第37話 山遊び

 今日は山登りの予定だったが、早朝の天候が思わしくなかったので、迷わずキャンセルした。そして、朝食時の今、土砂降りの雨。たまには、私の予報も当たるものだ。

 暇人で恐縮なのだが、私はリビングで書物を読み、マリーは部屋の掃除に余念がない。うむ、来た時よりも美しくだ。

「ふぅ、身分差か……」

 あまり考えたことはなかったが、そういうつまらないものが存在するのは事実。それをブチ壊すには、まず国王様のバックアップが必須だった。

「やれやれ、問題山積ねぇ……」

 ページを繰りながらポソリとつぶやく。まあ、ここで考えても、どうにもならないんだけどね。

 三冊目の本に手をかけたとき、段々雨音が激しくなってきた。建物の中で良かった。

「この時期にこんな雨って珍しいわね。夏ならともかく……」

 掃除の手を休めてマリーがつぶやいた。

「まあ、山だからね。ダイナミックな天気なんでしょう」

 私はあまり気にも留めていなかったのだが、これが後々になって面倒な事になるのだった。


 その夜、いつも通り温泉に浸かっていると、一通り片付けを終えたマリーもやってきた。

「はいお疲れ、お背中お流ししましょうか?」

「えええ!?」

 最近気が付いた。根っからの侍女であるマリーは、主である私になにかされる事があまり得意ではない。

「はい、もう暴れないの!!」

 素早く湯船から出た私は、マリーの背中を金だわしで……擦ってやったら面白いだろうなと思いつつ、ちゃんと手で丁寧に洗ってやる。

「や、やめて、落ち着かない。泣くぞ!!」

 ……これしきの事で泣くな。

「なんでしたら、洗髪も……」

「死んじゃうからやめて!!」

 全く、数少ない弄りポイントである。適当にからかったあと、私は湯船に入った。

「ミ~モ~ザ~!!」

 おうおう、怒ってる。このあとのパターンは分かっている。私は立ち上がって無言でミドルキックを繰り出した。

「おぶっ!?」

 飛び込んできたマリーを見事に捉え、撃墜に成功。今度から近接防御キックと呼ぼう。

「お風呂は静かに入りましょう」

 はぁ、何度入っても染みる……。

「あ、あんたが言うな!!」

 マリーの抗弁は無視しして、私は「ポケット」からお酒を二本取り出し、一本を彼女に向かって放った。

「こ、こんなので、誤魔化され……美味い」

 エルフの希少酒「ゴブリン」。なんて名前だ。

「常温がベストだから冷やしてないよ。いいでしょ?」

「うん、初めて飲む味だけど、これはなかなか……」

 ちなみに、アルコール度数75%を超える、狂気のお酒でもある。

「あーこら、そんな勢いで飲んだら!!」

 マリーが撃沈した。ほらね、こうなる。

「やれやれ……」

 「浮遊」の魔法でマリーをお湯からあげ、回復魔法を少々。あとはまあ、寝かせておけばいいでしょ。

「人間って脆弱なんだから、もう……」

 私は風呂から上がり、浮かせたままのマリーを連れて脱衣所に向かったのだった。


「なにか、一人の夕食っていうのも虚しいわね」

 私は誰ともなくつぶやいた。マリーはまだ復活しない。このまま寝かせておこう。

 簡単な料理を作り勝手に食べて片付けを済ませる。気楽だが、どこか寂しいものだ。

「さて、ちょっと早いけど寝るか。雨だし……」

 雨が上がっていたら少し散策しようかと思っていたのだが、結局雨は一日降った。明日晴れたら山登りで、温泉休暇はおしまいになる。最終日は街での買い物もあるので、それも楽しみだ。

 私は寝室に入り、寝息を立てているマリーの隣のベッドに入った。

 すぐには寝られそうにないので、適当にゴロゴロ……これはこれで妙に気持ちいい。マリーのベッドメイクは完璧だった。

「しっかし、マリーも物好きだねぇ。王族の人間なんてロクでもないのに……」

 隣をちらっと見て、私は小さく笑った。

 まずあるのは、権力と欲望。まあ、私は薄いけどね。ないとは言えない。

 ああ、そうそう。私の身の上はロックウェル王国の第三王女から、サーモバリック王国の第二王女になっている。しかし、少々「訳あり物件」らしく、まだ第一王女には会ったことがない。私は、事実上の第一王女と言われているのが現状だ。

