第3章 風の唄は、呪いか希望か

3-1 平穏な一日

 小春日和はまだ続く。頂から見下ろす風景はまだ新緑たちで溢れ、ところどころに紫やピンクの小粒の花を密集させた花の木ライラックが見え始めている。次はリンゴやオレンジといった果実の花々が咲き出し、実りの季節に向けて動き出す。

 移ろい行く時の中で、これまでにはなかった変化が変らない日々を、変わりつつある日々に変えていく。

「……いいね。糸が集まりだすと、布になる。布には色とりどりの模様。その中に完成される絵はどんなものなのだろうか」

 眼下の山々を見下ろしながら、今日は壁にかけてあった1枚のタペストリーをゆっくりとなでていた。

 タペストリーは時間の流れから生まれた独特な色合いをしており、鮮やかさこそ減ったものの使われている色の数、織り込みの細かさから、そして描かれた模様から周囲の献上された調度品たちと同等の価値を持った一品である。

 中心には黒い大きな悪魔。その悪魔の胸には1本の剣のような物が刺さり、悪魔は天を仰ぎながら仰向けに倒れている。その腹に覆いかぶさるように白い頭の人物が倒れている。

 それを取り巻く周囲には多くの瓦礫、多くの倒れた人影、そして天から射す多くの光。

 更に下部に、多くの手を上げ、小躍りしながら喜ぶ数多の黒い人影。

 上部には雲と射し込む光の間から降りてこようとする翼と武器を持った人々。

 誰もが聞き、語り継ぎ、少しずつ形を変えて伝わっていく暗黒の記憶。

 奇跡の少年が世界を救うまでの地獄の記憶。

「あなた様の見えておられる未来はどのように映っておられるのでしょう」

「僕は進むだけだよ。それに僕ができるのは観測することだけ。ただ手元で感じられる因果の糸が他人より色濃く見えるだけ。糸は互いを結びつけ、時に離れ、でも一つになろうとしていっている」

 このタペストリーと同じように。最後は一つの布、一つの作品へとなるだろう。

「……成功と言っていいのでしょうか」

「成功どころか大成功だと思うよ。まさか紫色も一時的に混じった。それぞれの糸は自己主張を始めているよ」

 控えていた男は相変わらずの眉間に皺。眼鏡の下に映る眼光の鋭さ。

 さて、彼は次に何を投じようとしているのだろうか。

「いいよ。君が面白そうだと思うことしてみて。僕が見ていてあげるから」

「……よろしいのですか?」

「思うところがあるんでしょ? 見たいんだ。君の投げこんだ石がどんな波紋を生み、どう糸を強くするか」

「分かりました。ご期待に添えれるよう努めます」

 そして彼は静かに下がった。

 分からないのだろうか、彼自身もその糸の一つだと言うのに。

 しかし、彼自身が動かない限り、それは本人に見えないだろう。

 それは本人が動くと決めた時に楽しめばいい。

 そして僕も楽しませてもらおう。



◇◇◇






 エルフの女戦士との戦闘後は追手も無く、翌日の昼には新しい街に着いた。

 モールの街を出てから約2週間。砂漠に森に地下の研究施設、山賊とナイトウルフ、植物性のゾンビにエルフの女戦士。何かと平和というには程遠い時間を過ごしたせいか、新しい街に着いてもどこか警戒をしてしまい、トールからは「皺寄ってるぞー。もう少し肩の力を抜けよー」と眉間をグリグリ押されてしまった。あれは少々痛かった。

 自分たちが今いるのは商業都市ルノア。サイペリア国中央地区東端に位置し、北のウィンダリア地区と東のテオドール地区との流通拠点となっている大きな街だ。

 この街は青灰色の石煉瓦で造られた3重の外壁によって守られている強固な造りであり、また内部の市街地も建物のほとんどが赤煉瓦で作られている。その姿から『レンガの街』と呼ばれ、また街より高い山や丘陵から見下ろした姿が青灰色の外壁部分と市街地の赤煉瓦の色から『目玉焼き』、外壁3重構造から『年輪』ともいわれている。

 戦前ではまだ国であったウィンダリアとテオドールに面した立地を生かした関所と内陸貿易都市を兼ねた街であり、戦時中には2国へ対しての最重要防衛都市として運用された。3重の外壁はこの時の産物である。

 またルノアはグランドリス大陸内の街の中で最も牙獣族(ガルムス)の人口比率が高く、道行く人々の多くがトールのような犬耳や猫耳、細身の尻尾やフサフサの尻尾と様々な動物的特徴を持っている。

 もともと有翼族(フェザニス)のウィンダリアと、樹人族(エルフ)のテオドールとも交流があったことから、ポートアレアに次ぐ在住人種数の多い街である。そのため人種同士の意識や差別の壁が薄く、戦後でも多くの多種族がこの街で暮らしている。

