傷付ける手、癒す指 馨×薫



こぽりこぽりとバーナーに熱された液体が音を立てるのを聞きつつ少し離れたソファでのんびりと紫煙をくゆらせる。

実験器具と薬品、手製の煙草の香りに満たされたこの部屋はとても落ち着く。


「そういえばあの男はどうなったかなぁ。煩くなってきたからしゃべれなくして置いてきたんだったっけ」


ふと一つの実験を思い出して一度薬品に視線を向ける。まだどれも時間ではない。


まだ問題ないと判断して続きとなっているもう一つの部屋に向かう。そこでは複数の機械と眠りを管理された男が力なく横たわりほんの少し与えた眠りを享受していた。

前回の任務で針を使い眠らせて生かしたまま持ち帰ったこの男は見た目は好みじゃなかったけどなかなか根性があってお気に入りだ。薬物実験であっさり壊してもつまらないと判断して人間の限界に挑戦してもらっている。


「えーと、今日で一日合計で3時間だけの睡眠と点滴での栄養管理を初めて7日か、流石に昨日くらいから精神崩壊し始めててうるさくなってきたんだよねぇ。へぇ、でもまだ数値は正常。流石じゃない」


今はパソコンのモニターで見るには彼はレム睡眠中。初日に比べれば多少数値は全体的に下がっているけれど、まだ問題なく生きていることに嗤いそっと横たわる彼に近付き猿轡の結び目をメスで切ってやった。


そのまま今度は指を滑らせて太い喉元へとたどり着くと首筋へ手袋越しに強く爪を立てた。数度こうやってオレに少ない睡眠すら妨害されている彼の首には手袋越しとはいえいくつも小さな傷がある。軽くメスで切った事もあるしね。


「っ!…悪魔め…」


「あれ、今日は普通の口がきけるの。ふふっ、優秀じゃない。ご褒美に遊んであげようか?」


びくりと反射で体を震わせて目覚めた彼は俺に気付くと反抗的に睨みつけてきて楽しくなる。昨日は殺してくれ、眠らせてくれ、なんでもするからと懇願して来ていたというのに今日は思考も正常なようでオレにとっては僥倖だ。褒めてあげたくなった。


「俺へのこれだってアンタにとったら遊びでしかないんだろ」


「もちろん。怒らせて殺してもらおうとしたって無駄だよ。殺してあげない」


1時間程深い眠りに入れていた彼は本当に思考能力も少し回復したようだ。手足を逃げられないように拘束された彼は自ら死ぬ術がない。そこでオレを怒らせて殺されようとしたらしいけど、そんなに生易しい訳がない。


多くの機材に繋がる中に彼の睡眠を妨害している物がある。予めプログラミングしてあり設定した時間を超えて眠ろうとした時に電流が流れる仕組みだ。これがあるから彼は眠ることが出来ない。それを1週間続け時々様子を見に来るオレは狂った悪魔にしか見えないだろうけど、狂ってるからこそ悪魔なんだからさ、甘いよねぇ。


「さ、何がしたい?頑張る君に機嫌が良いから遊んであげる」


「じゃあヤラセてくれよ。もう何日も出してないんだ。アンタは美人だし、悪魔でも美人ならいいさ」


「別にこれで遊んでも良かったのに。どうせ汚れないんだから」



そう告げて前からとある袋へ繋がる管を引っ張ってやると痛そうに声を上げるのでつい口角が上がる。あぁ、楽しい。薬品で遊んでいるのも楽しいけれど、こっちの方が断然退屈をしない。


「あっは、良い声が出るじゃない?十分楽しめるでしょ」


動けない彼にこんな物まで与えてあげるオレって優しいよね。オレが居ない間も遊べるのにねぇ。


「こうされると中で擦れてイイんじゃない?」


「っい!やっめ」


「続けてると新しい楽しみ知れると思うよ」



濡れてるわけでも慣らしてる訳でもないから痛いだろうね。辛そうな顔がそそられる。さっきまで生意気に睨んできていた目が辛そうに歪むこういう瞬間が最高に好き。竿に収まった管が動いて激痛だろうねぇ、と考えていると笑みが溢れる。


