3-4 前途多難の出発

 翌朝、自分たちはルノア支部副支部長アーシェア特製のモーニングをいただき、昨日購入した登山装備をつけ、9時にはルノアを経った。

 今日はウィンダリア地区の玄関口となる山岳地帯の登山口までが本日の行程となっている。女性陣の体力を優先させるべく、道も一応分かるネフェルトを先頭にし、俺とトールは後ろから付いていく形となった。

 山岳地帯に向かっているためか平坦に見える道もゆっくりとした上り坂となっており、平野部を歩いている時よりも早く脚に違和感が出始めている。

「はぁ……、こっち馬車って少ないから覚悟はしてたんだけど、いざ無いってなるときついなー。お嬢さん方、休憩欲しいときは早めに言ってねー」

 今回は運悪く、ウィンダリア方面行きの馬車や商隊はおらず、全行程を徒歩で行くしかなくなってしまった。

 ウィンダリア地区の旧首都フェザーブルクまではおよそ1週間とトールは言っていたが、ウィンダリア地区の人口のほとんどがフェザニスであるため、彼らに道の必要性は少ない。また、自給自足率が高く行商も少ないために手入れがあまりされておらず、尚且つ山道が続く。

 そんな手入れなき道が続き、登山未経験者が半数で体力が自分より少ない者もいるし、天候に恵まれなければさらに数日はかかるかもしれないらしい。

 行商そのものも少ないなら、馬車も見込めないのも運が悪かったとなる。

 無いものねだりをしても仕方がないので、気長に歩くほかはないのだった。

「そういえば、トール。アルディバ殿に挨拶してきたか?」

「してきたさ。また出てくるって言ったら、さっさと行って誠実に仕事しな! って尻たたかれたよ」

「あの方らしいな」

「うるへー」

 いつまでも母親は母親だとぼやいている。

 それはある意味うらやましいのかもしれない。

 だが、それも母という存在が遠すぎた俺には、“かも”というあやふやな感覚だけだ。だから返す言葉は月並みな言葉の羅列しか送れない。

「なら、母殿に胸を張れるよう任務に従事しなければな」

「へいへーい」

 意味を持たせるとすれば、気遣いやコミュニケーションだろうか……?

「お母さん……」

 ぼそりとつぶやいたネフェルトの顔は明らかに暗く、笑っているのに疲れている。それに呼応するようにカキョウとルカもそれぞれ暗い雰囲気を出しているように見える。

「ネフェさん、どうかしましたか?」

「いえ……なんでもないです」

 それでもチームの仲間となったからには、多少気にはなるものだ。

 いずれは分かるのかもしれない。分からずに終わるのかもしれない。

 何でもないと言われた以上は、踏み込むつもりは無い。それぞれの家庭の事情はあるものだ。

「お母さん、か……どんな人だったの、かな……」

 小さなルカのつぶやきに耳を傾けた。確かに彼女は孤児院にいたが、実際いつから孤児院にいたのかはまだ聞いていない。

「ルカさん……」

 ネフェルトも合流初日の夜に全員の軽い説明は受けているので、ルカの孤児院暮らし、俺の箱入りとカキョウとの出会いは知っている。

「私、物心ついたときは、もう孤児院にいましたから、お父さんもお母さんも知りません。でも、どういったヒトたちだったのかな……と、思う程度です」

 思いのほか明るい口調、どちらかというと好奇心に似た表情であり、自身の状況に対し別段と悲観している様子は無い。

「……探したいのか?」

 つい聞いてみたものの、知らなくても良いことなら、知らないままのほうがいいかもしれない。知りたくなかった現実なんて、その辺に転がっている。なのにあんな質問をしたあたり、俺も人が悪い。

「んー、あまり思いません。気にならない……といえば、嘘になります。でも、事情があって孤児院に預けたのなら、踏み込まないほうがいい、と思います」

 表情も口調も、雰囲気も変ることなく紡がれる言葉に嘘や変化を感じることがない。

 彼女の中ではすでに解決していることのようであり、現状に満足しているのであれば、こちらから変化を強制させる必要は無い。

「…………」

 そしてもう一人、この話題に対して沈黙状態になった者がいる。

「カキョウ」

「……ん?」

 反応が返ってくるまでの少しの間が物語る。平静を装いつつも分かってしまうほど、彼女の雰囲気はほんのりと暗くなっている。

「大丈夫か?」

「うん、大丈夫だけど、どうしたの?」

 彼女のと出会ってまだ3週間程度だというのに、どうしても彼女の“大丈夫”は大丈夫ではないと言う言葉に聞こえる。

 明るい体裁にしたものの、切り替え切れていないのは明らかだ。この話題からして、ご両親との間に何かあったのは察しがつく。

「いや……」

 だからと言って、彼女から無理やり言葉を引っ張り出そうとも思わない。

 ルカのときとは雰囲気が大きく違う。カキョウとネフェさんには闇にも似た深いもの。

 何やらこのチームは自分も含めて全員、ご両親との何かがあるようだ。



 夕方、無事に本日の行程を終え、登山口へ到着した。

 登山口といっても集落や商店が存在するわけではなく、関所の跡のような建物の残骸がいくつか転がっており、そこに背を預けれる程度の野宿地である。北側には山岳地帯が軒を連ね、南側にはルノアの街と大陸東部の丘陵地帯が広がる絶景地となっている。