 西端の港町ポートアレアとはまた違った商業の街中で今、俺たちは何をしているかというと……。

「お待たせしました。ルノビール3つ、仔ペリブタの香草丸焼きです」

 ハンターだろうか、身体のあちらこちらについている傷跡、屈強な身体の中年男性3人の席にジョッキなみなみに注がれたルノア産ビールを3つと、照りと香草のきいた俺の二の腕2本分の太さの丸々とした仔豚の丸焼きを並べた。

「おう、ありがとよ!」

「おーい、兄ちゃん、こっちー!」

「はい、ただいま!」

 ハンターズギルド ルノア支部に隣接しているカフェ&バー『女神の微笑み亭』で臨時ウェイター&ウェイトレスをやっている。

 多くの人種が住み、多くの需要を満たしてきたこの街では、交易する商人たちの交差点であると共に接点の場としての発展をしてきた。次なる需要として現在も伸び続けているのが“接待の街”、つまり歓楽街である。

 飲食店や遊技場が多く、美男美女が我が店へとこちらに手を引く店が立ち並び、中には性を売り物にしている店も在る。

 このカフェ&バーはルノア支部長の奥方が経営しており、ポートアレア支部の1階にあった酒場と同様ハンターにとっての休息所である。昼間はカフェとして軽食を中心に、夜はお酒とディナーを中心とした酒場風となっている。

 他の併設酒場と違うのはハンター以外の一般人にも開放しており、むさ苦しく血なまぐさく陰気漂う酒場は、奥方の改善努力のおかげで明るく開放感のあふれ、お洒落なオープンカフェテリアとして街の人々からも愛される場所となった。

 その雰囲気に押されてか、ルノア所属のハンターたちは他支部に比べて、身なりに気を使っている者が多い。

 またハンターギルドに隣接・提携しているために仕事が無いハンターたちの小遣い稼ぎ及び接客練習場としても活用され、通常では考えづらい猛者顔のウェイターがいるときもある。

 この店の制服は長袖の白いスタンドカラーシャツに黒の蝶ネクタイ、黒のロング腰エプロンとスラックス。

 女性は長袖の白いスタンドカラーシャツに黒い大き目の蝶ネクタイ、黒いハイウェストのセミロングフリルスカート、白いミニの腰エプロンと、男女ともにモノクロで統一されている。

「お嬢さん、そりゃホーンドのコスプレかい?」

「は、はい! そうなんですよー! どうです? 似合いますか?」

 カキョウはホーンドであることを隠すより、コスプレと偽ることで角を出したままにできるようになった。

「似合ってるけど、せっかくなら服装もホーンドぽく、あっちの民族衣装でやりゃよかったのによ」

 ああ、そこの絡んでいる中年男性よ、彼女の普段着はしっかりと民族衣装だ。出会った時から民族衣装だったのでむしろ今の洋装スタイルのほうが珍しく、個人的に時々目移りしてしまう。

「いやいや、あっちの服を着たら攫われちゃいますって!」

「ははは! そいつもそうか!!」

 カキョウも中年男性も笑っているが、正直洒落にもならない話である。

 なお、臨時ウェイター&ウェイトレスは俺とカキョウだけで、トールは支部の外回り的な小さな仕事を請け負い、ルカは毎朝教会で礼拝を済ませるとトールの手伝い、ネフェルトはギルド内にある研究施設で森の地下研究所から回収してきた木の心臓の解析を手伝っている。

 カキョウの正体については他のハンターには知らせておらず、この支部では支部長とその奥方だけが知っている。

 外部の人間だけじゃなく、内部の人間でも信用しきれるものではない。同じギルドに所属しているというだけで、悪く言えば見ず知らずの他人でしかない。

 モールでの山賊事件はネフェルトのおかげで一瞬で終わってしまったからよかったものの、今ここには俺とカキョウだけだ。この状況で事が起きたら、自分たちだけで対処できるのだろうか?

 と、そんなことを考える暇はあまり無く、現在は最も賑わうディナータイムだ。次々とやってくる注文に、自転車操業のように応える。

 最初のうちはオーダーの聞き間違えや、配膳の間違え、すれ違う際にぶつかったりと慣れない仕事に散々な状態で、仕事上がりの夜はそれはもう爆睡してしまった。さすがに一週間も従事すれば少しは慣れたものの、ディナータイムの多さにはまだまだ付いていくのがやっとである。

 夜の帳が下りようとしている時間でも人々の活気が納まることなく、時間がたっても眠ることを知らないようにこの街は煌々と照るのを止めない。



 時間が進み、閉店時間の夜10時となった。

 この店の場合、閉店時間後も居座ろうものなら、待機中の屈強なハンターたちによって、外に投げ捨てる可能性があると張り紙がしてあり、過去に数人が投げ捨てられた事件も在るために利用者が多い割には閉店時間を守るお客ばかりである。

「はい、今日もお疲れ様でした」

 奥から出てきたのは、この店の女主人であり、ルノア支部の副支部長を務めるアーシェア。腰まで届くほどの淡いアクアブルーのゆるふわロングウェーブ髪で、耳が魚のヒレ上になっている、純粋な魚人族(シープル)の女性。背はカキョウより若干高く、黒のオフショルダートップスに、深めのマリンブルー色のフレアスカートと軽やかな大人の女性感を演出している。

