を使うよりって思う奴等もいるんだ。噂じゃ、この国……サイペリアの上層部では、既に様々な事の機械化を進めているらしい」
サイペリアの機械化でも一番大きな目玉となるのが運搬に関わることらしい。
現在の主な運搬は人力によって直接持ち運ぶか、馬や牛などに荷馬車を引かせるなどがあるが、これを自動で動き、手綱のように方向や速度を指示できる機構を組み込んだ、自動走行ができる押車や荷馬車を開発中とか。
「でも機械って、炎の魔法や雷の魔法を動力にして、金属製のカラクリを動かすものでしょ? 動力に魔法や魔力が使われているなら、結局使うじゃない。それに商品化とかになったら、いろいろと面倒じゃない?」
「そこは術式を印字した核となる部品を大量生産して、そこに流れてきた部品に少しの魔力を注入して……」
そこでトールの口が止まった。
自分も数秒の後に、分かってしまった。言っていることが、最近あったある出来事に結びつく。
「あーーーー……、これって木の心臓と同じ?」
あれも動力は魔力であり、木の主根に対して、術式が刻印されているのだ。それが刻印する対象が金属になり、源となる魔法の属性が変化しただけで、大方はあっているのだ。
サイペリア国の貴族管轄の研究所で作られた木の心臓と、サイペリア国の上層部で開発中と噂の機械。そんな噂があるってことは、国家事業の可能性があり、先の木の心臓と連動しているのなら、それは以前会った紫髪のエクソシストのお兄さんが言っていた“軍事利用”“戦争”と言う言葉が色濃くなる。
「なら、前線で戦う者が生身の兵や木の心臓のアンデッドではなく、自動移動と自動攻撃をする機械人形になるかもしれない」
振り向かず背中越しに中のヒトに声をかければ、すぐ傍にいたのか、頭の上からダインの言葉が急に降り注いでびっくりし、反転して後ずさってしまった。
まだお昼のことが頭をよぎり、今は彼に近づきたくなかったし、近づかれたくもなかった。
距離を取れば、それに対して少しムッとした表情をしたダイン。でも分かってほしい、いつの間にか気付かれずに背後にヒトがいて、急に声がしたんだ。そりゃ驚くよ。
「まず、戦争をする上で一番大事なのは人員の確保とそれを維持する食糧だ」
戦争の末端となるのは、実際に戦うヒトであり、それが巨大な兵器などに変ろうともソレを動かすヒトと、整備するヒトが必要だ。ヒトが怪我をすれば治療するためのヒトが必要となる。末端のヒトが勝手に戦争するわけではなく、ソレを指揮するヒトがいる。
つまり、戦争には常にヒトが必要なのだ。
食糧は人員たるヒトに欠かせないものである。これが無くなれば人は動けなくなり、いよいよ使い物にならなくなる。また、少なくなった段階から、一人当たりの食料供給量を減らせば、人員のやる気や意欲と言った士気に繋がるために、極力は一定の量を維持したいものだ。士気が下がれば当然、勝率は落ちていき、敗北への道が待っている。
「これが機械人形になると、食糧事情を考える必要はなくなり、最低限の整備士と魔力注入要員、後は整備士と魔術師の護衛兵程度でよくなる」
「ヒト同士による大規模戦闘は回避できる……?」
「それは互いに機械人形を使えばであって、現状ではサイペリア側のみが機械人形を使う形だろう。そうなれば、機械による一方的な虐殺という絵ができてしまう」
「そんな……それじゃ、戦争には何も意味がないじゃない」
ただ一方的に仕掛けられて、ただ一方的に守る。攻勢に出れば双方の被害は拡大し、泥沼状態へと発展する。
だからと言って、一方的に蹂躙を受け入れるのもまた違い、国を家族を守るために、ヒトは戦うのだから、機械に全てを任せるものなんて、本当に意味がなくなってしまう。
「そうだな、少なくとも巻き込まれる末端の人間には意味など無い」
勝ったところでその恩恵が末端の人間に行き渡るまでには、長い年月が必要になるために、戦争に勝ったという時点での意味はほぼ無いのだ。
その点、国の上層部は相手の国からの略奪した品々をすぐに手にできるので、恩恵があるといえる。
戦闘と言うものは、上の者の私欲で、無関係な下の者たちが一方的に上の者のために戦わされる事のほうが多いことがある。
「ですが……生身で戦う必要の有る人員が減るというのは、ある意味人道的とも言えますね」
ダインの後ろから、中の拭き掃除を終えたと見られるネフェさんが顔を出した。
しかし、戦争なんだから、何処にも人道的な部分はにはずなのに、何故ネフェさんの口からそんな言葉が出てきたのだろう……。
そうか、アタシとネフェさんの間にあるこの温度差は、当事者であるかどうかなのだ。
ネフェさんはサイペリアが戦争を始めるのならば、徴兵される可能性だって出てくるし、20年前には実際に戦争をして負けてしまったから、ウィンダリアは国じゃなくなってる。徴兵ならトールやルカだって同じだ。
それに比べたら、アタシは完全なる部外者だ。家出してきたとはいえ、国籍だけならまだコウエンに残っているはずなので、戦争にでもなったら協力は仰がれても強制徴兵はないはず。ダインは……よく分からない。でも、ポートアレアの支部長さんやトールの雰囲気からして、サイペリア側扱いなのかな……。だとすれば、部外者はアタシだけになってしまう。
「で、でも! 起きると決まったわけでは、あ、ありませんので、起きない事を、祈りましょう」
ルカの言うとおりだ。戦争が起きると決まったわけじゃない。
「まぁ、確かになー……。仮に戦争するなら、次は海の向こうとだろうから、現実的とは言いがたいしな。それに起きたとして俺達には何も出来ないさ」
遠くの空、それは実家の有るルノアの方角を見ながらの言葉であり、トールの実家であるあの店には戦争孤児だった者も多い。
同じように孤児であったルカも胸元をギュッと握り締め、沈痛な表情となった。
トールの言葉にある海の向こうの中には故郷だって含まれる。だが、本当に起きるかどうか分からない戦争。遠く離れてしまったからこそ、現実味が起きない。
それに気を回しているほどの余裕なんて、今の自分達にはないはずなんだ。
「……今のアタシたちが考えても仕方ないからさ、夕飯にしよっか」
「それもそうだなー。うんじゃ、中に入って戸締りしちゃいましょ」
そう言って促されるまま、アタシ達は山小屋の中に入った。
おかしいな……元々はアタシの愚痴めいた話だったのに、いつの間にか戦争の、しかもかなり重い話になっていた。
ここでもまた増えた疎外感に、アタシの心は黒いものにモヤモヤした感情まで追加されてしまった。
もう、こんな感情はさっさと寝て、消してしまおう。
寝れば和らぐんだから……たぶん。
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