1-4 初戦は深緑の中で

「あー……やっぱり入っちゃったね」

 再びミストアナライズを展開していたラディスは、苦笑しながらも困ったねぇとつぶやいていた。

 カキョウの背中が見えなくなった直後、トールはラディスにミストアナライズでカキョウの動きを見てほしいと言った。

 勢いのある新人にはよくある突っ走りで、念押しもむなしく、先輩の気苦労はいつも絶えないと聞く。

「やっぱねぇ……なら、表で一暴れしますっか」

 そういってトールは自分の得物を取ると、先のほうにつけられていた皮袋を取り外し、中の刃を顕わにした。

 出てきたのは三日月型の縦長い刃だった。バルディッシュと呼ばれるポールウェポンのひとつで叩きつけたり、振り回すことが前提の武器のはず。小屋の正面が開けているとはいえ、俺の背負っている剣よりもさらに長いため、かなり扱いにくいのではと思った。

 そんな風にしげしげと見ていると、トールはバルディッシュの刃の傍をつかみ、あまっている柄をくるくるとねじり始めた。数十秒後、長かった柄が取り外され、いつの間にか用意していた別の柄頭を装着することで、たちまちクレセントアックス状態へとなった。

「ダイン、お前はどうする? そのままで行くか?」

「そうさせてもらおうと思う」

 開けた場所でも、長物使いの人数が変わるだけで、戦いやすさは大幅に変わる。ここはトールに甘えさせてもらい、自分は背中の相棒で戦うことにした。

「そうか、ならこれ預かってくれない? 少し不慣れな状態でこいつ扱うから、預かってる余裕がちょっとなくてね」

 トールから渡されたのは、カキョウの刀だった。自分が背負ってる武器に比べたら、かなり軽く、細身で、折れてしまいそうで、初めて彼女を見たときと同じ感想だった。

「前は俺とダインで、ラディスは魔法でガンガンバックアップ。ストレッチしとけよ」

 ラディスに渡さなかったのは、バックアップに集中してほしいからという感じか。彼女の刀を腰ベルトにくくりつけ、軽くストレッチをした。

「でわ、行こうか」

 俺とラディスは大きくうなづき、腰を一気に上げトールを先頭に、今度は堂々と小屋へ歩き出した。

「よう、元気にしてる?」

「なんだてめぇら!!」

 見張りの男たちにえらく軽快に話しかけたトールだが、右手にはクレセントアックスがしっかりと輝いている。後ろで追随している俺も背中にブロードソードを背負っているため、相手は当然怪しさを越えて敵意がダダ漏れである。

 そんなのはお構いなしにトールは笑顔のまま挑発を続けた。

「シスターさん救出部隊ってところさ」

 そんな決め台詞を放ち、クレセントアックスを下っ端たちに向けて、左手を腰に当てて決めポーズまでしてしまった。

 もちろんこのパフォーマンスに対し、下っ端たちは顔を真っ赤にしながらブチ切れてくれた。

「あああん!? ぶっ殺したらぁああ!!」

 下っ端2人のうち、片方はよく見ると黒い毛で覆われた耳が頭の上あり、刃渡り0.6メルト程のホミノス用ブロードソードを取り出し、もう片方は刃渡り0.3メルト程のダガーを両手に構えたホミノスで、ウッドデッキの柵を飛び越え、同時にトールへ飛び掛ってきた。

 トールはそのまま1歩前進し、ブロードソード持ちのガルムスの下っ端と鍔迫り合い状態に。両手ダガーの下っ端に対しては、俺が大きく前進し、トールに切りかかる寸前でガントレットではじき返した。

 思いのほか勢いがついたようで、はじかれた下っ端は緩い放物線を描いてウッドデッキの柵に激突。ガハッっと小さくうめき声を発し、地面に落ちた。

 余りのあっけなさに、若干呆然とした。トールのほうに目をやると、これまた子供と遊んでいるかのように余裕の表情を浮かべながら、簡単な剣と斧の弾き合いをしている。

 肩透かし……なんて考えていると、小屋の中から破砕とも爆発とも取れるほど大きな音が発せられた。

(カキョウに何かあったのか!?)