「それとはい、これ、お給金です」

 そういって手渡されたのは、紙幣と硬貨の入った茶色い封筒だった。

「ありがとうございます。ということは……」

 この臨時ウェイター&ウェイトレスは給金の支払をもって終了とするという簡易契約で行われた。支払のタイミングは現在の支部の状況等を鑑みてからというものだった。

「はい、一週間お疲れさまでした。そうそう、主人があなた達とお話ししたいから、この後部屋に来てほしいんですって」

 この方の主人というと、この支部を仕切る支部長その人であるために、部屋への呼び出しと言われると何か大事か、依頼ごとかと少々身構えてしまう。

 そんなことを考えている間に、アーシェアがこちらの眼前に迫っていた。

「…………………………ねぇ、このままここで働く気はない?」

 そう言いながらアーシェアは、自分とカキョウの手を取り、頬を赤らめつつ“見えないはず”の瞳を開き、しっとりとした眼差しで見つめてきた。

 いつもは閉じられている瞳は、光の明滅のみを伝えるだけの視力しか持ち合わせておらず、瞼に外界の情景を読み取るための魔術と魔力隠しの魔術を刻印しているために開くことはまずない。この瞳が開くときは、何らかの魔法が使われる時という説明を受けている。

 秘められた瞳は焦点が若干ずれてはいるものの、自分のインディゴブルーとも、ラディスの透き通った水色とも、ネフェルトの瑠璃色とも違う、深い深い水底の色をしており、見つめられるとまるで“水底よりも深いところへ落ちていく感覚”に包まれていく。

「おい、アーシェア! なーに、誘惑(チャーム)の魔法使ってるんだ!」

 それは怒号というよりも驚きと慌てという若干軽い男の叫び声だった。その言葉の後、水底に合った意識が水面へと浮上した。

 声の主はバーカウンターの奥にあるバックヤードから出てきた、このルノア支部支部長兼女神の微笑み亭オーナー、そしてアーシェアの夫であるマーカス・リンドウィルだった。ふっさりとしたもみあげと右側だけ前髪を垂らしたレモンイエローの短髪。体格は自分と同じぐらいの大柄であり、ハリのきいた白いワイシャツの下から主張する筋肉は、自分と同じかそれ以上思い武器を扱う者の証と言わんばかり。明らかに屈強な戦士という姿を黒とグレーのツートンベストによって、かろうじて事務か所長ぽさが出されている。

「だ、だって、こんなに売り上げが出たの久々なのよ! トール君の時か、それ以上なのよ!」

 アーシェアは咎められつつも、プリプリと反論しながらマーカスの元に寄って行った。そんな彼女に対し、当のマーカスは盛大にため息をつきながら、頭を掻いていた。

「当たり前だろう。トールん時は一人だけだったんだから、根本的に回転率が違う」

「あら、人数が多いのと回転率がいいのは若干違うのよ? これは偏(ひとえ)に二人の才能! 適材適所って言葉もあるでしょ」

「馬鹿を言え。適材適所っていうなら、こいつらはウェイターなんかに留めてるより、いろんな経験をさせたほうがよっぽど伸びる! それに、若手なんていくらでも欲しいぐらいだ! こいつらは絶対やらんぞ!」

「なによ! マーくんのケチ!」

「だから人前でマーくんは、やめろって!」

 何やら自分たちの引き抜き合戦かと思いきや、アーシェアはマーカスに近づくと、ワイシャツの下から主張するたくましい胸をポカスカと可愛らしく殴っており、殴られている方はマーくんと呼ばれたことに対して頬や耳を赤らめつつも、妙にまんざらでもないような顔をしている。微笑ましいというには、妙に甘ったるい光景に名前を付けるならば。

「ああ、これが惚気というものか」

「うん、そうだね」

 そして蚊帳の外として取り残された自分たちは呆気にとられ、二人に向ける視線は生暖かった。

 そんなこちらからの視線に気づいたマーカスは顔色を一層赤くすると、慌てて咳払いしつつ、軽く殴ってくるアーシェアを引きはがした。

「んん! あー、お前ら、今から時間あるか?」

 現在は夜の10時過ぎ。何らかの用事に付き合わせるにしても、それなりに夜も更けているため、本来なら断ってもいい時間だろう。

 だが、わざわざ支部長という重責の人間が時間を作ってほしそうな発言は、気になるものであり、この後は風呂と就寝が待つばかりだったので、自分は問題なかった。

「自分は大丈夫です」

「アタシも大丈夫です!」

 同じ仕事をしていれば、自ずと時間の使い方も似通ってくるために、カキョウもまた同じ答えとなっていた。

「よし、なら付いてきてくれ」

 そういって、マーカスはカフェのバーカウンターの奥にあるバックヤードへと入っていく。アーシェアは残りの片づけをするからとここに残ると、自分とカキョウは先に行ったマーカスの後を追った。



 ルノアの夜は本当に明るい。自然の明るさではなく、歓楽街の照明による人工的な明るさだ。今が夜であるにもかかわらずその建物の色、周りの構造などが分かるほど周囲は夕方ぐらいの光量を保っている。

