第31話 想定外の交際開始
『アン・セイバー 享年:二十五 事故死』
それだけ書かれた小さな墓碑が、街の外れの墓地にあった。
「……」
「……」
私が言うべき事はなにもないし、マリーは黙ったまま。
彼女が行きたいというので、お供したのである。
しばらくそうしていたが、私は悩んだ末に提案した。
「マリー、たった三十分だけ、魂だけ、一回だけこっちの世界に呼び戻す事は可能よ。私が言えるのはそれだけかな……」
私は墓碑から三歩ほど下がった。あとはマリーの時間だ。
墓地というのはそもそも居心地がいい場所ではないが、この沈黙はさらに居心地がいいものではない。
「……やって」
「はいよ」
短くマリーの声が聞こえ、私は腰に装備している小刀を抜いた。
呪文を唱えながら、私は左手の平をサッと切った。流れ出てきた血を指先に滴らせ、墓碑を中心にして、丁寧に魔法陣を描いていく。それが完成すると、マリーと並んで正面に立ち、最後の文言と共に杖をトン……。
瞬間、緑色の淡い光りが墓碑の上に集まり、球体のようなものが生まれた。私の仕事はここまでである。邪魔するつもりはない。
墓石から十数メートル離れると、私は紙巻きしてある香草に火をつけ、そっとその様子を見守ったのだった。
たっぷり一時間後。魂が消失してから三十分後、マリーが小走りでこちらに駆け寄って来た。
「ありがとう。って、左手酷い怪我じゃないの!?」
……バレたか。
一応、持参していたハンカチ代わりの布でキツく止血はしてあるが、それでも赤い滴が落ちている。
「えっ、ああこれ。久々だったから加減を間違えた」
嘘である。このくらい切らないと、必要な血が出ない。
「なにやってるの!!」
マリーの回復魔法が、一瞬で傷を癒やした。
「アハハ、やっちった」
本当の事は言わない。気にするから。
「全く……。さっ、行こうか。何か奢る!!」
さりげなく私の左腕にぶら下がりながら、マリーが言った。
「じゃあ、超絶特大パフェでも……」
「はーい」
……アン・セイバー。普通に考えれば女の子。25才で事故死か。
若すぎるし気にはなるが、聞かないのがマリーのためだ。話したくなれば話すだろう。
私たちは、物寂しい墓地から街中に向かっていく。キャーキャー話すような場所でもないので、お互い自然と無口になった。
「……あのね、さっきのお墓は私の先輩であり教育係。まっ、恋人だった時もあったかな」
ポツリとマリーが語り始めた。私はただ歩みを進めた。
「でもね、死んじゃった。目の前で馬車に……。それ以来、私の時間は止まったままだったんだけど、ようやく動き始めた。あなたが来てからね」
なにも言わない。ただ聞くのみ。
「最初は侍女として、あくまで仕事として、普通に接するつもりだったんだけどね。理由は分からないけど、なぜか惹かれちゃった。諦めてね」
結局、私はお店に着くまで、言葉を発する事はなかった。
その夜、全ての仕事が終わったマリーは、いつも通り部屋の外に立ち「害虫駆除」の任についていた。
「アン・セイバー。なるほど、元祖スーパー侍女ね。これは……」
城に戻り、部屋で読む本を持ち出すために図書室に寄り、ついでに気づかれないように「資料」を少々引っ張り出してきたのだが、いやはや大した「戦歴」の持ち主だ。
「マリーもよくついていけたわね。ほとんどスパイよ、これ……」
まあ、侍女としては完全にオーバースペックだ。職業を間違えている。
「まっ、基礎知識はこんなもんか。これで十分」
私は資料を閉じた。そして、小さく息をつく。ふむ……
「まっ、天下のマリー様にも過去があったって事で……ん?」
窓の外にこぶし大の緑の球体が浮かんでいた。あれまぁ。
私が窓を開けると、その球体はフヨフヨと室内に入ってきた。
「変に起こしちゃったね。ごめん」
無論、私はその球体が何か知っている。昼間「起こした」、アン・セイバーの魂だ。
『お初にお目に掛かります。アン・セイバーと申します』
ささやくような声が聞こえてきた。魂の状態は健康だ。弱っていると雑音混じりになる。
「はい、どうも。私はミモザ。マリーから、聞いているかもしれないけど……」
外に聞こえないように、そっと答える。
『はい、伺っております。なんでも、恋人とか……』
思わず吹き出しそうになったが我慢。あのやろう……。
「少なくとも、向こうはそのつもりみたいね。私は認めていないけど」
部屋に置いてあるお酒をグラスに注ぎ、私は苦笑した。
『なるほど、あの子は先走る癖がありますからね。狙われるとは不幸……いえ、なんでもありません』
今、なんかさらっと……まあ、いいや。
「やっぱり、気になるみたいね。あの魔法には、霧散してしまった魂を集める強力な効果があるけど、そう長くはもたない。それでも残っているんだもの」
チビリっとお酒をやりながら、私は言った。
『気にならないと言えば嘘ですね。一応、元恋人ですから。いきなり死んでしまったので、気にはなっていたのです』
思念が強いほど残りやすくなる。これは、相当なもののはずだ。ちゃんと「還す」けど、まだいいだろう。
「どう、少しは安心した?」
グラスの中身をチビリ。
『はい、いい友人にも恵まれたようですし、安心しました。これで、私は失礼しますね。ああ、そうそう。彼女の弱点はうなじです。そこを、軽く舐めると……』
「送還!!」
パンと音を立てて球体が弾けて消えた。
私はなにも聞いていない!!