 夜の帳が下りるにつれ、反比例するようにルノアの街が摩天楼へと姿を変えていく。

 そんな時間とともに映り変る台地を眺めながら、本日の火の番を先に俺が勤めている。

 深夜。寝息の聞こえる中、衣擦れの音とともにカキョウが俺の右隣へと移動してきた。

 ──声をかけられるわけでもなかったが、ただなんとなく……彼女の都合のいいタイミングでしゃべり出すのを待ちたかった。

「…………5歳の時」

 数分か十数分か、そんな時間の感覚すら忘れるほどの短いようで長い沈黙が終わった。

「アタシのお母さんは、病気で他界してるの。

 で、数日後にはもう新しいお母さんがやってきた……その人はお父さんとお母さんの共通の友人で、何度も会った事のある人だった」

 彼女のその言葉だけを聞くなら、後を任されていた特別な女性なのか……、果てまた不倫の……裏切りの後妻ではと邪推してしまう。

「でね、次の年には弟が生まれ、二人や周りの人たちは赤ちゃんに掛かりっきり。まぁ、当然っちゃ当然よね。放置とまでは行かなくても蔑ろにされがちになったね」

 声だけでも分かる。彼女はその弟に羨望と妬みを向けている。

 俺には良く分からない。

 弟という立場ながら、物心ついた時には家庭教師と父の右腕だけ。時々、兄が遊んでくれたが、それも徐々に減っていった。赤子の時はすでに誰か付きっ切りだったのかもしれないが、両親が付いてくれていたかどうかは正直怪しい。

 彼女が当然と言うあたり、その況が一般的なものなのだろうか? 新しい命は祝福され、当然のように愛が注がれ、手厚い庇護が与えられる。その分、上の子への注目も感心も愛も薄れていくものなのだろうか。

 彼女に同情してなのか、自分が妬んでいるのか分からないが、その弟を不貞の子と勝手に決めつけ、腹の奥底に小さくもはっきりととぐろを巻くようなぐにゃりとした感覚が生まれた。

「新しいお母さんは一応優しかったよ。でも、やっぱ弟に対するのに比べると違うって感じてしまっていた。小さかったし、新しいお母さんの実の子だから当然だよね。

 ……でも、お父さんのほうは、明らかに厳しくなった。

 アタシは女でいずれは嫁ぐ身だから、家は男の子の弟が継げばいいはず。なのに、私は当主になるための厳しい修行をつけさせられた。

 お前は強くなれ。誰よりも。何度も何度も言われた」

 すると彼女は、いつも腕にしているオレンジ色のアームカバーを左側のだけ取り払い、腕を見せてくれた。

 そう、彼女の服装は見た目こそ半袖の露出が多めのように見えるが、露出部分はアームカバーやハイソックスなどで覆われており、素肌らしい場所は思いのほか少ない。

 あのハプニングの夜には気づかなかった彼女の傷。

 1つではない。腕だけでも大小複数の蚯蚓腫れのような痕。

 真剣での修行がなかったのか、切り傷のような鋭利なものはなかったところに胸を撫で下ろしつつも、傷を見た瞬間から腹の底のとぐろは大きくなり、胸元にまで上がっていた。

「でさ、聞いちゃったの。アタシを家から出すって……家は、弟が……」

 もう言葉に出さなくていい。

 言葉がつむがれる前に、そっと彼女を抱き寄せた。

 夜闇の中に響く焚き木と彼女の小さくすすり泣く音。

「もうね……訳が分かんないよ……」

 腕の中の彼女は膝を抱え込み、より小さく丸まった。

 腕から伝わる震え。ゆっくりとはっきりとこちらに身を預けてくる。

(嗚呼、だから彼女は家を出たのか)

 はじめて出会ったときに彼女は『家出の勢いで密航した』と言っていた。

 分かる。周囲に振り回され、振り回され、振り回され続けていきなり捨てられる辛さ。

 だが……俺とは、はっきり違う。

「……自分で道を選んだ分、カキョウのほうがマシなのかもしれない」

 見上げれば満天の星空、見下ろせば眩く輝くルノアの夜景。

 そんな空の境界を見つめながら、深く息をついた。

「俺はいつものように夜寝ていた。深夜、侵入者によって俺は攫われようとしていた。そいつらに薬だろうか、眠らされて気がついたときにはあの木箱の中にいた。そばにあった置手紙から一応攫われたではなく……家族……が、俺を箱に入れたようだった」

 かぞく。養父のグラフやネヴィアを指すのか、はてまた紙の上に写る父と母を指すのかは分からない。そう表現していいのかも分からないが、彼女に伝える方法はこれしかないと思った。