 だが、いかに眠らない町という肩書を持っていても、街灯がほとんどない場所では、暗がりは暗黒そのものであった。その証拠と言わんばかりに、バックヤードの勝手口の先には街灯も少なければ、人通りの全くない暗い路地につながっていた。裏路地は何故か金網上の塀(フェンス)と、その先に赤レンガで組み上げられた塀という二重構造の物々しい雰囲気である。

「暗いから、足元に気をつけろよ」

 マーカスに注意を促されたが、実際に塀の向こうからくる街の光を頼りに進まなければならないほど、この路地は暗かった。

 50mほど進むと、その先には金網の塀と同じ構造をした観音開きの扉が現れ、さらに奥には暗がりの中でも色が分かるほど白く低層で、広々とした建物があった。

 この白い建物は、路地と同じように金網と赤レンガの塀によって取り囲まれており、支部の建物から連結するように二重壁の形によって守られている。また、勝手口からはこの路地を通らないと入れない構造になっており、かなり厳重な守りであるとわかる。恐らくギルドが有する中でも重要度の高い建物なのだろう。

 だが厳重という割には、正面に現れた金網製の扉の取っ手をマーカスがひねっただけで、簡単に開いてしまった。支部長だからこそ開けられる魔法なのか、または勝手口からしか出入りができない構造であるために、防犯力は一定数確保されているのかもしれない。

 白い建物へさらに近づいてみれば、自分の目線よりも少し高い位置に横長い採光用の窓がついている程度で、残りのほとんどはただの白壁であり、まるで中を見られたくないような雰囲気を出している。また、低層とは言ったものの、あくまでも二階建てではないというだけで、建物の高さやこの建物の入り口そのものは巨人族(タイタニア)が余裕で通過できてしまうほどである。

 建物の入り口は、これまた厳重に重そうな鉄製の扉であった。マーカスは取っ手を回して、重厚な扉を軽々と開けると、中には外壁と同じく真っ白い壁が続いたエントランスが広がっていた。エントランスの壁面には、いくつあのガラス扉がついており、中では白衣と呼ばれる長めの外套に似た白い羽織を着た者たちが、せわしなく作業を行っているように見える。

「あら、ダインさん、カキョウさん」

 ガラス扉の一つから、来訪者に気づいた人物ことネフェルトが姿を現した。ネフェルトはトールの知人である商人からもらった黒い布で作った簡易のドレスから、周囲の研究者らしき者たちと同じ白衣を羽織り、下には白衣に合わせた白いワンピースを着ている。どちらも背中部分は有翼族(フェザニス)用に穴をあけて翼が出せるように調整されている。

 この施設は、現在ネフェルトが調査協力をしている全ハンターズ・ギルドの中でも唯一の研究施設である。

 護衛や討伐を主に取り扱うハンターズギルドにとって、時々やって来る研究職系統の人間は貴重であり、逆に彼らに適した仕事場が用意できるのもこの場所しかなく、採用後ほとんどこの研究施設で勤務することになる。

 俺たちが持ち帰った木の心臓もここで調査されており、ネフェルトは持ち帰った当事者であるのと同時に、魔術師として調査に協力している。

「お二人ともその恰好、とても似合っていますよ」

 ネフェルトに言われて気づいたが、自分たちは仕事上がりのままここに来ているので、当然ウエイター・ウエイトレスの衣装のままであり、場違い感がすさまじかった。特にカキョウはウェイトレスと言うよりシンプルなメイド服と言ってもいい服装なので、さらに場違い感が増している。加えて、複数のガラス戸からはこちらを見る好奇の眼差しが注がれ、羞恥心がさらに加速していく。カキョウもそれらの視線に気づいたらしく、自分の半歩後ろに隠れた。

「さて、ネフェルト。例の心臓について分かったことを報告してくれ」

「わかりました。こちらをご覧ください」

 そう言って、マーカスはネフェルトから差し出されて十数枚の紙束を受け取ると、その場ですぐに目を通し始めた。なんでも、今日が報告期限であったこともあり、マーカスがやってくることは事前に知っていたために用意してあったようだ。

 マーカスは一枚あたりに数秒程度しか読まず、流し見をしているといった最中、とあるページで動きが止まった。そのページだけ食い入るようにように、眉間の皴を深くしながら、射殺さんばかりの視線で読み込んでいる。

「……おい、この大量生産に向くって、マジなのか」

「はい。苗となる物が一つでもあれば、そこに書いてある方法で1日ずつ倍々に」

 マーカスの鬼のような無表情とネフェルトの言葉からして、紫髪のエクソシストが言っていた“苗の軍事利用”に当たる部分のことだろう。端々の言葉から“1日ずつ倍々”と言うことは、最初は1個、2個、4個程度であっても、次の4日目には8個、5日目には16個と極端な倍率となっていく。ティタニスやサイぺリアといった三国同盟の国での軍隊では、20人で一個小隊となるために、1週間で小規模軍隊が出来上がってしまうという計算となる。

