3-7 黄泉路への覚悟
無事にルカの礼拝……というよりも、個人的には何かの儀式にも見えたものを終えて、俺たちは商業区の中を歩いていた。
先ほどまで黒い風によってゴーストタウンと化していた街は次第に朝の賑やかさを取り戻しつつあった。
それでも不幸は起きる。毎日とまではいかなくても、週に1回ぐらいはとネフェさんは言っていた。老若男女を問わない。皆口々に運が悪かったと。
1度発生すれば最低でも3時間は、次の黒い風は発生しないらしく、商人たちは屋台や露店を並べ、どこの街にもあるような繁華街の風景へと変化させていった。
もうこの街のヒト達は慣れてしまっているのだ。
……それはあってはいけない慣れだと思いながら。
「ここがハンターズギルド フェザーブルク支部です」
そんなことを考えている間にも、足は着実に目的地へと近づいていた。
ハンターズギルドのフェザーブルク支部は商業区の中心にある円形広場の縁に建っている。 この街の建物の特徴と同じく平屋1階建ての造りだが、見るからに横幅があり内部は広いんだろうと伺える。他の支部では2階から上はハンターたちの宿泊施設となっているが、この支部では敷地内の別の建物という感じだろうか。
入り口はガラスを格子状に組み合わせた造りの扉となっており、恐らく黒い風を確認できるようにしているのだろう。
カラカラーン。扉を開けると付けられていたベルが鳴り、中の人間に来客を告げた。
中は少々薄暗く、採光によって明るさを保っているような状態であり、人気がほとんど無い。他のハンターは出払っているのか、カウンターの中に少女というには大人びた感じの女性と初老の男性だけがいた。今まで見てきたギルドの中で一番“寂しい”と思ってしまった。
女性のほうは艶やかな黒髪を靡かせ、明るめの大きな赤い瞳が印象的だ。背はカキョウやルカよりも低く見え、レースやフリル、細いリボンの編みこみなどをふんだんに使い、パニエと呼ばれるやわらかいワイヤーでふんわり感を出した旧世代の社交パーティドレスのような赤基調の洋服に身を包み、ボディラインを消している。それでもフェザニスであるために背中は開いているようで、そこから黒いツバメのようなシャープな翼が生えている。
初老の男性は俺よりも低めで175前後だろうか、綺麗な銀のショートヘアであるが右目が前髪で隠されている。背中を翼用に開けた特殊な燕尾服を着こなし、背筋の通った佇まいがいかにもその道の歴を重ねたヒトのように見えた。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
「ルノア支部長マーカス・リンドウィルより、こちらの支部長ルビーリア・スワロワ殿への手紙を配達しに来ました」
「遠路はるばるようこそおいでくださいました。ささ、こちらへ」
受付の女性はにこやかに受け答えしながらカウンターを出ると、右奥に伸びる通路へと案内してくれた。
通路の先には石柱を並べた屋根付きの渡り廊下が続いており、左右には緑溢れる中庭が広がっている。
「これは……ウィンダリアではあまり見ない植物たちですね」
ネフェさんが零したのは、この中庭に生えている数々の植物たちについでだ。ウィンダリアは標高の高い地域であるために栽培に適している植物が限られているが、この庭はそういった環境的制限に関係なく、様々な地域の植物が栽培されている。
「うわ、ここのコウエンによくある植物だらけだし……カレサンスイ?」
カキョウが指差した一角には見たことのない植物がいくつかあった。葉牡丹と呼ばれる葉っぱがバラの花のように幾重にも重なり合う植物、葉が針のように細く鋭くとがった樹皮のごわごわとした松と呼ばれる木、赤ん坊の手の平に似た葉っぱを付ける楓が並び、その手前には砂で水面のような波を作ってある枯山水と呼ぶコウエンの伝統的庭園だと一つ一つ教えてくれた。
次の区画ではティタニス式と呼ばれるガーデンテーブルやチェアを木材だけで作り上げたウッドスタイルの庭だ。ガーデン用ということで雨ざらしにも対応した防水・撥水処理はされており、艶出しのニス塗りされた木材の色が懐かしく感じた。
また、渡り廊下を挟んで反対側にはガーデンテーブルなどを石材のみで作ったウィンダリア式や、薔薇など華やかな植物をベースに、鉄などの金属を使って細かい装飾を施してあるテーブルを置いたサイペリア式の庭など、この中庭だけで世界中のガーデンスタイルが集結している。
「これらは全て趣味でして、それぞれの地域を再現するべく、敷地に環境整備用の魔法を施しておりますの。もちろん防衛用も一緒にですの」