「家の人……が? どうしてそんな方法で……?」

 伏せていたカキョウの顔がほんの少し上がった。

「さぁ……? 元々、立志に伴って旅に出たいとは言っていたから、一応叶った形ではある。

 が、そんな形を自分で選んだわけでもない。そこに俺の意思は無く、ただ用意された道に沿って流されるままにここまで来てしまった」

 箱から出ても、その先にはラディスがいて、案内された先にはすでにトールがいた。

 この旅路も言ってしまえば、その予定の中に含まれているものであり、偶発的なのはカキョウとネフェさんぐらいである。

「その点、カキョウは自分で外へ出ることを選んだ。……だから、俺より強いんだと思う」

 彼女を覗き込めば、それに合わせて見上げてきた彼女の目元は赤く腫れ、目に溢れそうなほどの潤みがあった。

「どう、だろ……選んだはいいけど、ダインと会っていなければアタシは国に戻されていたか、もしくは売られていたか……」

 確かにホーンドである彼女なら前者も後者も十分ありえる。むしろその2つのルートに入らなかったことが幸運だったのかもしれない。

「なら、出会えた幸運に感謝しなければな」

「うん……ほんとそれ」

 腕の中の彼女が落ち着いたのか、こちらに再び身を預けてきた。

 改めて感じる彼女の肩は小さく、端の三角筋は俺の手のひらに十分納まってしまう。両肩も片腕が少し曲がるぐらいで納まってしまう。

 自分よりも小さいのに、森の洋館での戦いっぷりは見事なもので、一人での大立ち回りは魅せられてしまった。

 だからこそ、あの時彼女を一人で戦わせてしまったのが悔しい。

 カキョウは自分には何の力も無いといっていたが、どうだろう? そのわずかな力でも、皆を守る力に変え、切り抜けてしまった。

 だが俺はどうだろうか? 物理攻撃を増強させる技しかない。

 一応、グラインドアッパーのように武器自体を加速させる技は、軌道と加重の種類によっていくつかの応用技は持っている。

 だが、それ以外には? カキョウの紅燕やトールのネイルブラストのように属性との融合技は持っていない。

 昔からそうだった。魔力も決して多いとは言えなかったが、どうも属性魔法を構築、維持するのが苦手で構築途中で崩れ、雲散霧消してしまう。

 一応、日常魔法と呼ばれる灯火や応急治癒といった簡易魔法ならいくつか使えるが、それらのスペシャリストたちがいる中で、俺に出番は回ってこない。

 せめて俺のできることは、皆の盾となり、大振りの攻撃で相手を牽制しながら、決める時に決めるぐらいだろうか……小回りが利きにくいのが難点な戦い方なのは承知の上。

(……このままでいい訳が無い)

 こんな小さな彼女には自分の状況を打破しようと言う行動力と、自分の弱点を補おうとする努力が俺よりも断然大きい。

(見習わなければ……俺は置いていかれる……)

 彼女の肩を抱き、焚き木の炎を見ながら考え込んでいた数秒間にこれだけのことを思うほど、俺は自分の状況に何か切羽詰っているのかもしれない。

「幸運ねぇ……どちらかというと、奇跡じゃないかしら?」

 視界の隅がぐにゃりと揺れ、眩暈にも似た気持ち悪い感覚が頭を通った。

 忘れたくても忘れることのできない、先日聞いたばかりの敵意の乗った声に身体が否応無く反応する。

 焚き木の光の届かない夜闇の先。左手においてあった武器に手を掛けつつ、周囲を一瞥しても、声の主の姿を確認するが見当たらない。

 次の瞬間、背後に現れた殺気に抱き寄せていたカキョウを突き飛ばしつつ、自分も左側へと飛んだ。カキョウもしっかり察知していたために、突き飛ばしにあわせて地面を蹴ることで大きく距離をとることができた。

 元いた位置には地面に突き刺さる大鎌。そして不敵な笑みを浮かべながら、先日戦ったエルフの女戦士が立っていた。

「いい反応。なるほど、警戒用の簡易結界ね。ほんと、しっかりしてる子達って好きよ?」

 女戦士の言うように、この野営地には簡単な結界を張ってある。俺達以外の侵入者が入ってくると、今のように眩暈に似た違和感で侵入を知らせるというものだ。

 女戦士は、自分たちが背にしている建物の残骸を飛び越えてからの襲撃。俺とカキョウ、目の前には女戦士、そして女戦士の背後にはすでに目を覚ましている3人が臨戦態勢へと移行している。

「どーいたしまして、と言いたいですが相当手加減していただいたご様子で? それでお姉さんは俺たちに何の用ですかね? 誘拐? 口封じ?」

 そう言いながら愛用している長い得物、バルディッシュを構えながら女戦士ににじり寄るトール。こちらも各々の武器を鞘から抜き、前に構える。

 女戦士は地面に突き刺さった鎌を抜き、トールのほうへ向き直った。ただし、構えることは無く、まるでリラックスしているように見える。

「ただの興味本位。あのエクソシストとは関係がないって裏が取れたのでね」

 と、言われても、先に奇襲を仕掛けてきた者の言葉が信用できるわけでもない。

「そーですか、そりゃよかったですが、俺たちに興味? 普通の巡礼護衛なだけですよ?」

「普通の? それにしてはバラエティに飛びすぎているし、みんな個々の能力高いし。どうしてなのか気になるじゃない?」

「それこそ偶然集まった面々なんで、俺たち自身では分かりかねることですけど?」

 トールと女戦士の押し問答……というより殺気を含んだ世間話のようなものが続いている。互いに笑ってはいるものの、目は据わっている。片や犬耳、片やとがった耳。ヒト同士というよりは犬と猫のにらみ合いに近いのだろうか?

