3-3 新たなる誓い

 エントランスの階段を上がり2階へ、さらに奥へ進み3階へ通された。3階には観音開きの扉が一つだけあり、アルディバは両方の取っ手を取ると、一気に開け放った。

 中に入ると、大理石のようなツルツルとした石床に厚みのある絨毯が幾重にも敷かれ、その上には大小長短様々なクッションが絨毯の縁に並べられている。

 何より目を引いたのが、扉から向かって正面にある大きな窓だ。その先には、ルノアの歓楽街を一望できる絶景を備えた大きなテラスがある。

「この部屋を使うのも久しぶりだねぇ」

 トールの母君であるアルディバはこの店のオーナーであると同時に、過去現在含めてこの店、いやこの街全体でもナンバー1のキャストであると。

 現在はあまり表立って仕事はしないが、どこぞのお偉いさんや金を積んででも相手をしてほしい人からの指名は未だに途絶えることは無いとのこと。

「手入れはしているけど、やっぱ使わないと少し埃っぽいねぇ。適当な場所に座ってちょうだい」

 そう言われても初めての部屋で、クッションが雑多におかれた部屋だと実際どこに座っていいのか分からないものだ。

 悩んでいる最中、トールが一人歩を進め、数あるクッションの中でも少し奥に置いてあった、トールの長身がすっぽり納まりそうな巨大なベージュ色のビーズクッションを手前に引きずってきた。

「俺、コレが好きなんだよなー」

 そのままトールは巨大なクッションの中に座り込むと、むぎゅーっと自重によって沈み行き、沈むに併せて横に逃げた内部のビーズが左右に移動し、彼の全身を包み込んでいく。

「出たよ、ヒトを駄目にするクッション。ほら、あんたたちも使いな」

 そういって、アルディバは部屋の各所に置いてあって、ヒトを駄目にするらしいクッションを引っ張り出してきてくれた。

「お言葉に甘えて……」

 せっかくなので目の前に差し出された巨大なブラウンのクッションに座り、少し背中を預けるとそのまま後ろに引きずられるように沈み始めた。沈めば中のビーズが左右に移動し、徐々に全身を優しく包み込んでいく。脚こそ少し飛び出してしまうが、身体の大部分を包み込まれるという形なだけあって、安心感と安定感で満たされていく。

「駄目にするって……アレは分かる気がするなー」

「これは……気持ちいい、ですね」

「ええ。こんなにも気持ちいいクッションは初めてです」

 女性陣もおおむね好評のクッション。駄目だ、これは俺も駄目にされる。旅人でなければ、一つ欲しいかもしれない。

「アハハハ。ウケてくれたようで嬉しいよ! さてさて、料理が来るまで何を話そうかしらねぇ。トールの子供の頃の話?」

「おいおい、そういう定番はいらねぇって!!」

(定番なのか……)

 自分の幼少期を語ってくれる肉親もおらず、養父はただ今の暮らしを享受しなさいというばかりだった。また、友人と呼べる外部との繋がりも無かったので、こういうやり取りが自分にはない経験である。

 ルヴィアも俺を気遣ってか、友人を邸宅に連れてくるということは無く、養父が外部との面談の時には、必ず自室にいるように厳命されていたために、やはり外界との接触はなかった。

 だからこそ、今、こうしてみんなと一緒にいる自分がこれでいいのか不安になる。

「アラアラ、照れちゃって、この子ったら」

 それとは別に、確かに昔の自分なんて、今の自分とはかけ離れたものだから、語られても恥ずかしいだけで本人には迷惑だろう。

「あの……もしよろしければ、女神について教えていただければと」

 助け舟に近いのかもしれないが、俺の中では妙に引っかかる単語だった。

 貴族とは過去の功績等から国から様々な特権を与えられるる社会的上位に位置する集団である。

 多くの現存貴族が勘違いしているだろうが、貴族はあくまでも国から与えられた特務を果たす上で必要な地位を得ているだけであり、その特務の影響する範囲外での特権行使は重罪であると貴族法によって定められている。有罪となれば罪を犯した本人ではなく、その特権を与えられた一族全員が処罰もしくは処刑の対象となる。

 また、これはサイペリア、ティタニス、ミューバーレンの三国同盟における共通法として、各国で等しく定められており、この三国内における特務時以外での外交特権使用なども処罰の対象となる。

 今回の自称貴族は本当の貴族だったら与えられた特務は駐在任務である。これはあくまでも対象の街に一定の期間滞在し、自治の在り方や運営を見聞し、次期当主になるための経験として、第一継承権を持つ者へ与えられるただの学習任務である。

 つまり、ただの学習任務でこの街に滞在しているだけの者には、あのような横暴な振る舞いや貴族だからという特権乱用は先の処罰対象となる。

 しかし、これがちゃんと貴族全体を管理、処罰などを行える機関に伝わり、処罰する機能が正常に作動していれば問題ないのだが、そういう機関ですら自らの特権を乱用し、貴族法も共通法もすでに形骸化してしまっている。

 そんな状況だからこそ、あの自称貴族は横暴を繰り返し、それを誰も咎めず、また止めれない事態になっていた。また、それを貴族階級の暴走状態である。事件のもみ消しなんて当たり前に行われるだろう。逆に反逆罪として、被害者が罰せられる事態もありうる。

 となれば、アルディバが言った『女神』なる存在は、そんな暴走状態における貴族に対し、どのような効果があるのだろうかと、気になってしまっていた。

「おや、気になるのかい?」

「ええ、なんとなく……。貴族への対抗策としてどういう効果が出るのかと」

 なんとなくとは言ったが、一応追い出されるまでは貴族の家で生活していた身として、気にならないはずもなく、どうして同じ貴族でもこんなにも差がでるのかと驚きと嘆きで溢れていた。

「アンタ、聞いていた以上に真面目だね」

「真面目かどうかは分かりませんが、貴族という存在が身近にあったもので……」

「なるほどねぇ……」

 やや神妙な面持ちでアルディバはこちらを見つめて……というより、観察しているようだ。

 トールから聞いていたと言ったあたり、彼がどんな形かは分からないにしろ、知っている限りの来歴を聞かせたのかもしれない。

 実際、トールが俺の素性を何処まで知っているのかも分からない。以前、こういった会話をした時には“貴族のボンボンに似たような者”という言い方をしていた。だから、アルディバもそのような人物だと思っているのだろう。

「ちなみに女神ってのは、アンタたちのところのアーシェアのことだよ」

「ルノア副支部長のアーシェア殿ですか?」

 出てきた名前はまさかの人物だった。

 確かに一般的には美人、美女といわれる分類の方だろうが、女神と称され、貴族に対して何か効果があるのか……魅了の魔眼でも使うのだろうか? 

「そうだよ。あれは……」

 20年の領土拡大戦争時。この街は戦争中はウィンダリア及びテオドールに対する最終防衛地であり、前線への最大の補給基地でもあった。ヒトも物資も、兵器も……何もかもがこの街に集まり、この街から出て行った。

 その名残は戦争が終わった後でも続き、多くの物資や残留兵、奴隷が溢れ、力あのあるものは武力と物を持ってルノアの街で様々な横暴を繰り返したという。強盗、強姦、人攫い、殺人、酒池肉林。とにかくルノアは荒れに荒れた。

 その時に、二つの勢力が戦後処理という名の大鎮圧作戦を行った。

 片やルノアの先住民たち。兵器の保管や兵士たちの宿舎のために自分たちの住む場所が奪われ、戦後も蹂躙された人たちが立ち上がった。

 片やルノアへ進出を考えていたハンターズギルド。戦前から国家武力に属しない独自の武装組織であるが、金さえ積めば一時的に国家武力にも変化する何でも屋であり、兵士たちからはハイエナとさえ言われ、当時は忌み嫌われていた。

 ハンターズギルドは支部設置の土地融資などを条件に武力加勢を約束。

 この時、街側の代表だったのがアルディバであり、ハンターズギルド側の渉外担当として動いていたのが副支部長で支部長婦人であるアーシェアだった。

 20年前は男尊女卑の思想が強く、女性がトップに立っている集団は社会的地位の低い集団だと思われていた。街側の代表にアルディバが選ばれたのも、相手が男だと踏まえて、姦計などで相手を篭絡させ話の主導権を握るためや、そもそも話しにならないので、格下の女を宛がうことで相手への挑発としているなど、本人の望まない極めて悪意のある人選だったらしい。