「全く、弟子が弟子なら、師匠も師匠か……。やれやれ」
グラスのお酒をグッと飲み干し、私は窓を閉めた。
ちなみに、私の弱点は耳……すまん、極秘だ。
「あの、何か凄い落としたけど!?」
扉を開けてマリーが飛び込んできた。
……。
私は無言で彼女の右腕をねじ上げると、そっとうなじを舐めてみた。
「いたた……うひゃあ!?」
実証完了。私はそのまま彼女を外に押し出すと、扉を閉めて鍵をかけた。
「こらぁ、なにすんのよ!!」
私だってたまにはやり返す。そう、ちょい盛りくらいで。
しかし、なんだろう。このやっちまった感と自己嫌悪は……。
「さて、飲むか……」
勝利とて虚しいもの。私はいつもより、少しだけ深く飲んだのだった。
城ではちょっとした騒ぎになっていた。マルスが消えたのだ。
同時に宝物庫に保管されていた『呪いの鎧』が消失し、街中各所で目撃された上に、なんかマルスっぽい声が聞こえるとか聞こえないとか。まあ、そんな事はどうでもいい。
私はマリーと向き合っていた。彼女の表情は、怒りとも焦りとも取れるもの。その顔にはうっすらと汗が浮かんでいる。悪くない。こんな表情も出来るのね……。
私はそっと指を這わせ、そして、次の一手を打つ。
「チェック」
……
「まいりましたぁ!!」
ヤケクソ気味にマリーが叫んだ。
「ったく、ホントに弱いわねぇ」
スーパー侍女の憂鬱。それは、チェスだった。
「なによぅ、あなたが強すぎるのよ!!」
「自分、まだ駒に触って二週間の初心者なんですけど?」
私など、やっと駒の動かし方を覚えた程度の初心者。それに負けるマリーの弱さ。もはや、どうにもならなかった。
「もう一回やる!!」
「はいはい」
マリーの美点は打たれ強い事。負けても負けてもへこたれない。
結局、さらに三十戦ほどやって私が連勝記録を伸ばしたところで、彼女がぶっ倒れてチェックメイトとなった。
「あーあ、無理するから……」
私のベッドに寝かせたマリーが、ずっとうなされている。時折「ビショップぅー!!」とか叫んだりするので、わりと怖いし気持ち悪い。
「回復魔法って効くのかな……」
時々試してみるが、あまり効果はないようだ。
「はぁ、どうにもならん」
時間はもう深夜である。いい加減眠いがベッドが空かない。
「全く、手間が掛かるわね……」
私は杖を取ると、軽く結界魔法をかけた。今日は張り番が期待出来ないからだ。
「さて、ソファで寝るか」
これが初になる、城でのマリーとのお泊まり会。通常ならあり得ない。それはいいのだが……。
「主は寝袋っと……」
思わず苦笑しながら、私は部屋の片隅に置いてあった寝袋を引っ張り出した。
「さてと、おやすみ……」
フィンガースナップ一発で部屋の明かりを落とし、私はそっと目を閉じた。しかし……
「ああー、ポーンが、ポーンが降ってくる!!」
……どんな悪夢だ。
「寝られん!!」
とにかく、マリーがうるさいのだ。
「ああ、もう!!」
寝袋から這い出てベッドサイドに行くと、脂汗をかいているマリーの姿。私はその胸にそっと手をかざし、短く呪文を唱えた。
「『睡眠』」
マリーの呼吸が穏やかなものになり、静かに寝息を立て始めた。
魔法での睡眠はぞんざいにやると不安定なものになる。緊急時ならともかく、余裕があるときは丁寧に。これは大事な事だ。
「さて、今度こそおやすみ……」
静かに目を閉じ、今度こそ寝に入った。寝付きは悪い方ではない。
「ミモザ?」
‥‥誰かが呼んでいる気がするが、眠い。
「おーい、寝てる?」
「うん、寝てる」
あっ、返事しちゃった。
「そっか、寝てるか‥‥。ベッド返すから、私がそっちで寝る」
「めんどい‥‥」
「『覚醒』」
うぉお!?