 背中の巨大なブロードソードに右手をかけ、ウッドデッキに駆け上がろうとしたその時。

 ドッゴォォォォン

 爆発にも似た衝撃波に襲われ、小屋の壁だった木材が破片となって、体に打ち付けた。

「ガハハハハハ! すっげーぞ、お前ら!!」

 破壊された小屋の入り口には大穴が開き、そこからは見覚えのある真紅の髪とそこからちょこっと生えた角のある人物が、高々と巨大な手によって掲げられた状態で現れた。

 もちろん目を疑った。

 小柄とはいえ、彼女の胴回りを掴みあげれるほどの手など知らない。俺が日々見てきたタイタニアと呼ばれる巨人たちでも、あのようにヒト1人を掴みあげれるほど大きくはない。

 ズズンっと大きな音を立てながら、小屋の屋根と同じような高さの……タイタニア以上の巨体が姿を現した。

「なんだなんだ、ラッツもガナンも寝こけてら」

 どっちがどっちなのかは分からないが、トールが相手にしていたブロードソードの下っ端もすでにダウンしていた。

「お前ら、この有角の仲間だなぁ? こいつとシスター置いて、帰れば命は助けてやるぞ? どうするよ? おめぇらのようなチビ共が俺様に勝てるわけねぇっつーの! しかも、俺様の優秀な部下たちも、俺が召還されたことでここに向かってるぞ~? グワッハッハ!」

 こいつらも含めて部下と表現したあたり、こいつがバッドスターズのリーダーグローバスということか。

 しかし、ああ、なんて耳障りなんだ。

 生まれてこの方こんなに耳障りで、胸の奥底を引っ掻き回されるような声も言葉も聴いたことがなかった。なぜこんな感情になるのかはわからないが、今は正直、さっさと手の中の彼女をおろせと叫びたい。

「断る」

 自然と出た言葉はとても短かったが、こんなにも溜まっていたのかと思うぐらいの自分の中の怒気と毒素を吐き出した。俺にどんな危険が迫ろうとかまうものか。今すぐにでもその口を塞ぎ、彼女を降ろしてやりたい。

「そーかいそーかい。俺様こんなことはしたくないんだが」

 左手で頭をぽりぽりとかきながら、右手にゆっくりと力をこめ始めた。そこにはもちろん、カキョウが収まっている。

「ア……ガ……!」

 ゆっくりと、しかしギチギチと音が聞こえ、カキョウも低くうめく声が聞こえてくる。見た目以上にこめられている力が強い。このままでは本当に握りつぶされかねない。

 チチチッ……。

 頭の中で音がする。でもどうでもいい。今は目の前のことが先決だ。

 得物を軽く握っていた俺の右手に、力がこめられていく。

「おーっと、その右手を離しやがれ。それと『放せ』だの、『やめろ』だの、ありきたりな言葉をいうなよ。わかるだろ? 今、おめーらはそんな立場じゃねぇ。すっこんでやがれ!!」