 ところが相手となるハンターズギルドの代表もまた女性を出してきて、最初こそアルディバの後ろにいた男性陣がこちらを侮辱する行為だと抗議したものの、それはお互い様と釘を刺され、その後はアルディバとアーシェアが主導となり、作戦を着々と進めていった。

 結果、双方の連携が美しく噛み合い、大鎮圧は1日と経たず終了し、暴徒たちはルノアの街から綺麗に排除された。誰もが大成功と謳ったそうだ。

 当初の約束どおり、ハンターズギルドの支部新設にあたる土地を与えることとなり、大鎮圧の成果を鑑みて、将官たちが使っていた中央広場の一番いい場所に、支部建物と研究施設として広い土地を無償で与えた。

 人々は先陣に立って鎮圧を行っていた二人の女性に対し、それぞれ昼の女神アーシェア、夜の女帝アルディバと讃えた。昼間に賑わうギルドと中央広場と夜に賑わう歓楽街。それはまるで太陽と月のように司る時間が違うと言って。

「まぁ、初めはこっぱずかしい話だったけど、もうそれが20年だろ? 慣れてしまうもんだよ」

「なるほど……そんな経緯があったのですか」

「まぁね。それで女神の名がどういう効力を現すかというとね……」

 現在のハンターズギルドは国家武力に属しない独自の武装組織であるが故に、金さえ積めばどの組織にでも付くってことだろ? 逆に、金の関係なく、自分たちが付きたい組織があれば勝手にするし、むしろ自分たちだけで動くことさえ出来てしまう。

 つまり、独自の思想や理念に基づいて、武力による対抗が出来る組織であり、国や自治体などに簡単に牙を向けれる集団でもある。

「それだけ聞くと、ハンターズギルドが反社会勢力とも取れる極めて危険な集団に聞こえるんですけど……」

 ネフェルトの懸念する所も分かる。いくつかの支部で見てきた先輩ハンターたちはいずれも屈強な肉体の持ち主か、何かしらのスペシャリスト……と言えば綺麗だが、狂戦士を匂わせるような先輩方も多く、一歩間違えれば犯罪集団とも言えそうな人相の者たちが少なくない。そして、俺たちもその集団の一員だという事実。

「でも、ギルドは支部を置く各国、各自治体に国内法の遵守を誓約し、法を犯した所属ハンターに対しては国側の求める処罰以上の罰を与え、これらを20年も守り抜いた実績がある。

 また一部のまともな貴族や王族たちによって、外部の目として大いに機能しているようでね。アタシらのような一般人からの声よりも、信頼の置けるギルドからの声なら腐った貴族も耳を傾けるというものらしいのよ」

「力で勝ち得た信頼ですか」

「それはそれでとても重要よ? どんな形であれ世界は弱肉強食。この場合の力は物理的な力も、権力も、財力もぜーんぶひっくるめてなのさ。

 ようは、その得た力の使い方を間違わなければいいのさ。見ただろ? 間違った使い方」

 ああ、見た。まじまじと。胸糞が悪くなるという表現を身に感じるほど。

「力を得ても、ああならなければ、ヒトってのは自然とついてくるもんさ。

 ……まぁ、アタシの場合は誰も矢面に立ちたくなかったから、持ち上げられて前に立たされただけなんだけどね」

 その後はトールという乳飲み子を抱えながら、大鎮圧で起きた闘争の傷跡の修復や、その後の治安維持に管理と本来なら自治体の行政機関ないし、その長の仕事を一手に引き受けていた。 これは行政側が何もしていないというわけではなく、歓楽街が夜に主に動く街であり、昼間にしか動かない行政では何か問題が起きてもすぐに対応できないために、歓楽街側で街長の次に発言権を持つ人間を置くことを決めたことによる。

 発言権といっても、実際は自分たちの感じたこと、見聞きした意見を取りまとめて、街長に報告し、次の行動への決裁を取るに当たっての判断材料とするための言葉全てのことだ。彼女の言葉は即ち歓楽街の総意となるために、彼女は自然と夜の街の頂点へと追いやられる。

