3-2 ルノアで最も華やかな家

 翌朝8時、こんなにもゆったりと起きてきたのは、旅に出てから初めてのことだ。旅とアルバイトの疲れもすっかり抜け、清々しい朝を身に感じている。

 前日にトールから受けていた提案では、好きな時間に起きて各々朝食をとり、9時にはギルドの玄関に集合というものだ。

 というわけで身なりを整え、朝食をとるべく1階のカフェエリアに入った。今日は街の外に出ることはないと言われていたので、コートとブレストプレートなどの戦闘装備は借りている部屋に置いてきてある。

 カフェエリアには、すでに何組か客がテーブルを囲んでいるが、その中にコーヒーを飲んでいるネフェさんを発見した。

「おはようございます」

「あら、ダインさん、おはようございます」

 お座りくださいと手を差し伸べられ、ネフェさんに向かい合うように座った。

「その服は?」

ネフェさんを見かけてから気づいていたが、金属繊維の入った明るい紫色のラウンドネックTシャツに肩には今まで身にまとっていた黒い布を新たに整形し、胸元のブローチで固定させたショート丈のマントを付け、ボトムにカーキ色のスキニーチノパンという、これまでとは装いの違う服装だった。

「ルノアに着いた日に30分ほど別行動をしましたよね? あの時にトールさんが見繕ってくれた物なんです」

 着いた初日はまずルカの巡礼のために教会に移動し、俺とカキョウはギルドへ、トールとネフェさんは用事があると言って街の中へ移動していたのは覚えている。

 これまでのは黒を基調にした服と呼べるかも怪しいものであり、モール以降は服屋のありそうな場所はなかった。俺としては、ようやくまともな服を新調して上げれたというホッとした。

「なるほど。アグレッシブな感じで中々似合ってますよ」

「ありがとうございます。トールさんに感謝しないといけませんね」

「何々ー? 俺が何ですか?」

 と、トールがやってきて、同じテーブルの空いてる席に座った。見た目こそいつもどおりの服装なのだが、腹部を見れば白いシャツの中にいつも着ている強化ゴム製のベストは無く、また金属の肩当も無い。

「おはようございます。ダインさんがこの服装がアグレッシブな感じで似合っているって。トールさんの見立てどおりでしたね」

「だろー? しかもこの朴念仁からそういう感想を引き出せたんですから、もう少しほめてください」

 なるほど、先日服を選んだ際に俺が反応するかどうかを基準にしたと言うわけか。

 だが、少し待って欲しい。俺はそこまで無関心、無反応というわけではないと思っていたのだが、ネフェさんにもそういうことを言われると少し考えてしまうものがある。それにトールのは少々聞き捨てなら無い。

「おいトール、朴念仁って正しい意味で使っているなら抗議させてもらうが?」

「なんだ、そんな顔できるじゃないか。なら訂正させてもらうよ」

「どういう顔なんだ」

 そしてこんな顔と出されたのは、いわゆる不敵な笑み。笑って怒っていると言う奴だ。

 表情なんて鏡を見て作ったことがない。その時その時の気持ちが表れているだけであって、確かに自分でもこんな顔ができていたのかと、内心驚いてしまった。

 そんなんだから、朴念仁と言われるのも仕方がないのだろうか?

「おっはよー」

「おはよう、ござい、ます」

 続いてカキョウとルカもやってきて、空いてる席に座った。カキョウは俺とネフェさんの間に、ルカはトールとネフェさんの間に。

 ルカはいつもどおり聖フェオネシア教の修道服姿だが、カキョウはウェイトレスのアルバイトで借りているスタンドカラーのブラウスとワインレッドのキュロットスカート、グレーのストッキングに黒のローファーという組み合わせだ。そして頭の角はあえて隠していない。この街にいるときはウェイトレスの時と同様に“ホーンドのコスプレ”をしている体で過ごすようにとレフ殿に言われ、キュロットスカートとストッキングは購入し、ブラウスとローファーは借りている。

「皆はもう食べた?」

「いえ、私はコーヒーだけ飲んでいましたし、後は皆さんまだですよね?」

 自分はまだだと答え、トールも同じと返事をした。早朝とは違い、ゆったりと起きてきたためか寝起きに関わらず、お腹は十分空いている。皆も同じようだったので、とりあえずモーニングセットを5つ、今日から入れ替わりで新しくウェイターのアルバイトに入った若手の男ハンターに注文した。

 目元に古い切り傷を持ち、強面のトールと同じぐらいの年齢の青年だが、顔に似合わないウェイターの制服にたどたどしい仕草が微笑ましく思えた。初日の俺たちはこんな風だったのだろうか。

「さて、今日の予定発表について。午前中はいずれ登らなければならない山岳地帯登山用の装備を整えようと思う」

 語りだしたのは昨日今日の予定についての提案をしてきたトールだった。

 次の依頼の話が来ている中で、いつ登るか分からないからこそ、今日確実に買い物ができるという日に準備しておくのは賛成だった。

「装備と言っても何か特別に必要なのか?」

「山を舐めたら地獄への片道切符。俺やお前はまだいいが、カキョウちゃんは足先剥き出しのサンダルみたいな奴だろ? ここから先は岩場が剥き出しな所が増えるから、脚を守るタイプの靴に変えたいと思う。

 後、長めのロープに携帯しやすい保存食、雨除け用を兼ねた上着、それらを入れるバッグ」

「予算は大丈夫なのか?」

「ばっちり。俺とルカちゃんでいくつか仕事したし、ネフェさんは研究協力費でてるし、お前とカキョウちゃんもアルバイトしたんだろ」

 トールとルカの仕事は、主に支部の集金業務や街の中での伝令といったパシ……業務補助を行っていた。

「ああ。そうだ、アルバイト代は後で渡す。トールに一括管理を任せたいんだが、いいか?」

「ん、分かった」

 現状はトールがこのチームをまとめている状態なので、そのままお財布も任せている。

 この中でハンター歴が一番ある彼に任せたほうが無難であり、一番正しく使ってくれるだろうと思っている。

「よーし、んでその後なんだが、買い物した物は部屋に置いて、俺の実家にみんなを招待しようと思ってる」

「実家って……、え、この街だったの!?」

 さらりと言われた言葉の中に一つ重要な言葉が紛れていたんだが、カキョウに言われるまで気づかなかった。

「あれ? 言ってなかった? ここ、俺の故郷」

 俺のティタニスやカキョウのコウエンがあるように、彼にだって何処かに生まれ故郷があってもなんら不思議ではない。だが、どこか飄々した雰囲気から、個人的な情報を表に出さないのかと思っていた。