 そんあ状況下で、果たしてマリーとの結婚は認められるか? 厳しいかもしれない。

 結婚にこだわってはいないし、私をどこかに放出するとは考えにくいが、アンカーを打ち込んでおきたいのは事実だ。

「はぁ、なんか面倒だなぁ……いっそ、国王にでもなるか。女王様とお呼び!! なんちて」

 私はまた一人笑いをしてしまった。第一王女ともなれば王位継承権を持つが、私はエルフだ。誰も認めないだろう。むろん、そんな野望もない。

「……どうしたの?」

「うぉ!?」

 いつの間にか起きていたらしい。マリーが細目でこちらを見ながら言った。

「あれ、起こしちゃった?」

 あー、ビックリした。

「うん、あれだけうるさかったら……」

 あっ、寝た。

「よし、寝よう……」

 私は荷物の中から、鎮静作用のある薬草酒を取り出し、適量を飲んだ。……苦い。


 恐らく、深夜くらいだろう。結局眠れずゴロゴロしていると、隣のベッドでマリーが動く気配を感じた。

 見るとその目は虚ろ。どこに行くのか分からないが、フラフラと部屋から出ていった。

「お手洗いかしらねぇ……」

 あれは、完璧に寝ぼけている。様子を見に行った方がいいかなと思ったら、ちゃんと帰ってきた。そして、予想通り私のベッドに潜り込んできた。

「……かぁちゃん、抱っこ」

 ……おい。

「いつあなたを産んだのよ。って、寝てるし……」

 私にしがみつくようにして、マリーは寝てしまった。

「はぁ、寝よう……」

 時計の音が妙に耳に付く。これじゃ寝られない。

「やれやれ……」

 私はしがみついたまま寝ているマリーをそっと隣のベッドに寝かせ、ため息をついてから自分のベッドに戻った。

「今度はかーちゃんか、全く……」

 苦笑してから、私は静かに目を閉じた。

 結局、睡魔がやってきたのは夜明け近い時間だった。


 なぜ山に登るのか?


 いい質問である。私なら偉人の言葉を借りて、迷わずこう答える。


 そこに山があるからだ。


 というわけで、コテージ近くの山をひたすら登っていた。ジャベリン山、標高四千七百二十メートル。三千七百メートル付近でマリーが高山病で下山を余儀なくされ、屈強な護衛も次々に落伍し、最低限の荷物を背負った私は、ついに単独登頂を目指す事となった。

最小限の荷物でも、重量は六十キロを越える。ちょっとしたトレーニングだ。

「ふぅ、デートには不向きだったかな」

 少し足を止めて、私は苦笑した。あの泣きそうな顔は忘れない。コテージがある辺りは、標高二千メートルを超えているので、高地順応は大丈夫だと思ったのだが……。

 ああ、高地順応とは高い山に登る前に、そこそこ高い場所に滞在して体を慣らす事。四千メートル強ならイケると思ったのだが、甘かった。

「さて、行くか!!」

 遙かな高みに向けて、私は一歩一歩歩み始めたのだった……。


 無事に登頂して下山すると、登山道の入り口に俯いたマリーがいた。

「どう、少しは良くなった?」

 高山病を甘く見てはいけない。最悪の場合は命を落とす事もある。

 高度が下がって空気が濃くなれば症状が軽減するので、即座に下山を指示したのだ。

「またついていけなかった。侍女なのに……」

 いや、山登りに侍女とか関係ないし……。

 落ち込まれていると調子が狂う。私は切り札を切った。

「あれ、侍女なんていたっけ? 恋人ならいるけど」

 その瞬間、マリーがビックリしたように顔を上げた。

「えっ?」

「二度は言わないから、聞き逃していたら知らない」

 私はマリーの頭を撫でた。

「さて、帰りましょう。明日は街でお買い物~♪」

 わざと明るく言った。

「ちょっと待って、さっきなんて言った?」

「だから、二度は言わないよ」

 私はコテージに向けて歩き始めた。

「なによぅ、ケチ!!」

 マリーの声が山に木霊するのだった。

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