 また、街長からの言葉、決裁、その後の運用については彼女の言を通して伝えられるために、あたかも彼女の決定事項のようにも見えてしまう。

 こうして偽りとも真実とも少し違う夜の女帝が完成しているのである。

「うんまぁ、そんな感じさ。アーシェアにはちょいと目を光らせてもらいつつ、うちの警備連中にも強化を頼む感じさ。これでよかったかい?」

「はい、納得することができました。ありがとうございます」

 失礼ながらも座りながらアルディバへ一礼した。

 すると、アルディバは何故かクツクツと笑い出しながら、トールへ目線をやっていた。

「ほんと礼儀正しい子だねぇ。アンタもこの辺見習ってくれればいいのに」

「誰かさんを見て育ってますからねぇ?」

(……普通の親子とはこういうやり取りをするものなのか)

 それともこの二人だけがこんなにも友達感覚なだけだろうか。

 俺にとって母という存在は幼少の頃からやや疎遠だった。

 もともと公務が忙しく、お会いできる時間も限られていた。当然接する時間も減る。

 教育も注がれる愛情も皆当然のように兄へと行った。

 所詮自分は兄の代替品か予備でしかなく、兄が健やかに問題なく育てば自分はいらない存在へとなっていく。

 顕著になったのは8歳のとき。兄の代替品として本格的に教育が始まると、父も母もそして兄とも接する時間がなくなり、同じ建物内に居てもすれ違うだけ。

 この頃から庭にも出してもらえなくなり、次第に自分の部屋のある階、そして自分の部屋から出ることも許されなくなった。

 自分と顔を合わせるのは家庭教師と父の右腕と呼ばれた男。

『貴方は代わりです』

 兄の代わり。代替品。予備。何度聞いただろうか。数えるのを止めたのは割と早かった。

 そして10歳になると、とうとう実家を追い出され、養子先のアンバース邸に引き取られた。つまり、兄は問題なく成長すると見込まれたのだろう。

 その後はアンバース邸で過ごす事になったわけだが、養父グラフも早くに奥方を亡くしていたので、やはり母親に近しい存在は近くに居なかった。

 しかし、今度は手紙という形で記憶にあまりない母親という存在から、何度か言葉をもらった。といっても、所詮は紙の上だけの存在であり、それを母として認識することはできず、あくまでも手紙をくれる女性に近いものだった。

 だから身近な存在としてまだ感じれる位置にいるトールは羨ましいと思うと同時に、母親という存在が心にどう座っているものなのか分かれない。

 それが不幸なことなのかすらも分からない。

 だが、不幸だと思うのはあくまでも一般論の上にある客観的な部分であり、俺としては分からないためある意味幸せなことなのかもしれない。

 そんなトール親子のやり取りを見ていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 アルディバが許可すると、開いた扉からオースンと男女2人ずつのキャストが両手いっぱいに料理を運び込んできた。

「おお! お膳なんだ。なんか、豪華ー!」

 カキョウが一層目を輝かせたのは、それぞれの前に置かれたすでに一人分の料理が並べられた正方形の四脚ミニテーブル。コウエン国ではお膳と呼ばれ、これらを大広間に整列させて、一同に会しながら食事をする“席”という習慣があることは書物で知っていた。

(本当に一人分……?)

 並べられた料理はお膳の上にギッチギチに並べられ、一口ずつのような料理から、皿からはみ出そうな料理まであり、総量では一人分にしては少し多いのでは? と思うほど。

「そうだぜ。こういう床での接待の時は、お膳や床置き用の脚付き食器を使うんだ。……因みにアンタ、本物なんだよな? どうだい? 少し古い文献を参考にしてるんだが、少しは様になってるかい?」

「なってるなってる。“はし”じゃなくて“ふぉーく”ってあたりが外らしい」

 ふぉーくと言っているのは、この膳というミニテーブルに乗っている食器のフォークのことだろう。このように時々いろんな物の発音が少し違っているので、一瞬認識が遅れるが地域差ということで面白いと思っている。