「も、こんなじゃなくて、あっ…ヤらせろよっ」


「これで十分でしょ。それともそんなにヤリたいならソレ縛った状態でビッチな子でも上に座らせてあげようか?いつまで正気で居られるかそれも楽しそうだねぇ」


眠ることも出来ず出す事も出来ず刺激され続けるなんて一体何時間で狂ってくれるだろう、と思っていると扉を叩く音がしてオレと同じ顔が覗いた。


オレと違うのはほぼ表情筋が仕事していない事と髪を下している事。それでも双子だからね。結局は同じモノだ。


「馨どうかした?今楽しいとこなんだけど?」


「た、たすけっ」


「実験も良いが腹が減ったと言ってきたのはお前だろう。もう出来るぞ」


彼の状態を見ても全く動じず表情も変えずに言われた言葉に、そうだったと思い出す。待つ間に時間が掛かる薬品の調合を始めたんだった。


「すっかり忘れてた。助かったねぇ、また見に来るよ」


後半は哀れな彼へ言葉を投げて管を手放し馨の方へと向かった。次に来る時も会話が出来たら良いけどね。



「まだあれは生きていたのか。道理で回ってこない訳だな」


「そ。今日は会話も成立したし中々優秀だよ、アレは」


「俺としても長引いた方が中が綺麗で捌いて楽しいから良いがな」


「感謝してよね。だから点滴で栄養管理までしてあげてるんだから」


そんな会話をしつつ元居た部屋に戻りいくつかのバーナーの火を弱め更に逆側に続くオレと馨の共有スペースの方へと移動した。これはオレ達の更に上の兄の配慮。実験に没頭すると飲食も睡眠も忘れるオレの面倒を馨に押し付けたような物。


元々面倒見の良いこの双子の兄は呆れつつもこうして世話を焼いてくれる。

まぁ、そもそも自分で作った物、他人が作った物は食べれないし馨と他に数人の限られたオレが信用出来る人間が作った物しかこの体は受け付けないんだけどね。


「デミグラスソースちゃんと作ってくれたんだ?さっすがお兄様」


「まったく、もっと早くから言っておいてくれ。手間が掛かるんだ」


余分な化学調味料さえ受け付けないこの体は市販品の一切を拒絶する。手間も分かっていて強請ったから流石に却下されているかと思ったけど薬品を弄りはじめてからでも意外と時間が経っていたようで室内にはキッチンからの良い匂いがしていた。


「気分なんて突然変わる物なんだよ、馨。甘い物も作ってくれた?」


「そっちの冷え待ちだな。冷蔵庫に放り込んだからそろそろだ」


「なぁんだ。じゃあまだじゃなぁい。馨が遊んでくれるの?」


キッチンに様子を見に行く彼に付いていくもまだだったらしく先に冷えた料理を温め始める姿に不満を溢し、背を向けた腕に抱きついた。


「どれも面倒な物ばかりだったからな」


明らかな嫌がらせだったらしい。双子に有りがちな共有ラインである程度の感情や思考の読めるオレ達は普段面倒だからラインを切り離しておくのだけど、仕返しにと敢えて繋いでいて確認してたんだろう。

オレの方が酷いけどこういうところ馨も大概酷いよねぇ。


「まぁいいや。馨、まだぁ?」


「まだだ。暇なら…」


腕に抱きつき直してこちらを向いた隙にキスをした。すると一瞬嫌そうに眉寄るからそれに笑う。こういう反応もたまらなく好き。リアクションがあるからオレが喜ぶ事も知ってる癖に。


「薫、邪魔だ。邪魔しかしないなら離れていろ」


「早く呼んだのは馨なんだから責任持って相手してよ」


「…機嫌の良いお前は面倒くさい。後で遊んでやる」


些細な違いでオレの機嫌を読み取る馨からの了承に満足してもう一度キスしてから離れ自分の白衣のポケットを漁るけれど目的の物が無い。


「あぁ、部屋だ。馨、煙草分けて」


そう言いつつ返事の前に彼の白衣から煙草ケースとライターを取った。


「吸うなら向こうへ行っていろ。灰が入る」


差し出された綺麗に洗われた灰皿に笑って今度は従ってあげる。そしてさっきは通り過ぎて来た共有スペースへと戻り座り心地が良いソファに煙草を咥えて座り火を点けるとさっきのやり取りで高揚していた気分が少し落ち着いてくる。


煙をふわりと吐き出すと同時に欠伸がこぼれて昨日寝ていなかった事を今度は思い出した。これは忘れててよかった。


それと同時にまだ切ってなかったのか【寝るな、料理が無駄になる】と馨から思念が飛んでくる。寝れないの知っててほんと馨ってば酷いよねぇ。

欠伸を噛み殺しつつ紫煙を散らしていると程なくして遅い夕食を持って馨が戻って来た。


「食えるだけで良いから食ってから寝ろ。昼も食べてないだろう」


「何で知ってるの。オレのストーカー?」


「部屋に籠っていたのは知っているからな」


お皿を置いたタイミングで馨を引っ張ってソファに座らせるとそのまましなだれかかった。このまま寝れそう。

慣れた体温と匂いに急速に睡魔が襲ってくる。目を伏せかけていると顔を上げさせられ珍しく馨からキスされる。


もっと欲しくて抱き着くとそのまま舌が滑り込み同時に冷たい液体が流れ込んで来た。なんのことはない目覚まし代わりに水を飲ませたかっただけ。


「ん、珍しく馨からだと思ったのに酷くなぁい?」


「酷くない。万年発情してるお前と一緒にするな。少し覚醒したなら食べてくれ」


「はいはぁい。デミグラスソースは食べたかったし」


そもそもデミグラスソースの何か、とリクエストしたらデミグラスソースの掛かったハンバーグになっていた。大方貧血気味がバレて鉄分を取らせようと肉になったに違いない。多分挽肉にはレバーも混ぜられていると思う。


「正解だ。だから食え」


「馨ライン切らないの?疲れなぁい?」


「…忘れていた。共有ラインか」


共有ラインでもオレ達には通常の音声と同じに聞こえるくらいの感度を持っているから気付いて居なかったらしい。こういうところが馨は時々抜けている。ま、オレ達も完璧ではないからね。


「食べられそうか?」


「食べれそうになぁい、って言ったら食べさせてくれる?」


「面倒なだけだろう…」


冗談にも真面目に嫌そうな顔で答える馨に笑う。別にそこまで世話を焼かれたい訳じゃないんだけどねぇ。それもこの兄は理解していての反応だから楽しい。いちいち優しいよねぇ。構ってくれるんだから。


結果馨で遊びつつ少し食べたけど眠気の方が勝って気持ち悪くなったから半分は残して馨の膝で目を閉じている。多めに作ってたから多分残りは斬牙の胃袋だろう。

まだ馨は食べてるから動けないし迷惑そうな顔はしたけど文句は言われなかったからそのまま。長いソファだから靴も脱いで寝転がり彼の膝に頬を寄せた。


「実験中の薬品はまだ良いのか?火に掛けたままだっただろう」


「ん…遊んでただけだから別に。起きて気が向いたらやり直すよ。火だけ消しといてぇ」


特に火薬を煮込んでる訳でも、沸点が上がりすぎると爆発する系の薬品でもない。急ぐ物でもないから構わないと答えて少し寝返りを打って馨を見上げると察したのか手が降りてきて髪に触れる。


こうされると眠くなるのはオレも同じ。オレに甘い手が柔らかく撫でていくのが気持ち良く再び目を閉じた。


柔らかく髪に指が差し込まれ乱されるうち髪を纏めていたゴムが取られ三つ編みから解放された髪が広がり毛先の方まで撫でていく。たまに引っかかった指に引っ張られるけど。


「また髪が傷んだな」


「うん、だから優しくしてよ。最近ちょっと不摂生してたしね」


そう告げると一瞬指が止まり緩やかに動くようになる。いつの間にか食器の当たる音は止んでいた。


一応本業は暗殺者兼内科医だから小言の一つくらい貰うかと思ったけど溜め息を一つ落としただけで済んだ。

注意されても今更直らないしね。実験や趣味に没頭すれば熱中しすぎるのは研究者の性。馨だって解剖室から出てこなくなる事はよくあるからお互い様でもある。


「ここで寝るのか?」


「うん。もうここでいいや。1時間くらい寝かせて…ねむい」


「全く…」


上の方でまた溜め息が一つ。そして自分の白衣を掛けてくれた後、柔らかく髪を撫でられるのを感じながらゆっくりと闇に沈んだ。

1人では眠れないけれどこの体温があればソファであろうと闇は迎えに来てくれるんだから不思議だよね。

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