「ふふふ……まぁ、貴方達には目を見張るものが在るということよ。気をつけなさい。私がどういう存在であり、どうしてあなた達に接触するのかを」

「気をつけろって、貴女自身が言っちゃいますかー」

「そうよ。これは警告。大人しく普通に巡礼していれば何もないわ」

 この女戦士との会話は専らトールに任せてしまっているが、何故か二人が楽しそうに会話しているように見える。それならそれでいい。ベテランのトールに会話を任せている分、警戒はこちらが受け持つ。

「さて、今夜は客が多いのね。先客はさっさと退出いたしましょうか」

「止めてほしいぜ……今日は誰も呼んでいないんですが……ねぇ!!」

 構えていたバルディッシュをエルフの女戦士とは別の方向へ振り下ろし、会話していながら溜めていた魔力を解き放って、一筋の風の刃が何もないはずの夜闇へと飛び去った。

 ……何もないはずの夜闇から聞こえてくる野太い声。

 しかし焚き火で照らしているとはいえ明るい範囲は狭く、そこ10メルト程度。それよりも外側は夜闇に紛れて相手の人数が把握できない。

「ルカ、光の魔法で照らせないか?」

「で、できます。 ──トーチライト!」

 ルカが空に向かって両手をかざすと、手のひらからこぶし大の光の玉が空に飛び、トール3人分程の高さになったところで光の玉が弾け、大きな光源に変化した。焚き火とは比べ物にならない光量を持ち、焚き火の倍以上の範囲まで照らした。

 手にボウガンや弓、中には銃と呼ばれる少量の火薬を爆発させて、金属の弾を飛ばして攻撃する筒状の武器を持った男たちが十数人ほど姿を現した。

 相手は結界の外から攻撃できる遠距離武器を主軸に、夜闇に溶け込む黒ずくめの衣装とまるで暗殺者たち装いだ。

 カキョウと話していたために足音を聞き逃したのか、そもそも足音を立てずに近づかれたのか……どちらにしろ、異様な集団の接近を許したのは完全に落ち度だ。

「すまない……聞き逃した」

「謝ることはないぜ。あれは消音の護符あたりを使って、音を消してる。俺だって、臭い消されてたら気づかなかった」

 見れば、茂みに当たっていながらも、葉のこすれる音、砂利を踏む音、ボウガンの装填音など、あらゆる音が聞こえてこない。

「貴女の差し金か?」

 エルフの女戦士を見据えれば、まるで面白くなさそうな顔をしている。

「いいえ。私とは無関係よ……何、あの悪趣味な集団は」

 彼女が悪趣味と言ったのも分かる。

 黒ずくめと言いながらも、フードの下から除かせた顔は舌なめずりをし、小さくも下卑た笑い声が聞こえ、暗殺者というよりはその辺の悪漢たちに上等な暗殺者用装備を付けさせているように見える。

「すんげーな、あんたら! ホーンドやフェザニスだけじゃなく、エルフまで抱え込んでるとはな!」

 上がった声は最近聞いた耳障りな男の声であり、この異様な集団を従えるに納得できる人物だった。

「アンタ、昨日の!!」

 カキョウが敵意を表しながら声を上げると、集団の奥からゆっくりとした足取りで男が現れた。

 フードの下からのぞかせた顔には包帯が幾重にも巻かれており、腕もよく見れば右腕は服の中に仕舞われ、鳩尾の辺りで固定されているように見える。トールから受けたダメージは中々の者だったようだ。

「よう、ホーンドちゃん。覚えててくれて嬉しいぜぇ」

「嫌でも覚えるわ! で? 何の用なの?」

 用と言っても、分かりきってはいる。

 全員が敵意を出し始め、魔力の感覚に疎い俺でも分かるほど、ネフェルトの周囲に濃度の高い圧……つまり魔力が集まりつつある。

「わーかってるくせに。迎えに来てやったんだ」

「誰を」

「同じことは言わせんなって。女は傷つけるなよ? 男は殺して川にでも流せ!」

 自称貴族の声を皮切りに、黒ずくめの男たちの多くが遠距離武器を捨てて、得意と思われる近接武器を握りなおして、暗闇から駆け出してきた。

 ただし、昨日とは違う。

 手には愛用の武器。防具も着込み、場所は屋外。時間帯が夜だがルカのおかげで見やすく、戦場としての条件は悪くない。ただしこちらは5人に対して相手は倍以上のために、ピンチには変わりない。

「なら、正当防衛ということで! ネイルブラストォ!」

 先手を取ったのはトールだった。結界に踏み込まれる直前に、再び振り上げられたトールのバルディッシュから放たれる幾重の風刃が黒ずくめの男たちに襲い掛かる。

 風刃は男たち以外にも、地面に描かれた結界用術式の一部を一緒に削り取り、警戒用の結界を解除した。解除しておかないと、あの眩暈のような違和感が十数人分襲ってくることになるはずだ。

 グローバスやエルフの女戦士との戦いでも見せたあの技なので、この場にいる自称貴族の配下程度なら、この一撃で動けなくする程のダメージを与えることができるはず。

 ……だったのだが、風刃を受けた男たちは、身体のいたるところにかすり傷を受けた程度で、技に驚いて数拍とまった後、すぐにこちらに向かいなおした。

(また風除けの護符か!)

 昨日に引き続いて、再び護符によってダメージを軽減されてしまったが、こいつの財源は底なし沼か何かだろうか?

「ネフェさん!」

 トールの範囲攻撃が効かないのなら、範囲攻撃の専門家に託すしかない。

「──サンダーストーム!!」

 ネフェルトが溜め込んでいた魔力がドーム上の雷撃となって、黒ずくめの男たちを直撃する。

 これなら倒れるだろうと思っていたが、男たちは雷撃を受けながらも下卑た笑いをとめることなく、何事もないようなそぶりで駆け出してくる。

「そんな……」

「消音に風除けと次は絶縁か!」

 ネフェさんの引きつった顔、トールの苦々しい顔。

 それを見て自称貴族は満足げに高笑いを上げた。

「フェザニスの術者となれば、風系と雷系は当然対処するよなぁ? しかも店では氷の儀式呪文も使ってやがったしよぉ?」

 自称貴族が胸元から取り出したのは、4枚の紙切れ。それぞれには各属性を意味する模様と古代語が刻まれている。刻まれた模様の属性から受ける攻撃を大幅に軽減する魔術が刻まれているかなり高価な消耗品である。どおりでトールの風の刃も、ネフェルトの雷撃もあまり効かなかったのか。

(口ぶりからして氷系も軽減されるのか)

 アイスニードルのように氷で出来ていながらも物理的なダメージに見える攻撃なら、護符を持った対象に接触した瞬間から氷柱が霧となって消え、相手に飛翔してきた時の風圧のみが与えられる。

 この男は金の力で自分の配下分も買い与えてあるということだ。対属性無効化のアイテムは使用すれば便利だが、相手に使われると性質が悪い。

 このままでは完全に接敵されてしまうため、前に出て愛剣で薙ぐことで可能な限り、敵への牽制を行う。しかし、相手も全員がこちらに駆け出しているわけではない。まだ遠距離武器を構えながら、こちらを狙っている者も数人いる。事実、剣を振り回している間にも矢や、何か爆発して身体の近くを何かが通り過ぎる音が聞こえてきた。遠距離武器を使いこなせていないのか、ただ矢や飛来物は自分たちの横を通り過ぎるだけで、幸いまだ一発も命中していない。

 ともあれ、俺たち前衛が倒しきらないと全滅の未来しかない。

「ネフェさんはルカと一緒にアイスウォールで自衛してください」

 残念ながら今回はネフェルトの魔法に頼ることは出来ない。

 一度距離を取って武器を構えなおし、突進のために地面を強く踏み込んだ。

「待ちなさい」

 今まで静観していたエルフの女戦士が一声。その声に駆け出そうとしていた俺たち3人が、金縛りのように固まった。

「な……これは、あの時の……!」

 そう、森の研究所で相対したときに使われた拘束魔法。対象は何だ……足元の砂利か、土だろうか?

 元々仲間でもなんでもない、招かれざる客だったために裏切られても仕方がない。むしろ裏切りという言葉もあっておらず、単純に自称貴族と女戦士が共同戦線を張っただけだ。

「な、なんだってんだ! 動かねぇじゃんか!!」

 だが、状況は違った。

 俺たちだけでなく、自称貴族側の黒ずくめたちも同じように金縛り状態になっているようだ。身じろぎをしても動くのは上半身だけのようで、下半身は地面から離れようとしない。動けるのは術者であるエルフの女戦士だけ。

 上半身をひねって女戦士を見れば、手にしている大鎌を軽く後ろに振り、巨大な刃先を地面に軽く刺している。

 ゆっくりと周囲を一瞥するとクスりと笑い、突き刺さった大鎌を逆袈裟斬りのように振り上げ、僅かに遅れて状況が一変した。

 ズズン。

 1つの音は短いものの、それが幾つもいたるところで鳴り響く地鳴り。

 舞うは血飛沫。踊るは人影。歌うは断末魔。

 俺たちを取り囲んでいた自称貴族とその配下たちが、振り上げられた鎌に合わせて地面から突き出た濁りのある成人男性と同じぐらいの大きさの“水晶”によって、次々と地に伏せた。 縦長い多角系をした錐に近い形であり、先は意図的に変形させられたように鋭利に尖っている。

 地に伏せた男たちは急所こそ外れているものの、足元から突き上げられたために足の腱や太もも、腕などに傷を負い、簡単には起き上がることができない。

 アースグレイヴと呼ばれる地属性の範囲魔法であり、地表や地中にある砂や泥、岩などを凝縮し、地中から刺突する攻撃魔法。砂や泥と言うように、使われる素材は術者や発動させる地形によって様々であり、相性のよい鉱物などで変化するらしい。

 ここは山岳地帯の手前であり、岩や岩肌も多く、水分や植物も少なく、また火山性ではないために地中では地属性として濃い地形である。これが、更に山岳地帯に入ると山風や山の天気によって風属性の強い支配下に置かれる。

「ひっぐぁあああ……いでぇ……た、たすけろぉ……俺は貴族だぞ……いっぐぁ、どうなるか分かってんだろうなぁ……!」

 中でも一番酷い傷を負ったのが、自称貴族。両足の腱は斬られ、両太ももに成人女性の腕並の太い水晶が刺さり、さらに左肩にも親指大の水晶が数本刺さっている。

 急所は避けてあるものの、脚の腱から流れる血はとめどなく、ある意味致命傷となっている。

「分かってないのは貴方のほうね。ゴルグ男爵家嫡男ボルガン・ゴルグ。この街で起こした脅迫、強要、強盗、強姦、無銭飲食、器物損壊など全ての犯罪歴は、貴族院へ全て報告されているわ。近々、貴方と貴方の父親は貴族裁判にかけられるでしょうね」

 並べられた犯罪歴は、殺人以外は全てやったかのような悪辣っぷりであり、ヒトはここまで落ちれるのかと、嫌な関心を持ってしまう。

「うぞだ!! 貴族ば、何をやっでも、いいっで!! あっぐぁあ! いぎぃぃ! いいがら、だずげろ!!」

 しゃべるだけ、身をよじるだけ、太ももと肩に刺さった水晶が内部を傷つけ、腱からは血がとめどなく流れ出る。

(……このまま流れ続けたら、こいつは)

