3-6 礼拝

 迂闊だった……。

 アタシ達、有角族(ホーンド)にとって角に触れる触れさせるというのは親愛、友愛の証であり、商人のおっちゃんが知っていたし、みんなも無闇に触らせてとか言ってこなかったから、このヒトも知っているかもと思ったのがそもそもの間違いだった。

 むしろ他国の人々は基本的に知らない。そうだ、希少種だの、見れたことが奇跡だのって言ってる以上、アタシたちはヒトによっては空想上の人種なのだろう。触れる時に触り倒したいというのは理解できるが、触られるほうの気持ちを考えて欲しい。

 いくらネフェさんのお隣さんで親しい間柄とはいえ、角を出すのはまずかったなと思った。角までは神経が通っていないといっても、あんなにもベタベタ触られるとさすがに気持ちが悪いし、触られる振動が身体を伝うので全身鳥肌だらけになった。思わず、あの後ネフェさんに濡れタオルを借りて角を拭きあげた。

 商人のおっちゃんの時はやさしく丁寧だったのに……。誰もが同じ節度を守ってくれるわけでもない。

 そしてもう一つ迂闊だったと思ったのが、白紫の頭巾を外したこと。

 夜は今のところ一応平和に過ごせているけれど、アタシたちはやっぱり目立ちすぎているみたい。

 街中の視線のことも気になって、全員リビングで就寝することになったが、やはり昼間のことが気になり、皆で交代の見張り番を立てることにした。

 すると夜中のどんな時間であれ窓の外にある敷地の門や壁には時々人影が見えた。翼があったり、無かったり。無い人影のほうが多かったような気がする。

 つまり、後をつけてきた人たちがいて、さらに他のヒトにも見られていたのかもしれない。角を隠している分アタシも今は純人族と見られているのに、その一人が実は……となると、人攫いが横行しているこの街では、それこそ鴨が葱を背負って歩いている状況だ。

 そして、ウィンダリアの人たちが純人族と牙獣族のヒトを良く思っていないのは昨日のやりとりで十分理解した。見た目だけでも純人族となっているアタシも含めると純人族3人に牙獣族1人、有翼族1人と異彩を放ちすぎており、どちらにしても人目を引く。

(何も起きなければいいけど……)

 不安を胸に抱えながら、次のルカに交代して眠りについた。



『……めんね』

 暖かい。やさしい。

 白い……白い……? いや、薄っすらと桃色。

『ごめんね……』

 手だ。大好きな手。大きいけど、柔らかくて、すべすべ。

 何度も頬を撫でられる。

 何度も頭を撫でられる。

 緋色の瞳が覗き込んでくる。

 涙を浮かべながら覗き込んでくる。

 そして白に切り替わる。赤い線も見えるけど、ほとんどが白で柔らかい。

『こうしてあげることしか出来ない』

 身体が白に包まれる。

 ぎゅー。

 抱きしめられているんだ。

 だから自分もぎゅーする。

『ごめんね……』

 そして頭に口付けされた。

 何をしてるの? 何をしたの?

 ゆっくりと瞼が閉じていく。

 ゆっくりとお顔が遠ざかる。

 懐かしい顔。

 遠い過去の顔。写真でしか知らない顔。



「おかあ……さん……」

 懐かしかった。写真でしか認識していなかった実母の顔。ちゃんと自分自身で覚えていたんだな。

 でも……なんで泣いていたんだろう……なんで謝ってきたのだろう。

 置いて逝ったから……? それって……お母さんは死ぬことが分かっていたの……?

 良くは分からない。でも遠い記憶は意識の覚醒とともに、ゆっくりと消えていった。

 瞼が動かせる。ゆっくり開けると、そこは昨日知った天井。朝日が差し込み始めている早朝。横ではルカが寝息を立てて、窓際ではトールが外を眺めており、その足元でダインが寝返りを打って、部屋の奥にある廊下からネフェさんが戻ってきていた。

「カキョウさん、おはようございます」

 ゆっくりと上半身を起こしながら、ネフェさんの姿は今までの姿の中で一番……、

「おはようございます………………………ネフェさん、なんか派手」

 今まで来ていた服にはどれも黒が大きく使われていたのに対し、今度は全身が白い。むしろ白しか使われていない。

 特筆するべきは胸元。大きく開いており、豊かな双丘が惜しみなく強調されている。上半身は細い肩紐によって吊るされているような肩を全開にしたものになっている。首に大きな緑の宝石をあしらった金の太い装飾があり、そこから伸びるように肩に藤色の肩掛けを身に着けているが、その薄っすらと透けていて、肌を認識することができる。