 さらに恐ろしいのが、あの時に思い知った“死体たちの自律行動”だ。魔術の刻印内容によっては、もっと高度で戦略的な行動も取れるようになる。しかも肉体すでに死んでいるために、使い捨てやすさもある。加えて、戦場ならばその場で失われる命も多く、その場で新しい不死兵が生まれることも考えられる。

 つまり木の心臓さえあれば、長期的もしくは永続的な戦場を形成することも可能になってしまうのだ。

 これらは自分の推測とはいえ、おそらくネフェルトや研究者たちも同じ結論に至っているはずである。

「はぁ……、分かった」

 これらの報告と推測を聞いたマーカスは、眉間をほぐすように抑えながら、今までで一番深い溜息をついた。おそらく、報告書の内容と自分の推察に差がないか、それ以上の悪い結果が書かれているのだろう。

 自分たちの憶測通り、木の心臓を使ったアンデッド量産実験が軍事利用目的で作られたものならば、それを実験していたこの国では、一体何が起きようとしているのだろうか。再び戦争が起きてしまうのだろうか? ならば次の相手国は何処だ? 隣国はすべて手中に収めているために、残すは海向こうの国々となる。

(ティタニスもか……)

 故郷ではあるために気になりはするものの、自分は永久追放という形で今この場所にいる。故郷がどうなろうとも、何も手立てができないだろう。無理やりにでも知ったことではないと考えるしかないのだ。

「んまぁ、内容は最悪だが結果は上々だ。よくやってくれた。後は所員たちが引き継ぎつつ、オーレル子爵の行方を追っている者たちからの情報を待つしかないな」

 溜息と心の疲弊交じりの労いはやや重く、これから新たに積みあがっていく問題のマーカスは頭を抱えていた。

「えっと、その子爵って行方不明なんだっけ……。もう消されたとか?」

「まぁ、恐らくそうだろうな」

 カキョウの質問に、やはり重々しくマーカスが答える。

 キスカの森の中にあったアンデッドの発生源であった洋館及び地下研究施設の所有者であったオーレル子爵は、アンデッドの目撃情報が出始めたあたりから、貴族院の会議や会合を無断で欠席していたようであり、首都のサイペリス内にある邸宅はもぬけの殻であった。はじめは誰もが夜逃げと考えたものの、それならば子爵の目撃情報があってもよいはずなのに、一切の報告が上がってきていないようである。

 最悪の想像として、地下研究施設で戦ったアンデッドの中に、オーレル子爵自身が混じっていた可能性も考えた。それらも含めて、今後についてはルノア支部にすべてが引き継がれていくことだろう。

「さて、今日はもう休んでいいぞ。それと、明後日の朝9時に俺の執務室まで来てくれ。トールとルカには、もう伝えてあるる」

「明後日ですか?」

「そう。お前たちに任せたい任務がいくつかあるんだが、ちょっと調整中でな。そういうわけで、明日は1日自由行動! つまり休みだ! 存分に休むがいい!」

 マーカスの高らかな突然の休日宣言に、戸惑いつつも心が弾んでしまった。何せハンターになったから、はじめての休日というものであり、自分自身の足で“自由”な意思のままに行動できる、初めての時間なのだ。

「了解しました。ありがとうございます」

 自分が代表して頭を下げたつもりだったが、視界の隅には仕事が終わって安堵したのか口角の上がったカキョウとネフェルトが一緒になって頭を下げている。

「よし! では、解散!」

 号令に促されるまま、自分たちは足早に研究施設のエントランスを出ると、眠らない町の夜闇の中、ギルド支部兼カフェバーの建物へと帰っていった。




 移動した先はギルド支部3階の宿舎で、この1週間寝泊りしている部屋の前の談話スペースだ。そこにはすでに帰ってきていたトールとルカがそれぞれ椅子に腰掛けていた。

「はーい、みんな1週間お疲れ様でしたっと」

「お疲れ様、です」

 談話スペースには一人掛け用の背もたれの高いソファーが4つと、それにあわせた円形テーブル、その近くの壁に2人掛けのソファーが一つあり、俺は先に2人掛けソファーに座らせてもらった。

「いいの?」

 やや遠慮しがちにカキョウが一人用のソファーを指差している。

「俺には少し狭い」

 そう言ってやれば、小さく「分かった」と言って、やっと座ってくれた。

 実際に俺はトールよりも背は低いが、肩幅はあるのでその一人掛け用のソファーだと内向きになっている両辺が肩に当たってしまうだろう。

 座った後、カキョウは椅子を少し後ろに押し出し、俺にも円形テーブルが……正しくはみんなの顔が見やすいようにしてくれた。

「ではネフェさん、木の心臓の件ですが、俺たちにも教えてもらえませんか?」

 着席したばかりのネフェルトに本題を差し向けると、みんなの視線がネフェさんへ一気に向けられた。

「分かりました。今回の調査内容は媒介である植物の特定、掛けられている術と作用、その物の生産方法、そして量産方法と量産性の有無でした」

 木の心臓はネフェルトの所見で魔法がこめられた人工物であるということから、マーカスがその意見と現場を見ていた人物であり、魔法・魔術に精通しているヒトとしてネフェさんに調査の協力を依頼していた。

「では、個々に結論を言っていきます。

 媒介はオークの木……コウエン国ではナラと呼ばれている一般的な木で、仕掛けられている術は鼓動及び脈動しなくなった身体に根を張り、欠損した骨格や腐食した筋肉の代行を行い、命令や魔法などによる誘導に伴った自律行動を行う。というものでした」

「うんまぁ、予想通りというか、あの時見た光景のまんまってことか」

 トールが言うように、あの時に見た光景のままであるし、ただのオークの木ならその辺にも生えているほど一般的なものだ。

「そうです。……しかし、これは改良の余地がまだ残されているという見解です」

「改良の、よち?」

「えー……、つまりあれより強いのが出てくるってこと?」

「そういうことになります。もっと硬い木材や、耐火性のあるもの、術式の幅にも余裕がまだありますので、細かい行動ができるようになったり……あとは死体の鮮度にもよります。死後直後などほとんど腐敗していないものなら、生きているヒトと同じぐらいの強さを発揮できるかもしれません」

 マーカスが言っていた最悪の意味が見えてきた。

 戦争中……というより戦闘中ならば、兵が死んだその瞬間から木の心臓を埋め込むだけで、即席の兵士ができる。しかも俺達が戦った個体も屈強で強固で耐火性があり、行動がきめ細かな個体が。泥沼の循環が止まらない最悪の地獄絵図になる。

「それと量産方法についてなのですが……あの木の心臓は“死体が入った水につけておく”と、勝手に分裂して増殖するようです。水は真水でなくてもよく、水で濃度を薄めた薬液でも良いのです。あの地下にあった水槽では死体の腐敗を抑える薬を使いながら、一緒に木の心臓を入れて、心臓の増殖とアンデッド化を同時にやっていたのだと思います」

「はぁ……、よく見つけましたね」

 呆れのため息しか出ない。もちろんネフェさんに対してではなく、ろくでもない物を作った奴に対してだ。

 見てしまった以上は部外者と言うわけにはいかない。

誰が……子爵が? いや、それよりもっと上が?

 何の目的に……本当に戦争のためか? ただの労働力確保とかもあるのでは……。

 なんて、考えてみたが、肉体の持ち主が望まない以上は、いかなる目的であれこの行為は死者への冒涜だ。

「そうですね……。サンプルの心臓も1個しかなかったので、所員の方からまず状況を再現して数を増やせるかの実験をしてみようと。個数が増えたら条件を変えながらという感じに」

 しまった……。先のため息がネフェルトに向けられたものとして捉えられたのか、彼女は苦々しい苦笑の顔を返してきた。

「あ……すいません、ネフェさんに対してじゃ……」

「あ、いえいえ! 大丈夫です! 私も皆さんと同じで、調べながら何度も頭を抱えさせられたか……」

 そう言われてみんなの表情を見れば、トールは隠さずに酷い呆れ顔だし、カキョウも呆れの中に怒りを抱え、ルカは涙目に小さく「酷すぎます……」とつぶやいている。

「そして問題は、木の心臓そのものの作り方なんです。

 あの木の心臓はこぶし大でも、注がれている樹のマナはかなり濃密なものです。ただ注入するだけではあの心臓に施されている術式を完全に起動させることは出来ません。それこそ樹のマナの専門家じゃないと……」

 樹のマナの専門家となると、それを専科する魔術師もしくは……。

「つまり、ネフェさんはあのエルフが関わっていると……」

「いえ、それは違うと思います。あの時、あのヒトが発していた樹のマナと、木の心臓に残されていたマナは少し違いましたので、樹専門魔術師か別のエルフかと」

 マナとは魔法を使えば消費されるものであるが、消費後もわずかに残り香のように対象に残る。

 また、同じ属性のマナでも術を施したヒトが違えば、ほんのりと特色が変る。同じ魔法でも効力に差がでるのは術を施した際に生じる想いや技術力によるものだ。ヒーリングのように癒しの魔法なら術者がどれだけ相手を癒したいかという想いの大きさによって、傷の治り方の違いやそれ以外の効果が付与される可能性が生まれる。

 このように魔法、魔術から発せされるマナは術者によって千差万別に“個性”を伴う。

 この違いが分かる人というのが“マナを感じやすいヒト”であり、その多くの人が魔術を学び、魔法を使うことを得意としている。そういう人たちに言わせれば、マナとは空気中に漂う水のような流れらしい。

 逆に“マナを感じにくいヒト”とは、そんな流れのようなものは感じない、もしくは薄っすらとこれなのか? と感じれる程度だ。……それが俺なのだが。

 そういうマナを感じにくい人は空気中に在るマナに頼らず、接触魔法等の効果対象に直に触れて自身のマナを流し込める魔法に頼るようになる。

 俺のグラインドアッパーはその典型例で、武器に加速の魔法を込めて切り上げているだけだ。加速の魔法と円を描いた振り上げる動作の合わせた動きが『技』となる。他にも武器に加重の魔法を加えて上から叩き下ろす技や、武器に硬化の魔法を加えて様々な攻撃を武器で受け止めれるようにするなどがある。

