第2章 晴れ、時々女難の相
2-1 小春日和の草原
大きな窓の外には太陽が沈み行く雲海が広がり、そのオレンジ色に変化していく白の絨毯を新緑の上着を纏ったいくつかの山々が突き抜けていた。新緑の模様は所々あでやかな春の花がちりばめられ、見るものに季節の替わりを知らせてくれている。
振り返って部屋を見渡せば、金銀といった飾り気はないが素材と作りから一目では分からないような高級調度品等が置かれている。それでも周りからはもう少し見栄えのする物や派手目の物を置いてもらいたいといわれてしまっている。
このシンプルさが気に入っているし、シンプルなほうがこの大きな窓に見える雄大な景色を堪能できる。
これらの毎日見る光景は、幾千幾万の時間が経とうと変わらない構図。
でも、季節で化粧を変える山々、常に姿形を変え続ける雲、送られてくる季節の花束、季節が回れば変わる旬。派手な装飾をしなくとも、自然が着飾ってくれる。
だから決してつまらないとは思わない。
そんなこと思いながらぼんやりと下界を見下ろしていた。眼下の山々の間を巣に向かって飛ぶ鳥たちが目に入ってきた。
「小鳥に逃げられちゃったね」
「申し訳ございません。ユルが近いのですぐに追わせましょう」
何気ない一言は、後ろに控えていた男にすぐ拾われた。
ずっと自分の背中を見つめる彼の視線は感じていたが、それも普段通りのことである。
いつもながら窓の反射で見える彼の表情は無愛想なままで、声に抑揚が無いあたり、予想の範囲内だったらしい。もちろんそれはこちらも同じである。
「いやいいよ。むしろこれはこれで面白そうじゃないか」
「面白そう……ですか」
彼はやや不満そうに眉をひそめた。無愛想な彼が感情を微細ながらも露にするこういう場面は、楽しいポイントのひとつである、
「うん、やっぱね……惹かれあうように出来ているんじゃないかと思う。糸は見えない形で存在し、直接じゃなくても繋がった糸は良くも悪くも全てを導いてくれる。時には観察することも大事だよ?」
振り返ると、こちらの意図については不可解気味な彼が眉間に更なる皺を寄せている。
「君も心配症だね。わかったよ、向かわせて。でも、危害を加えるのはダメだからね。僕は観察がしたいんだ」
「……仰せのままに」
深々と頭を下げると、男の眉間が普通の平らに戻っていた。
自分はポーカーフェイスを気取っているようだが、そういう小さなところに大きく出てくるあたり、結局まだ若いなと思ってしまった。
長い長い月日の中に訪れた変調の兆しは、どちらへ行くのだろうか。
◇◇◇
潮風もよかったけど、この大草原の少しほろ苦いような匂いもまた新しい感覚として体を満たしていった。
グランドリス大陸最西端の町ポートアレアから大陸の中央まで広がるオルト大平原は、今まさにこの春誕生した新緑たちで埋め尽くされ、少し遠くに見える山脈の麓まで続いている。正面はすべで緑で埋め尽くされ、時々赤茶色や白と黒のぶち柄の牛に、こげ茶色や艶やかな黒い馬、これから種をまくために耕された畑などが見え、それぞれがトンボ玉ような小さな粒々に見える。
「のどかだねぇ」
「です。日差しも暖かくて、ポカポカします」
荷物の上に一緒に腰掛けている一つ年下のホミノス(純人族)シスター・ルカが相槌してくれるように、本日の天気は日差しが燦々と降り注ぐほどの雲ひとつ無い快晴で、小春のまだひんやりとした空気など微塵に感じないほど暖かかった。
現在、野営地を出発してから2時間が経過した午前11時のオルト大平原。アタシたちといろんな積荷を乗せた1台の馬車が少々足早に牧草地の間に敷かれた街道を走っている。
簡単な身支度だけで家を飛び出した1週間前、箱の中からジャジャジャジャーンなんて光景を見たのが2日前。異国の港町に初めて人を切った昨日と、息つく間もない状態から一転して、延々と続く草原を見ながら、みんなで日向ぼっこ状態で馬車に揺られている。
アタシはルカと一緒に積荷の高い部分から日向と草原を堪能し、見た目は騎士を思わせるような服装のホミノスの青年ダインは積荷に背を預けるように遠ざかっていく街を見て、金毛の犬耳と尻尾を持つ狼系のガルムス(牙獣族)の青年トールは馬車の主と一緒に前に座っていてた。
見渡せばとにかく草だらけで異国の風景ながらも、どこか懐かしい感じがした。
「この草原ってほんと広いねー故郷の夏の平野を思い出すな」
「コウエン国の平野ですか?」
「そそ。夏になると春に田植えした稲がちょうどこの草原の草とおんなじぐらいの長さになって、あたり一面が緑一色になるの」