 下半身は太ももの付け根から“すりっと”と呼ばれる裂け目があり、そこから太ももがチラ見している。一応、自分と同じように指先から二の腕までを覆う長い手袋や膝上まで隠れる靴と一体化した履物を履いているので実際の露出は少ないものの、太もものチラ見せと透ける布で隠している程度の肩、そしてなんだかんだと強調された胸元のせいで艶かしく見える。

「こ、これは私の正装なんです。随所に使われている金糸は私の魔力循環効率を上げるようになっていますし、フェザニスの戦闘服としては、こ、これぐらいが当たり前なんですぅ……」

 有翼族としては当たり前でも、そのなんともいえない露出具合に窓の外を眺めていたトールが、窓硝子の反射を利用してネフェさんの姿を拝んでおり、隠すことなく伸ばされた鼻の下は見てきた中で最高記録ではないだろうか。

「トール、鼻の下!」

「おおおおう、カキョウちゃん、おはよう! 仕方ないだろう!」

 そりゃーね、うん、仕方ないよ。女のアタシだって理解できるし。

 でも、声大きいよ。ほらー、ダインもルカも起きちゃったじゃないか。

「……おはようございます。……ネフェさん、色々とすごいですね」

「ふわぁ、はわわわわぁ……! お、おはようございます、です、はい……」

 ダインはすごいと言いつつも、トールのように鼻を伸ばしたりはしてなく、ただの感想程度に終わったが、ルカは完全に赤面しており、顔を手で覆い隠しながらも、指の隙間からチラ見している。

「もう! 仕方ないじゃないですか! 私達は翼が在るので肩周りか背中は開いている服装にしないといけませんし、空気中のマナを感じながら露出を減らすには、これが一番私好みだったんです……!」

 たしかにモーザさんも背中を大きく出した服装をしていた。道行く人々も確かに背中周りの露出は多く、男性にいたっては上半身は何も着ていないヒトもいた。これから夏に向かうからかと思ったけど、そう言われれば一応は納得する。

「はい、とにかく朝ごはんにしましょう!」

 そう言って拍手を何度か鳴らしながら、ネフェさんはみんなの起床を急かすのであった。



 朝食をとりながら夜のことの報告しあった。

 昨晩は特に問題はなかったものの、壁の外から見ていた連中の中には何人か敷地内に侵入しようとしていたらしい。でも実際は入られていない。というより、入ってこれないように壁には触れると凍傷になる罠魔法をネフェさんが仕掛けている。

 有翼族の人なら飛んで入ってくる事もできるけど、




羽ばたきの音が出るので、フェザニスは飛んで入ってこようとはしなかった。

 それでもこのまま一箇所に留まり続けるのはあまり良くないと結論になり、黒い風についてと本来の目的である巡礼のために、……と、モーザさんの突撃がないとも限らないので、アタシたちは直ぐに移動できるように、ほとんどの荷物を持って急いでネフェさんの家を出た。

 壊した鍵に関しては、自分たち以外が扉に触れると相手を氷付けにしようということで、エルフの女戦士に使ったアイスコフィンという氷系の高位魔法を応用して罠を仕掛けた。

「ネフェさん、その大きな杖は……?」

 ネフェさんの手には昨日まで使っていた指揮棒のような短い杖ではなく、ネフェさんの頭の上に大きな装飾がくる長ーい杖だった。

「これが私の本当の愛器なんです。トールさんに買っていただいたタクトは予備としてこのバッグに刺してあるんですよ」

 そういって、ネフェさんは背面の腰にある小さな鞄を見せてくれた。最近まで使っていた杖は、かぶせ布の裏に縫い付けるように固定されていた。

「カキョウさんの武器と同じように、私たち魔術師にも相性のいい道具というのがあるんです。私の場合はこのロングロッドタイプなんですよ」

 確かに相性のよい武器というのはある。単純に身の丈に合うとかじゃなくて、自分の生活の中での動きも混ざってくる関係で、動きに合ったそれぞれの武器や道具。ルカも1メルトぐらいのスタッフと呼ばれる杖を使っている。それと同じことなんだ。

「最もこの杖の先端には、私の持っているマナと相性のいい宝石を組み込んであるので、魔法の威力や調整も今まで以上に出来ると思いますよ」

「すごい……!! 今以上に強いネフェさんかぁ! やっぱ出来る女性だなー」

 今まででも十分すごかったのに、これからもっとすごくなるって、ネフェさんの魔法に関することは青天井なのだろうか?