誰のとは言っていないが、これだけ敷地をいじれるのだから支部長の趣味というものだろう。しかし、魔法に関しては先の教会と似ており、敷地に対する大規模魔術が施されているということだろう。となれば、支部長自身が魔術師か何かで、ここの魔法の維持管理されているということか。
渡り廊下の先には一軒家より少し小さめの建物があり、見覚えのある重厚な木製の両開き扉があった。どの支部にもあった支部長室の扉だ。
受付の女性はノックすることなく、両開きのドアを勢いよく開けてズガズガと入った。
女性に続いて「失礼します」と一声掛けて中に入ると、そこには会議で使われるような長テーブルと片側に5脚ずつ、計10脚の椅子が置かれ、その奥に支部長用の大きなコの字型の執務机と黒革の椅子が配置された、会議室を兼ねた支部長室だった。
支部長机には誰も座っておらず、自分たち以外は一切いない。
女性から着席するように促され、それぞれ適当に腰掛けた。といっても左右に分かれているなら片方には支部長の机からカキョウ、ルカ、ネフェルト、反対側に俺、トールと座った。
ここの支部長はどんな人なんだろうと思っていたとき、女性が執務机の前に立ち、左手でドレスを少し摘み上げ、右手を胸において、ゆっくりとお辞儀をしてきた。
「改めまして、ワタクシが支部長のルビーリア・スワロワですの。ようこそ、ハンターズギルド フェザーブルク支部へ」
一瞬、何を言われたのか分からなかったが、このカキョウより年上で、ネフェルトよりは年下そうな雰囲気の受付嬢として振舞っていた少女が支部長のルビーリアだということが信じられない。てっきり、エントランスにいた初老の男性あたりが支部長かと思っていたので、完全に不意を突かれた気持ちだ。
「失礼いたしました。チームEOでリーダーを任されております、ダイン・アンバースと申します」
慌てて立ち上がり、ルビーリアに対して深々と頭を下げた。ソレにあわせて、全員椅子から立ち、頭を下げた。
「失礼をしたのはワタクシのほうですの。頭を上げて、席についてくださいまし。さて、では早速受け取りましょうか」
着席を促され、自分はそのまま預かっていた書類を全てルビーリアに渡した。
彼女は受け取ると、太い2つの書類を開けて中身をチラッと見るとすぐに机に置き、最後のひとつである封筒の中身を真剣に読み進めていた。
「ふむ、了解いたしましたわ……。確かに書類は全て受け取りましたですの。後ほど報酬を渡しますわ」
読み終えた手紙を執務机の上に置くと、その隣に……つまり執務机の上に膝を組みながら腰掛けた。この行動にしても、ノックせずに入室したことも、支部長自身だから許される行為なんだろうなと納得してしまった。となれば、先の中庭もルビーリアの趣味によって作られたものだったのだろうか。
「さて……実はあなた方に一つお願いしたいことがありますの」
「それは……支部長直々の依頼ということでしょうか?」
「そうなりますね。ただ、拒否権はありますの。とてもと言うか、かなりと言うか極めて危険な任務となりますの。あなた方も見ましたね? 黒い風。あれの調査及び解決を依頼したいですの」
「!」
ルビーリアからの言葉に目を見開かざるえなかった。
俺たちとしては願ったり叶ったりなので、断る理由が見つからない。
だが、気になることがある。
「……なぜ、駆け出しの俺たちに?」
そう、俺たちから言い出したのではなく、ルビーリアからの進言だからだ。
ハンターのうちの誰かにやらせるなら、もっとランクの高い者を宛がうのが通常の判断のはずであり、俺たちから進言しても止めてくるような立場のはずである。
「それはコレですの」
ルビーリアがコレと言って手に取ったのは、手元においてあったルノア支部長マーカスからの手紙だった。
「こちらに“ランクと年齢に見合わないほど優秀な人材だから使ってみてくれ”と書いてありましたので、早速使おうかと思った次第ですの。アヤツが使ってみてくれと推してきているのならと思いましてよ」
文面にはマーカスからの推薦が含まれていたようで、そのために俺たちに任務をということだろうが、それでもまだ納得できない。
「その……ランクと年齢に見合わないとは御幣ではないでしょうか? 自分らはトールを除いては全員駆け出しです。そこまで期待される理由が分からないのですが……」
「確かにあなた達は駆け出しですの。
では、このハンターというか何でも屋において重要なものは何だと思います?