コウエン国では麦ではなく米が主食品であるため、普通の畑以外にも柔らかめの土壌に水を張った水田と呼ばれる特殊な農地が多く、実に国土の5分の一が水田となってる。
今目の前に広がっている草原と違い、あぜ道などで区画分けされた模様があるため、全く同じとはいえないが、成長しきった緑の稲穂はあぜ道すら消すほど大きく元気に葉っぱを広げる。
「秋には黄色に変わった稲穂も、太陽の光を受けてあたり一面が金色になるの。このあたりも時々麦畑があるみたいだから、金色の一面が見られるかもね」
「銀世界にかけて金世界って感じですねぇー」
そう言ったのは、手綱を引いていたこの馬車の主だった。
小太り気味のまん丸としたおじちゃんで、ポートアレアで仕入れた他国の衣類や絨毯などの布製品を取り扱う商人さんとのこと。ぷっくりしたほっぺはプニプニのしがいがありそう。
今回は、この馬車と積荷と商人さんを護衛しながら、進行方向にそびえ立つオルティア山脈麓の街モールまで乗せていってもらう一石二鳥の依頼だ。
トールも何回かこの商人さんの護衛をしているらしく、仕事の契約はとてもスムーズに決まったのである。
「おじちゃん、うまいね!」
「ははは、おだてても何も出ませんよ」
でも商人さんの顔はまんざらでもない様子で、少しほっこりしてしまった。
「金世界か……見てみたいものだ」
ふと馬車の後方から声がした。後ろを見てるか寝てるかと思っていたダインは、こちらの会話をちゃんと聞いていたようだ。
「見たこと無いの?」
後ろを覗き込んでいると、彼はアタシに気づて顔を上に向けてこちらを見た。
コウエンでは赤や黒い瞳の人が多いため、ダインの深い青やトールの緑、ルカの紫といった寒色系の色はとても不思議な物だった。
今見ているダインの深い青はアタシの赤に比べてとても静かで、月並みな吸い込まれるという表現以上に安らかな場所へ落ちていく。そんな水底のような色。初めて見る瞳なのに、どこか懐かしいような、そんな心地よさ。
「ティタニスは市街地など、一部の小さな平野を除いて、ほとんどが森だからな」
ほんの一瞬だったかもしれないが、そこ数分はその瞳を覗き込んでいたんじゃないかという錯覚がした。
彼の表情は無表情に近いようで口数が少ないけど、どこかゆったりとした感じに見えた。
だからこそかな……今、彼がしゃべっているのがなんだか嬉しかった。
「そかそか! でも、周りがほとんどおばけ樫や鬼ブナばっかりなんでしょ?」
「ん、おば? おに?」
「ああ、えっと、そっちではジャイアントオークとギガントビーチだっけ?」
ティタニス国のほとんどを占める木々は、住んでる巨人族と同じように周辺の国の巨大である。
巨大化の原因は特殊な地質といわれているが、地質自体が地の精霊と密接に係わっており、ティタニス国とコウエン国があるフレス大陸は地の精霊界と火の精霊界との境界が近いこともあって、閉ざされた今でも境界から漏れ出てくるそれぞれのマナを受け取っているとされる。ティタニス国は地のマナを、コウエン国は火のマナが他国よりも強く、生態系もそれに大きく影響しており、コウエン国は国土の3割が火山地帯であり、ティタニス国では地のマナを直接受け取る植物が巨大化し、それを食べる人も動物もまた巨大化したという起源を持つ。
さらに、ティタニスのジャイアントオークとギガントビーチは普通の樫やブナと違い、吸収したマナの影響で葉が緑ではなく、はじめから赤や黄色といった秋の装いで芽吹く。樹木は総じて「常秋」状態である。
常秋と言ってもティタニスにも四季はあり、春になれば芽吹き、夏には葉が茂り、秋には実りとなって、冬には葉を散らす。
また、樹木以外の植物は緑色の葉や茎となるものもある。これは多年性か一年ないし短期なものかに別れ、長く生きた植物ほどマナの影響で常秋姿へ変化するらしく、挿し木じゃない苗木は最初の数年は黄緑の葉をつけるらしい。
「そうだな。コウエン国ではオバケガシやオニブナというんだな」
まるで彼は言葉を一つずつかみ締めるようにつぶやいていた。
(やっぱ、少し不思議な人)
落ち着いた大人の対応を見せるかと思えば、頻繁に「初めて」とさまざまな物に興味を持ったりと、見た目や年齢に比べて体験不足な面があり、好き勝手に行動したりとかはないが、目が話せないのは確かである。かくいうアタシも外国は初めてで、見慣れないものばかりだし、ティタニスのことだって教科書での知識でしかないので人のことは言えない。
似たもの同士の親近感を勝手に抱いてしまっているけど、秘めとく分なら少しはいいよね?