 後で聞いてみれば「聞けば答えるし、隠すつもりもなかったけど、定住しているわけでもないからなー」と、自立を目指す大人として、実家はあくまで時々帰る場所であるために、おおっぴらに公言していないらしい。

「うんでさ、お袋がみんなに会いたいって言ってきて、是が非でも呼んで来いとね。大事な休日なんだけど、付き合ってくれると助かる」

 俺個人としては休日の過ごし方がまったく思いついてなかったので、逆に助かると言うか……流れに身を任せれば楽と言ってしまえば、それまでだろうが。

「俺は何も用事ないから、問題ない」

「アタシもダインに同じー」

「わ、私も、です」

「では皆でお邪魔しちゃいましょう」

「よし、皆ありがとね。なーに、ルノアで最高の歓迎を見せてやるさ」

 話し終えるとタイミングを見計らっていたように、テーブルに並べられた本日のモーニングセットは、くるみパン、仔ペリブタの挽肉入りオムレツ、サラダ、ジャガイモのポタージュスープ、デザートにウィンダリア産リンゴのゼリーという華やかなものだった。



 朝食を食べ終えると、早速街へ繰り出した。行き先は街の北口に通じる商店街。

 北通りと呼ばれるこの商店街は、昔はウィンダリアとテオドールとの交易で栄えており、数多くの登山目的の旅人たちで賑わっていたとのこと。

 しかし、20年前の戦争でテオドールとの交易は断たれ、ウィンダリアも交易は続くものの、人権擁護法のために街の外へ出るウィンダリア民が大きく減り、自然と交易も減ってきていた。 また、ここ数年の間に山岳地帯でもモンスター増加やそれに伴う事故の増加、ウィンダリア旧首都フェザーブルクで発生している自然災害の影響で更に利用者が減り、今では週に数組が北口を出てウィンダリア方面に行くぐらいである。

 そう教えてくれたのは、50年以上も登山用品を取り扱う店の店主だった。そんな状況において、普段利用してくれる客はもはや常連だけとなり、俺たちみたいな完全新規の客は数年ぶりだという。

「自然災害?」

「ワシも人伝の話でしか聞いたことがないんじゃが、何でも真っ黒い色のモノが山から風に乗って流れてきて、人々を襲うって話じゃの。情報統制かは分からんが、とんと話を聞かんでの。そちらのお方のほうが詳しいと思うが?」

 そういって老店主は商品を見ていたネフェさんを示した。

 示されたネフェさんは明らかに表情を暗くし、気分どころか体調が悪いのではないか? と思うほど顔が青ざめていっている。

「……確かに知っています。しかし、おじいさんの話は間違ってはいません。霊峰から黒いモノが風に乗って街に流れ込み、人々を襲います。生き物ではないので自然災害と言っています。被害範囲は街の中限定なので、街の外は一応安全です。その……」

 恐らく、自分の護衛は街の外までと言おうとしているのだろう。

 そう、ネフェさんは俺たちに保護されて、ルカの巡礼の旅に便乗する形で故郷までの護衛を俺たちがするというものだった。

 この登山の果てにはネフェさんとの別れが待っているのを忘れるぐらい、皆で味わったエルフの女戦士との戦闘や木の心臓に関することが強烈だった。

「フェザーブルクの教会は街の中にあるのでは? なら、ネフェさんをご自宅まで送るのも、大差はないので大丈夫です」

 ネフェさんの反応からすれば、実際に教会はフェザーブルクの中にありそうな感じであり、以前聞いた話による街の外も中も、何処にも安全な場所は無いと言っていた。

 なら、家まで送り届けるのが礼儀でもあり、仲間のためでもある。

「そう……ですか。すみません、ありがとうございます……」

 少しうなだれるように、でもどこか嬉しそうな声でネフェさんはこちらに向かって軽くお辞儀をした。

 しかし、黒いモノとは何かなど、その自然災害に関してはネフェさんの顔色から聞かないほうがいいと判断し、そのまま必要な品物の購入へと流れてしまった。

 俺とカキョウ、ルカは雨除け用を兼ねた上着に動きやすさを考慮し、ポンチョと呼ばれる上から1枚布を被ったような外套を選んだ。

 ネフェさんは元々体に巻きつけていた黒い布をフェザニス用のマントに改造してもらうべく、すでに被服店に依頼してあり、この帰りに取りに行くという。

 トールは実家においてきてあるコート類から選んで持っていくという。

 また、カキョウの足元は現在履いているサンダルのような履物の色に近い赤系のショートブーツを選択。

 残りのロープ、保存食、登山用具を入れる大き目のバッグを人数分購入し、店を後にした。



「さーついたぜ、ここが俺の実家」

 購入物を借りている部屋に置いて、トールに案内された先は、歓楽街の中心部。夜の街として名高い歓楽街も、昼間は閑散としており、各店に品物を納品する業者やそれに対応する店員ぐらいだ。

 彼に指差された先には、周りの建物よりもひときわ大きく、白亜の壁に見事な石柱と、どこかの神殿を思わせるような佇まいでありながら、吊り下げられてる垂れ幕や建物を着飾る装飾品からどこか煌びやかというイメージを持たせてくれている。

「まだ昼まだから派手さに欠けるけど、夜になればルノアで一番煌びやかな店に変貌してくれるさ」

 ここが歓楽街の中心部であり、一番大きな店。店名には『ドリーム・ド・トラウス』と掲げられている。

「つまり、トールの実家というのは……娼館というやつか?」

「少し違うな。うちは女性接客を売りにした高級レストランで、クラブっていう新しい分類さ。女性陣をキャストって呼んでいる」

「確か、演者って意味だったか」

「そそ。接待をするために顔を作り演じる者。だからキャストだってさ」

「しかし、少し違うということは……」

「一応、あっちのほうもあるけど。それはキャストとの同意の上だし、かなりの高額料金を払ってもらうことになる。でも、メインはあくまで綺麗な女性に囲まれておいしいご飯を食べて、遊んでもらい、すこーし大目にお金を落としてくださいねってことさ」

 聞いている限りだ度、女性を商品として扱うと言う点は同じだが、娼館に比べたら生々しさは少なく、あくまでも娯楽の一環として捉えれば良いのかと感じた。

「ちなみにちゃんと男もいるぞ? 男性陣はスタッフと呼んで主に厨房や雑用などの裏方を担当している。希望があれば、キャストと同じように接客もする。……杖のスタッフじゃないからな」

「裏方や補助する者を意味する単語だろ」

「正解。さすがに知っていたか」

「一応、古代語も学んでいたからな」

「でも魔法は?」

 古代語とは聖魔大戦で世界が半壊するより前の文明で使われていた言葉だ。現存する魔法の名前は全てこの古代語が使われており、新しい魔法が生み出されても多くが古代語の単語の組み合わせで名前をつけている。

 魔法以外にも様々な場所で使われており、その単語だけで複数の意味を内包することもあるために言葉の短縮として愛用されている。カキョウに昨晩説明したコストという言葉もそうだ。

「……古代語は問題ないんだが、どうも実技がな……魔力がアーツ向きでしかないらしい」

 古代語の勉強とは魔法の座学分野を意味し、実技分野は魔法学として実際の魔法を行使する勉強となる。

 また、アーツとは魔法の中でも蹴る殴るや武器で攻撃する等の物理攻撃に加速や加重、属性等を付与し、攻撃そのものを強化・補助する簡易魔法を指す。使う者や武術の流派、国によっては“技”や“奥義”、“スキル”などとも呼ぶ。

 つまり、俺は魔法そのものを行使して攻撃することには向いておらず、あくまで補助的な使用しかできない。

 ヒトにいわせれば筋肉バカや脳筋と揶揄されることもあるタイプだ。

「ほーん。まぁ、それで困ったことが少ないなら、それでいいんじゃないか?」

 確かに現状、使えないと言うことで困ったことはあまりない。

 特にこのメンバーで行動し始めてからは、回復担当も遠距離攻撃担当もそれぞれいて、俺は専ら前衛で相手を引き付ける役割のために、さらに自分が使う必要性も感じてはいない。

「ま、確かにな」

「だろ? ささ、入ろうぜ」

 入り口には閉店中を意味する古代語の文字でCLOSEDが書かれた札が掛けられているが、それを気にすることなく入り口の扉を開けて中に入った。

 中はどこかの城を連想させるような概観と同じ白亜の壁に、白亜の石柱。天井から釣り下がった巨大なシャンデリアに真っ赤な絨毯。

 2階部分まで突き抜けた吹き抜け状のエントランスは、2階の廊下部分は入り口が見下ろせる柵付きの剥き出し状になっており、入ってきた客に四方八方から声を掛けられるようになっている。

「おや、もう来たのかい」

 エントランスの中央に置かれた受付と思わしき扇形の机の前に、見覚えのある煌きを放ったゴールデンブロンドにエメラルドのような大きく輝く碧眼、ここで働く女性たちの中でも頭一つ飛び出すほどの長身の女性がいた。絞まるところはしまりつつ、出るところは出る。まさに多くの男が抱く理想の女性像だった。

「よう、お袋。出迎え……ってわけじゃないよな」

「残念ながらね。ささ、入ってちょいと急いで奥に行っておくれ」

 見覚えがあるのは当然か。お袋とトールが言ったあたりこの方がトールの親御さんであるようで、何やら取り込み中のようである。

 促されるまま全員エントランス内に入り、扉を閉めた。良く見渡すと、様々な物陰から殺気に似た視線を感じている。

「穏やかな雰囲気ではありませんね」

「あんたが、ダインって子だね。話は聞いてるよ。すまないね、野暮用が予約つきで舞い込んで来るんでお出迎えなのさ。オースン!」

 殺気の混じる野暮用とはこれ如何に。まるで討ち入りを予告されたかのような雰囲気である。

 受付の奥の扉から、コックの服装をした中肉中背の……青緑の髪から天を突くようにピンとたったウサギの耳が出ている男性ガルムスが表れた。

「よ。すまんな。こっちに来てくれ」

「何があったんだ?」

「奥で説明する。早くしろ」

 性急に促されるまま、奥へと歩を進め、エントランスから奥へ繋がる廊下に入った時。

 バゴンッ!! と、閉じた扉が破壊されそうな勢いで開いた。

 さすがにただ事ではないと思い、みんなで廊下の壁にへばりつく様に隠れ、エントランスの内部を窺った。幸い、この廊下はエントランスホールの端から伸びている廊下だったので、壁にへばりつくことで入口からは一部が死角となっている。

 まずは男二人が入ってきた。どちらも遠目から見て俺と同じぐらいの背に、逆三角形の上半身という筋骨隆々と言う言葉が似合う体型。褐色よりは薄い黒光りした肌のホミノス。何故か上半身が裸で、下半身は股のラインまでしかない女性物のショーツのような黒光りのパンツに、黒いロングブーツという珍妙な姿をしており、女性陣が口元を押さえて「ないわぁ……」「気持ち悪い」と口々につぶやいている。

 その二人の男の間からは、中肉中背より少し小太りしているカキョウよりは背が高いか?と思えるぐらいの男が現れた。

 光沢のあり、ところどころに金糸の刺繍が惜しげなく施されたいかにも高そうな服に、首や手首に幾重の金装飾、指には大粒の宝石をあしらった指輪を複数つけ、歩くたびにジャラ、ジャラと本当に聞こえてきているほど、あからさまな「俺、金持ち」を前面に出した服装をしている。顔の造詣はともかく、妙に肌つやがいい。

「よぉ、アルディバ。俺を入店禁止にしやがって、何様のつもりだ? まぁいい。今日こそお前さんを跪かせてやろうと思ってたんだがよぉ」

 現れた途端に出た言葉は、よくある支配欲を前面に出した三文小説の一場面。

 しかも今日こそとは、これを何度も繰り返しているのか?

「そいつはまたいつものごとく大層な威勢だねぇ」

 あ、繰り返しやられてるんですね。

 トールの母君アルディバ殿も1歩前に出て、威勢を放った。

 目の前の貴族殿はアルディバ殿が1歩前に出ると、怖気づいたのか半歩ほど後ずさりをし、冷や汗をかき始めている。

(やらなきゃいいのに)

 そんなやり取りをエントランスを出た先の廊下からひっそりとコックのオースンを入れた6人は見守っていた。

「んで、オースン兄、あいつ何?」

「駐在任務で首都から派遣されてきたゴルグ男爵家の嫡男。あとは見ての通り。なんでも女帝を跪かせて、侍らせて、自分がルノアの王になるってほざいてる」

「んなことになれば、女神も黙ってないっしょ」

「だな」

 話の主旨は女帝=アルディバ殿で、あの貴族様がアルディバ殿とルノアを手中に収めたいというt野望のために動いているのだなと言うことは理解した。

 しかしなんで女帝なんだろうか? あと女神って誰かのことなのだろうか?

「だが気が変った。ついさっき、ここに純白の翼のフェザニスみてーなのと、頭に変なものをつけてる女がいる集団が入ってこなかったか?」

 押し問答を続けていたようなゴルグ家嫡男殿はなにやら、聞き覚えのある容姿の人物たちを所望すると言い出した。

 その人物たちを見ると、緊張感か青ざめか顔が強張り、じっとやり取りを見つめている。

「さぁね? それがどうしたってのさ?」

「純白のフェザニスなんさ、滅多にいねーだろ? それと頭に変なのをつけた女。よく見えなかったが、ありゃ噂のホーンドの女じゃねーのか?」

「確かに純白のフェザニスってのは珍しいね。だが、ホーンドがこんなところにいるわけ無いだろ? 大方コスプレかなんかだろ」

「まぁいいさ。綺麗な赤い髪だったから、コスプレだろうとかなり自然な似合い方してるってわけだろ? なあ、いいだろ?」

 この流れだと、どんな言葉が来るかなんて分かりきってはいる。だからこそ、全員に緊張感が走り、場の空気が冷ややかになっていく。

 ルカも含めて三人に俺たちの後ろに隠れてもらい、いつでも退避できるよう陣取ってもらった。

「……何がいいのさ?」

 それはエントランス側も同じであり、アルディバ殿の声音は一気にくぐもったドスが滲んだものになり、物陰にいるキャストやスタッフたちの眼光も鋭くなっている。

「決まってるだろ、俺に寄越せ! つーか、抱かせろ! そうしたら今日の所は出て行ってやらぁ」

 分かってはいた。ただ最も聞きたくなかった言葉も混じって。後ろに控えている二人は無い無い無い無い! 無理です! 絶対嫌!! と小声で思いっきり拒否していた。

「分かってるだろ? 俺は貴族様だぜ? 金はある! 俺の好みだったら、特別料金を上乗せしてやってもいいぜ!!」

(……それで、好みじゃなかったらどうする気なんだ)

 これがその辺に落ちているような物語なら、想像したくない展開に発展していくんだろう。引き連れてきた者たちを見れば一目瞭然。この貴族ならやるだろう。

 ともかく、くだらない理由で女性を引き渡すほど、こっちも腐っていないので、何かあれば全力で全面衝突も辞さない覚悟だ。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 溜息と共にうな垂れるエントランスの主。

 そして勢いよく振り上げられた頭に伸びた背筋。その後姿からでも分かる拒絶と相対の姿勢。

 誰もが理解しているために、この店のスタッフの中でも戦闘向きのような体躯の者たちがエントランスに姿を現し始めている。

「あんたも懲りないねぇ……このルノアの女帝と呼ばれているアタシに喧嘩を売るだけじゃ足りないって、どこまで強欲なんかねぇ」

 アルディバ殿の声音がさらに落ち、張り詰めていた空気が臨海まで達しようとしている。その影響かエントランスからふわっと風が流れてきた。

 さすがに魔法に疎い俺でも、この風がアルディバ殿から発せられた魔力で発生した風だというのは分かる。

「あ……ネフェさんネフェさん」

「はい?」

「ちょーっと合図したら、このエントランスの中の壁沿いにアイスウォール張れます? あ、入り口部分の壁には必要ないですけど」

 俺たちと見守っているキャスト、スタッフに対しての防護策としてアイスウォールを考えたのだろう。トールからの質問に、ネフェさんは考え込みながらこっそりエントランスを覗き込み、ぐるりと見渡した。

「広すぎるので、かなり薄くなりますよ?」

 それでもいっかなー……とトールが逡巡したときだった。

「あ、あの……私も魔法、手伝います」

 まさかのルカからの提案だった。

「でしたら、別のちょっとした儀式魔法にしますので、私の後に続いてください。術の主軸は私が持ちますので、魔法名は復唱しなく大丈夫です」

「は、はい……!」

 儀式魔法とは最低でも2人以上で詠唱し、魔力を出し合うことで完成する大掛かりな魔法である。詠唱も長く、詠唱に参加している者は唱えている間は完全無防備となるために、かなりの危険性を伴っている。

 その反面である利点は非常に大きく、通常の一人で放つ魔法に比べて範囲も威力も効果も段違いの性能を誇る。

「トールさんの合図に合わせて魔法を完成させます」

「了解。ではお願いします」

 ネフェさんとルカは廊下の壁の隅に移動し、相手から完全に見えないようにして二人で頭がくっつくぐらい近づけて、床に座った。ネフェさんは両手を天に向けながら膝の上に置き、ルカはいつもの祈りの構えで胸の前で手を組み合わせている。

「あの、すみません」

「ん? どうしたんだい、お嬢さん」

「何か箒とか……金属製の長めの棒ってありませんか?」

 今度はカキョウがオースンに話しかけていた。

 金属のということは、いざという時俺たちが戦うための武器ということか。

「あるよ。お嬢さんはついてきな。トール、彼と一緒に二人を」

 最後まで言わないものの、守れということは十分伝わってきた。

「あいよ。カキョウちゃん、俺たちの分もよろしく」

「うん、了解」

 カキョウはオースンの後に続き、廊下の奥へと消えていった。

 こんな事態だからカキョウを知らない男と二人っきりにしてしまってよいのか一瞬、モヤってしまったが、トールの知り合いのようだし、ここは彼の実家なら心配する必要はないだ。

 なのに奥へ去っていった彼女の背中を少し見つめている自分がいる。



◇◇◇



 オースンというトールの知り合いのヒトを追って、店の奥へとやってきた。

 廊下の先には左手に厨房があり、右手にはトールが言っていた男性従業員“すたっふ”たちの休憩室を兼ねた更衣室、その先に欲しいものが保管されている道具倉庫がある。

 オースンに声をかけたときは、まだ自分の中にこの事件をどうにかしないと、自分たちで出来ることはなんだろうって気持ちが先行していて、自分の身の危険については何も考えていなかった。

(やっぱり不味かったかな……)

 トールの知り合いとはいえ、自分からすれば素性も分からない見知らぬ男性と二人っきりになって、店の奥という人気のないところに来てしまっている。

 仮に何か……彼がこの店を裏切って、アタシをアイツラに売ったりする可能性だってある。そのことを危惧しなかった自分には、まだ危機感が足りてないかもと思ってしまった。

「お嬢さん、こいつでいいかい?」

 道具倉庫の置くから出てきたウサ耳のガルムスであるオースンは、両手にそれぞれ金属で出来た訓練用に刃をわざと潰してある武器たち。

「これ……練習用の模造武器」

「まぁな。あんな奴らみたいな面倒ごとを持ち込んでくる連中も少なくなくてな。いざと言う時の相手を斬らない武器。使うのはそれで合ってたかい?」

 しかも持って来てくれたのは刀の幅に近い細身の直線的な両刃の剣、ダインがいつも使っている巨大な剣を少し小さくした両刃の大剣、先っぽに真ん丸い鉄球をつけた自分の背丈の2倍の長さの棒。

「合ってる、じゃなくて合ってます。でもどうして分かったんですか?」

 それぞれの武器を一つひとつ貰いうけながら聞いてみた。

「体格に筋肉のつき方に、さっきアイツらを見ていた時の姿勢かな」

 トールは勝手知ったる仲だから何を使うのかは知っている。

 アタシの場合は何か手が空気を掴むようにニギニギしながら飛び出しそうな姿勢だったらしく、ルカとネフェさんとは違って武器を持って戦うのかと思い至ったらしく、自分の体格にあった武器を選んでくれた。ダインはシャツ越しに見えた肩や背中の筋肉から日ごろ大きな武器を使っているんじゃないかと思い、トールの武器よりも重いものを選んだということ。

 すごい観察力だと感心したことを伝えると、

「なーに、こっちは顔色を窺うのが主な商売方法だからな。日ごろから相手を観察しているだけさ」

 ヒトと接する商売なだけあって、得られる情報は全て武器とする。

 歩く時に身体の軸が少しずれている様ならお客様の横に並んで補助したり、荷物を率先して持ったり、体調が悪そうなら身体によ神妙なさそうな食べ物を混ぜてみたりと、相手が言っても言わなくて出来るだけ要望に答える。

 それはこの店の目指す理想であり、心がけ続ける信条であると。

 ただ大きな店と言うわけではなく、あらゆる気持ちがこの店を街一番にしているのだと感じた。

「さて、戻る前に聞きたいんだが……」

 皆の下へ歩き出そうとした時、やや神妙な面持ちでオースンから顔を見られた。

「な、なんで、しょう?」

「その角……本当に本物なのか?」

 先日のように“こすぷれ”と言って笑ってごまかせばよかったのかもしれないが、こんな1対1の状況で、尚且つ神妙な面持ちで言われたとなると完全に身構え、貰い受けた細身の剣に手を伸ばそうとしている。

 相手はその対応に驚いたようで、慌てた表情に変った。

「ああ、すまん、トールから話を聞いていたもんでさ。俺も本物のホーンド見るのは初めてだったものでな。何、取って食おうとも、売り渡そうとも考えてない」

 出会うヒト皆が同じ反応。はじめて見た。角は本物か。物珍しいのも、好奇の眼差しなのは分かる。

 ただ、最近はそれが単純な好奇なのか、何か品定めをするようなものなのかの差が少しずつ分かるようになってきた。このヒトの場合は気持ち悪さがない。むしろ何か哀れみのような物悲しささえあるように。

「俺も似たようなもんさ。ウサ耳のガルムスなんて割りと希少でな」

 ガルムスはコウエンでは牙獣種と書くように、本来は牙を持った犬系か猫系の大型肉食獣が祖先となる人種であり、多くのガルムスは鋭い犬歯と爪を持ち、獣のような髪の毛と同じ色の毛で覆われた耳を持つ。

 中には目の前のオースンのようにウサギのような耳長系や、リスのようなげっ歯類系もいれば、爪や牙はあまり大きくないが成人した大人の身体を宙吊りに支えれるほど強力な尻尾を持つサル系もいる。

 ただし、長耳系やげっ歯類系、サル系のガルムスは牙と爪の発達があまりないことや、体格が小さくなりがちであることを理由に大型肉食獣系からは劣等種と認識され、迫害を受けることも少なくなかった。

 更には20年前の領土拡大戦争時にその小柄な身体を生かし間者や尖兵として徴用されることも多かったために、多くの者たちが積極的に戦場に送り込まれたという。それが遠因となって全体的な個体数が減少した。

 現在は戦勝国民となったガルムスは人権擁護法において『戦勝国の民は、等しく手厚い保護を』と明記されていることから仲間意識が強まり、戦争時に尖兵として多く者たちが勝利への犠牲となったことを含めて功績者たちとしても認められたことから、迫害が減ったらしく戦後は徐々に個体数が増えてきている。

「そうか、角はコスプレを装ってオープンにしているんだな。あんたも苦労してるな」

「お兄さんだって……」

「俺たちはまだいいさ。あんたたちみたいに狩られるわけでもないからな」

 そう、自分たちはここにいるだけで生きる意味を奪われるか、愛玩用に束縛されるかという世界でもある。

 エントランスにはちょうど、自分とネフェさんをまさに狩ろうとしている男がいる。

「……いや、今はオースンさんだって同じです」

 あいつは貴族は全ての平民に対して狩る権利があると主張している以上、全員が狩られる側であり、被害者である。

 心の隙間からにじみ出てきている悔しさと怒りが、腕の中の武器たちに伝わり、チャキリと音を立てた。

「そうだな。すまなかった。急ごう」

 オースンさんもトールに渡そうとしている武器と同じく先に鉄球をつけた長い棒を担ぎ、素早く踵を返して、足早にエントランスを目指した。



◇◇◇



 エントランスではまだ口喧嘩……で、とどまっている抗争も徐々に激しいものになりつつある。

「どこまでも? どこまででも! その追求が許されるのが俺たち貴族であり、下々の者はここの女たちと同じく俺に頭を垂れ、這いずり回ればいいんだからさ!」

「今日は良くしゃべるし、上機嫌だねぇ」

「そりゃー、当然じゃん? 何ていったって、フェザニスとホーンドかもしれない女が手に入るんだぜ? 嬉しいに決まってるじゃないか!」

 何だこいつ……すでに手に入れている前提で話を進めていないか?

 今にも一歩踏み出しそうになった時、左肩をつかまれた。

 見ればトールも眉間に青筋を立ててはいるものの、堪えているんだ。

「それとうちのキャストたちが這いずり回る? 冗談を言わないでおくれ。うちにアンタに心から平伏してる子なんていやしないんだから」

「はぁ? んなわけねーだろ。いつも来るたびに猫なで声で寄ってくるくせによぉ」

 ……ああ、なるほど。こいつは建前と本音、商売とプライベートを理解せず、混同させているのか。

 彼女らは恐らく営業として、この店の売上のために、笑顔を作り、こんな奴のために接待を尽くしていたのだろう。

 実際に今、奴に駆け寄ろうとするキャストも、心配そうな顔をするキャストもいない。見える範囲には敵意を剥き出しにしている者だけだ。

「そういえば……ラナンやマリー、シャロームがアンタの接客の後になんだか痣ができていたんだけど、ありゃどういうことだい?」

「あー、あいつらね。あいつらは粗相をしたんで、俺が叱ってやったのさ」

「叱るにしちゃー、腕や太股、顔にも痣作ってたんだがね。やりすぎじゃないかい?」

「はん? 俺は貴族様だぞ? むしろこれぐらい優しいほうだろ?」

 優しい、だと? 相手に暴力を向けておいて何を言ってるんだ?

 サイペリアの貴族というのはこんなにもクズしかいないのだろうか。

 これが典型的なサイペリアの貴族というなら、依然聞いた大陸の西と東での様々な格差も納得がいく。中央の貴族でもこいつは嫡男ということなら、未来の貴族様というわけだ。

 同じ貴族のグラフ殿やそのご友人方はこんな奴とは大違いだった。

 俺の肩を握っていたトールの手が力を強め、痛みを伴うぐらい肩にめり込み始めている。

「アンタが何もしない。ただ、女の子たちに囲まれて美味い飯食べたいからって言ってきたんだよね?」

「だから何もしてないだろ? 俺は躾をしただけ。襲っちゃいないぜ。……まぁ同意があればそんなの関係ないがな!」

 そういって、左右の肉達磨たちもクツクツと笑っている。

 もう、こいつが何を言っているのか、同じ男として理解したくない。頭が、身体が拒絶している。

「痛っ……」

 左肩に痛みが走る。

 奴の言葉に合わせて、強くなっていったトールの手は、最終的に少し伸びている獣のような鋭い爪が肩に食い込み、俺が耐えられなくなった。

 いつもなら鎧を纏っているために、肩を握っただけで食い込むことも、傷を負うこともないために、今が生身だと言うことを再確認させられた。

「……悪い」

「いい。トールは悪くない。全て……」

 あいつのせいなんだと。

 この肩の痛みも、トールの心の痛みに比べたら可愛いものだ。

 だってここは、彼の実家なんだろう? ここのキャストやスタッフは皆、家族であるはず。

 そんなトールの悲痛に応じるように、風が一段と強くなった。

「あのねぇ……アンタが金をちゃんと払い、うちのルールに則って利用するって約束だったよねぇ? 悪いが、見過ごすことはできないよ」

「見過ごす? 何を勘違いしているんだ。世界は俺たち貴族が作る物。そして元来、平民は皆貴族の家畜! 弱肉強食! 力と金のあるものが法を、秩序を、ルールを作る! これは常識だ! 世界の理だ! 分かったら、この風止めて大人しく跪いて、女二人を差し出せや!!」

 汚く笑う男の手引きによって、外からは更に数人の手下と思わしき男たちが10人ほど入ってきた。

 これは手前の自称貴族の趣味なのだろうか……入ってきた男たちは、先の肉達磨と同じように黒光りをしたピッチピチのスラックスに、上半身裸の上にところどころに鋲のついたベルトを巻きつけ、首にはまるで所有権を主張されているかのごとく、太いベルトが巻かれている。

 皆、自称貴族と同じく下卑た笑いをし、舌なめずりしながら、まるで品定めをするように、エントランス中を見渡している。

「何度でも言ってやるよ。お断りだね。アタシの気が変らないうちに帰ってくれ」

「ざけんじゃねーよ! 射手!」

 自称貴族の脇を抜けて飛来した矢は、アルディバ殿の左肩を掠めて、背後の階段の横壁に当たり、むなしい音を発てて落ちた。

 掠められた左肩には矢の弾道に沿った傷ができており、そこから一筋の鮮血が腕を伝い、肘から地面へと滴り落ちる。

「顔は外すように言ってあったからなぁ。年増だろうが、それを感じさせないイイ女だぜ」

 自称貴族の後ろに目を凝らせば、ボウガンを手にし、次発の装填を終えようとしている男が一人いた。

 先ほどまでは俺が肩を掴まれていたが、今は逆にトールの肩を掴んでいる。

 トールも小さく「分かっている……分かっているんだ……」と言いながらも、身体は自然に前へと突き出ようとしている。

「はぁぁぁぁぁ……。よーくわかったわ。アタシがどれだけバカだったか!」

 アルディバ殿がひときわ大きな声を張り上げ、それに呼応するように風は力を増す。

 すでに物が飛び始め、さながら竜巻の中にいる感覚だった。物陰にいるキャストたちからも小さな悲鳴が出始めた。

「ネフェさん!!」

「――築け、クリスタルシャトー!!!」

 さすがのトールも飛び出そうとしていたが、場に展開されようとしている光景に意識を切り替えた。

 合図と共にネフェさんの口から紡がれた魔法はトールの要求を遥かに超えていた。

 数秒の後に現れたのは、透き通るような純度の高い氷の分厚い壁であり、エントランス全面を覆い尽くしている。

 いやむしろ、アルディバ殿と下卑た笑みの男たちだけが“瓶詰め”にされたように見える。

 だが瓶詰めと違い、エントランスの入り口部分には、元々付いていた扉の上から氷で作られた扉がくっついている。まるで氷で出来た建物や内装だ。

「覚悟は出来ているんだろうねぇ!!」

 氷の壁によって、音が拾いづらくなっているにもかかわらず、はっきりと聞こえてくる怒号。

 怒号と共にアルディバ殿は右腕を天に突き上げ、周囲を回る暴風が突き上げた右腕を中心に圧縮されていく。

 そして振り下ろされた右腕から放たれたのは横向きの圧縮された竜巻。氷に覆われていない床をえぐり、プランターや家具などを巻き込みながら、下卑た男たちを飲み込んでいった。

 そんな風を受ければ、背にある扉は耐えられるわけも無く、勢いよく開かれ、後から入ってきた手下たちが次々へと建物の外へ、文字通り飛んでいった。

 しかし、室内にはまだ大きな肉の塊が2つ。その間に守られるように小さめの塊が一つ残っていた。

「へぇ……肉達磨に身代わりか風除けの護符かい? アンタにしちゃ、上策してるのね」

 それぞれの護符は冒険者御用達の護符と言われるもので、モールの街の道具屋で教えもらっていた。身代わりの護符は身に着けている者が受ける傷を肩代わりするものであり、護符そのものの耐久度がなくなるまで使用することができる。耐久度は身に着けている者が受ける傷の大きさによって減り方が変る。

 風除けの護符は、一定の速度以上の空気の流れを見に受ける時に、身体へ与えられる影響を減らすもの。例を挙げれば、嵐のような突風も身体に当たるときはそよ風のようになる。

「俺だってバカじゃない。アンタがこの街でも有数の風魔法の使い手だって知ってるからな。対策の一つや二つはするってもんだ。しかしなんだ? この氷の壁は。こんなことができる女をいつの間に雇ったんだ? こいつも教えてくれりゃーよかったのによぉ」

 そう言って自称貴族は大きな肉の塊の間から姿を見せ、コートの胸元を掴み、埃を払うようにバタバタをはためかせた。

 はためかせた胸元からはバラバラに破れた紙切れが数枚分床に落ちた。恐らく、役目を終えた護符の残骸だろう。

 大きな肉の塊たちもあまり手傷を負っていない様子からして、護符を身に着けている者に触れるとその力の恩恵に与れる、少々値の張る品物らしい。

 その値に見合うだけの効果はあるようで、自称貴族とそのお供の肉の塊は傷一つ追っておらず、ムカつくほど元気な姿だ。

「おおっと、護符だけじゃねーぜ」

 そう言って腰から細長い筒のようなものを3本取り出した。

「スクロールか?」

 スクロールとは魔法とその魔法を1回発動できるだけの魔力が蓄積された巻物のことだ。

 問題なのは、何の魔法が込められたスクロールなのかは、スクロールの中身を見るか実際に発動させないと遠めでは分からない点だ。

「くっそ、カキョウちゃんはまだか……」

 武器があれば、即座にこの氷の魔法を解除してもらい飛び込むのだが……。

 自分もまだなのかと、カキョウが消えていった廊下の先を見れば、タイミングよく彼女が何か抱えて駆け込んできた。

「お待たせ! こんなものあったよ!!」

 カキョウが抱えて持ってきたのは、鉄製の長い棒……ではなく、訓練用に整形された磨がれていない武器だった。

 渡されたのは一般的な大剣と呼ばれるバスターソード。両刃で長さも幅も愛用しているタイタニア用のブロードソードと変らない。ただ、柄の部分は握りなれている愛剣に比べると心許なく折れてしまうのではないかと感じる細さだが、悲しいことに手には馴染んでしまう。

(これが本来の俺に合った武器……)

 ブロードソードは長年愛用してきたために、扱い出せば身体が勝手に適用し、動くだろう。 だが、この武器に慣れてしまうと、自分の愛用しているブロードソードを握った時に違和感が残るのではないだろうか?

(……違う、今はそんな悠長なことを悩んでいるときじゃない)

 それよりトールが心配だ。我を忘れてはいないものの、今にもこの壁を壊して行きそうだ。

「よし、ネフェさん、この魔法の解除を。その後、トールは好きに暴れてくれ。俺とカキョウで援護する。ルカは手当て、ネフェさんはアルディバ殿とルカの護衛で」

 とは言ってもやることは変らない。トールには好きに暴れてもらい、周りは俺たちが処理する。それをトールの代わりに指示という形で明確化させるだけだ。

「すまんね」

 トールはカキョウから受け取った先っぽに丸い鉄球の付いた長い棒を担いで、いつでも飛び込めるように身を屈めた。

「了解だよ」

「が、がんばります」

 カキョウは手元に残った細身のショートソード型の練習剣を構え、同じように飛び出せるように。その後ろに続けるようにルカが移動した。

「分かりました。では解きます」

 そういって、ネフェさんが拍手を1回打つと、氷の壁が硝子を割ったときのようにいくつもの破片となって砕け散った。高いところも、低い位置も砕けた氷の破片たちは弧を描き、アルディバ殿の頭を越えて、すべて自称貴族たちの下へ降り注がれた。