 それを皆分かっており、ルカがこの惨状と脅迫に負けて、回復呪文を使おうとするもエルフの女戦士に未だに足を止められており、近づくことすらできない。

 そして女戦士は大鎌の刃を自称貴族の首元にあてがい、薄ら笑みを浮かべて言葉を続けた。

「よく聞きなさい。貴族とは果たすべき義務があり、その対価、報酬として優遇されているの。貴方みたいに果たすべき義務を怠り、尊重すべき法を蔑ろにし、好き放題する者を貴族とは言わない。言わせないために貴族裁判があり、適正に処理され、貴族の質を保ち続ける。

 貴方みたいに、貴族の質を落とす者は必要ない。ましてや、平民から頭一つ飛び出ただけの男爵風情が消えたところで、変わりはいくらでもいるの。貴方たちがいなくなることを望む者は多くても、残っていて欲しいと望む者はいないでしょうね」

 少し血の気の引き始めた顔が青くなり、ことの重要さに気づき始めたようだ。

「お……おでば……おではどうなる?」

「さぁ? 最低でも貴族の資格は剥奪。それから禁固刑か流刑か強制労働。悪ければ……。でも、その前に誰かに助けてもらわないと、剥奪前に逝っちゃうわね」

「だじげてぐれ! あっ……ぐぃい……、だのむ……」

 涙目ながらに、懇願する姿に女戦士は大きく溜息をつきながら、ルカに視線を送った。

「シスター、悪いけど治癒してあげて。私も殺人罪を負いたくないの。……でも周りの奴らからね」

 女戦士は指を弾かせ空気をパチンと鳴らすと、下半身が軽くなるのが分かった。術が解かれ、ルカはゆっくりと自称貴族の次に傷の酷い配下のそばに寄った。護衛を兼ねてかルカの後ろには、抜刀しているカキョウが付いている。

「──ヒーリング!」

 膝つき、傷口に手をかざすと、口ずさんだ呪文の光が傷口をみるみる塞いでいく。

 ルカに治癒してもらった配下たちは、治癒が終わり身体が動けると分かる度に一人ひとり、一目散に逃げ去っていく。

 一人、また一人と走り去るのを見ている自称貴族は、「おでをおいでいくなあ!」「がねをはらっだだろ!」「ごいづらをごろせ!」と、まだ世迷いごとを並べている。

 女戦士の言葉なんか届いておらず、回復すればどうにでもなると思っていたのだろう。気づき始めていたと思ったのだが俺の見込み違いだった。

(性根は何処までも腐りきっていたということか)

 配下全員の治癒が終わり、この場には俺たち5人と女戦士、そしてまだ治癒されていない自称貴族だけが残った。

 一人で十数人を治癒し続けたルカもネフェルトから魔力を分けてもらいつつ行ったが、さすがに限界が近い。うつらうつらとしており、目をこすって何とか耐えている状態だ。

「さて、シスター。もうひとがんばりよ。……でも、体力の限界よね。完全に治しきる必要はないわ。傷口を塞ぐだけ」

「え……で、でもそれでは……」

 ルカは女戦士からのお願いの内容に納得がいかず、困惑の表情を示している。

「いいの。それが必要なの」

「は……はい……──ヒーリング」

 そのあえて必要としていることに、ルカは辛そうな顔をしたまま自称貴族の身体に手をかざし、治癒の光を身体全体に浴びせはじめた。

 傷が癒えるのと同時に、突き刺さっていた水晶が押し戻され、地面に落ちていく。

 全ての水晶が抜け落ち、脚の腱も綺麗にふさがったところで、体力の限界に到達したルカが後ろへ倒れこんだ。

「ルカ!」

 後ろに控えていたカキョウが愛刀をその場に落とし、地面につく前にルカを支えることができた。息はしているが表情は青ざめており、彼女が放ったトーチライトの光源も気絶に合わせて消滅した。この場には7人。この人数だけなら焚き火の光でも十分な明るさだ。

「へへへ……あいつらは所詮金で雇った奴らだ……金さえチラつかせれば……ん?」

 悪びれるどころか、まだやり合いたい様子だった。どこまでも腐ってるな……。

 自称貴族は上半身を起こし、立ち上がろうとするそぶりをした。腕で地面に突っ張り、四つん這いまでは何とかなったが、そこで固まってしまった。

「お、おい、貴様ら、何をした!!!」

 まるで生まれたての小鹿のように、四つん這いで腕をぷるぷると震わせている滑稽な姿に、エルフの女戦士は肩で笑っていた。

「フフ……私はね、彼女に“傷だけ”を癒して欲しいって言ったの。本来ヒーリングの中には損傷箇所の機能回復……脚なら腱や筋肉の伸縮など、内部の動きも回復するものなのだけど、それを除外してもらったの。

 貴方は今、傷は塞がって痛みも無いけど脚の筋肉や腱が動かないから、立てないわよ?」

 そう言われて自称貴族は尚も立ち上がろうとしたが、四つん這いのままで固まってしまっている。太ももの筋肉が動かないと言うことは股関節が動かず、また脚の腱は足首の動き自体を封じる。

 つまり立ち上がるも出来なければ、良くて膝立ちができる程度。ただし、股関節が動かないので脚を左右に動かすことすらできない。

「き、貴様ら!!!!」

「傷は塞がったのだから、その内自然と回復してくるわ。何時間かかるかは分からないけど……こんな野犬の出そうな山の麓で一晩どうぞ。あなた達も移動してしまいなさい」

「はぁ!? 野犬!!??? ふざけんじゃねぇ! 脚を治せ!!」

 自称貴族がどんなに喚こうが、もう俺たちには関係の無いことだ。

「そうだな……移動しよう。ここは血生臭い」

「賛成。もっと風上のほうへ行こう」

「そうですね。ルカさんを安全な場所へ移動させないといけませんね」

「カキョウちゃん、ルカちゃんを貸して、俺が抱えるよ」

 戦闘終了と判断し、各々撤収作業に取り掛かった。カキョウは支えていたルカをトールに預け、トールは預かったルカをいわゆるお姫様抱っこと呼ばれる横抱きで抱え上げ、トールのバルディッシュはネフェルトが預かった。

 焚き火の中から火のついた1本の太めの枝を松明として持ち、俺とカキョウで3人を護衛すると言う形で移動を開始した。

 焚き火は周りの物に燃え移るかもしれないので消そうと思ったが、一応ヒトが倒れてはいるので消さずにそのままにしておいた。日が昇るまであと6時間、何事もないことを一応願う。

「エルフ殿、先ほどはありがとうございました」

 先の件の助勢について礼をいうと、小さく笑みがこぼれ、身にまとっていた雰囲気が少し柔らかいものになった。

「律儀ね。今日の所は先日の間違いと合わせてチャラよ。あの男爵嫡男については私からその筋に報告しておくわ」

 何かと最近律儀や礼儀正しいと言われるが、自分の姿勢はそんなに可笑しいものだろうか?

それならこのエルフの女戦士だって、律儀と言える。自らの間違いを認めた上で、無かったことにしてではなく、相殺という形でしっかり礼儀を尽くしてるあたりが。

「その筋ねぇ……」

 トールが零すように、自分のその点に関しては気になった。

 この世界に存在している各国はほとんどが王制であり、王の下に貴族が紐づいて、各貴族が王が行うべき自治の細かい部分を代行している。この世界において、貴族とは王に許可を得た地方統制者であり、それを纏め上げる組織がこの国では貴族院と呼ばれる上部組織である。

 王の変わりに数々の貴族たちを纏め上げ、王の品位を損ねることなく、秩序ある治世を行うため王の次に権力を持ち、平民からはその辺の貴族以上に縁遠い存在である。

 特にこのエルフの女戦士は、エルフと言う希少種族であるために、どのような後ろ盾があるのかもまったく見えてこない。

「フフフ……少し交友関係が幅広いだけよ」

 もう少し情報を引き出せないかと思い、何を切り出そうか思案しながら歩いていると、登山口の廃墟郡から抜け出しそうになっていたので、自分たちはこの辺で野宿を再開しようという話になった。山を登るならせめて、日が昇ってからにしたかったので。

「そう。なら私はここでお暇させていただくわ。……アクシデントこそあったけど、甘酸っぱいものも補給できたし、ご馳走様ということで。またどこかで会いましょう」

 そう言うとエルフの女戦士はあっさりとこちらに背を向け、夜闇へと消えていった。

 台風一過と言うかんじか、あたりは一気に静かになり、誰かさんの声すらも届かない。当たりは再び完全な闇となり、灯は自分たちの手に持った松明だけとなった。

「……えっとぉ……何のために来たんだろう?」

 カキョウと同じように驚きというか、不可解としかいいようがない。あの人は何のために来て、何のために帰っていたのだろうか?

「謝るため……にしては初弾の攻撃は物騒すぎますし、あのピンチを救うためにしてはタイミングが良過ぎというか……あの後、やはり私たちを追ってきていたという感じでしょうか」

「でも、それならアイツらと一緒になって、アタシたちを攻撃したほうが楽だし、拘束魔法の後一緒にあの水晶の魔法でってこともできた」

 謝るためでも殲滅するためでもない。でも反応を見るのは面白がっている。ということは。

「……単純に俺たちを観察、いや監視しているのではないか?」

「まぁそうだろうな。相手は貴族院との繋がりがあるってことは、後ろ盾がそれ相応ってことだろうし、そいつらにとって排除要因になるか否かの判断材料集めだろう」

「俺たちみたいな小規模のチームに一人の監視役をつけるなんて、相手は暇なのか」

 一人と言っても俺たち全員を一度に相手にしてもケロッとしているほどの手練れであり、そんな人物を俺たちに付けても徒労に終わるだけだと思う。

「暇なんじゃないのか? 貴族様なんだから暇も金も持て余してるんだろう」

 俺が見てきた貴族は国民や領民のことを思い、国益のために自分たちに課せられた使命、任務等を誠心誠意に受け止め全うし、王の助けとなるそんな当たり前の姿だったのだが、この国の貴族は多くが落ちぶれているということだろうか。

 実際、ティタニスに比べれば、この国の人々が貴族に抱く感情は正反対のものであり、尊敬などなく、むしろ恐怖か憎しみの対象でしかないように見受けられる。

 ただし、ティタニスにいた頃は基本的に養父のグラフを尋ねてくるご友人方の話を遠巻きに見たりする程度だったし、この国に来てからまともに見た貴族が今回の自称貴族だったわけで、これでは比較対象が少なすぎて、実際はどうなのか分からない。

 特にこの国は東部と西部、中央とそれ以外では意識の段階から意図的差別も行われている点、この国の貴族院の機能はとっくの昔に崩壊しているかもしれない。

「はぁ……面倒ごとは勘弁して欲しいな」

「まったくだぜ」

 小言を漏らしながら、新しい焚き火の準備を始めた。

 持ってきた松明を中心にその辺の瓦礫にわずかに残っている木の廃材をかき集めて、新しい焚き木にした。

 新たに上がった炎の揺らめきに、アクシデントが終わった安堵感と疲れが押し寄せ、一気に眠気を呼び込まれてしまった。

「……トール、悪いんだが交代してくれ」

「仕方ないねー。お兄さんもごちそうさましちゃったし、いいでしょう交代してあげよう」

 何がご馳走様なのかが分からないし、それはエルフの女戦士も言っていたが、何かの比喩だろうか……? カキョウは何か考え事をした後、こちらを見上げたと思ったら一瞬目をそらし、ネフェルトは苦笑しているようだ。

「すまんが、何がご馳走様なんだ?」

「まぁ、それは後で教えてやるさ。今は休め」

 よく分からないが、眠っているルカを除けば、みんな昼間の雰囲気が無くなってくれたようで、さらなる安堵と眠気を誘った。

 お先にと一声掛けて、壁にもたれかかるようにして座り、眠りに付いた。

 


◇◇◇



 ダインが交代で座り寝をはじめ、トールからも「俺がするから寝てていいよ」と言われ、自分とネフェルトも言葉に甘えて横になった。

 ……いざ寝ようとすると眠れない。心がザワザワして、目が完全に覚めてしまっている。

 トールのご馳走様の意味。

 初めはなんだろう?って思い、突発的な事件で忘れていたけど状況的に考えてアレだ。ダインに抱き寄せられたヤツだ。

(トールは言葉からして起きていたし、見られていたってことだ。ならネフェさんやルカだって……)

 そりゃ若い男女が仲睦まじく肩を寄せ合っている姿は、色恋の様相に見えるだろう。

 そのことに気づいたときダインと目が合い、急に恥ずかしくなって目をそらしてしまった。さすがに目をそらしたのは失礼だと思い、恥ずかしさを押し殺しながら苦笑いで何とかダインに向き直ったのが、さっきの話。

 一応、思春期真っ只中のうら若き?乙女であるため、抱き寄せられるなど体の密着は相手を異性として意識してしまう。

 同じ高さの地面に座れば、アタシの頭は彼の胸の位置に来る。鎧越しだから聞こえなかったが、もし鎧が無ければ、彼の心臓の音を間近に聞いていたことだろう。

 肩に回された腕はあっさりと一番遠い右肩に到達し、それでも余裕に余ってゆるく曲がっていた。

 圧倒的な物理包容力は、そのまま精神的包容力にもなると実感した。

 ああやって腕を回されれば、誰だって胸を借りてしまうだろう。

 ……問題は、彼がどういう気持ちでソレをしたのか。

 彼もまた意識してなのか、それとも特に何も考えずなのか。彼なら後者のような気がしてしまう。変に下心はなく、無意識に身体が反応してしまうように。

 ……と、冷静を装った言葉で並べたら先述の通りになるが、実際の脳内は、

(あああああああもう、ごちそうさまってえええええ! いやさ、ほかのヒトから見れば確かにそういう雰囲気だったかもしれないよ!? でもさでもさ、ただ聞いて欲しかっただけなんだって! まさか腕回されて、抱き寄せられるなんて想定外なんですがあああああ!! もうね、その時は確かに胸借りれてよかったよ! 安心したよ! ついでに泣いちゃったよ!! しかも近い位置であんなイイ声で囁かれたらアカンでしょ! ただでさえ、男性としては水準高いのに何なのおおお!!

 そんなことされたら意識しちゃうじゃない! ほら、アタシだって一応恋したりしてもおかしくない年齢だし?

 てか、何を思うて抱き寄せたの? 無意識なの? そうじゃなければ……知ってる限りの性格からは想像できないけどね!! あれで下心あったら相当な演者だよ!!

 あああもう、なにこれ、おかしくなりそう。頭沸騰しそう。いや、してるし!!

 はぁ……なんでこんなことになっちゃったの……。

 やだ、どうしよ……寝ればこのドキドキは収まってくれるのかな……)

 やがて考えることに脳が疲れたのか、いつの間にか眠りについてしまい、山脈の間から注がれる朝日によって目を覚ましてしまった。

 彼を探してみれば、座り寝の体勢から横になっていたようだ。自分と同じように朝日によって起こされたようで、もぞもぞと動き出していた。

「おはよう」

 何気なくでてきたいつもの言葉。これは自然と意識することなく出てくる。

「……ああ、おはよう。寝れたか?」

「おかげ様で。昨日はありがとう」

 不思議なことに昨晩のドキドキも激しく意識した感覚も、感情もない。

 昨晩のことを思い出してみても、ただ安心を貰ったという事実に置き換わっている。

(何を意識したんだろう)

 1秒、1分と過ぎるごとに自分でもその感覚を忘れていってしまっている。

 そして彼の朝からの反応を見て、自分の中で昨晩のが彼の無意識による自然な行動であり、他意もないと考えた。

 ついにはそれらのことすら忘れて、いつもの朝が始まっていた。

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