第24話 バカンス最終日

五日目 午前五時 別荘 天候:嵐


「全く、なにやってるんだか……」

 私は必死に作業しているマルスに苦笑してしまった。

「だって、どっか行かれたら嫌だもん!!」

 私の左手は頭上に上げられ、ガウンの腰紐でベッドに縛り付けられていた。

 まあ、ちょっと引っ張れば取れるようなグズグズなものだ。問題ない。

「何でまた急に……」

 ため息をついて、マルスに聞いた。

「だって、同じ夢を二回も見たんだよ。心配にもなるよ!!」

 マルスの顔は至って真剣だ。やれやれ……。

「とぅ!!」

 天井からマリーが降ってきた。だから、あんたはもう……。

「なかなか面白そうな事やっているから、来ちゃった。坊や、縛るならこうやって……」

 やれやれ、調子に乗ちゃって。

「ほら、これで動けない!!」

 確かに動けないが、これを世間ではグルグル巻きという。縛った内に入らないぞ。こんなの。

「ったく、揃いも揃ってダメね。赤点。まずは基本から……」

 そっちがその気なら、こっちもちょっとだけ技を使ってやろう。

「……エルフ式緊縛術、『後手縛り』!!」

 瞬間、緑色の光りを放つ縄状の物が現れ、マリーとマルスの体を一瞬で縛り上げた。

「ちょ、ちょっと!?」

「な、なんで、僕が!?」

「『合体』」

 スルスルと縄状の物が動き。マルスとマリーは背中合わせにドッキングした。ざまぁないわね。

「さて、マルス。私がいなくなっちゃう夢を見たんだって? 二回も……」

 マリーの眉毛がピクリと動いた、なるほど。

「うん、最悪の夢だった……」

 確かに、最悪かもね。リアルに……。

「マリーが抱えているデッカイ爆弾。ちょっとだけ姿が見えたわ。あなたが、顔に出すほどだもの……」

 マリーの顔がほんの一瞬真面目なものになり、また不満そうないつもの顔に戻った。

「えっ、どういうこと?」

 マルスが真顔で聞いてきた。

「今はまだ確証がないから、黙っておくよ確信が持てたら話す」

「……わかった。絶対だよ」

 私はマルスの戒めを解いた。

「あれ、私は?」

 困ったように、不自由な体をモゾモゾさせるマリー。

「いや、なんか可愛いなぁって」

「変態!!」

 冗談だ。馬鹿者。

「はいはい」

 私はマリーの戒めも解いてやる。すると、彼女は大きくため息をついて、ベッドに座った。

「これは、ある方の命で超極秘。死んでも誰にも言えないの。話せるのはここまでかな、これですら、もうヤバい」

「えっ、なに?」

 マルスが声を上げたが、もうマリーが動く事はなかった。

「まあ、いいわ。朝ご飯行きましょ。今日は外に出られないわねぇ」

 知らない方がいい。そういうこともある。

 不満そうなマルスの背中を押しながら、私たちはダイニングへと向かったのだった。


五日目 午前十一時三十分 別荘 天候:大嵐


「それにしても、すっごいわねぇ……」

 窓の外は猛烈な風が吹き荒れ、横殴りの雨が降り続いている。

「やっぱり、外は危険ね。中でゆっくりしましょ」

「うん、それがいいや」

 マルスの同意を得たところで、私たちは寝室に移動した。

「まっ、やる事ないけどねぇ……」

 私たちはスポッとベッドに潜り込んだ。

「やる事ないけど、やっとゆっくり出来るねぇ」

 何が嬉しいのか、マルスはご満悦の様子である。

「アクティブ派の私としては、退屈だけどねぇ」

 言いながら、布団の中でマルスの手をそっと握る。これだけで、彼はぴくりと体を震わせた。うーむ、まだ耐性がないか。可愛いっちゃ可愛いが……。

「さてと……」

 寝返りついでにそっと抱きしめてやると……鼻血吹いて気絶しやがりました。

「おかしいわねぇ、時々キスくらいは平気なのに……」

 もっとも、キス以上は私も知らないけどね……。

とりあえず、ベッドから下りてマルスの介抱をしていると、軽く部屋のドアがノックされ、マリーの仲間たちが入ってきた。

「あの、マリー様の申しつけで……」

「そのまま伝えます。『あんたら、チンタラやりすぎでイラついてくるから、刺客を送るわ』だそうで……」

 ……刺客ってこやつらね。大きなお世話だっての!!