「話はそれたがそういうわけで、こう遠くに山が見えるほどの平原は初めてだ」
「そっかぁ……じゃあさ、秋にここに来ようか」
自分でも驚くぐらいとても自然に、何気なく言った一言。
でも、アタシたちの旅って一応首都までのはず。秋どころか後数ヶ月もしないうちに終わってしまうのに、何言ってるんだろう……。
「そうだな」
何を思ったのか、彼はアタシの言葉に乗っかってきた。社交辞令にしては率直すぎるというか、どんな未来を考えて言った一言なんだろう?
「お二人さん、なーに二人の世界に入ってるんですかー?」
今度は進行方向に振り向くと、顔を赤らめたルカと先頭から立ち上がってニヤニヤしているトールがこちらを見ていた。
「わわわわ! そういうのじゃなくってね!」
「はいはいわかってますって。それともお兄さんが秋の食材堪能と美しい紅葉の観光スポットをめぐる旅にでも連れて行ってあげようか? もちろんルカちゃんも・ね★」
「あのねぇ~……ほら、ルカが慌ててるでしょ」
流し目されたルカは「はわわ~」とちょっと錯乱状態になっている。さすが、シスター。いろいろと純心なところは本当らしい。
トールも昨日は色々とピリピリしていた状態だったが、普段はこんな風に気さくで、この2日で何所となくタラシや女性好きが入っているのかもしれないと思った。
「と言っても、まだ夏も来てないから……ん……なんだこの匂い。おっちゃん止めて」
アタシには特に何も感じなかったが、トールはこの新芽のにおいが漂う中、違和感をかぎつけたらしい。さすがガルムスの鼻だなと感じつつ、駆け出したトールを追った。
傍らの草むらは人の手が一切入っていないようなぼうぼうと伸びきった草たちで、アタシの腿ぐらいまである。足布がなければ、たちまち草負けしたり、切れてしまいそうなほど鋭利な葉の草だった。
(あれ? こんな場面、つい最近なかったっけ?)
そんなことを考えると、昨日の森の中を思い出して、直っているはずの小さな傷の場所がうずき始めた。またわずかに露出した腿が負け始め、本格的にチリチリしてきた。
(あわわわわ……本当に軟膏もってくればよかったぁ!)
ダインやトールは足をスラックスやグリーブで保護しているし、何より背が高いからそんな足元の草なんてダメージにすらならない。
ルカは一番後ろから付いてきてるので、すでに踏み倒された草の道にロングブーツとロングスカートなので、意外と防御面は取れてる。
そんな乙女の柔肌の心配をしていると、前を歩いていたトールが一瞬止まったが、すぐに駆け出した。
改めてついていくとそこには、あちこちが傷だらけな生足と先端がボロボロになった黒い生地の服が見える……傷ついた純白の翼の塊があった。
辺りを見渡すと、足先のほうに滑空しながら落ちてきたかのように、数メルトにわたって草が折れたり、地面が捲れたりしてる跡があった。
「フェザニス(有翼族)の女性だな……確認してみるか」
有翼人の存在は知ってはいたが見るのは初めてだった。
羽の先からは女性特有のすらりとした足が見えているが翼で守るように丸まっている為、詳しい姿や表情が確認できない。
一番に駆け寄ったトールがゆっくりと体を回転させ、隠れていた部分も含めようやく全体像を確認することができた。黒いドレスは、元々薄着気味のようで太ももなど肌の露出が若干多いのに加え、落下時に所々が破けあられもない姿になっている。
手首足首には何かに縛られていたような跡もあった。
「ううぉ……」
トールのごくりと生唾を飲み込む音がした。でも分かる。これは同性のアタシでもため息が出てしまう。
その理由は何より目を引き、目のやり場に困るほどの豊満な胸であった。薄い布地の上、落下で破けたり着崩れとなっているため、今にも零れ落ちそうにしている。そのため、ルカは直視するのをためらっており、ダインは……何故か無表情である。
あまりにもトールがフェザニスさんに釘付けになっているため、溜息を突きながらダインは鼻の下が少し伸びているぞと言わんばかりに彼を小突いてみた。
案の定、「ビクッ」と急に我を取り戻し、年長らしく指示を出し始めた。
「き、気を失っているな。ルカちゃん、念のためにこの人に治癒を。おっちゃん、何かいいの無い?」