簡単ですの、『真摯である』ことと『歩みを止めない』こと。これに尽きます。
ワタクシたちハンターズギルドは確かに戦闘集団という面を持ってはいますけど、本来は特別技術を必要としておりません。正直、未経験でもぺーぺーでもいいんですの。ギルドの入所試験となる依頼だって、その人の第一印象から各支部長の裁量や勘で当たらせる依頼を選んでおりますの。そこからこの人はもっと伸ばせそうとかの見込みを判断し、採用不採用を決定いたしますの。
あ、もちろん人相や性格は少し見ますの」
だが経験者、元冒険者、魔術師などの特殊な技術保有者は大歓迎とのことだ。
誰でもいいというわけでもないが、真摯に取り組み、自らの成長を渇望するものに手を差し伸べつつ、仕事をしてもらう。これがハンターズギルドである。
戦闘ができない、体力がないなら事務方をさせる。脳も学もないけど、身体には自身があるなら力仕事に回す。その中で見つかった能力開花の芽はどんなに小さなことでも掬い上げる。 基本理念でありつつ、組織全体で徹底された適材適所。
「報告書によれば、あなた方は確かに戦闘面、技術面、知識面と言ったところはヒヨッコかもしれないですの。でも、それを支える先輩、先輩の言葉を聞き入れる真面目さ、個々の能力とチームバランスと伸びしろ。様々な部分で互いを補い合い、皆が何事にも真摯に向き合う姿勢がすばらしいという評価を2つの支部長直々に頂いておりますの」
想像以上に高評価をいただいてしまっていることに、少し恐縮してしまう。
自分たちが真摯と言われても、当たり前のことをやっているだけで、何かしら強い意識で行っていることはないはずだ。
2支部と言っていたが、ポートアレアとルノアだろうか。今まで立ち寄った街でだと、商人殿と別れたモールや砂漠の街カラサスにもギルドの窓口自体はあるが、依頼の受諾や報酬の支払いを行うだけの出張所でしかない。
ルノア支部の場合はマーカスとアーシェアの近くで仕事していたのでなんとなく分かるのだが、ポートアレア支部に関してはトールからの評価と最後に合流した事務員のジョージぐらいしか思い当たる人物がいない。いつの間に評価されたのか分からない。
「自分らをそのように評価していただけているのは、嬉しいと同時に大きなプレッシャーを感じます」
「ふふふ、素直でよろしいですの。精々精進してくださいな。
さて、話は大きくそれましたが、黒い風の調査についてですが、はっきり申し上げますと、あなた方がどんなに優秀で現在評価も高く、期待株といわれようとヒヨッコはヒヨッコ。
今まで何人のハンターや国の調査隊が赴き、帰ってきていないのかを。それが何を意味しているのかを。それでもあなた方はこの任務を受けますの?」
形式上ではギルド側からの依頼ではあるが、拒否権はあると最初に言われている。
だが、どんなに言われようと俺たちの中の答えは変ることない。みんなの瞳がそう語っている。
「承知の上です。なりたての自分たちでは何もできないかもしれません。全滅する可能性も大いにあると思います。ですが、仲間の家族がすでに奪われた以上、何もせずに立ち去る気にはなれません。俺たちに受けさせてください」
ルビーリアは俺たちの顔をじっくりと見渡し、意思に変わりがないことを確認し、諦めてほしかったのか安堵のものなのか大きなため息を吐いた。
「分かりました。あなた方のお気持ち、確かに受け取りましたの。
ですが、この依頼……いえ、任務は入山許可も含めたウィンダリア自治府からの正式依頼でもありますの。ハンター及び教会などの正式協力関係者にしか受けさせることはできませんの。……この意味が分かります?」
ルビーリアはまっすぐネフェルトを見据えた。
そうだ、彼女はハンターと言うわけではないし、正式な協力者と言うわけでもない。
向けられた本人もその意図を理解しており、席から立ち上がった。
「分かっています。なので、私をハンターにしてください」
本来なら驚くべきところなのだろうが、むしろ「あー……そういえば違ったな」と思い起こされるほど、ネフェさんは浸透した存在だった。俺たちとしては実にありがたい返事ではあるのだが。
「よろしいですの? ハンターになれば、選択の余地無く死地に送られることも出てきますのよ?」
「それでもです。完全に独り身となった今、何処へ行こうと、どうなろうと、全ては自己責任です」
それはもう、間を空けない見事な即答だった。
彼女の意志はとっくに決まっていたようで、内心ほっとしている。俺自身も嬉しいのだが、特にカキョウとルカは目を見開き、嬉々とした表情をしている。
「いいでしょう。では貴女にこれを渡しますわ」
ルビーリア殿は執務机から降りると、ネフェルトの前まで歩き、何かを手渡していた。
ネフェルトに渡されたのは見覚えのあるカード。
「皆が想像しておりましたわ。集団となって行動した経験は、時間は、意識は貴女をハンターへと導くだろうと。ま、そうでなくとも、ワタクシが説得していましたわ。
……貴女を歓迎いたしますわ。魔術師ネフェルト」
さすがにすでに用意されているとは誰も思わず、渡された本人が一番目を丸くしていた。手に取ったカードをしげしげと眺め、裏面を見たり、撫でてみたり。
カキョウやルカが覗き込んでいて、「あれ?」と不思議そうな声を上げた。何かと思って俺も見てみると、ネフェさんに手渡されたカードを見ているとすでに顔写真と名前、所属にはフェザーブルク支部、そしてランクのところにはEと表記されている。
「あの……入りたての人はFから始まると聞いたのですが……」
「ルノア支部に提出していた例の物とその研究協力のことは聞いておりますし、それを踏まえたうえで報告されている内容から考慮した結果であり、全支部の総意ですわ。ワタクシ共は常に優秀な人材を求めておりますの。こと魔術師は万年不足気味で、これぐらい当然ですの」
例の物とはキスカの森の地下研究所から逃げる際にエクソシスト殿から受け取っていた、まだ動くことのできる木の心臓であり、その解析協力の功績が認められたと言うことだ。
そうでなくても魔術師がほしいための囲いともいうが、仲間が認められたことは大いに喜ばしいことである。
「ありがとうございます。このご恩に報いれるよう勤めます」
「ええ、こちらこそよろしくですの。
さて……では改めてチームEO、黒い風の探査任務を依頼します。依頼主はハンターズギルド フェザーブルク支部 代表ルビーリア・スワロワ及び、ウィンダリア自治府 代表レスター・ホークウィンド」
口上とともに差し出されたのは今回の依頼書とこれまでの調査で分かっている概要書だ。
立ち上がり、ルビーリアの前に出て、差し出された書類に手を掛けた。
依頼書の依頼人欄にはフェザーブルク支部印とウィンダリア自治府長印が押された、正式なものであり、今まで見てきた依頼書の中で群を抜いて最も格式ばったものだ。
受け取る手にも力が入ってしまう。
「承りました。最善を尽くせるよう勤めます」
書類を受け取ると一歩下がって一礼し、再び元の席に戻った。
概要書は人差し指ぐらいの厚みがあり、太刀打ちできなかったとはいえ数年に渡っての地道な調査の歴史と成果がここに詰まっているという威圧にも似た感覚がある。
「……少々気になることがありますの。あなた方は何か道中の対策は考えてありますの?」
この策は恐らく登山している最中に黒い風が発生したときの対処についてだろう。
しかし、それは手元にある概要書を見た上でこれから考えようとしていたので、言葉に詰まってしまった。
ルビーリアから向けられる無表情だからこその眼差しが皮膚に突き刺さる。
胸張って引き受けてながら、何も考えていないのかと呆れられているんではないだろうか。
「一つだけ……」
そんな重い空気を切り裂くように、ネフェルトという救世主が現れた。
「風が発生したときには、私がアイスウォールを応用してドーム型の氷を展開させて凌ごうかと。洞窟とかあれば前後を閉じてしまえばいいかと」
ネフェさんの発言から、昨日の玄関の溶けた鍵穴に施したアイスウォールを思い出した。
氷で出来ていながらもちゃんと壁として認識され、部屋の中に黒い風は入ってこさせてはいなかった。
「確かにそれなら可能ですの。ただし、氷形成後にはちゃんと魔力の回路を閉じて独立させてくださいな」
アイスウォールや先日のエルフの女戦士が使っていたアースグレイヴは作り出した氷や結晶は作られた直後だと発動させた魔術師との間に血管のような目に見えない回路で繋がっており、その回路を使い魔力を新たに送り込むことで形成の長時間維持や更に巨大化や硬化させたりと、発動した時の結果に後から変化を加えることができる。
つまり繋がりがあり続ける以上は、魔法の結果物は魔術師の身体の一部ともいえる状態である。逆に繋がりがあり続ける以上、身体の一部ということで魔法の結果物が受ける影響は術者にも反映されてしまうということだ。
ただしそれは回路を閉じる(切り離す)ことによって回避することができる。
今回の場合、ドーム状にアイスウォールを作ったら回路を閉じて、出口のないただの氷のかまくらの中で黒い風が通り過ぎるのを待つという対策だ。これなら術者であるネフェさんにも黒い風の呪いは影響しないということだ。
「分かってるとは思いますが相手は風。氷は常温であっても風を受けるとより早く溶けてしまいますわ。作る際はしっかりと分厚くか、いくつか重ねて作ることですの。
もしくは、構築面積が少なくなるよう崖にへばりついてくださいまし」
「はい、ご助言ありがとうございます」
「良い返事ですわ。それとネフェルトさんにこれを渡しておきましょう」
ルビーリアはネフェルトに近づきながらポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
差し出された金色に光る『鈴』と言う音の鳴るアクセサリーだった。金属で出来たソレは綺麗な球体だが、中は空洞になっており、下になる部分にはスリットが入っている。スリットからは中に入っている金属性の玉が見え、この玉が外殻となる金属球体とぶつかることによって音が鳴るものだ。
「その鈴は普段は何をしても鳴らないのですが、呪いが接近すると勝手に鳴り出す特殊術器(マジックアイテム)ですの。探知範囲は持ち主の魔力量や魔術の構築効率によって変りますが、貴女なら500mは軽くいけるのではと思っておりますの。なので、これはあなたがお持ちなさい」
鈴はスリットとは逆の面に飾り紐がついており、鈴を手渡されたネフェさんは飾り紐を持って、試しに鈴を振ってみた。鈴の中では金属同士がぶつかり合っているはずなのに、音が鳴らない。
「これ……すごい……こんな小さな物にかなり複雑な探知術式……。ありがとうございます」
ネフェルトが手の中にある鈴を眺めながら、感嘆の息を漏らしている。
魔法の術式は宿すものの大きさや強度、素材によって、付与できる術式の許容量が決まってくる。強力な術式や、広範囲に影響を与える術式は付与する物を大きくするか、マナの通りがよい素材を使う必要がある。
逆に木の心臓やこの鈴のように小さいものへ強力な術式を施すためには、付与する媒介へ馴染ませれるように術式の記述を調整したりして、媒介にかかる負荷を減らしたりする必要がある。
ネフェルトのうっとりとした眼差しから、鈴には俺の図り知ることが出来ないほどの高度で緻密な術式が描かれているのだろう。
因みに、黒い風の到来を知らせる街の警鐘も、この鈴と同じ術式が組み込まれており、見張りに立った者の魔力を貰って、到来を知らせている。ただし、魔法の得手、不得手に関係なくどんな見張りが就いても同じ効果を出すために、更に複雑な術式が追記されているという。
「いえいえ、これぐらい当然ですの。……むしろこれぐらいしか出来ず、申し訳ないですの」
フェザーブルク支部及びウィンダリア自治府は何度も犠牲を払いながらも調査団を送り込んだ過去があり、現在では割ける人員もほとんどいない状態になっている。
現在の本国であるサイペリアは教会で聞いた話の通り、首都から遠く離れた地方ということでこの自然災害に関心が薄く、各種支援も期待できない状態が長く続いている。