「あの、ベッドお借りしても……」

「なんか、嫌な予感するから嫌!!」

「そ、そんな、お仕置きが……」

 顔を真っ青にしていう仲間たち1。

 うっ、そんな目で見るな。

「わ、分かった分かった。とりあえず、これ退けるわ……」

 よっこらせっと、マルスをテーブルセットの椅子に座らせる。

「えっと、まずボディータッチのやり方なのですが……」

 こうして、なんだか分からない講習が始まった。

 ……えっ、待て。そこまでやるか!?

 私の精神は、崩壊寸前まで追い込まれたのだった


五日目 午後一時三十分 別荘 天候:大嵐


「ううう、怖いよう」

 私はベッドの中でガタガタ震えていた、アレのせいだ。

 調子に乗ったかマリーの命令なのか、あんなことやこんなことを、平然と女の子同士でやりやがって。クソ!!

「どうしたの?」

 早くも復活して元通りのマルスが、心配そうに覗き込んできた。

「うん、未知との遭遇をしてダメージ受けただけ。大丈夫」

 ふん、あんなことしなくたって恋愛出来るもん。まだ、それ以前の問題だもん。

「ほいさ!!」

 いつも通り、天井からマリーが落ちてきた。

「あっちゃー、いい歳こいて耐性がなさ過ぎよ。マルスより酷いかも」

「うるさいなぁ、なんであんなことするのよ。お陰でトラウマよ!!」

 私の抗議の声に、マリーは笑い声を上げた。

「あれは、最初にあの子たちが言い出したの。マルス様が可哀想って」

 なに!?

「……ねぇ、マルス。私たちって罪人を裁く権利持っていたっけ?」

 布団の中で、ガタガタしている場合ではない。

「えええ!? そりゃあるけど、穏やかじゃないね。一体どうしたの?」

「うん、実はね……」

 私に変わってマリーが説明を開始する。マルスの顔色が、青から白へと変わっていく。

「そ、それは……ごめんなさい」

 マルスはいきなり土下座した。

「ん?」

 あの二人ならともかく、なぜマルスが……。

「あの二人に言ったわけじゃないんだけど、ミモザと色々な経験をしてみたい。けど知らないからなぁって、つぶやいちゃって、多分、それを聞かれて……」


 ……


 私は布団を蹴り飛ばして、ダッシュで玄関に向かった。サンダルも履かずに嵐の中に飛び出ると、そのままビーチに向かって突っ走った。ふざけんな!!

「『幻影』!!」

 辺りの景色に完璧に溶け込む、エルフ魔法の必殺技。肉眼はもちろん、どんな魔力探査魔法を使っても、人間のそれでは探知も出来ない。物知らずの馬鹿女で悪かったわね!!

 予想通り、すぐさまマルスと仲間たち、そしてマリーが飛び出てきたが、見つかるわけがない。せいぜい、探し続けな。物は知らないけど、あんたらに見つかるほど間抜けじゃないよ!!

 さて、どうしてくれようか。私はビーチから繋がる岩場に移動した。裸足に岩が突き刺さるが知った事ではない。

 その岩場を通り抜けると防波堤だった。ど派手に波が砕け散っている。

「おっと、これ以上は危険ね……」

 どこか冷静な部分が、これ以上の進行を思いとどまらせた。もし突っこんでいたら、海の藻屑になっていただろう。

 嵐は収まる気配がない。むしろ、どんどん酷くなっている気がする。

「全く、いい天気ね……」

 誰ともなくつぶやき、一人笑う。さて、どうしようかな。明日、みんなが帰ったら考えよう。王族なんてもうお腹一杯だ。これだから、政略結婚は……。

「うー、寒いな。たき火も炊けないから、魔法で……」

 と、思いとどまった。ここで魔法を使ったら、魔力探査に引っかかる。辺りを見回すと、岩場の影に雨がしのげそうな窪みがあった。

 とりあえずそこに行き、中に誰もいないことを確認してからそっと入る。

「ふぅ、落ち着いた……」

 窪みの入り口を塞ぐように「幻影」の魔法を展開し、流れ込んだ水で濡れている地面に寝転んだ。どうせずぶ濡れだ。気にする事はない。

 そのまましばらくすると、尖っていた感情がやや丸くなってきた。

「はぁ、なにやってるんだか。私……」

 はっきり言って、ダサい。いい歳こいて……。

 しかし、戻る気はない。一応、意地はあるんで。

 正確な時間は分からないし、この天気では当てにならないが、夕方くらい? という感じである。

「それにしても、ちょっとヤバい寒さね。やむを得ん……」

 濡れた体のままいる事の怖さは、体がしっかり覚えている。ダテに野生児をやっていたわけではない。例え夏でも、気温が下がってくれば低体温を起こしかねない。

 こんな場所だ。誰が見ているわけでもない。私は肌にぺったり張り付いた服を脱ぎ、適当に岩にかける。かなり躊躇したが、思い切って絞らなくても水が滴るほど濡れまくった下着も……。ううう、なんか落ち着かなくて嫌だな。

 そして、魔法で最小限の炎を起こした。この程度なら、よほど近くにいない限り、感づかれる心配はないだろう。そして、その可能性はかなり低いと思う。

 純粋に魔力だけで火をおこしているので、実用的ではないのだが、ほら、私って魔力の高さだけが自慢だしね。あはは。

「あー、最悪のバカンスねぇ」

 体が温まってくると、気持ちにも余裕が出てくる。最後の最後でこれかい。泣けるわ。ホント……。

 私は燃える小さな炎をじっと見ていた。幻影の魔法で見えず、気が付かなかったのだが、この時さらに悪化した天候状態により、岩場にまで波が打ち上げられる状態になっていたため、この窪みは完全に陸の孤島になりつつあった。

「さてと、寝床の準備でもしますかね。さすがにバレちゃうかな……」

 などと思いつつ、私はパチッとフィンガースナップして虚空に「ポケット」を開いた。

「えーっと、あったあった」

 寝袋、その下に敷くマット、ついでにカンテラを二個ほど取り出した。

 そっとカンテラに火をともし、魔力の炎を消す。これで、明日まで十分もつだろう。

「ちょっと早いけど、寝ちゃうか。なんか、急に寒くなったし」

 私は寝袋に潜り込んだ。あー、落ち着く……。

「ん? この辺で魔力反応が……」

 うげっ、さすがスーパー侍女マリー!! 外からつぶやく声が聞こえた。

 ちなみに、幻影の魔法は弱い結界効果もあるので、触ったくらいでは普通の岩肌と変わらない。意味はないが、私はそっとカンテラの明かりを消した。真っ暗だ。

「うーん、掴めないわねぇ。あっち行ってみよう……」

 危機は遠ざかった。私はそっと息をはく。なんせ、こっちは全裸だ。寝袋に包まっているとはいえ、発見されたら恥ずかしさで死ぬ。

「うーん、恐るべしエルフって感じね。私の探査を潜り抜けるとは……」

 災厄が戻ってきた。しつこい!!

「あちゃあ、この波じゃ戻れないわね。どうすっかな……」

 えっ、そんなに酷いの?