 はしは箸で、細長い棒を2本片手に挟むように持って扱う食器だ。何度か使ったことがあるが、アレは突発的に使えと言われても少し難しいと感じた。

「さぁさ! オースンが腕によりをかけてくれた食事だ。冷める前にたーんと食べとくれ!」

 せっかくなのでと、アルディバの言葉を皮切りにみんなで『いただきます』と、食事を開始した。



 とても美味しい料理に舌鼓しながら、俺たちの旅路の話もし、時間はあっという間に過ぎていった。時刻は夕方4時。

「それじゃ、俺たちは支部に戻るぜ」

 開店の1時間前。戦闘で荒れていたエントランスもすっかり片付き、お客様を出迎える準備は完了している。

 そんな美しさを取り戻したエントランスを横目に、自分たちは厨房を抜けて裏口に回ってきた。

「あいよ。泊まっていきなって言いたいところだけど、あんたたちを見られちまうからねぇ」

 歓楽街として珍しい種族はその店特有の商品として見られかねないし、何を勘違いしているのか奴隷か何かと思われる可能性もある。それは昼間に痛感しており、あの自称貴族だけにとどまる筈はないだろう。そのために来た時と違って、帰るときは人目につかない裏通りに面している裏口から出ようということになった。

「気持ちは受け取っておくさ。それじゃな」

「また遊びにくるんだよ」

 軽い会釈と女性陣は手を振り合い、これから目覚め始める歓楽街を後にした。

 歓楽街さえ抜けてしまえば、そこは多くの人種が入り乱れようとも気に留めない本来のルノアの夕方。

 大通りに出てから中央広場に出れば、そこはディナータイムが始まろうとしている支部のカフェがあった。

 カフェには自分たちと交代で入った、新人ハンターの男が二人、皿を下げつつテーブルを拭いて、新しい客を迎え入れる。不慣れながらも1日もすれば次第に慣れつつあるものだと、経験者は心で語っておこう。

 そんなカフェの横を通り過ぎる時、俺たちに気づいた店主のアーシェアがこちらに駆け寄ってきた。

「お帰りなさい。マーくんがあなた達が戻ったら、すぐに部屋に来るようにって」

 いつもの絶えない笑顔でありつつも、雰囲気はどこか堅い。恐らく昼間のことを報告しろということだろう。アルディバもアーシェアを通じて、色々と根回しをするとは言っていたので、俺たちが向こうに滞在している間に、誰かが報告をしに来ていたのだろう。当然、当事者である俺たちの報告も必要となる。

「分かりました。すぐ行きます。……ご迷惑をおかけします」

 その言葉に苦笑するアーシェアを後にし、支部の建物2階にある支部長室の前へやってきた。

 ダークオークのやや大きな両開きの扉に2回ノックすると中から「入れ」の声が聞こえ、扉をゆっくりと開けた。

 正面には支部長のマーカスが重厚な支部長席に座り、俺たちを確認すると席を立ち、入り口右手にあるソファーへ着席するように促してきた。

 部屋の主たるマーカスが1人掛け用ソファーに腰掛け、その左右に縦置きされた3人掛け用ロングソファーに男性陣と女性陣に分かれて座った。

「さて、今日の事を報告してくれるか?」

 主語は無いが、無表情でマーカスから溢れ出る凄みから、トールの実家での出来事についてだろう。皆もそれは重々承知しており、誰から切り出そうと逡巡した。

「アレはアイツラが……!」

 あの時の怒りを思い出したのか、怒りの勢いでしゃべりだしそうなカキョウを制し、俺が報告することにした。

「順を追って報告させていただきます。

 本日の正午、俺たちはトールの実家であるクラブ・アルカディアへ行き、俺たちに遅れること数分、ゴルグ男爵家嫡男ボルガン氏が到着。

 ボルガン氏は同店オーナーのアルディバ氏に対し、各種強要を行いました。その中には関係の無いカキョウやネフェさんの引き渡し要求まで含まれており、これをアルディバ氏が拒否。

 拒否が不服だったようで、ボルガン氏が同行させていた射手に攻撃を命じ、アルディバ氏が射手から放たれた矢により負傷。

 引き渡し要求内容と同店オーナー及びトールの母君であるアルディバ氏への攻撃から、自分たちも当事者であり、以後の行動が正当防衛と判断して、交戦を開始。ボルガン氏及びその配下を力づくではありましたが、お帰りいただきました。以上です」

 実際は矢で負傷した後アルディバが魔法で攻撃しているが、それは店として、アルディバ個人での行動であり、俺たちの行動とは別物だと思ったので、ここはあえて伏せておいた。

 また、お帰りの際にはそれなりに手酷く扱ったが昼間の歓楽街は閑散としているとは言え、ヒトがまったくいなかったわけではないので、アルディバの使者とは別に何らかの報告は入っているはずだ。

「状況は分かった。だが、お前たちはどんなに下位であれ貴族の嫡男に傷を負わせたということは理解しているよな?」

 一言述べるたびに重くなる空気。それはもうマーカスに対するただの恐怖へとすり替わりそうなものだ。

「理解しております。しかし、貴族という理由で無関係な人間の差出強要や、不当な一方的攻撃、その他強姦や脅迫など様々なものを許容され、平民の生存権を脅かすのは間違っていると思います」

「言いたいことはわかるぞ。だが相手を負傷させたことについては問題であり、他の外で目撃していたハンターによれば、ボルガン氏は相当な手傷を負っていたと聞く。つまり、やり過ぎであり、正当防衛を盾にしたただの暴行だ。それによってお前たちの行動は相手となんら変わりなくなった。威嚇行動によって退ける、眠らせたり縛り上げて屋敷に戻すなど相手を負傷させない手段もあったであろう」

 縛ると簡単に言ってくれるが、あのような相手では縛るだけでも紐が食い込みなど、様々な難癖をつけてきかねないなどと色々頭をめぐったが、どれも言い訳でしかなく、頭に血が上っていたことも相まって過度な攻撃に出たことは暴力であるため、アイツらとは同類……それ以下なのかもしれない。

「……はい。申し訳ありません」

 一応、深々と頭を下げつつも心の奥底では納得できていない。マーカスの言っていることは正論であり、貴族が支配するこの国においてはそれが道理であることは理解出来るが、ホーンドだから、フェザニスだから、女だからと言う理由で辱められたりし、どんなに悪事を重ねる貴族であっても、貴族に歯向かう者は国に歯向かうのと同義であるというこの国の在り方に納得を得ることは永遠にできないだろう。

「……だが、災難だったな。もう気にするな。実際、悪事そのものを働いているのは向こうだ。根回しはきっちりやっておくさ」

 気温が変るかのように肌に刺すマーカスの威圧感は消え去り、この件については一応の終結を迎えた。相手の行いを悪事であることは間違っていないものの、自分たちのやり過ぎな行動はギルド、歓楽街に対して痛手となったのも事実だ。

「ご迷惑をおかけします」

「いやいい。お前たちには苦くも良い経験となったはずだ。今回の件は反省しつつ、学びとして捉えろ」

「学びとして……」

「そうだ。君たち自身の身を守るためのだ」

 こと相手が得体も知れなく強大であるなら時には我慢も必要であると。

 やり過ぎこそ相手につけいる隙を与えることになる。

 何事も見極めと忍耐と程々を大事にしろ、と。

「はい、ありがとうございます」

 この納得と理解の狭間にあるモヤッとした感情がいずれは自分の経験となり、いづれ生きてくるんだろう。

 勝手に一人で話を進めていたが、それでよかったのだろうか?

 真の当事者であるアルディバの息子(トール)ならもう少し立場の違った言葉も出ただろうに、彼からは一言も言葉が出てこなかった。

 初めに制したカキョウやネフェルトも名指しされた当事者であり、女性であるルカもついでながらも名指しの対象にはなっていただろう。

 そんな中で俺が一番当事者には遠いはずなのに、俺が勝手に代弁してしまいよかったのだろうか?

「さて、話を変えるか。1日早いが、お前たちに新しい任務の内容を伝える。少し待ってろ」

 そう言ってマーカスが立ち上がり、執務机に移動した。

「……ありがとよ。俺がしゃべると、爆発しちまいそうだった」

 マーカスが遠ざかったタイミングを見計らって、トールから耳打ちされた。なるほど。当事者に近ければ近いほど、あの場では感情が先んじてしまい、まともな報告も受け答えも出来なくなってしまいかねなかった。勢いでしゃべりだそうとしたカキョウもそうだ。ネフェルトもルカも一瞥してみると、みんなホッとした顔をしている。

 だからこそ遠い人物にしゃべってもらったほうが正確で、なおかつ後から自分たちが冷静になれるというものだ。

「礼を言われるほどでもない」

 俺が代弁することでここにいる皆が冷静になれるのであるなら、俺はいつでも代わりとなろう。

 マーカスが戻ってくると俺たちの間にあるテーブルに三つの封筒が差し出された。一つは厚みからみても手紙が数枚入っているかどうかの封書。

 残り二つは何か資料のような厚みのある大きめの封筒。

「これをフェザーブルク支部へ届けて欲しい」

 あて先はどれも、フェザーブルク支部 支部長ルビーリア・スワロワ。そして差出人はルノア支部長マーカス。

「確かにお預かりしました。必ずお届けします」

 テーブルに置かれた書類を一つひとつ丁寧に取り、前後左右を軽く見てから、大きい書類が一番下になるように3つの書類を重ねてまとめた。

「それから預かっていたこれを返そう」

 そういって手渡されたのはハンター証だった。

 ここに来た際に回収されてしまっていたが、トールが「ランク上がったんじゃないのか」と言っていたことを思い出した。

 手渡されたハンター証は一番最初にもらったときと同じく、ツルツルの新品となっていた。

「……D?」

 デー、と読む古代語の1文字。ハンターランクは全部で9段階あり、下はFからはじまり、E(イー)、D(デー)、C(シー)、B(ビー)、A(エー)、S(エス)、SS(ダブル)、SSS(トリプル)とあがっていく。

 Sから上は全ギルド支部内でも30人程度しかおらず、SSSは別名レジェンド(古代語で伝説の)と呼ばれ、世界中で5人しかいないといわれている。また、S以上は支部長などに就任させられるなど、ギルド全体の運営を左右する権限が与えられる。

 自分たちはその一番下のランクFがあてがわれていたが、順当に上がればEのはず。

「へぇ、飛んだかー」

 そう言うトールのハンター証にはBの文字が印字されている。会ったときに特にランクについては聞いていなかったので、彼のランクの高さに内心驚いている。

「質良し、態度良し、戦闘記録に推薦内容、全てを考慮した結果であり、全支部が快諾したぞ! 喜べ!」

「全支部快諾ねぇ……何を期待されているのやら」

「それは、お前が一番分かっているんじゃないか?」

「ぶっちゃけ、ただの囲いでしょーが」

「否定はしないぞ! うちは若手募集中だからな!」

 隠さず、こうきっぱりと言ってくれる姿は俺も好感を持てる。逆に囲ってもらえているというのは、浮浪者となってしまった自分としては正直ありがたい。俺が俺でいるという、個の証明となっている。

「それと、お前たちはチーム詳細の提出がまだだが、どうするんだ?」

「チーム詳細……?」

「長期任務で集団を組む時はチームとして登録し、チーム内からリーダーを一人選んでもらう。また、チーム名も決めてもらっている。そのほうがこっちとしても把握しやすいからな」

 求められているのはチームの名前、チームの構成メンバー、人数、リーダーの選出など。これらの情報を全支部で共有させることになっている。

 トールが「あー……忘れてた」とぼやいているが、本来はポートアレアで登録しておかなければいけなかったことらしいが、トールが以前は一人かペアでの任務が多かったために忘れていたらしい。

「あー支部長、それについてなんですが、今回のリーダーはこいつです」

 と、トールは何故か俺を指差している。

 ……ん? いつの間に決まった? 

 しかし、女性陣の顔を見てみたが3人とも頭に“?”が着きそうな驚きの顔をしていることから、これはトールが勝手に決めたことなのだと理解した。

「ほう、理由は?」

「ま、若い者にも経験をってことです」

「面倒くさいだけだろうが」

「バレた?」

「まぁいい。資質は大いにあるからな。登録しておく」

 こちらが拒否や意見をする前に勝手に話が進んでいく。

 俺としては先輩であり、年上であるトールがリーダーをするべきだと思っている。

 しかも資質があるといわれたが、何を指して資質と言っているかもわからない。

 女性陣の意見無しに俺がリーダーになってしまったよかったのだろうか?

 と思い女性陣を見渡してみると、親指を天に向けて握りこぶしをしている笑顔のカキョウに、音がならないように小さく拍手しているルカ、ニコニコと満面の笑みのネフェルトと、俺がチームリーダーなのは動きようもない事実となってしまっている。

「……わかった、分かりました。ただ、知っての通り、元箱入りで経験が浅い。サポートはしっかり頼む」

 初めのわかったは仲間の皆に、次の分かりましたはマーカスに。押し付けてきたのなら、押し付けた分の責任としてのお願いはしていいだろうと思って言ってみる。

「当たり前じゃない」

「出来ることなら頼ってください」

「わ、私なんかでよければ……」

「後輩の面倒を見るのは当然だろ」

 と、清々しいほどにあっさり返ってくる。

 でも、生返事ではない。みんな熱のこもった言葉たちだ。

「ありがとう」とは言わない。皆の眼を見て、一礼した。それだけでいいはずだ。

「して、チーム名はどうするんだ?」

 マーカスも空気を読んでくれ、一拍置いた後に新たな議題を提供してくれた。

「チーム名?」

「チーム名はギルド側が俺たちを集団として認識するための集団名だ。一応リーダーが決めることになってるけど、もちろんチーム内協議の上でもいいぜ」

 さて、急にいろんなことを言われても困るもので、ひとまずチーム名か……。

 眼を瞑り、一呼吸。

 思いや記憶を巡らせる間もなく、ふと降りてきた単語が胸の中に染み渡る。

「なら……“Eternal Oath”とか……」

 昔誰かに使ったような、懐かしさがあった。

 しかし、今まで遣ったことのない言葉で、意味も知らない。

 自然と口から出てきた言葉。

「ほう……古代語で永遠の誓いか。なかなか大きく出たな」

 そうか、この言葉は古代語の一種なのか。確かに知らない。

 なぜ自分の口から出てきたのかも分からないが、そんなのがどうでもいいと思えるぐらい、その言葉は自分にとって自然なものだった。

「んまぁ、悪くないとは思うが、少し長くないか? 頭文字のEとOでチームEO(イーオー)でいいじゃないか? 女性陣からの意見とかある?」

 リーダーを押し付けておいて、ちゃっかり仕切ってると思いつつも実際は助かる。

「アタシはむしろ賛成かなー。なんかしっくりきちゃった」

「古代語を選んでいるあたり、私は好きですよ」

「か、かっこいいと思います」

 満場一致ということで、ほっとした。

「では支部長、チームEOで登録をお願いします」

「分かった。全支部への通達はこちらで行っておこう」

 ここにEternal Oath改め、チームEOが本格的に動き出すこととなった。

 俺たち自身の初任務はルカの救出と華々しかったのに対し、正式なチーム結成での初仕事が書類の運搬のみというのが、どこか初々しいもののように感じる。

「うんじゃ、そういうことで今後のまとめ役はダインが行う。あ、俺、財布担当は継続か?」

「そうして貰えると助かるんだが……」

「別にいいけど、買ってくれるねー」

「そのへんの感覚は経験者に任せておきたいんだ」

「分かった。でも、お前がリーダーだから、今後はお前さんに判断を仰いで決済するという形にしていこうと思ってる」

 俺が財布を担当すると、事前準備の買い物自体思い浮かばない可能性が高い。だからこそ、意見としてどんどん言ってきて欲しいし、そこから吸収できればいいなと思っている。

「それでいい。よろしく頼む」

 ひとまずチーム内での運営ということになるだろうか? 俺が決裁者でトールが財務担当という形に収まった。

「ふむ、決まったところで、出立はいつにする?」

 話し合いも終わったところで、見計らったマーカスからの質問だが、これは正直いつでもいいと思っている。

 今回の依頼内容は俺たちの予定していた行程そのまんまであり、目的地に到着してから行き先が少し増える程度だ。昨日の内に登山用の準備もできているので、いつでも問題はない。

「明日の朝に発とうと思っています。可能な限り早いほうが良いと思うので」

 依頼内容自体は運搬だ。期日指定は無いものの、早いに越したことは無い。

「すまないな。よろしく頼んだぞ。チームEO」

 マーカスに右手を差し出され、それに握手で答えた。

「承りました。それでは、失礼いたします」

 その後立ち上がり、皆でマーカスに一礼した後に支部長室から退出した。

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