「いえ、私はカキョウさんのように前に立って戦うことも、ルカさんのように癒す力もありませんので、これぐらいちゃんとしておかないとって思います」

 アタシからすれば、あれだけの魔法を使いこなし、一度に多くの相手をなぎ倒せるネフェさんのほうが何倍もすごいし、みんなの力になっていると思うのに、ネフェさんの表情はどこか寂しそうな苦笑をしている。

「私だけ、暖かい場所にいるわけには……」

「……ネフェさん?」

 ボソリとネフェさんが何か口ずさんだが、あまりにも小さくてなんと言っているのかは、聞き取れなかった。

「いいえ、なんでもありません。さぁ! 行きましょう」

 それでも、次にネフェさんが顔を上げると、いつもの笑顔になっていたので、深くは突っ込まないで置こう。



 歩き出したアタシたちは、まずはルカの用事と言うことで教会へ。

 今回は地元民であるネフェさんの先導で、身の安全のために個別には動かず、全員一緒に各用事の場所を回ることにした。

 フェザーブルク内にある教会は商業区の中心に近いところにあり、行くためには昨日通ってきた道を戻ることになる。

 ネフェさんの家がある中層区の南端から北西へ行ったところに商業区と中層部をつなぐ昇降機がある。昇降機は全て木製で、ヒトを乗せる籠部分を滑車を使って吊り下げ、反対側につけられている水瓶に水路から流れる水を入れたり、抜いたりすることで人を運ぶ造りとなっている。

 昨日の夕日に照らされた湾もいいが、青空の下の水面煌く湾もまたいい。

「水の重さだけでヒトを運べるなんてすごいよね」

 海から吹き込む風に頭巾を飛ばされないように握り締めながら、昇降機の横を下りていく大きな水瓶をルカと一緒に覗き込んだ。

「です、ねー。水魔法の使い手さんがいれば、もっと楽に調節できるんでしょうか」

 水魔法の使い手かー、と思い浮かんだのは少し前に出会い、すぐに分かれてしまった水色の髪の青年。

「あー、そうだね。ラディスなら出来るんじゃないかな」

 もう彼と別れ、ポートアレアを発ってから3週間。彼を懐かしいと思ってしまうあたり、3週間はそれなりに濃密な時間を過ごしたんだなと思った。

「確かにできそう、ですねー」

「アイツ、元気してるかなー?」

 ルカが自然と同調してくれ、トールは遠くに広がる海を見つめながら、旧知の友を思い出していた。

「ラディス?」

 そうか、ネフェさんはラディスと別れてから出会っているから、彼のこと知らないんだった。

「ネフェさんと会う前に、1日だけパーティを組んだ魚人族……えっと、シープルの青年ですね」

「です。水魔法の使い手さんで、四角い水や渦巻く間欠泉を作れた方、です」

「へぇ、アクアボックスと……ええっとロールガイザーですか」

「え!? 魔法の名前分かるんですか!」

「相性の問題で使える使えないってのはありますが、市販の魔導書に載っている魔法なら一通り覚えていますよ」

 ネフェさんの場合、得意な属性が氷と雷なので水魔法との相性は比較的良いらしい。

 アクアボックスは水を四角い形状に出現させる魔法だが、これに凍らせる魔法を当てると四角い氷ができ、簡単に足場にすることができるようになる。

 また、雷をはじめ電流は水に当てると水を水蒸気に変化させるために、霧を生み出したりすることができるなど、とことん相性がよい。

「……あとミストアナライズも使っていたな」

 ダインの口からもう一つ聞き覚えのある魔法名が出てきた。

「探知魔法のですね。周辺の水分に呼びかけて対象を知覚的に追ったりできるものですよね」

「ですね。俺達はそばで見ておくだけしか出来なかったので、どういう風に感じれるのかは分かりませんが」

「私も使えないことはないんですが、ミストアナライズを正しく使えるのは、シープルの方だけだと思うんです」

「というと……? 初級に分類される一般的な魔法だと記憶していますが」

 戦士系であるダインですら知っている魔法だから、誰にでも扱えるような魔法なんだろうと思ったけど、何が違うんだろう?