 このように、感じにくいヒトはそのヒトなりに工夫して生きてきている。

 見る限りネフェルトというのはマナも感じやすければ保有量もかなり多く見える。まるで、生まれながらに魔術師になるための存在にも見える。

「まぁ、あのヒトが実験そのものに関わっていないとしても、警戒するべきなのは変んない」

 意識が大きく逸れたがトールがいうように、あのエルフの女戦士は生きている限り、これからも相見えるのだろう。

「後はオーレル子爵自身の近況なども含めて追って調査、今後この件はギルド本部預かりとなります」

「分かりました。ネフェさんありがとうございます……」

 この件はギルドの預かりとなった以上、俺たちの出番はこれで終了なのだが、いくつか腑に落ちない点がある。

「どうしましたか? 何かご不明な点でも?」

「……なぜ、アンデッド作成に木の心臓という形を取ったのかと思って」

 アンデッドを作成するだけなら、それこそ死体に死体操作系の魔法などを直接使えばいいのではないだろうか? そちらのほうが時間的手間もコスト的な問題も考える必要がなくなるのにと。

「私もそこは考えました。自論でよろしければお答えしますけど……」

 自論とは言っても、ネフェルトは実際に木の心臓の調査協力をしている分、自分たちよりも間近で見ており、多く理解しているはずである。

「お願いします」

 ネフェルトは「わかりました」と答えると、目を瞑り一度大きく深呼吸をして、語りだした。

「まず、死者蘇生や死体操作の魔法についてですが、これは過去に存在していたらしいですが、現在は禁忌魔法として扱われています。禁止法が施行されたときには、術式や詠唱などは文献ごと破棄、滅却処分などを行い、知っている人たちは使用及び研究の禁止、魔法や薬による忘却処置といったを厳重な処理をしていたと聞きます」

「ですが、今回の内容は死体操作では……?」

 俺が口走ったように死体を蘇生させているわけではないが、死体を意図的に操り、動かしていたのではないか。それは禁忌に抵触するのではないだろうか?

「実は、魔法学上だと別物になるんです。

 死体操作とは死体に自身の魔力を流し込み、魔術を定着させて、そこから直接指示を出すものです。

 しかし、今回の木の心臓は、あくまでも木の心臓が死体に寄生して動かしている、という1つ多くの要素が加わっているために違うものとなっており、法には抵触しないんです」

「え、え? どっちも死体を操作することには変わりないんじゃ?」

 カキョウの言うように、死体を操作するというだけなら同じことだと思う、そこに1つの工程が加わろうと、悪意を持って動かそうとしているのならば同じではないだろうか?

「確かに普通の感覚でなら、どっちも同じように感じられるかと思いますが、前者は死体に直接魔術が施されたのに対し、後者は木の心臓に魔術が施されて間接的で擬似的に操作ができるようになっているものなのです」

 実はこの直接と間接ってのが重要らしい。

 魔法とは発動した後はその発動地点……魔術の痕跡が残り香のように付着しているらしく、魔術師など魔法に詳しい者や、マナの感知能力が高い者でないと分からない。俺達のようにマナの感知に疎い者にはそこには何も無く、無味無臭無色透明な空間にしか感じれないのだと言う。

 本来の死体操作の場合、死体そのものに魔術が施され、そのために魔術の痕跡が残っているはずであるという。これが先の話で言う直接魔術ということだ。

 だが、これが今回の木の心臓を用いたアンデッドの場合、魔術の残り香は木の心臓にのみ起こり、死体には残らない。検証のために解剖しても、あくまで木に寄生された死体というだけであり、死体には魔術の痕跡が見つからないのだという。

「ちなみに、最初に言った禁止法による死者操作魔法の定義としては魔法を死者に使用するという文章だけで、木の心臓など間接的な操作には一切触れていないんです。つまり、木の心臓に施された魔術の中に、木の心臓が傷を負ったりして基礎となる魔術が損傷、破壊されたのなら、木の心臓に施されたすべての魔術を粉々に破壊する魔術や自己発火によって燃焼して消滅する魔術を組み込むことで証拠隠滅に近づけるという意見も出ました」

「おおっと、つまり間接的にするだけであっさりと脱法できちゃうわけか」

 自己発火の場合は燃焼痕が残ってしまうものの、それには別の魔術によって焼けたという別の証拠しか残らない。

 このように予め詳しく魔術を施しておけば、何でも出来てしまうという可能性を予知として多く残しているという。

「次にコスト面についてですが」

 と、ネフェルトの言葉にもうそろそろ定期化しそうなカキョウの頭に出る『?』の文字。近くに座っているので横から「物を作る時の費用や経費のこと」と伝えれば、「そっかー。外の国って近い言葉を便利にまとめるんだね」と言ってきた。

 確かに俺たちは費用や経費を大きな枠組みとしてコストと呼んでいる。これも由来は古代語らしく、そのほかにも多くの言葉が古代語由来である。対して、カキョウの故郷のコウエンではあまり古代語由来の言葉は存在しないのだろうか?

 と、一瞬考えたものの、それよりも今は木の心臓についての大きな問題のほうである。

「物を使用している分だけコストがかかっているように見えますが、実際はとんでもなく低コストなんです。何故かと言うと、1個作ってしまい、培養施設ができてしまえば、その後はヒトの手をほとんど必要としません」

 費用がかかるのは最初だけ。その術を施す術者、媒介となる木の根。そして培養施設なのだが施設といっても、水が溜まっており、その中に死体を沈めた入れ物であれば、その辺のバケツでも樽でも鍋でも風呂でも構わない。

 比べて直接魔法を施す場合は、操作する死体ごとに魔術を施す必要があるので、多くの死体を動かすとなるとそれなりの人員、もしくは強大な魔力を持ったヒトを用意しなければならない。木の心臓なら、自身に施された術を発動させるための魔力も木の根が持つ本来のマナで足り、さらに生長することによってマナを増やせるために、さらにヒトの手が必要としなくなる。

「さらに直接法の場合は術者を倒せば、その術にかかっている全てのアンデッドを一度に停止することができますが、木の心臓は全てが個々に動いているものなので、全てを壊す必要があります」

 結局、死体が沈んだ湖あたりに木の心臓を1個でも投げ込んでおけば、勝手に増殖し、それは一つひとつを完全に破壊していかない限り、終息はしないトンでもないものだ。

「……これだけ聞いているとデメリットがないように感じれますね」

 トンでも無さ過ぎて、空気が重い。ルカに関しては、口元を押さえてだんまりだ。

「そうですね。デメリットとしては、増殖が完了するのに1日は必要な点です。直接、魔法をかけるならその場で量産できちゃいます。

 とはいっても、これも改良次第では培養にかかる時間の短縮だって出来る可能性もありますし、アレは生き物でもありますから、さらなる生長……進化する可能性を秘めています」

 そうだ、コレは植物である以上、生き物である。自生できる環境があれば勝手に生長し、やがて自己進化することもあるだろう。そうなれば、現在分かっているデメリットも克服したり、メリットを伸ばしてくることも考えられる。

 ましてや、それがヒトの手によって促進されでもしたら……。

「……頭が痛くなるような話ですね」

「ほんとですよ……知らなかったとはいえ、あの場所を放置してしまったことが……」

 俺たちはあくまでその場で動いていたアンデッドを全滅させ、エルフの女戦士を行動不能にさせただけであり、あの場に残っていた他の心臓や施設そのものを破壊してきた訳ではない。

 あの場所から離れて1週間。短いようでこの事件にしてみたらとてつもなく長い時間に感じれるほど、あの場所を少しでも放置している今が悔しい。

「まぁまぁお二人さん、それは今の今まで知らなかったし、仕方のない話であって、俺たちにはどうしようもないって」

「どうしようも無いって言われても……アレを見たのも、戦ったのもアタシたちなんだから、関わらせて欲しいような……」

「そう、ですね……。このままだと、多くの亡くなられた方の魂が……」

「汚されちゃうよね」

 カキョウとルカの意見はみんなの総意とも言えるものだ。

 生前が如何に善人であっても、犯罪者であっても、故人なれど個人の尊厳は尊重され、守られなければならない。そして荒らすことなく、静かに刻の中へと帰ることを願う。

 それは宗教以前に存在する、この世界の常識……いや、倫理的考え方であるはずだ。

 死と同様に、最後で最初に訪れる絶対的平等。

 しかし、これはそれらすらを踏みにじる行為。魂への冒涜。許されざる所業であろう。

「……だが、すでに俺たちの手を離れてしまった以上は、関わるべきではない……不本意だが、この件についてはもう心に留めておく程度にしておこう」

 俺だって、この件がどうなっていくのかは気になるが、これ以上は俺たちの手に余る内容へ変り、管轄も支部ではなくギルドの本部という更に上の組織へと変わった。

 トールの言うとおり、俺たちにはすでにどうしようもなく、この件に関わることは終わりであり、後はギルド側に全てを任せるしかない。

 皆も渋々ながらそれを理解してくれたようで、カキョウなんかは欠伸をし始めている。

「さて、解散したいところだが、皆は明日はどうする?」

 本来なら次の依頼に必要な物の買出しなどだろうが、明日はゆっくり休めと念押されているために、仕事のことは考えないようにしようと思うのだが、本当に仕事を考える必要のない“自由な時間”に俺自身はまだ戸惑っている。

 だからこそ、皆がどう過ごすのかのアイディアを聞かせて欲しかった。

「そういや、どうしようか……睡眠とかは足りてるし……」

 確かに惰眠をむさぼる必要がないほど、ルノアに着てから安全安眠続きだ。

「あーそれなんだが、俺から提案があるんだ」

 手を上げたのはトールだった。

 詳しいことは明日の朝、皆が適当に合流したときにということで、今夜はお開きとなった。

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