これではあまり言いたくはないが、仕方のないことと言わざるを得ない状態だ。
一応、物資支援としてギルドと提携している店に依頼書を提示すると限度額は存在するがある程度自由に貰うことができるようになっている。それだけでもまだ手持ちの資金に乏しい俺たちにとって見れば十分な支援だ。
それに勢いだけで安易にこの案件を引き受けてしまった身としては、いただいた鈴はこの上ない味方である。
「それとダインさん。リーダーになったばかりと窺っておりますが、今回は全面的に彼女の指示に従って行動してくださいな」
と言われても俺自身は自分からリーダーになりたくてなったというわけではないので、その点に固執することもないし、土地勘や黒い風の性質の理解、状況の打破力から見て、ネフェルトに陣頭指揮を執ってもらうのは最良の選択だと思う。
「いえ、俺も最良の選択だと思ってます。ご意見、ご助力いただきありがとうございます」
ルビーリアの意見への謝辞として一礼をした横で、ネフェルトがこの状況についていけず、「え、あ、え!? 私が指揮って、え?」と何やら小さく動揺しているようで、トールからは諦めたほうがいいよと言われているのも聞こえてきた。
そんな状況が面白かったのか、ルビーリアは小さく肩で笑った。
「ふふふ……本当に真摯で紳士ですし、ネフェルトも可愛いですの。
さて、あとは何処までやれるかですの。……精一杯がんばるんですの」
改めて言われた激励の言葉に、全員が立ち上がって「はいっ」と力強く答えた。
◇◇◇
その日の晩は、ネフェルトの家に戻らずギルドの宿泊施設で1泊することになった。
例の騒がしい隣人のモーザさんや夜に家を不特定多数のヒトたちに囲まれたことをルビーリアに話すと、ギルドの施設を好きに使っていいと言われ、言葉に甘えさせてもらった。
この支部の寄宿舎は、受付や酒場のある本棟の裏、支部長室兼会議室の建物がある中庭に複数建てられている1階平屋建長屋だった。各部屋は支部長室の建物と同様に、屋根付き横むき出しの渡り廊下でつながっている。この街の地形と風の関係から、敷地全体が風通しの良い構造をしていることがよく分かる。
「荷物持って来てて正解だったねー」
「ええ。ここなら狙われる心配は少ないですね」
朝、ネフェルトの家を出る時に万が一に備えてほとんどの荷物を持ってきてはいたが、ネフェルオtの家に戻る予定だったので、危険度は高めのままだった。
ネフェルトが言うように、ここならギルドの敷地と言うことで無理やり入ってこようとする命知らずはいないだろう。
人種による筋肉の付き方に差はあれど、何処のギルドでも屈強な男性や性格も体格も男勝りな女性がハンターをしているために、無理矢理入って来ようものなら軽傷ではすまない。
ただ、ギルドの内部が完全に安全かといわれるとそれは別の話なので、宛がわれた部屋以外では白紫の頭巾を外さないようにと言われた。
『私共は、貴女達と同じく世界から見れば迫害されている人種であり、一応味方ですの。でも、それは外界での話しであり、ここはフェザニスの地。新たなる贄がそこにあるのなら、それを差し出そうとする輩も少なからずいますの』
ギルド内の人員はそういった危険思想を持った者はなるべく受け入れないように全ギルドで行っているという話は聞いたことがあるが、それでも全てを排除できているわけでもなければ、ヒトの心は移り変わり行くものと分かっているので、自己防衛に心がけてほしいと言う、ルビーリアなりの助言なのだと思っている。
その言葉を思い出しながら、部屋のカーテンと呼ばれる窓掛けを閉めてから頭巾を外した。
自分の身を守るためとはいえ、やっぱり頭巾を付け続けるのは違和感があり、圧迫感もある。できるなら外していたい。
そのため、外した時の開放感は一つの小さな幸せである。
外した頭巾を見てみると、何度か手洗いしていても落ちない汚れが出始めているし、何度も戦闘に付き合わせているので、ちらほらと解れが見え始めている。