「まず、種族的な相性ですね。シープルの方なので本国では常に水と共にある生活をしてらっしゃると思いますので、水の性質や感じ方が私たち以上に敏感に感じ取れるはずです」

「ああ……なるほど、確かに彼だったから……」

 シープルの彼だったからこそ、彼は空気中の水分すら第三の目、第六の感覚として扱うことができたのだ。

 そういう意味では本来、火のマナが溢れる土地に住んでいたので、炎や光に呼応する探知魔法があったりするはずが、何せこの角のせいでまったく使うことができないと分かっているのでそういうのは学んだりする必要はないと、極力目に入らないようにして遠ざけていた。

「また、探知の密度や範囲、正確性が大きく違うんです。普通は洞窟のような湿度が高くて、狭い場所で見づらい先を見る魔法なんです」

 そうだ、ラディスが使っていた場所は森の中。湿度は確かに高いけど、木が生い茂っていても洞窟と比べたら開放的で狭いわけではない。広さの度合いが違いすぎる。彼が何処までの範囲を探知したのかは分からないが、それでもあの時は周囲には2人だけしかいないと言っていた。

「シープルの方とも会っていたとは、皆さん本当にめぐり合わせがいいんですね」

 確かにアタシは有角族だし、純人族、牙獣族、有翼族、そしてラディスの魚人族。敵として出会ったことがあるといえば巨人族(タイタニア)のグローバスと樹人族(エルフ)の女戦士もいる。

「会ったことがないのは竜眼族(ミスティック)ぐらい?」

「敵味方全部会わせてならそうなるな」

「まぁ、ミスティックはホーンドと並ぶ希少人種って言われてるからなー」

 竜眼族(ミスティック)とは、額に第三の眼を持ち、肌がとても白い人種と言われている。

肌が白いのは常冬で万年雪に覆われているグレイス大陸に住んでいるからだと言われているが、これらは全て過去の記録や口伝で伝わっているのみだ。

「昔は北の港町からグレイス大陸行きの船は出ていたらしいんですが、戦争よりも前に交流が途絶え、今では住人の存在すら分からないんです」

 最低でも20年前は既に交流が無くなっており、現在は生存者がいるかすら分からない。

 それでも存在していたと言われる理由は、額部分に自然な穴の開いた髑髏が、貴族の屋敷などに残っているらしい。

 第三の目は竜眼族という名の通り、強力な魔力を秘めた竜の目が宿り、未来を見通す幸運のお守りとして貴族等の上流階級に愛されているのだという。偽物も大量に出回っているが、本物を持つ家は他の貴族の羨望と妬みを多く集めるとのこと。

(何処の誰か分からないヒトの髑髏を飾っておくなんて、悪趣味もいいとこだな……)

 もちろん、全ての貴族がそんな悪趣味な連中とは限らないが、自分が知っている貴族は人体実験と権力乱用、監視など褒められたことは一切していないので、こんな感想しか持てない。

 しかし、常冬の大陸にまだヒトがいるのであれば、どうやって作物を育てているのだろう? むしろどうやって暮らしているのだろう……? 生きているなら、コウエンと同じく完全自給自足をしなければならないはず。

 そんなことを考えている間に昇降機の籠は上の層へと上りきった。



 昇降機から北東へ徒歩10分、湾に面した海面から500メルトの高さの断崖沿いの道を歩いていると、周囲の建物とは明らかに雰囲気の違う断崖に突き出さんばかりの建物が見えてきた。

「あれがこの街の教会です」

 この教会は戦争後に建てられたものであり、周囲の建物に比べたら比較的新しく見える。また、建築様式が周囲の建物と違う。ここは風の都と呼ばれるだけあって、よく風が吹く。海風もあるし、湾そのものが筒型をしているために、あちらこちらで風の渦のようなものもできるために、全体的に風が強い。その分建物は風の影響を減らすために平屋作りであり、石レンガを隙間無く入り組んだように組み上げられている。どんな風が吹き荒れようとも崩れないようなっている。

 だが、教会はそのような今までの経験的、慣習的建築様式ではなく、他の街で見てきた普通の教会と同じく、大きな2階建てほどの大聖堂に司祭や修道士たちの居住する建物が併設されている。