「ちょ、ちょっと、マリー!!」
このやろ、魔法で叩き起こしやがった!!
って、あれ?
「魔法で眠らせたのに……」
確かに魔法で寝かしつけたはずだが、効きが甘かったかな。
「ああ、多分これ‥‥」
マリーが服のポケットから取り出したのは、小さな指輪だった。
「『魔封じの指輪』なんて、なんに使うのよ……」
装着者を魔法から守る道具の一つだ。「睡眠」の魔法くらいなら、余裕で防ぐ。
「掃除していたら落っこちていたから、そのままパクったんだけど……」
「盗るな!!」
全く……。
「あーもう、それあげるわ。お守り代わりに持ってなさい」
見覚えがないが、その辺に落としておく程度の扱いである。大した物ではないだろう。
何が嬉しいのか、ガッツポーズまでして喜ぶマリー。分からん。
「さて、もう寝ましょう。遊んでいる時間じゃないわよ」
午前二時三十五分。さすがに、朝が心配な時間だ。
「ねーちゃん、添い寝!!」
「アホ」
私はサッサと寝袋に潜り込んだ。
「ケチ、襲うぞ」
「うなじ舐めるぞ」
マリーは黙った。
「なんで、それ知っているの?」
「秘密。おやすみ!!」
一方的に言い放ち、私は目を閉じた。睡魔に誘われるまま、私は眠りに落ちていった。
……馬鹿野郎。
四時四十五分。早起きしすぎた。
マリーは人のベッドで大の字で寝ている。窓の外もまだ暗い。
「なんでこんな時間に起きるかねぇ……」
うーむ……。よし、イタズラしてやるか。
恐らく、私は寝ぼけていたのだろう。そうとしか説明がつかない行動に出た。
ベッドの空きスペースに滑り込むと、ご機嫌で寝ているマリーの頭をそっと傾け、彼女のうなじを爽やかに舐めてみた。
「ひゃう!?」
身を丸くした所に、朗らかな追撃、清らかなる流れ、熱き咆吼……
「あっ……」
調子に乗ってやり過ぎた。気が付いたら、マリーは顔を上気させてこちらを見つめている。えっと、どうしよう。
とりあえず……
「バハムート!!」
あれ、なにも起きない。落ち着け……。
「な、なんで、バハムート、なのよ!!」
よし、ツッコミ入れる余裕はあるみたいだぞ。
「ミモザの慌てる顔って……なんか可愛い」
そ、そんな艶っぽい目で見るな。おかしくなる。
「いいからおいでよ。変な事しないから」
小さく笑みを浮かべながら、両手で受け止めるようなポーズを作るマリー。
私がスイッチを入れておいてなんだが、信じろという方が難しい。
はっきり言ってしまうが、今までマリーとはその……せいぜいキスくらいまでしかやっていないのだ。それ以上は……勘弁してくれ。
「戸惑ってる。それも可愛いね」
ううう、ガンガンきやがる。無理……とは言えない。
まるで吸い寄せられるられるように、私は彼女の横に滑り込んでいた。
「ねっ、変な事しないでしょ?」
手を繋ぐくらいの事はしてきたが、それだけだった。
「……私ね、うなじやられると、心臓止まりそうなくらい来ちゃってさ。酷いよ」
「いや、その、ごめん……」
謝るしかないだろう。これは。
「謝るくらいなら、はっきり言って。私が好きって」
うぐっ、自滅したか。
「い、言わなかったっけ?」
言った覚えはない。答えが分かり切った質問だ
「聞いていたら、こんな質問しないよ。やさぐれているミモザを見ているのは、私ももう限界。ついでに言うと、こんな気分にさせておいて逃げるとかあり得ないし」
やっちまったか……。
「ふぅ、好きだよ。但し、王女と侍女という関係を崩さない範囲でね」
「もちろん、侍女に肩書きがついただけ。大きなね。あー、これでスッキリ」
マリーは体を半回転させて、私に乗っかってきた。
「さて、やられたらやり返す。倍返しだー!! って誰かが言ってわね。あなたの弱点探ししないと……」
「こら、ちょっと待てぇ!!」
かくて、幼稚園児のような交際が始まったのだった。
「耳じゃありきたりだし、へそとか?」
ありきたりで悪かったわね!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます