2-終 氷山の一角

 森を出たときは太陽は既に天高く昇り、頭上真上の位置にあった。正午ぐらいかな?

 湿気漂った洋館と森を背に、アタシたち6人は森が小さく見える場所まで、ほんのり影が尾を引く程度の方向へ小走りで走り続けた。

「つぁっ……ハァ! も、もう、このあたりでよくない?」

 小走りながらも戦闘直後から走りっぱなしで、後続と化したルカとネフェさんを見るために止まって振り向いた途端、息が完全に上がりきってしまった。

 肺が空気を一気に取り込もうとし、体が動いてくれない。

 倒れこみたいという気持ちはあるが、やれば本当に体が動かなくなってしまいそうで、それだけは避けようと膝を押さえながら立っている。

「ハァ……ハァ……、そう……だな」

 先を走っていたダインと紫髪のお兄さんが走りを緩め、こちらに振り向いた。二人に釣られて改めて後ろを振り向くと、必死に付いてきていたルカとネフェさん、そして殿を務めていたトールが追いついた。

「まぁ、ここまで来れば大丈夫っしょ。後は歩きながらでも」

 汗ひとつかかずに爽やか笑顔でここまで走ってきたトールにほんのり嫉妬しながらも、呼吸を落ち着かせながら、ゆっくりと歩き出した。

 少し間をおいて、全員の足並みと呼吸が落ち着いてから、紫髪のお兄さんが口を開いた。

「さて……何から話そうか」

「まぁ、まずは聞きたい用件は、ニーサンが何者であるか。何故あの場所にいたか。あの場所について知っていること。そして襲ってきたエルフの女性について」

 「ふむ……」と、紫髪のお兄さんはため息混じりに一言つぶやき、話し始めた。



「……まず一つ目についてだが、名前はまだ伏せておく。さしずめただの放浪者と……」

「いやいやいやいや! ニーサンがエクソシスト様だってのは分かってるんだから、教会の仕事関係でしょ? 何? オープンに出来ない仕事?」

「…………」

 やや高圧的かと感じれるトールからの質問に、言葉を詰まらせた……というより、答えそのものを出し渋っている様子だ。

 『えくそしすと』の意味は分からないけど、雰囲気からして職業ではないかと認識できた。

 『おーぷん』というと開示とか公開とかいう意味の言葉なのは知っていたので、ルカを小突いて教会内のお仕事について聞いてみた。

「基本的に公開、です………でも、高位の方々であれば極秘の任務などもあるので、一概には言えない……と思う、です」

 一般的な組織なら極秘となる非公開な部分が出てくるのは当然の話だと思うが、慈善を事業を主軸にしている組織体で極秘があると言われると心なしか信用が欠けると感じてしまった。

「高位の奴らの任務と言っても、除霊やら退魔とか儀礼だろ? むしろ実績として開示したほうが教会の信用度なども上がって、国外への布教にも役立つんじゃないのか?」

 トールの言うことはもっともだと思った。

 アタシがコウエン国にいたころは、港町や首都の人通りのあるところでも、聖フェオネシア教の人たちが布教活動のような催し物の案内紙を配ったりしているのを見たことがあるが、コウエン国には独自の国教が存在するために、あまり立ち止まる人がいない。

 やはり見える実績が伴わないことには、誰からも見てもらえない。

 知ってる人だけが知ってるというというのは、結局小さな範囲の話しでしかない。

 そう思うと、大なり小なりみんな同じ話なんだと、徐々に伸びつつある自分の影に視線を落としてしまった。

 しかし紫髪のお兄さんは呆れとも取れるような溜息をついた。

「あのな……教会もとい聖フェオネシア教は確かに表向きは慈善事業を主体としているが、実際はただの宗教団体であり、思想の布教とそれによる大きなコミュニティの形成が本来の目的だ。

 ただし国教という形で法律上強固に守られ、事業運営のために退魔除霊儀礼などの対外事業の展開、お布施など事業外収益も認められている極めて特殊な組織だ。

 いわば慈善事業はパフォーマンス的な面が強く、しかも慈善と言うだけあって支出はあれど収入は少ない事業だ。まぁ、孤児院事業に関しては年数はかかるが多くの割合で思想の兄弟たる信徒が確実に増えるため、積極的ではないものの続けているという形だな」

 ぱ、ぱふぉ……とまたも聴きなれない言葉を口ずさもうとしてると、今度はダインのほうから『演技的な』という認識でいいと補助が入った。言語に関しては周りから助けられてばかりだな、ほんと。

 つまり、この紫髪のお兄さんはこともあろうか、孤児院から先日出てきたばかりの現役信徒で巡礼の旅真っ最中のルカの前で、主軸事業は演技として、見世物として行われているもんだと言ってのけた。

 ルカに視線をやれば、俯きながらも、

「教会も孤児院も運営するにはお金が掛かりま、す。それは理解できているというか、ちゃんと教えられます。

 でも、それをすることで貧困や私たちのような子供は減り、ゆっくりと世界は良い方向へと導かれる……と」

 ……なんとか言葉をつむいでいた。でも覗き込めば、恐らく悲しそうな顔があるんだろう。

 察しだけはつく。でもその胸の痛みも当事者では無い以上、想像でしかなく、言葉を掛けようにも気安く掛けれるほど軽いという雰囲気でもない。

「……シスター、名は?」

「ルカ、といいます」

「ならシスター・ルカ、君のマザーは?」

「シスター・マイカ、です」

「ああ、マイカ氏か。あの方なら……そうか」

 お知り合いの仲なのか、それとも有名な人なんだろうか?

 紫髪のお兄さんは一呼吸すると立ち止まって、ルカのほうを真っ直ぐ見た。

 ルカは振り向かれて当然なんだけど、残りのアタシ達は全員釣られるように立ち止まった。

 ルカに向けられた眼差しは、自分たちにじゃなくてもはっきりと分かるほど力強く訴えかけていた。

「シスター・ルカ、君に忠告しておく。……教会は一枚岩でもなければ、完全善意など存在

ない。君が思っているほど綺麗でもなければ、優しくもない。真実を知ったとき、ちゃんと自分で立っていられるだけの覚悟か信条を見つけておくといい」

「どう、して、そんなことを……?」

「…………悲しみに打ちひしがれる兄弟が増えるのは忍びない。それだけだ」

 最後の言葉ではルカからやや視線を外していたが、眉間に寄った皺が周囲のアタシたちまで伝わるほど重いものに化けさせた。

 鎮痛にも似た空気が流れ、耐えかねた発言者が急いで踵を返し、再び歩き始めた。

「さて、話がそれたが教会について付け加えておく。アレは結局のところ国教としての認可があるために、事業そのものが国の政治・運営にも係ってくる。当然、明らかに極秘性が生じる仕事も発生する」

「はぁ!? 国の事業なら尚のこと……」

「教会の仕事の中には王族、貴族といった要人の警護の直接的支援、大規模戦闘における後方支援等の作戦情報といった情報漏洩が起きてはならないものもあるんだが?」

「ああ……そいつもそうだな。すまん、失念してた」

「いやいい。だが……だからといって、俺がそういった秘匿性のある任務に携わっているわけではない。

 少し話は変わるが、お前たちは全員、魔法ないしアーツは使っているよな?」

「そりゃーまぁ……、使えるものは使わないと生き残れないし」

「……最低でもサイペリア国民に関しては、一般常識として200年前の聖魔大戦において、聖魔双方の主神はこの世から消え、残りの4属性の大精霊たちもこの世界を放棄し、世界から色とマナは消え去ったと教えられた。そうだな?」

「そ、そうです、ね。でもその後、私たちの教祖フェオネシア様が世界に色とマナを蘇らせ……世界は元通りになりました、と……」

「んだねぇ。俺もそう教えられたな」

 トールがルカの話しに同意すると、ダインとネフェさんも続いて『同じ』だと言った。

「ほう……フェザニスの貴女もそう教わったのか」

「えっと……それは問題であるということでしょうか?」

「いや、ただ20年の歳月で行われた隷属教育というものは、既に完成しきっているのだと痛感しただけだ」

「れ、隷属教育……まさか……では……」

 聴いた瞬間は一瞬怒りのような表情を見せたネフェさんも、言葉を噛み締めるごとに思い当たる節を見つけたのだろう。

 でもネフェさんの中に起きた変化に察しがついた。

「さて、今聞いた3人に問うが……本当にそうなのだろうか? ただ教えられた内容が真実とは限らない」

「は? どういうことなんだ?」

 そう、ネフェさんはフェザニスであり、フェザニスが多く暮らすウィンダリア地区は元々20年前に起きたという戦争以前は別の国だったので、ルカの言ったサイペリア国民ならばという範囲に入らない可能性もある。

「さて……そこの有角の女お嬢さん、コウエン国はどうなのだ?」

 はい、お兄さんの言う通りアタシはみんなと違う答えを持っている。

 実を言うと……。

「……少し違う。最初は一緒で聖と魔の主神は消え去った。……けど、コウエンでは国教の主神であるシンエン様の結界で災厄から免れた。あ、他の国だと炎の大精霊だっけ? 

 それで、シンエン様はまだ御山に居続け、民と国を見守っている。その証拠に今もまだ噴火し続け、地熱と温泉の恩恵が受けれてる……って、教えられたよ。

だから、みんなが言う『大精霊様は世界を放棄した』ってのが大きく違う……ということだよね?」

「そういうことだ。他にもミューバーレンの水神信仰は続いているし、先日の水竜騒ぎは水神様、つまり水の大精霊の怒りという話があるらしい。ウィンダリア国だって、ある一点以前には霊峰の頂にいる風神、つまり風の大精霊を崇めていたわけだ。

……つまり、俺はこの大精霊に対する『違い』について調べている」

 お兄さんの話が正しければ、コウエン国やミューバーレン国には現在進行形で『いなくなった筈の大精霊』がまだ居る扱いで、人々の信仰を集めている。

 正しくは、今アタシが立っている『この大陸』と海を隔てた向こうの国々とで、話しが異なっているということになるのか?

 200年も時間があれば、伝わる内容は徐々に変化するものなのかとも考えてはみたけど、コウエン国にもこの国にもそれぞれの出来事を記した本などは当然あるだろう。

 あとはそれらの残された情報のどちらかが間違っている、嘘を流し続けているのか、もしくは両方が違うのか。両方が正しいのか。

「待ってください。あの、つまり、ウィンダリアにおける“ある一点”というのは20年前の戦争……」

「そうだ。失礼ながら見た感じ、貴女は戦争前後に生まれたぐらいの世代か? その世代が日常生活においても風神や霊峰を意識しないようになるほど、かなり強力で自然な隷属教育とそれ以前に生まれていた人々の意識改革が行われたということだろう」

「なる……ほど。自分たちは町の外では人権も何も無いと思っていましたが、内部も既に破壊し尽くされていたというわけですね。

 確かに私たちの世代では霊峰に昇って参拝とかはありません。むしろ霊峰は現在保護を目的とした封鎖状態で、自治政府の許可がなければ入山もできません」

「封鎖か……表向きに保護目的とはいえ、風神信仰禁止に対して徹底されているな」

「そう、ですね……指摘されるまで、それすら意識改革の代物とは思いませんでした……」

「世代に合わせた流行り廃りに乗せるというのは、まぁ上手いやり方だと思う」

 外に出て始めて知るなんて、多い話だとは思っていたけど、そんな可愛げのあるものじゃない。

 コウエンという国は性質上『閉ざした国』なんだと痛感している。

 国という箱庭の中でなら、知らなくても不自由せず、安全に、作られた優しさの中で今までどおりで過ごせてきたのだろう。

 では出なければよかった? それは違うと思う。

 出なければ、自分はやがて無理矢理型にはめられ、自分の心を殺し、つまらない人生になったのではないかと思う。

 危険は付きまとうけど、今、自分は思考している。

 今に対して。世界に対して。国に対して。自分に対して。

 みんなと旅をし始めてから、思考が止まることがない。

「でもさ、チガイと言っても、コウエンやミューバーレンは陸続きの地域というわけでもないから、そういった民話や口伝の内容に違いが出るのは当然じゃないのか?」

 そんなトールの疑問に、現実に引き戻された。

 むしろ引き戻されたと感じるほど、自分は思考の渦を泳いでいたのかと気づかされた。

「なら陸続きでもないティタニス国についてはどうだろうか? 俺が出会ったことのあるタイタニア数人から聞いたが、あの国にだって元来『地の大精霊サルトゥス』が今も祀られているが、あくまでも象徴程度にとどめられ、信仰と呼ぶには足りない程度らしい」

 ティタニスといえば数日前、馬車に揺られているときにダインがティタニス出身であることを言っていた。

 そのことを思い出し、隣で歩いていたダインの顔を見上げてみたら、バツの悪そうな顔をしながら小さくつぶやいた。

「……すまない、一般知識にはやや疎い。ただ、俺の知る限りではエクソシスト殿の言う通りで相違ない」

「ほう……君は見た目ホミノスだが、ティタニス出身なのか」

「…………何か変ですか?」

 好奇の眼差しを向けられたダインの表情は、誰にでも分かるような不機嫌顔へと変化した。空気は否応無しに張り詰められ、お兄さんには警戒心という刃を差し向けている雰囲気だ。

「いや、何か気に触ったのなら謝る。変というより、珍しいなと。あの国は未だに純血主義であると聞くな。国のトップはその風潮を変えたがっていたようだからな」

「……その認識は間違っていない。今も純血かハーフ、混血でも相応の巨躯以外の者は首都を歩くことを嫌がられるし、矮躯と罵られる」

「それは経験か?」

「……っ」

 無言ながらも、空気と流れが完全に肯定と指し示していた。

お、おう、紫髪の兄さんがまるで地雷製造機かと思うほど、みんなの地雷を踏み貫いて行ってるようにみえる。

「そうか……、嫌な聞いてしまってすまないな」

「いや……。ただ、今はココがあるので」

 と、とても小さな声で言って会話を切り上げたが、ダインの顔は先程からすれば少し明るく、口角が上がっているように見えた。



「うんまぁ、ニーサンが浪漫あふれることをやってるみたいだけど、それ任務じゃなくて個人的な奴だよな? ってことは……」

「そうだ。俺は今、教会の仕事には従事しておらん。なので、あそこに居た理由だが、はっきり言って単なる噂に対する好奇心であり、更に先に言った目的とは関係のない場所だ」

 従事していないってことは、単純に非番状態なのか、それとも教会組織を抜けたのか……と考えては見たが、仮に自分から聞きに行くと、先程のお兄さんのごとく地雷を踏みかねないかもと思い、当たり障りの無い感じで話をつなげてみようっと。

「えくそしすと? の血が騒ぐって奴?」

「まぁそうなるな……実際、あの手の相手を本職としたからな。ついでにあの場所についてだったな」

「頼むぜニーサン。俺たちがあそこに入った時点で、地上階の書類は全滅してたからさ。一応俺なりに証拠としてコイツは持ってきたけどさ」

 そういって、立ち止まったトールはノースリーブジャケットと呼ばれる袖なし上着の内側をゴソゴソと漁り、握りこぶし大のある物を取り出した。

「そ、それって……死体の胸にあった……」

 何個も斬った“木の心臓”であった。

 ソレの表面には、ゆらゆらと新緑色の筋状の光が走っており、まだ『生きて』いる状態だと理解できる。

「ちょちょちょ! そんなもの握って大丈夫なの!?」

「それがさ、どうにも生きてるモノには反応しないようなんだ。死体に近づけるとこいつから枝や根が伸びて、死体の中に入っていく」

 その言葉に戦うことで意識することを避け、直視することを免れていた事実やあらゆる情報が濁流のように舞い戻り、小さく嗚咽を漏らしてしまった。

 こちらの嗚咽に気づいたネフェさんとルカは背中をさすりつつも、あの木の心臓が何であるか分からないとつぶやいている。

 そんな二人にはダインが「あれがゾンビを動かしていたモノの正体」と簡単に説明すると、トールの手の平に収まっている木の心臓に興味を持ったのか、背中から手を離し、トールのほうへ寄っていった。

(そっか、二人はずっと上にいたから直接見るのは初めてなんだ……)

 自分で飛び込んでいったくせに。

 こうなる可能性は充分あったはずなのに。

 覚悟、していたはずなのに。

 嗚呼、今は……二人が羨ましかった。

 今だから思い出される……ドロドロに腐り落ちる皮膚、剥き出しの骨、ハエの舞う臓物、腐敗した匂い、硬度のある水溜り、ぬめっとした鉄柵。

 ソレを忘れるように手が行き場を求め、腰に指していた愛刀の柄を握り、硬質で崩れることの無い感触に安堵してしまった。

「トール、そろそろ仕舞ってくれないか?」

 あれ? ダインの声音が何故か震えていらっしゃる……。

 そう思って、振り向いてみると、口元を手を押さえながら、少々青ざめている彼がいた。

 そういえば、建物を探索してる最中に取り乱していたし、木の心臓を見て彼も色んなものを思い出してしまったのかもしれない。

 トールもソレに気づいたようで「悪いわるい」と苦笑いしながら、ジャケットの裏にソレを戻した。

「まぁ、書類に関してはあの女のせいだろうな……」

 紫髪のお兄さんも何か感づいたようで、こちらの顔を見ると特に何を言わずに話しの流れを修正してくれたようだ。ありがとうございます。

「さて、あの場所についてだが……元々植物学を主軸に生命研究をしていた学者上がり貴族のオーレル子爵所有の個人研究所だな。

 お前たちも見たとおり、植物の生命力を応用した延命や不老化を目指すというのが表向きで、裏は……いや、本来の目的は寄生植物を使った死体活用術の確立と……それの軍事運用」

 んん? 自分の聞き間違いでなければ、とんでもなく恐ろしい単語が出てきたようだ。

「軍事、運用……?!」

 せっかく戻してくれた空気が一瞬にして凍りついたのは言うまでもなく、今度は先程と違った方向で全員の顔色が青ざめていった。

 これはお兄さん自体も言うかどうかを迷ってはいたようだが、話すと決めた以上は腹をくくったものらしく、苦々しい表情をしている。

「……さしずめ、戦場で散った兵の再利用が目的だろう。死体になっても動かせるように心臓を寄生植物の球根に挿げ替えて、破損した部分は自らの枝や根で補強する」

 淡々と話すお兄さんの口調もさすがに堅く、少し険しくなった表情を隠すように再び踵を返した。

「なんて、冒涜的、な……」

 ルカは一言つぶやくと、先程の自分のように嗚咽を漏らしながら、胸元で手を合わせるように握り締め、祈るような構えをとった。

「冒涜的でもありますが……この国は再び悲劇を起こそうというのでしょうか……」

 片やネフェさんは青筋とともに静かな怒りを滲ませた声で唸っている。

 歴史の授業でコウエンはここ50年の間には、どこかと戦争をしたという記録はなく、大きな政治的激変もなければ、侵略もなく、また侵攻も無かった。

 鎖国症を持った少し代わった国ではあるけれど、平和な国であることには変わりない。

 たとえ外の声を遮断していても。

「おいおい……、ってことは近い将来、国はまた戦争をおっぱじめるってことか!?」

「恐らく。厳密にいつ、どことってのは分からん……が、十分、胸には留めておいてほしい」

 締めくくられた言葉が胸に重みを与える。

 自分は、なんて多難な時に居合わせちゃったんだろうと。



「さて、最後の質問……あの女についてだったな……」

 そうだ、まだ今回の謎は残っている。一方的にこっちを攻撃してきたあの人について。

 紫髪のお兄さんは立ち止まり、一度空を見上げると、溜息混じりにこちらに視線を向けた。

 が、何かを確認すると、すぐに踵を返して歩き出した。

「…………すまん、やはり今は話せない」

「はぁ!? ちょ、え、ああん!? そりゃないっしょ!」

 もうね、盛大にずこーっ! て、音が聞こえてきそうなほど、お兄さんの態度に落胆と怒りと焦りを見せれくれたトールは、兄さんの左肩を掴み、無理やりこちら側に向かせた。

 振り向かされたお兄さんの顔は、明らかな陰りをにじませながらも、申し訳なさそうな表情をしている。

「正直、時が早い。ソレに聞けば、本当に後戻りができなくなる。悪いが老婆心と思って受け止めてくれ」

 そんな神妙とも取れる表情を受け取ったトールは、頭をかきむしりながらうなり始めた。

 情報の勘定とでもいうのかな? 聞き出せなかった以上、何かを新たに聞き出したいところか、何か整理が終わったトールは再び顔を上げて、お兄さんに向き直った。

「……はぁ。わーかりました。じゃぁ、話を変えるんだけど、ニーサンたちの拘束魔法ってどれぐらい持つんだ?」

 拘束魔法というとお兄さんの光でできた鎖と、ネフェさんの氷の塊のことだろう。

 問いかけられた二人はそれぞれの手の甲を見始めた。

 ネフェさんの甲には空色を薄くしたような光で出来た模様が、お兄さんの甲にはネフェさんのよりは弱く光った淡い黄色の模様が浮かんでいる。

「そうだな……距離も離れるから、俺のはあと半日が限度だろう」

「私のは今夜いっぱいが限度ですね」

 互いに模様を見ながら発した言葉から、模様がそれぞれの拘束魔法が発動している証のようなものだと理解できた。

「……は?」

 お兄さんの手の甲に向けられていた視線が、ネフェさんへと向けられた。

 ただしそれは、熱視線というよりは睨みを利かせたジト目だった。

「な、なんでしょう?」

「……いや、君には色々と驚かされてばかりだ。アレを1日持たせることができるのは物凄いと思った。

 だが、無茶し過ぎだ。本来、即死性のある接触判定でしか発動できない魔法を、あんな遠距離から放ちおって……。本当にどうかしている」

(……えええええ!?)

ただこの一つの心の叫びに、ネフェさんが使っていた魔法への驚きと、そんな無茶苦茶なものを行使できる彼女への尊敬の念が凝縮されつくしている。

 そんな心の中、ネフェさんの顔はどんどん機嫌の悪いと分かるような顔つきになっていった。

「どうかって……、事なきを得た今に対して、その言葉はひどくありませんか? コントロールもちゃんとできていましたし……」

 不服と睨み返し、低く唸った声はさながら蛇同士の対峙といわんばかりの睨み合いになり、道のど真ん中の雰囲気をさらに悪くなった。

 ネフェさんから伝わる「今は言わなくていいこと」ってのは、よく分かる。終わりよければ全て良しでいいじゃないかと。

 だが、紫髪のお兄さんを含めた他の4人は違った。眉間の皺を摘むお兄さん。悩ましげに苦笑するトール。口元を隠しながらも目を瞑って考え込むダイン。……ルカに関しては、それ以前にオロオロとこの場の雰囲気に萎縮した感じだった。

「そうだな。確かにあの場での判断、コントロールは間違ってはいなかった。

 だが、君は極めて危険な行為を行った。周りに対しても……自分自身に対しても、だ。

 ……君なら理解できるだろう」

 その言葉で自分もやっと理解した。このお兄さんが何を想って、言っているのかを。

 さすがのネフェさんも気づいたのか、怒気は見る見るうちに納まっていき、睨みを利かせた目は

「……そう、ですね。大人げありませんでした」

「何、次につなげればいいだけだ」

 ポン、ポン。まるであやすようにネフェさんの頭に二度、軽く当てられた手がとてもやさしそうに見えた。

 で、当人たち以外はまるで時間が一瞬止まったかのような静寂に包まれ、二人を見守る形となってしまった。

 当てられたネフェさんは、現状に気づくと見る見るうちに耳を赤くしていき、それに気づいたお兄さんは小声で「すまん」と言うと、何事もなかったかのようにこちらを向いた。

「さて、俺はそろそろ分かれさせてもらう。では、失礼させてもらう」

 そういうと、お兄さんはふわりと街道を離れて、横道の先にそびえる霊峰のほうへ歩いていった。

「え、あ、ちょ! お、おにーさん! ご武運を!!」

 これが別れの瞬間とは思えないほどあっさりな雰囲気に気圧され、言葉が出遅れる形となったしまった。徐々に小さくなるお兄さん背中に一声かけると、振り向くことはなかったものの右手を軽く上げた。

 お兄さんの背中がある程度小さくなると、自分たちは改めて街道に向き直し、ゆっくりと歩みを再開した。

 ほんの数時間の出来事だったからか、怒涛の半日だったからか別れの寂しさなどはなく、台風一過のような穏やかな空気に包まれている。

「皆さん」

 声のほうに振り向けば、まだ頬に赤みを残し、気恥ずかしそうに翼を体側に丸めている誰かさんだった。

「その……さ、先ほどはお見苦しいところを見せてしまい、すみませんでした。 ……次は、次からは上手にやりますね」

 深々と下ろされた頭を見ながら、自分たちには彼女を責める気持ちは毛頭ない。

「アタシは全然気にしてないよ。むしろあの場面では最善策だったと思ってるから!」

「同感だ。前衛だけではジリ貧になっていた」

「俺もそう思うよ。なので、次はちゃんとした使い方でしてくれると嬉しいね」

「ネフェさんが、無茶、しないように、私たちがサポートします、ので」

「皆さん……! ふわっ!?」

 顔を上げたネフェさんに隙を与えることなく、彼女の右手を取った。

「ささ! 行きましょう!」

 目指すは、風都と名高きフェザーブルグ。

 改めて進めた歩みは軽く、山脈から吹く風は自分たちを招き入れるかのように優しかった。



 今が何時なのか分からないほど薄暗い上に、腐臭に満ち溢れ、壁から突き出た多くの根は腐り、あたり一面はボロボロになった躯が転がっている悪趣味な場所。

 そんな場所に似つかわしくないものが一つ。

 神々しいと表現できる光の鎖が巻き付けられ、本体自体がほんのりと淡く光り輝く巨大な氷柱。その中に、微笑みながら眠るとがった耳が特徴的な女性がいた。

「あーりゃりゃりゃら。これまた綺麗に凍っちゃってるネー」

 一般的にはこれを見て神々しいだの、美しく輝かしいだのと表現するらしいけど、自分にはただの氷でできた何か。それ以上でもそれ以下でもなく、ケタケタと笑いながらゆっくりと光の鎖を掴むと、一気に“引きちぎった”。

 引きちぎったという表現は少しおかしい。光の鎖は触れられた瞬間から風化した麻縄のようにボロボロと崩れ去り、引き抜ききった時にはすでに跡形もなく消滅していた。

 あっさり過ぎてつまんない。もっとこう幾重の封印魔術とか、接触反応トラップが施されているかと思って、少しは警戒していたんだけど、損しちゃった。

 ただ、それだけこの眠っている女が凍らせた奴か奴らは、女相手に苦戦して、焦りによって封じた直後、大急ぎでここを離れたことは読み取れた。

 続いて、氷に触れた。

 ピシッ。

 ピシ、ピシ、ピシピシピシピシピシピシピシピシピシピシ。

 触れたところから1本、また1本と亀裂が走り、瞬く間に氷壁中に伝った。

 まるで砂の城を崩すかのように、伸びた亀裂の端々から氷壁がサラサラと消えていく。

「はーい★ お目覚めの気分はどぉ?」

 消え去った氷壁の中から、すがすがしい表情をしたエルフ族の女が伸びをしながら出てきた。

「フフ……意外と悪くないわね。寝る前が結構楽しかったのよ」

 コキッ、コキッ。首に肩にと凝り固まった部分を回し、足元に落ちていた自らの得物を拾い上げていた。

「ほへぇ! う・ら・や・ま・し・いぃぃぃ! 今度はアタシが行くからね!」

 彼女に楽しいと言わしめた奴はどんなニンゲンなんだろう?

 男なのか、オンナノコなのか?

 どれだけ遊んだらコワレチャウカナ?

 カナ? カナカナ?

 壊れるワケないよね。これだけ周りをコワセルんだから。

「そうしなさい。飽きることはないと思うわ。……ちなみに5人の集団で、一人は近接戦闘型の女の子よ」

「アーハハハハッ!!!! まじで!? マジデ!!? やったわ! オンナノコ!」

 オンナノコ! オンナノコがこの場所を作った! この現状をツクッタ!

 オンナノコオンナノコオンナノコ!

 しなやかな肌、柔らかい肌、触り心地のいい体。

「こら、ここは響くんだから静かにしなさい」

「アハハハ……フフフハハ。オッケー。アタシ楽しみ」

 あたしガ壊シテアゲル。

 その柔らかい肌を、戦いの中で引き裂いてアゲル。

 真っ赤なダンスを踊りましょ!

 真っ赤なダンスをオドリマショ!

「程々にね……あの方が気にかけてるから」

「……程々にね★」

 本当に楽しみィ。

 貴女を壊せるその刻が。

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