「あんな造りでよく建ってられるなー」

「儀式魔法か何かで建物の構造を強化して在るんだと思います。そうでないととっくの昔に崩れているはずです」

「あんな崖っぷちだと、地震が起きてもその儀式魔法で浮いてしまいそう」

「浮くと思いますよ……建物だけでなく、敷地にもいくつか魔法が仕込まれていますので」

 敷地にいくつかといっていたが、教会に近づくにつれ「やはり浮遊系、補強系、侵入探知系……あと迎撃系も……?」とネフェさんが口ずさみはじめた。

「げ、迎撃って……鳥でも落とす、のですか?」

「いえいえ、昔はあちこちでサイペリアからやって来るヒト、物、建物に対して暴動が起きていたらしいですので、その名残だと思いますよ」

 戦後は和平(という名の支配)の意味をこめて、この街のいたるところにサイペリアの建物が建築されていったという。この教会はその代表的建築物の一つで、戦後復興の象徴として作られたらしい。

 教会は敷地の外輪を石壁によって囲んでおり、入り口には重厚な鉄柵製の両開き門が開放されている状態で聳え立っている。

 門を抜け、大聖堂の扉を開けると、ここはポートアレアの教会よりも少し大きく天井も高い。天井からは巨大な“しゃんでりあ”と呼ばれる光源をいくつも持った巨大な水晶灯が吊り下げられており、中は非常に明るかった。正面の置くには司祭が立つ祭壇があり、その頭上には色硝子を繋ぎ合わせて大きな一枚絵を象っている。

 一枚絵には、金髪をなびかせた一人の少年が天を仰ぎ、天には赤、青、緑、黄色、白、紫の6つの光が輝いている。ポートアレアの教会にも同じようなガラスの一枚絵はあったが、あちらは金髪の少年がやさしく微笑んでいる姿絵的なものであり、もっとやさしい色合いをしていた。こちらは、赤なら赤、青なら青とはっきりと鮮やかな色合いとなっている。

 そういえば、教会の中に入ったのはルカの救出依頼を受けにいって以来はじめてだった。ポートアレアの教会にはない絢爛豪華という言葉が似合う装飾に見惚れてしまっていると、

「ようこそ、我らが清き姉妹よ。君がシスター・ルカですね。私は司教(ビショップ)のマルコス」

と、大聖堂の奥から男性の声が聞こえてきた。

 歩いてきたのはダインよりは背が低いが、恰幅が少しありつつ、ちょっぴりお腹が出ている純人族(ホミノス)だった。太っているわけではないが、何処となく脂ぎっているようにも見える。

 服装は黒に近い紺色で首元が詰襟、釦や帯がないのにぴっちりと留められた前、そして着流しのように上から下まで別れることなく膝下まである長い丈と、どこか硬い印象を持たせる。

 肩には短い外套のような羽織物をつけており、白地に金の刺繍が施された眩い物となっている。下の服装が紺のため、より一層豪華という言葉を引き立たせるように見える。

「お初にお目にかかります。ビショップ・マルコス様、本日はよろしくお願いします」

「こちらこそ。では礼拝をいたしましょう。お連れの皆様はどうぞ、そのあたりに掛けてください」

 自分の知っている世界だからだろうか、ルカはいつものしゃべり方とは違い、空気を噛むような雰囲気もなくスラスラと言葉が出てきている。少し別人のようにも見えた。

 ルカは案内されるまま祭壇へ、自分たちはそこら中にある木製の長椅子に腰掛けた。

 何気にルカの礼拝を見るのは初めてで、どんなことをしているのかは常々興味を持っていた。

 ルカが祭壇の前に立ち、硝子の一枚絵を背にするようにマルコスが祭壇越しにルカの前に立った。それにあわせて、右の壁側にあった扉から、一人のシスターらしき女性が金色に輝く縦長い杯と、こちら側からは見えづらいが平たい何かを、これまた金色に輝く長方形のお盆に載せて運んできた。