いつの間にか後ろからついてきていた商人のおじさんが「ふむふむ」と考え込みながら、馬車へと戻っていった。
ルカの治癒魔法が始まると、女性の擦り傷や縛り跡はみるみるとなくなっていき、肌理の細やかな女性らしいやわらかい色の肌だけとなった。当然、身体の傷を癒す魔法なのでドレスが再生されることは無く、痛々しかった肌だけが元の肌理細かく柔らかそうな美しいものへと戻った。
「こちらでいかがですかな?」
すると、商人さんが大き目の黒いマントを持って帰ってきた。男性用でタイタニアほどではないが大柄の人用だった。
トールがOKとマントを受け取ると、毛布にように上からかぶせる程度にしておいた。大きなマントは女性の体をすっぽりと包んだ。確かにコレなら、腰帯などでマントを括ってしまえば、ちょっとしたドレスにもなるかもと思った。
「おっちゃん、この人運んでもいいよな?」
「もちろんですとも。少々急ぎましょうか」
おじさんの快諾も得たし、ちょうどルカの治療も終わった。
トールか女性を抱えようとしたが、その手を止めた。
「ダイン、お前ってフェザニスを抱えたこと……あるわけないよな」
「今日はじめて見たからな……」
「だよな……。なら、この人の足を持ってくれ。俺が体を持つから」
そういってトールは女性の翼をゆっくりとたたみ、慎重に持ち上げ始めた。ダインもそれにあわせて足を持つと、二人して少しヨタヨタしながらも丁寧に馬車まで運んだ。
あまりにも不慣れ感が出ていたので、ルカと一緒に二人の後姿をクスりと笑った。
が、結局自分だけが何もしていないことに気づき、「アタシたちも行こう」とルカの手を少し強く握って、後を追った。
フェザニスの女性を保護してから6時間が経ち、快晴の青空は橙となり、紫へとなって、今は静かな藍の空へと変わりつつあった。
野営地となった場所は、街道沿いに唯一1本だけ立っている大きなケヤキの木の下で、
この街道を利用する旅人や商隊の多くが、この木の下で一晩を過ごす定番の場所らしい。 でも、今夜は自分たち以外の利用者はなかった。
「最近はモンスターも出るようになりましたので、私たちみたいな馬車1台でってのは少なくなりましたよ」
商人さんはケヤキに馬をつなぎながら、物悲しそうにつぶやいた。
ここ数年の間にモンスターや盗賊による襲撃が増えており、馬車1台だけや護衛をつけない小規模の荷馬車が襲われるようになった。
そのため、バラバラだった商人たちは組合を作り、個別だった馬車を団体化し、自分たちで雇い入れた専属の護衛をつけ、大きな商隊として活動するようになった。
そういった組合には色々めんどくさい決まりごとが多いため、この商人さんは組合に入らず所属せず、野良の個人商店として頑張っている。
さて、今日の昼間にはフェザニスの女性を見つけたぐらいで、モンスターや盗賊は現れず、ほんと平和そのものだった。護衛をつけるぐらいだから、普段は危険なはずなんだけど。
「商人さん、本当にモンスターとかって出現するの? 何にもなかったけど……」
「昼間はあまりないですが、問題はこれからですよ」
こちらの質問に天を仰いで見せた商人さん。
昼間が晴天だったためか雲ひとつない藍の天井には、散りばめられた砂金のような星々が昼間同様に平穏な雰囲気になるような気をさせた。
「カキョウちゃん、得物を捕らえるなら自分たちの姿が見えにくくなる夜のほうが効果的でしょ? それはモンスターも人間も同じで、これからが俺たちの本番ってわけさ」
「それもそうだね」
商人さんと一緒に見上げていると、話を聞いていたトールが荷馬車からなにやら1つの木箱を持って、カキョウの隣に立っていた。
ダインより細身ではあるものの、背はダインより高い為、隣に立たれると妙に圧迫感を感じてしまう。
「その木箱は?」
木箱は、およそ0.5メルト程と少々大きめで、抱え方から少し重みのある内容物が入っているようだ。
「ああ、これはね……君に任せる!」
と、言った傍で木箱を無理やり渡してきた。ほんと、無理やりというか急に渡されて、その重さに「ふんぎゅ」と妙な声が出てしまった。
木箱の中からは、なにやら鼻の奥をツーンと刺激してくるような匂いがしてきた。
「タマネギ? あー……つまり料理しろってこと?」
「大・正・解! おーい、ダイン! 今日は女の子の手料理だぞ!!」