 相手はエントランス中を覆っていた氷の壁の破片が降り注ぐのだ。質量も然ることながら、シャンデリアの光を受けた氷の破片たちは、様々な方向に光を放つ光源となり、相手の目を盛大にくらますこととなった。また、氷の破片のシャワーは事象貴族の持っていたスクロールを叩き落してもくれていた。

 もちろん、そんな隙は美味しく頂かないといけない。

 自称貴族の視界が回復したときには、トールの持つ長い棒の先端の鉄球が眼前に表れ、見事なぐらい自称貴族の顔へと吸い込まれていった。メキョでは済まされない音。何本か宙を舞う歯。崩れ行く奴をトールは嬉々とした表情で見下ろすのだった。

 トールの存在に気づいた肉の塊たちは殴りかかろうとするも、左側の奴にはカキョウの横薙ぎが膝に当たり、見事に転倒。右側の奴には俺の振り降ろしが左肩に思いっきりめり込み、呻き声をあげた。

 カキョウのほうはあくまで重心崩しのための一撃だったので、相手へのダメージは期待していないものの、次の攻撃を遅めれたので上々。

 俺のほうは片腕をつぶしただけなので、次に右の振りかぶりがくる。

 が、痛みが大きいのか速度が遅い。相手の振りかぶりも上からのものだったので、左足を後ろに移動させて、身体を相手に見せるように半身回転。攻撃対象が予測位置からいなくなった肉の塊は自重を支えきれず、勢いのまま床に吸い込まれた。

 肉の塊だの、肉達磨だの言っても所詮はホミノスでの大柄であって、実際は俺との体格差は少ない。床に倒れこんだ奴の負傷した左肩を体重をかけて踏みつけてやれば、痛みと同体格の者からの重みで、見事に起き上がれないでいる。

 カキョウが相手にしていたほうは床に倒れた後、起き上がり際にトールと交代。先端の鉄球が美しい円の軌道を描き、下から上へ掬い上げるように天に向かってフルスイング。

 トールの怒りは肉の塊を浮き上がらせ、低いながらも弧を描きながら、入り口の外へ吸い込まれていった。

「おー……アレ飛ばしちゃったの、すごいね」

「だろー? お兄さんもやる時はやるんです」

「でも人ごみが……」

 現在、正午を回ったあたり。歓楽街とはいえ、通常の飲食店もいくつか並んでいる大通りに面したこの店の前には、当然多くの往来があったはず。しかも店の入り口から突然巨体が振ってきたら、確かに驚くだろう。カキョウがいうように今外は野次馬の人ごみも合わさり、大騒ぎになっていることだろう。

「いいって。歓楽街である以上、悲しいけどこういうことは日常茶飯事だからさ。どうせ皆、野次馬したいだけだなんだ」

 こういう店の場合、性を売りにしているだけあって痴情のもつれやそこから発展した荒事や暴力沙汰は尽きないようで、この街に住む人々からも日常的な光景らしい。なんとも物騒な話である。

 ただ気になるのは、俺から見えない外からは野次馬の声というよりも、歓声に近いような賑わいが聞こえてくる。

 来た時に思ったのが、この店は歓楽街の中でも一番大きい見せであるということ。となれば、ここよりも小さい店でもっと好き勝手にやっていてもおかしくはないだろう。

 溜息と共に踏みつける足に自然と力が入ってしまい、下から小さく呻き声が聞こえてきた。

「まぁまぁ、ダイン君それぐらいにしてやろう」

 そういってトールは俺に退くように手で指示してきた。

 俺が退くと、残された肉の塊はゆっくりと立ち上がったが、別に臨戦態勢を取ろうという姿勢はない。現状が大変不利であることは分かっているようで、無駄な抵抗をするつもりは無いらしい。

「さて、肉達磨。ご主人様を連れてとっとと帰れ。そして二度とくんな。いいな?」

 トールのドスの聞いた言葉に肉の塊はひたすら頷き、そばで倒れている自称貴族を残った右腕で担ぎ上げると、ゆたゆたとした足取りで店を後にした。

 それを見届けると、エントランスにいた全員が息を吐き、張り詰めていた緊張の糸を解いた。

「今日はいつに無く怖かった……」「ママが本気で怒った」「トールったら嬉々とした顔で殴ってたよ」と、最初に入ってきた時の殺気だった顔はなくなり、皆本来の明るいキャスト、スタッフたちという感じだろうか。

 振り向けば、アルディバ殿はルカに治療してもらったようで、肩にできていた傷も跡形も無く消えていた。

 それでも気になるのが子というように、トールはアルディバ殿に駆け寄ると傷ついていたはずの肩を観察して、安堵の表情を浮かべていた。

「すまんな、お袋。勝手に手出しちまって」

「いいって。護符さえなけりゃ、アタシの力でああなってたよ」

「違いないね」

「……むしろ、助けてくれてありがとね」

「どういたしまして。……それで今後はどうするんだ? またアイツら、来るだろ? もしくはもっと上の連中が……」

「心配しなくていいよ。しばらくの間はちょいと女神様の力を借りようかとね。それにアタシだってただ無意味に女帝と言われてるわけでもないしさ」

 罵詈雑言に露呈した過去の事案、さらに相手からの先制攻撃も貰い済みだったので、一応正当防衛にはあたると思っている。少々やり過ぎだった節はあるが、この店に積もった積年の恨みの代弁と言うことで勘弁してもらいたいところ。

 ただ、いくら正当防衛などの名目があるとはいえ、相手はまがりなりにも貴族である。最悪の場合、国が動きかねない問題である。

 そんなトールの心配を他所に、アルディバ殿には『女神』という何か策があるという感じであり、心配はあまりしていないようである。

「あんたたちお昼食べてないんじゃないかい? せっかくだから、うちの自慢の料理を出そうじゃないか。オースン、頼んだよ」

 オースンは俺たちが隠れていた廊下のほうで、親指を上に手たて了承のサインを送った後、そのまま奥へと消えていった。

「それとお前たち、悪いけど片付けをお願い」

 アルディバの言葉を受け、エントランスのいたるところから「了解」「もうやってるー」など、様々なキャストたちの返事が飛んできた。

 俺たちはアルディバ殿に促されて、エントランスを後にした。

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