「では、シスター・ルカよ。剣を」

 そう言ってマルコスは運ばれてきた平たい物……金装飾が眩く、刃が剥き出し短剣を手に取り、ルカへと差し出した。

「――我が血肉は、神への供物」

 ルカは言葉を発しながら、差し出された短剣を手に取り、杯の上で左手のひらに刃を押し当てて、傷を入れていた。

 傷を入れた手からは血が滴り、杯の中へ注がれる。それを見ていた自分も手の平に同じ痛みが走ったような共感による錯覚で、肩がビクッと震えてしまった。

「皆様は姉妹の礼拝を見るのは初めてですか?」

 声を掛けてきたのは、先ほど杯と短剣を運んだシスターだった。

 ルカやシスター・マイカと同じくヴェールと呼ばれる被り物を被っているが、髪はヴェールに収まりきらないほど長く、腰を越え膝裏まで伸びているようだ。色も桃色と珍しく、瞳は赤とも紫ともとれる不思議な色をしていた。歳は……自分と同じぐらいか、少し幼いぐらいに見える。

「私達は主である聖人フェオネシア様と天界、魔界、火界、風界、地界、水界の六王に向けて、こうして血と聖水と祈りを捧げることで、この身が主と六王の使徒となる忠誠を捧げとしています」

 シスターが言うように、杯にはあらかじめ聖水と呼ばれる何らかの液体が入っていたようで視線を戻すよう促されると、杯は司祭が手に持ち、祭壇の後ろにある7体の神像の前にある金の鉢に血が薄まった液体が注がれていった。

 ルカは液体が配られている間は、剣を祭壇の上に置かれたお盆に戻すと、その場に膝をついて傷ついた左手と右手を胸元で組み、祈りを捧げている。血の滴る手を組んでいるので、当然血が両手両腕をべっとりと汚していっている。

「祈りが通じれば、傷はその場で塞がり、血も止まります。服も元の清潔な状態へ戻ります」

 祈りが通じたのか、ルカは自身の得意とする治癒の魔法と同じ淡い緑と乳白色の光に包まれ、手から流れていた血は止まり、己の血で汚していた両腕も綺麗に元通りになっていた。

「無事に終わりましたね。それでは失礼いたします。皆様の旅のご武運を」

 シスターは一礼すると祭壇のほうへ移動し、司祭に対して一礼。祭壇の上に置かれた盆を下げ、大聖堂から退出した。

 ルカも完全に終わったようで、司祭に一礼するとこちらに小走りで駆け寄ってきた。お疲れと声を掛けると、急にルカは俯いてしまった。

「は、はい……いつもと違って、皆さんが見てるから……少し、緊張、しました、です」

「そう? しゃべり方違ったから、むしろ落ち着いたのかと思った。ほら、教会だしさ」

「え? あ、そ、そんなに違いました、か?」

 本人はまったくといっていいほど気づいていないようで、「私……そんな、つもりは……」と思っていた以上に困惑している。

(あ、あれ……? 何かやっちゃった……?)

 そんな時に遠くから鐘の音が聞こえてきた。5分ほど鳴り響いた鐘の音が終わると、程なくして閉ざされている大聖堂の扉がガタガタと震えだした。

 入り口側の壁にある窓から外を見てみれば、昨日見た黒い風が商業区を駆け抜けていく。まだ朝の9時ぐらいで出勤や始業で賑わっていた街は、まるで廃墟群のごとく生気が感じられない死の街状態だ。

 5分の間に街中の全ての人々が屋内に退避しているのは、もう日常になってしまっているほど慣れている悲しい証拠だ。

「落ち着いてらっしゃるようですが、昨日にでも見ましたか?」

 何をとは言わなくても、窓の外を注視していれば分かるもので、マルコスからの問いに是と答えた。

「そうでしたか。……終わらない悪夢、としか言いようがありません。国やギルドは何をしているのかと……」

「それこそ、あんたらの敬愛するフェオネシア猊下の奇跡を持ってすれば止められるんじゃないのか?」

 落ち着きながらも小さく憤っているように見えるマルコスに対して、何やら敵意に近いような嫌味を孕んだ言葉をトールは投げかけた。

 そもそもルカが信徒となっている聖フェオネシア教とは、200年前に起きた聖魔大戦の傷跡となる世界から色とマナが消え去った『無色の刻』を救った救世主である聖人フェオネシアの起こした奇跡を語り継いでいき、その奇跡と同じく人々に愛と希望を与えていこうという理念の宗教団体である。サイペリア国を中心に展開しており、サイペリアと同盟を結んでいるティタニスとミューバーレンの首都にも進出しており、各地に自分たちの拠点となる教会を建てていっていることから、人々からは長い宗教名よりも『教会』と言われている。