むしろエルフの女戦士との激しい戦闘を経たのに目立った破れも無いのが奇跡というか。とはいえ、自分の角の先は尖ったものであり、角の先が当たっている部分も少しずつ破けてきている。
(せっかくの貰い物だから修理したいけどな……)
繕い物は得意ではないが苦手というわけでもない。せめて角が当たる部分だけでも補強できればと思うのだが、今ここに裁縫道具はない。支部の人に頼めば貸してくれるのかもしれないがもう夜も深くなっているために、借りるのは心苦しい。
ならば、今回の任務が終えたら修理に出すなり、自分で修理するなり、色々考えよう。
「……ふぁ~、さっぱり、しました。カキョウさん、どうぞ」
先にお風呂に入っていたルカが出てきた。
「あーい。じゃ、入りまーす」
室内に設置された浴室には、シャワーというお湯を雨状に出してくれる蛇口と、湯船が備え付けられていた。今までの宿舎は大衆浴場かシャワールームと呼ばれるシャワーしかない小部屋がある程度で、各個室には浴室が存在していないものばかりだった。つまり、この支部の宿舎は他の支部に比べると豪勢な造りとなっている。
浴室内の構造もコウエンで広く見られる、奥壁と一体化した木製の湯船。床は石張りで木製の座椅子と桶が置いてあった。
(おお……なんだか全て懐かしい感じ)
どの部屋もこの様式なのか、この部屋だけなのかは分からないが、この嬉しい不意打ちに胸を弾ませながら掛け湯をして身体を洗い、いざ湯船へ。
この足先からじんわりとしびれるような感覚。身体が温まってきて、頬が熱くなる。
昨晩は一応ネフェルトの家で軽く流させてもらえたが、シャワーだけだったのでお風呂自体は昨日ぶりだけど、一人でゆったりと湯船に浸かるのはもう1ヶ月ぶりという感じだ。
「たはぁ~~~」
1ヶ月ぶりに浸かる湯船は本当に最高だった。それまでの嫌なことを一気に吹き飛ばしてくれた。
天井、壁面と改めて浴室内を見渡すと防犯のためか、それとも配管の関係なのか窓がついていなかった。夜空を見ながらのお風呂は格別になるものだが、そこまで文句を言っちゃいけない。
昔なら一人の風呂は何かと嫌なことを思い出させる孤独感に押しつぶされてで、さっさと上がってしまっていたのだ。今はむしろ集団行動が常であるために、久々の一人ということもあってかこの一人の空間が心地よく感じる。
(結構遠くまで来たなぁ……)
コウエンのあるフレス大陸とウィンダリアのあるグランドリス大陸との間には、中海(ちゅうかい)と呼ばれる広大な海がある。
ぽっかりと開いた中海を取り囲むように、北西にフレス大陸、南西にミューバーレンが管理するミューズ諸島、南から北東までぐるりと長く連なるグランドリス大陸、そして北に白の大地と呼ばれるグレイス大陸が輪を描くように並んでいる。
その世界の輪の5分の3は移動したことになる。
(今はどんどん北へ進んできたけど、この後は折り返して首都へ行くのかな)
自分たちの場合、西端のポートアレアから出発し、モール、カラサス、ルノア、ウィンダリアと実は順当に来ているために、残すは首都の大教会を残すのみであった。
とは言っても、黒い風の任務を無事に終えない限りは、首都に行くことも叶わない。見知らぬ土地、見知らぬ人々に囲まれて死んでしまうのだろうか。
(でも……死んでもおかしくないって任務なのに、何だろう……不思議と死ぬ気がしない)
そう、何故か無事に黒い風の発生地点までたどり着き、解決しそうな気がしている。
単純に死に対する恐怖心がないというより、想像できない。そんな漠然とした感覚だ。
それはネフェルトの魔法に対する信頼からなのか、黒い風によって誰かが死んだところを見ていないから生まれる危ない余裕なのか。
(……考えても仕方がないよね)
そう、やるだけのことをやり、進めるところまで突き進む。
いつも通りなんだ。
自分らしくやればいいんだ……。
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