フェザニスの女性をおろす準備をしていたダインとルカの所にトールが走っていった。もちろん、「何をはしゃいでるんだ……」とダインの困惑気味な表情が、暗がりの中でもありありと伝わってきた。
木箱を開けてみればタマネギをはじめとしたいくつかの食材と木の食器に、鉄のおなべやお玉などが入っていた。
「トールさんには何度も護衛してもらってますから、勝手知ったるってヤツですね。いつもは私かトールさんのどちらかがしてますが、今回は是非お願いします」
商人さんはそう言うと、ペコリと1回お辞儀するとダインの手伝いへと行ってしまった。
「……とにかくにやってみますか」
ぶつくさ言いながら、箱の中を改めて確認して、料理の準備に取り掛かった。
-40分後-
「できたよー」
アタシ、ダイン、トール、ルカ、商人さん、そしてまだ目を覚まさないフェザニスさんを含めた6人分の食器をチャキチャキと準備していた。
「くっはぁ!! この胃を刺激するにおい!」
「そりゃあ、あの食材ならこれしかないでしょ」
腹をすかせた犬っころよろしく、しっぽがブンブン振られているトール。耳もパタパタしている辺り、長身の年上じゃなければ撫でるところだぞ!
燃える焚き木にはふたの乗ったお鍋が2つ。
片方のふたを開けると、湯気とともに白く煌く粒がしっかりと立っていた。これぞまさに炊きたてご飯!
もう一つの鍋には、タマネギ、にんじん、じゃがいも、鶏肉が、食欲をそそる香辛料をふんだん使った茶色いスープの中で踊っている。神様が消える以前から存在し、おいしいものには国境がないことを証明してくれている、食べやすさも備わった人気の料理。材料も日持ちする物が多いし、量も作りやすく、作った後も数日持つといいことが多い。
しかも今日は野外作成は初めてだけど思った以上に出来がよく、作った本人のおなかを刺激してきた。
「これは……カレーか?」
心の中で小さくガッツポーズしてると、においにつられたのか見張りをしていたはずのダインが後ろに立っていた。
何か興味を示したようで、隣に来ると片膝ついてカレー鍋をしげしげと覗き込んでいる。
「チキンカレーだよ。どうしたの? そんなに不思議?」
「いや、世界共通なんだなと思ったのもあるが、こんなにいいにおいがする物なんだな」
ん? なんだか言葉がおかしいような気がし、そばにいたトールに顔を向けると同じように不思議そうな顔をしていた。
「嫌いじゃなければ確かにいいにおいだけど、なんか変な言い回しだね」
アタシたちの不思議そうな視線を向けると、本人はバツの悪そうな顔をした。
「ああいや、俺が食べてたカレーはどうも所々苦かったり、黒かったり、焦げたような匂いがして、それがカレーだと教えられていたんだ。同じカレーでもこれは食欲が沸く匂いの種類だなと思ったんだ」
(それって、ただの焦げカレーじゃないですかーーー!)
いてもたってもいられなくなったアタシは、ご飯とカレーをよそうとダインに差し出した。
「はい、これは焦げてないから! ちゃんとしてるヤツだから!」
一瞬、見張りが……と言いそうだったが、それを無視し少し強引気味に押し付けた。
彼も意図を汲み取ったようで、イスとして用意された木箱に腰掛けると、ルーを少しかき混ぜては色や匂いを観察し、一通り終わるとようやく一口ほおばった。「はふ……」とまだちょっと熱そうだったが、慣れてくると味わうようにゆっくりと咀嚼していた。
「美味い……苦味もないし、ザリザリ感もない」
彼は衝撃といわんばかりにほおばったカレーに舌鼓しながら、2口目3口目と味わいつつも口早にスプーンを進めた。
(ほんと、何でも目新しいという反応を示す人だな……)
そんなちょっと不思議な彼のことを考えながら、他の人の分もつぎはじめた。
「……ん……」
どうやら気がついたようで、フェザニスの女性は手や足を細かく動かしながら、体へ意識の覚醒を促し始めている。体を起こそうとまだ鈍い節々を徐々に加熱させた。
「大丈夫ですか?」
その姿に心配の表情をするルカが駆け寄ると、女性は一言つぶやいた。
「……おなか……ペコペコ……」
そして、女性はぜんまいの切れた人形のように力なく倒れた。
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