「我々もそう考えております。ですので、黒い風については我々も幾度となく猊下にお願い申し立てているが、猊下はご多忙ゆえ中々此の地に足をお運びいただけていない状況」

「御子の再来と言っている割には現地入りしないと止められないってか?」

「確かに猊下は、かの聖人フェオネシアの再来といわれておりますが、あくまでも似た力が局所的に使えるのであって、そのものではありません。皆様がお知りの世界規模の奇跡は残念ながら起こせません。仮に起こせるのであれば、20年前の戦争や南部王国の砂漠化などは起きておりますまい。我々信徒は皆、それを理解したうえで猊下に対し敬愛を向けるのです」

 二人の会話に出てくるフェオネシア猊下は、聖フェオネシア教の最上位に座する教皇であり、教祖である聖人フェオネシアの再来と言われる大奇跡を使えると言われている。逆に奇跡が使えるために教皇へ祭り上げられ、フェオネシアを名乗らされた大魔術師でもある。

 あくまでも聖人フェオネシアに似たヒトというだ現在の教皇を聖人に見立てた生身の偶像崇拝状態であり、信仰していない者からすれば道化と表現する者もいるだろう。

 それでも教皇を聖人と見立てて成立するこの宗教は、多くの人々に根付き、心の指標や癒しとなって、支えていることもまた事実であり、ルカもそのうちの一人なのである。

「だが、その教義たる奇跡も愛も中央にのみ注がれているのは、また現実じゃないのか?」

「痛い所を突きますな。確かに我々はかの聖人の奇跡と愛を万民にと謳っておりますが、信徒の多くが聖都に住み、また次に多いのが首都であるため、その地域ごとの絶対数と濃度に違いはありましょうぞ。ここのように遠路の先は中々回ってきますまい」

 言っていることは分からなくもないけど、このままでいいというのだろうか? この街にはすでに有翼族以外の人たちも移り住んでいると聞いた。

 ならばこそ、教皇の愛する民のために動いてもいい気がするんだけど……。

「……では、この風が激化してから何年経ちます? もう5年ですよ。その間に貴方がたは……その教皇は何をしましたか?」

 低くうなるように呟いたのはネフェさんだ。その視線はマルコスを睨み殺さんばかりだ。

 でも、ネフェさんだってその感情を向ける先がこの人ではないことは分かっているからこそ、その怒りの中にはやり切れなさも含んでいる。

「お気持ちは察します。ですが、この風については我々教会だけの問題ではありません。この街全体の問題である以上は猊下だけでなく、国やハンターズギルドなど実行力のあるところが動かないでどうします。

 我々は、この悪夢を受け入れるか、止まるその日まで行動を続けないといけません」

「そんなの……!」

 そして小さく「……分かってます……」と呟いた。

 もう、打てる手は打ってきたからこそ、教皇の奇跡が最後の希望となりつつある現状が、さらなる嘆きを呼んでいる。

 自分たちが止めれるかなんて分からない。だって今まで何度も調査隊は送り込まれているわけだ。ハンターになりたての自分たちなんて、ヒヨッコもいい所だ。

 それでも……何もせず、指を咥えてみていることはできない。

 ネフェさんとマルコスから視線を外して、窓の外を見れば黒い風はすでに止んでおり、街のヒト達がちらほらと外へ出始めていた。

 ルカに目配せすると、同じように気づいたらしく、マルコスのほうへ近づいていった。

「マルコス様、風が止んだみたいですので、私たちはこれで失礼いたします。本日はありがとうございました」

「気をつけてお行きなさい。シスター・ルカ、そしてお仲間方に主の奇跡があらんことを」

 ルカの会釈にあわせて軽くお辞儀をし、聖堂を後にする。

 外は黒い風が起きただなんて嘘のように、何もないただの風がやわらかく吹くお昼前。

 生殺与奪を握られているような雰囲気も皆無な穏やかさ。

 深呼吸しても死ぬことはない。

 だからこそ、黒い風を見た直後のこの風景は、偽りの平穏なのだと痛感する。

 何気なく振り向けば、聖堂に隣接するシスターたちの生活棟の2階部分から、こちらを見ている人影を見つけた。礼拝中に話しかけてきたシスターだった。

 向こうはこちらに対して手を振ってきたので、こちらも小さく手を振りかえし、数回の後に踵を返して街へと歩き出した。

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