 手を放せといいながら、そんな猶予すら与えられることなく、巨体の開いていた左手が拳となって飛んでくる。

 拳は直撃することなく目の前の地面に打ち込まれ、構える間もなく衝撃波によって見事に吹き飛ばされた。

 そのまま木に激突したが、わずかに受身を取ることができたため、気絶までは行かなかったが体のあちこちが痛い。激突した木が音を立てて折れ曲がるほどの威力だった。

 本当の対人戦。痛みを伴うのは事故だった世界から、痛みを伴うのが当たり前の世界に、今いることを痛感させてくれた。

 トールやラディスは少し離れていたために、吹き飛ばされてはいないものの、手出しができないために防御姿勢でじっとしていた。

「ダインっ! ちょっとあんた放しなさいよ!」

 必死にこじ開けようともがくカキョウだが、相手は彼女の3倍以上の巨体だ。筋肉量も相当のはず。

「おっと、おめぇは暴れるんじゃねぇ。お前さんは売りもんだから殺すつもりはねぇ。だから大人しくしててくれや」

「ウ、グァ……」

 再び強めに握られたのか。カキョウの声が悲鳴気味の体に染み渡る。助けたい気持ちが憤怒へと変わり、錆びた歯車を回転させ、ゆっくりと本稼動状態へとシフトしていく。

 チチチチ。

 どうでもよかった異音が少し大きくなった。でもやはりどうでもいい。

 現状の敵は1体。増援の言葉も聞こえてきたが関係ない。

「ダイン」

 起き上がりきった時トールが声を掛けてきた。

「あと20秒ほど時間を稼ぐぞ」

 それは策があるということだろう。恐らくラディスが準備しているはずだ。ならば、俺たちは注意を引くだけだ。

「ほえぇ! 立ち上がるか!! 街の兵よりはつえーようだな。こりゃ遊び応えがありそうだな。……よっと」

「…………へ?」

 ポイッ。

 ほんと、そんな音が似合うように、まるでおもちゃの人形をおもちゃ箱に放り投げるように、カキョウが小屋の中へ消えていく。

 投げ込まれた小屋の中から、軽い木材が砕けるような音とカキョウの短い悲鳴が共に聞こえてきた。

「あんぐらいじゃ、死にゃーせんだろ。さーて少し遊んでやるか」

 巨体は胸の前で指をぽきぽき鳴らし、準備とばかりに首も回してリラックスした。


 カチ。


 何かがはまる音。

 頭の中で鳴っていたチチチという音が、その音を境に消えた。

 同時に俺は剣を抜き、巨体のわき腹を狙って突き姿勢で突進していた。

 距離もあったため、巨体は半身を急いでずらすことで、こちらの攻撃をかわした。

 が、すれ違いざまに一気に踏み込んで、強制的に突進の威力を殺すと、そのまま体を翻しながら、ネヴィアとの戦いで使ったグラインドアッパーを放っていた。

 翻しにあわせた回転と魔力で加速させた刃が再びわき腹を捕らえるが、巨体は一歩後ろに下がって、これを回避する。

 巨体なだけに、一歩で生まれる距離は大きい。あっさりと間合いを変えられてしまう。

 自分の背後に見えるカキョウに目をやると、ぐったりしており、意識を失っているようだ。小さな傷は見受けられるが大量出血というわけでもなさそうだったので、ここは一旦放置する。

「おっと、俺もいますよっと!」

 巨体の背後に高々と飛び上がるトールの姿があった。

 一瞬、飛翔系魔法でも使えるのか?とも思ったが、トールの足元には引いていく水の柱があった。ラディスの水魔法により、水の柱を足場として、高く飛び上がったのだろう。

 巨体越えの高さから振り下ろされる大刃のクレセントアックスが、自重により一気に加速。巨体もトールの声に気づき、体をひねろうとするが間に合わず、右肩にざっくりと傷が刻み込まれる。

 思いのほかダメージになったようで、巨体は右肩を抑えながら後ずさりをし始めたが、現在ウッドデッキの上にいることを忘れていたらしく、足を踏み外して体制を崩した。

「ぬ、うおっぷ!!」

 何とか踏みとどめてしまったらしいが、その隙は見逃さなかった。

「水精の怒号、火精の憤怒。混じりて昇らん、放して逆巻かん! ロールガイザー!!」

 ラディスの素早い詠唱から放たれたのは、ものすごい量の湯気が立ち込める熱湯の奔流。元々高圧噴射の間欠泉の魔法に、回転の短文を挟むことで発射の威力を引き上げた応用テクニックだった。

 ただ、巨体と連呼するとおり、想像以上の大きさだったグローバスは強烈な熱湯に、低い悲鳴を上げながら後ろに倒れこんだ。

 巨体の体から立ち上がる熱気をかいくぐりながら、グローバスの胸板に駆け上がった。直撃を受けた胸は火傷状態となって、皮膚が捲れ上がり赤い生身が顔を出している。

 だが容赦せず、むき出しの生肉を踏み越えて、顔へと駆け寄る。

 走り込みの勢いのまま巨体の眉間に、剣の柄頭を思いっきり叩きつけてやった。

 本来体重85kgと鎧15kg、剣10kgから繰り出される体重任せの打撃に、普通のヒトならこれぐらいで昏倒か頭蓋骨骨折もおかしくないのだが、筋肉組織が違うのか「痛い」の一言で起き上がろうとしている。

(どこまで化け物なんだ)

 そんなほんの数泊の驚愕だった。

 いつの間にか自分の体が宙に舞っている。

 再び痛み出す全身。グローバスが体を起こしながら、俺の体を払ったのだと気づいた。気づいたときにはこのざまだ。

 受身にしようとするが宙であることと、全身の激痛に思うように動かせない。

「アクアボックス!!」

 ラディスの叫び声の直後、予想していた衝撃とは違い、柔らかい水の感覚が全身を包んだ。

 トールの足場にも使ったと思われる水の足場は、落下する俺の体を受け止めるクッションとなっている。

「たっく、無茶しやがって!」

 火傷に肩と眉間の傷に呻きながらも起き上がるグローバスに入れ替わるように駆け出したトールがいた。

 右手に掴んでいるクレセントアックスが揺らいでるようにも見える。

「こいつも受け取れ!! ブラストネイル!!」

 揺らいでいるクレセントアックスを思いっきり横に薙ぐと、薙ぎに呼応するように突風が吹き荒れ始めた。俺の周辺ではただの突風のようだが、グローバスの周辺では見えない刃が縦横無尽に飛び回るかのように、荒れ狂う風に細かい切り傷が現れている。

 風刃はグローバスの火傷部分も更なる追い討ちにあい、容赦なく血が流れ始めた。

「アバガガアアアア!!! ……殺してやる! 殺してやる! コロシテヤルゥゥ!!」

 巨体はヒトの顔から、すでに獣の顔へと変化したように見えるほど、こちらへの憎しみでゆがんでいた。

 相手の変化に即座にトールは横に走り出して距離をとろうとしたが、それを追うようにグローバスの右の握り拳が彼を捉えた。トールがギリギリのところでサイドステップし直撃は回避するものの、すれ違い時に巻き起こった風圧と、再び殴られた地面からの衝撃で数メルトほど飛ばされてしまう。

 獣と化した巨体はこちらをじろりと見た。それがまだ無傷のラディスに向けられた殺意だったのが分かり、俺は水の塊から這い出した。

 違和感はすぐに現れた。全身の痛みが減り、戦闘を再開するには問題ないほど傷が癒えていた。水からはほんのりと優しい魔力の流れを感じた。

「君に治癒を掛けといたから。でも慣れない治癒使ったから、ちょっと疲れちゃった……ごめん……」

 相変わらず笑顔ではあるものの、ラディスの顔が青ざめているあたり、慣れない以外に、連続発動や詠唱なしの魔法でかなり体に大きく負担を掛けていたようだ。

 疲れたとは言っているが、恐らくもう魔法は使えないだろう。となれば、ラディスを庇いながら戦うことになるのか。

 トールも何とか起き上がろうとしてはいるが、間に合わない。

 なんせ、すでにグローバスの右拳は高々と上げられ、体を最大限にねじり、最高の一撃を持って俺とラディスを粉砕するつもりだろう。

「あたしの刀をちょうだい!!!」

 声は半壊した小屋のウッドデッキから。真紅の髪に小さく出た角のある少女が立っていた。

 先程までぐったり倒れていた姿とは違い、傷ひとつ無く、その目に強い光を宿している。

 グローバスとカキョウの距離は十分開いている。これなら。

 腰に挿していた彼女の刀を引き抜くと、彼女へ向かって思いっきり投げた。

 体を精一杯ねじっていたグローバスはこの一連の動きに対応が遅れ、刀がカキョウの手の中に納まるのを見届ける形になった。

 シャラリと美しい音で抜かれた輝く銀の刃は、空気に触れた瞬間からまるで彼女の一部だった。はじめて見る彼女の抜刀した姿に、吸い込まれるような感覚に落ちた。

「さて…… お か え し だ」

 カキョウは柄を両手で握り締め、刃を体の右横へ水平に運び、ゆっくりと腰を落とした。その言葉にグローバスも標的を変更して、カキョウに迫ろうとしていた。

「せやぁ!!」

 掛け声と共に駆け出したカキョウだったが、驚いたことに駆け出したら次の瞬間は、俺の目の前に来ていた。すでに振りぬいたような姿で止まっていたカキョウ。

 銀色に見えた刃は、まるで熱された鉄のような赤みになっており、陽炎を出している。

「てめぇ何を……ア、ぐあ、ウガアアアああああああアアアアア!!!」

 言葉を発しながらグローバスがカキョウのほうへ振り向こうとした時、絶叫と共に横っ腹から急に血が溢れ出だした。

「鳳流居合い切り・一閃。魔力で刀身を加熱させ、切り口を火傷させるの。中は切り傷と火傷で痛みの大合唱ができるというわけ」

 大混乱というが、それは想像するだけで横っ腹に変な感覚ができるほど、想像を絶するものではないだろうか? 特に体をひねったことで、中の傷が一斉に合唱し始めたとなれば、俺は悶絶どころか気絶する自信さえあると思ってしまった。

 しかし、一瞬傷を負わされたか分からないほどの振り抜き。熊とだけならと言っていたが、突進からのコンボを全部かわされた俺と違い、スピードも切れ味も雲泥の差である。

 蓄積したダメージが限界を超えたのか、その場に膝を突き動かなくなったグローバスは、横っ腹から溢れる血を抑えながら、絶え絶えな状態で力の限りの声を出した。

「てめぇら、これで終わったと思うなよ……俺にはまだ部下たちがいるっつんだから! おい、野郎ども!! こいつらをブッ殺してやれや!!!」

 グローバスの声だけが森の中にこだまするも、肝心の部下からの声や足音、武器を構える音は一切無かった。

「なぜだ? なんなんだよオイ……! どうなっちまってんだ……!!」

 グローバスの顔は激昂から徐々に状況を理解し、青ざめていく。それでもなお、状況を否定したい叫びが続けられる。

「簡単な話、全部潰しておきましたよっと」

 森の中から聞こえた男の声。トールでもラディスでも、当然俺でもない。

 振り向けば、そこには今朝ギルドのカウンターで俺たちにこの仕事を斡旋した、ジョージがクロスボウガンを携えながら、朝のだらしない格好のまま優雅に立っていた。

「青臭いガキにさらにガキ3人くっつけたところで、うまくいくわけねーだろ。保険よ保険。ここ以外にもたむろってる場所の報告は着てたから、別の班を向かわせてあったのさ」

 現れて早々、グローバスと俺たち両方に語りかけるジョージは、妙にニヤついていた。

 こちらはずっとピンチで緊張状態が続いた後だったわけで、琴線緩んだトールがブチキレモードへ突入した。

「あああん!!? つまり、俺たち囮だったわけ!?」

 力も残ってなさそうにしていたのに、今はズガズガとジョージに元気そうに詰め寄っている。

「いやいや、トール君たちにはちゃんとお姫様確保って指示でしょ? もう一個はちゃんと殲滅って指示なの」

「知るか!!」

 ああ……今までのかなり逼迫した戦闘状況はどこへやら……。

 緊張感が盛大に音を上げながら瓦解していく。ほんと、ガラガラっと……。俺もカキョウも、ラディスも苦笑するしかなかった。

 グローバスに目を向けるとダメージの蓄積がたたり、うずくまってこちらを睨んでいる。

 そうだ、シスターの救出が本来の任務なのに、目の前の巨体を倒すことで頭がいっぱいになっていた。カキョウに目配せしてみると、ポンッと納得したように胸元で手を合わせ、クルッと小屋のほうを向いた。

「ルカー、もう大丈夫だよー」

 カキョウの声にヨロヨロっと反応した影が半壊した小屋から出てきた。ルカと呼ばれたシスターは、栗毛色の髪に紫の大きな瞳、まだ物陰に隠れながらこちらを伺う仕草が、カキョウやネヴィアから比べると大人しそうな少女だなと思った。

 グローバスを注意深く見ながらウッドデッキから下りると、走りづらそうなかなり丈の長い修道服を少したくし上げ、一目散でこちらへ走ってきた。そのまま勢いを殺すことなく、カキョウの腕にガシっと体当たり同然にしがみついて、ようやく安堵の息を漏らした。

 まぁ、カキョウは「ぶべら!」「いたたたぁ……」とコミカルな表情をしてくれたので、それはそれで面白かった。

「あ、あの……助けに来てくださって、ありがとうございます」

 相当怖かったのだろう。ルカは、カキョウにしがみつくことで何とか今の自分を保てている風に見えた。お礼を言うと、じりじりとカキョウの後ろに隠れた。

「気にしなくていいよ。これもお仕事だからさ」

 ラディスが素早くフォローし、そしてサラリと笑顔を出すあたり、何か手馴れている感があった。手伝いでもハンター暦のあるなしで差が出ることを実感してしまった。

(俺より疲れているはずだがな……)

 そんなラディスの微笑みに打たれたのか、ルカは顔を赤らめると再びカキョウの後ろに隠れてしまった。

「……マダムキラーフェイス」

「トール、何か言った?」

 表情を崩さないラディスだが、笑顔だからなお怖い。怒らせたら一番厄介かもしれないなと思ったのは内緒だ。

「あ、あの……みなさん傷……」

 そういえば、自分もラディスに治癒してもらったとはいえ、あちこち擦り傷や腫れはまだある。トールは元気そうに見えながらフラフラしているし、ラディスも笑顔だが冷や汗を流し続けている。

「じっとしててください……傷つきし者へ慈愛の光を――ヒール」

 胸元で祈るように手を合わせたルカの腕から、ラディスのときと同様に紋様が浮かび上がった。色はとても柔らかい白絹の色をしており、その色の光がうっすらと俺とラディスとトールを包み、傷や腫れ、痛みを消していった。ほんのりと暖かい治癒の光が、とても心地よく感じた。これがカキョウが傷ひとつ無く現れた理由だったのか。

 聖フェオネシア教の信徒は、聖フェオネシアが行った奇跡から『奇跡と愛を万民に』を信条に、癒しの術を磨くと言われている。

「さーてさて、怪我も治したし状況終了。俺たちは撤収。小屋は後日、大工に入ってもらうから心配すんな」

 ああ、小屋の修繕も盛り込まれているのか。小屋をひどく壊されて、これの責任とかどうなるのだろうと頭の隅で考えていたが、そんな心配もいらなかったようだ。

「……ざけるな……ざけるな、フザケルナアアアアアアアアアア!!!!」

 ジョージの言葉に安堵の息を漏らした束の間、うずくまっていたグローバスが本当の最後の力で俺たちへ突進してきた。

 発狂した巨体の目は、こちらを破壊するだけの獣の目と化し、何がどうなろうともかまわない姿勢だった。


 そんなことを悠長に観察している間に、周囲の音が消え、自分の体は自然と前に出て、まだ収めていなかった相棒を振り上げ始めていた。

 ルカを守ろうと抱き寄せるカキョウがゆっくりと横を過ぎる。

 感覚だけが異様に加速し、巨体の動きが徐々にゆっくりとなっていく。

 唯一使える左腕を振り上げつつ、横っ腹の傷を無視してこちらへ突っ込んでくる巨体。

 ゆっくり、じっくり狙いを定め、 直線で向かってくる巨体に向かって、剣が振り下ろす。

 同時に、巨体の顔に向かって細長いものが飛翔する。

 ジョージが放ったクロスボウの矢が右目を射抜き、

 俺の振り下ろした剣が左腕と体の結合を完全に断った。

 初めて肉と骨を断つ。

 肉と骨の抵抗を受けるのかと思っていたが、意外にも刃は抵抗を受けることなく通過した。

 背のほうから、巨体が崩れ落ちる音が聞こえる。

 ゆっくりと振り返り、血溜まりに沈む巨体を見下ろした。

 残った左目がきょろきょろと動き、反駁しながらもギリギリの意識を保っているようだ。

 おそらく、戦意はもうないだろう。


 カチ。


 チチチチチ……

 先程まで聞こえてきた奇怪な音が再び聞こえ始めたが、すぐに聞こえなくなっていった。

 ゆっくりと時間が流れていた感覚が徐々に無くなり、今はいつもと変わらない。

 だが、手に伝わった感覚は……何もなかった。

 肉と骨を断ったはずなのに、握り締めていたブロードソードから伝わるはずの抵抗も、空気の抵抗も、重量の移動も。

 安堵と同時に疑問が生まれたが、疑問は……疑問程度で違和感にはならなかった。

(これが戦いに身をおく者の感覚?)

 トールに言われて感じたことを思い出すが、自分は相手をヒトとして認識していたか?

 否。無心だった。

 あるがままに動き、成すべきことを成す。

 最善の選択を取り、最善の行動をする。

 それだけだった。それが戦いに身をおくこと者の思考?

 模擬では味わえない、命のやり取り。

 ヒトは窮地に立たされることで、自然とスイッチを発動させるものだったのか。

 もし、自分がお屋敷の暮らしが続いていたら、一生こんな感覚にはならなかったのかもしれない。

 これが外で暮らすということなんだろうか……。

 これが生きるということなのか……。

「いやぁー、いい反応だったよ!!」

 声を掛けられてようやく本当にリアルな感覚が戻ってきた。見下ろしていた顔を上げると、ジョージがクロスボウを片手に万遍の笑みで拍手を送っていた。一方、トールは武器を構えたところで止まっており、ラディスは笑みを崩して唖然とした表情をしていた。カキョウとルカは驚きの表情だったが、俺の様子を見た途端ほっとした笑みを浮かべた。

 反応といわれたが、自分でもどうしてあそこまで流れるように反応できたのか、イマイチ理解していない。 気づいたら剣を担ぎ上げ、気づいたら振り向き、気づいたら駆け出していた。

 初めての『本当の対人戦』だったから、緊張というか一種のパニック状態からの自動防衛だったのかもと、自分なりに結論付けてみた。

「さーて、改めて状況終了かな。ささ、街へ帰ろうじゃないか!」

 そう、嬉々としてるジョージだったが、本人は切り離されたグローバスの左腕を掴むと、本体の傍までそれを引きずってきた。

 グローバスの血溜まりに左腕を置き、地面にそっと手を置くと何かつぶやき始めた。

「お前さんは向こうで軽く治療を受けて、牢屋の中でお友達と再会してね。ほいっちょ」

 置かれた手からはグローバスを包むほど巨大な青白い魔方陣が出現。魔方陣内にいたグローバスが徐々に光の粒子となり、上空どこかへと飛び去ってしまった。

(転送方陣か。しかし、あの事務員ジョージは何者なんだろうか……)

 そんなことを思いながら、歩き出していたカキョウたちに続き、街へ帰った。

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