3P〜 二日目 午前

「これはこれは」

 大きく胸を張って仰け反り、腕を組んで口角を上げる。三日月を伏せたような形の目は愉悦を表している。彼の黒曜石に似た瞳が映すのは血に塗れた惨状とも言うべき犯行現場だ。

 アイザーンは事件の概要をそらんずる。

「被害者はチャールズ・リーグ、二十二歳、男性。滞在していたホテルの中で、」

 司法解剖は不可能だ。それは、物質として、成り立たないのだから。だから現場検証、現場の保存、それだけしかできない。この場所は、あまりに血の匂いが濃い。むせ返るほどに。

「突然。」

 彼は、何の前触れもなく、その内臓を撒き散らし、脳漿をぶちまけて、足をへし折り腕を捻じ曲げ目玉を飛び出させて血を撒いた。そう、その体の全てが破裂した。何かに押しつぶされたように、体は大きなガラスに打ち付けられ跡形もなくなったのだと、警察は考えている。なんらかの爆薬が部屋の中に仕込まれていたのだろうというのが有力説だ。

 肉塊ですらない血の塊。破片。人間であったもの。凄惨さのみがこの場を埋め尽くす。ひびの入ったガラスの窓と、両側の壁に飛び散った赤が白い壁に円形に放射を描いている。調度品もいくつか吹き飛び壊れ破裂していた。

 もしも、これが爆薬などの道具を使わずに行われたものだったとしたら。

 それは、人間のできる範囲ではない。

「なるほど、これなら、あなたがた警察が私を頼った納得がいきます。これは確かに、」

 探偵は口の端を吊り上げたままに、はん、と鼻で笑う。その言葉の続きがいやに尖った歯のあわいから漏れる前に、背後から乾いたノック音がした。

「失礼します」

 ん、と。声にならない呻きが探偵の口から溢れる。潜めた眉は不愉快そうに眉間の間に皺を作る。部屋に入ってきたのは同じく警察の者だろう、くたびれた制服に制帽。顔は若々しいが若者特有の赤い頰や血色の良さは唇にも見られない。憂鬱そうで、まるで何かを嘆いているようでもあった。

「探、……偵様の警護をレイカール警部より仰せつかりました」

 どこかぎこちなくて固い。肩に入った力が、触れてもいないのに見て取れた。

 ふうん。探偵は顎を引く。

「それじゃあ一つ、頼まれてくれますか」

「は」

「今から現場検証がしたい。その為に必要なものを持ってきてもらいたい」

「私の役割は警護で………」

「警護なら彼一人いれば十分ですよ。ここは事件現場ですし、玄関あたりにも現場保存の為の警察官が多くお仕事をしておられる。誰かが私を殺そうとする前に、あなたの同僚や部下が捕まえてくださいます」

「それも、そうですが」

 彼はどこか不服そうだ。しかしその言い分にも納得するところがあったのだろう、首を縦に振る。

「わかりました。何をご用意致しましょう」

「そうですね。まずはアルコール。葡萄酒が近しいと思われます。それとマッチ」

「火、ですか?」

「はい。こんな惨状になるには、何らかの爆破の可能性も考えられます。被害者が喫煙者だった場合、アルコールのガスに引火して生じた事故、という事も。ああ、ここでわざと爆破するわけではありませんよ。小規模の実験を別室を借りさせていただいて、行います」

「わかりました。お時間を頂きますが、」

「構いません。可能性は山のようにあります。そんな時は消去法が確実です。調べたい事も多い、実に実に実に多い。ゆっくりとで構いませんよ」

 両手を広げ大仰に彼はため息をつく。探偵が口にした見解が、先程言った通り、警察のものとほぼほぼ一致しているからだろうか。その様子を見て、彼は敬礼し、退出した。

「いや、いや、まったく、まったく。困りました、ああ、困りました」

 探偵はゆっくりと扉に近付き、廊下をきょろりと見て、それから扉を閉めた。ノブのかちゃりと回る音。

「君はどう思いますか」

「爆発の可能性は低いと思われます」

 アイザーンは答える。理由を催促する目に抗わず、意見を並べた。

「煙草が葡萄酒のアルコールに引火する可能性は低い。また、もし引火したとしてもこのような大規模の爆発は起こりにくい。それにこの遺体のは爆破によるものとは思えません」

「ふむ、ふむ」

 演技がかった仕草で探偵は両手を背中で組み、アイザーンの横を通り過ぎる。そしてまた部屋をまっすぐ進んで、突き当たりの窓、ひび割れた上に血痕の残る残骸の棧に手を掛けた。

「さて、ここで面白いことを言ってやろう」

 片手で窓の鍵を外す。空いた片手で窓を押し、吹き込む風を正面から受ける。アイザーンからはその小さな背中しか見えない。探偵はなんでもないことのように、繋げる。

「君はどうやら何かの恨みを買っているようだぞ」

「恨みですか」

「検討もつかないといった顔をしているな。まあ無理もない。それに言葉も悪かった。あー、なんというんだったかな。逆恨み、とか」

 こちらを振り向かずに、よく人の顔がわかるものだ。見当違いに感心すれば、ふん、とまた鼻で笑う。

「まあ、そんなもんでもないだろうが。理解できるだろう」

 わからない。

 アイザーンは首をひねる。

 確かに、警察内部では邪険にされる事もなくはなかった。万人に受ける性格もしていない。馬鹿正直なお人好しの不幸体質だと何度も何度も揶揄された。しかし、逆恨みされるほどのことをした覚えもなければ、相手の検討もつかないのだ。

「理解の乏しい愚鈍さだな。まあその勘の良さと観察眼に免じて許してやろう。要するに」

 体を斜めに向け、探偵はアイザーンへと顔をよこす。

 真っ黒の瞳は木の虚のように、ぐるぐると、沈んで落ちる色をしていた。

「お前はぼくと同じ、一連の多発猟奇的殺人事件の重要参考人なんだろうよ」

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