 この時始めて、私は外の状況を知った。

「よし、徹夜で探すか。この辺りに微弱な反応があるし、どっかにいるはず」

 去って行く足音。全く、心臓に良くない。私はさっさと寝てしまう事にした……。

「……って、寝られりゃ苦労しないわよね」

 ここに来て思い出した。ジャージだけど、「ポケット」に着替えが入っていたことを……。

「いないよね?」

 私は全感覚を外に向けて、マリーが近くにいない事を確認した。そして、「ポケット」を開いて……。

「はいみっけ。ご苦労さん……って!?」

 うわ、いやがった!!

 私は「ポケット」に手を突っこんだ状態で固まり、マリーは幻影の結界を突き破ったところで固まった。

「……見た?」

「……うん」

 普段の着替えでも、さすがに下着は着けている。よりによって、このタイミングで……。

「き、綺麗な体ね」

「あ、ありがとう」

 間抜け過ぎる。うん。

「お着替えお手伝いします!!」

「はい、よろしく!!」

 こうして、史上最悪の瞬間は流れて行くのだった。


五日目 午後四時四十分 海岸 天候:数十年に一度の大嵐


 お互いになにも言わない時間が続く。私が魔力で起こした炎は、窪みの中を赤々と照らしているが、幻影の魔法により光りは外に漏れない。

「あ、あのさ……えっ?」

 私が切り出した時、マリーがそっと手を繋いできた。

「……冷たい。まずいよ、これ」

 分かっている。相当冷えていることは。

「ごめんね。手間かけさせて……」

 私がまず言うべきセリフはこれだ。完全に頭も体も冷えた今、何をやったかくらいは分かっている。情けないし、最悪の王女だ。

「寝袋に包まっていなさいって。マジでヤバいから」

 マリーは特に責め立てるわけでもなく、やんわりといった。

「分かった。じゃあ、失礼して……」

 ゴソゴソと寝袋に潜り込むと人心地つく。ふぅ、温かい……。

「ホントはさ、けしかけた私が謝らないといけないんだけど、今のあなたにそれをやったら辛いだろうからやめておくよ」

 こちらを見もせず、ただ炎を見つめながらマリーが言った。

「みんなはどうしてる?」

 かなりの自己嫌悪に陥りながらも、私は聞いた。

「うん、天候が酷いからさ、探査系魔法が使える私以外は別荘に戻っているよ。心配しないで」

「そっか、良かった」

 とりあえずの懸念事項はクリアした。遭難でもされたら、悔やんでも悔やみきれない。

「最悪だよね。たったあのくらいで、頭に血が上ってこの有様。何が王女よ、あはは」

 はあ、馬鹿にも限度があるっての。アホ臭さ!!

 しかし、マリーはなにも言わない。呆れられたか愛想尽かされたか……あーあ。

「……本音を言うよ。私はあなたが好きで仕方ないの。政略結婚で相手はあのしょうもないガキ。邪魔で邪魔で殺したいくらいなの。だって、あなたが不憫過ぎるし酷すぎる。国王からの命令を話すよ……」

「極秘なんでしょ? いいよ」

 ロクでもない話なのは察しがつく。聞きたくないというのが本音だ。

「これは独り言よ。あなたは聞いていない……」

 私の制止を無視して、マリーは勝手に喋り始めた。私の敏感な耳は勝手にそれを拾っていくが、「聞いていない」。そういうこととして、脳内で処理した。

 まあ、驚くほどでもない。予想の範疇だった。

「これは独り言。珍しくも何ともない。以上」

 マリーが驚いた様子で振り向いた。私は小さな笑みを送ってやる。

「酷いと思わないの? だって、親同士で勝手に決めた挙げ句それって……」

「まあ、よくある話しよ。王族にとって、末っ子の女なんて「道具」くらいにしか思ってないもの。要らなくなれば捨てられる。ただ、それだけ」

 まあ、そんなところだとは思っていた。同族ならともかく異種族だ。心中穏やかなはずもない。

「なに達観しているのよ。抵抗しないと……」

「その結果、自分の故郷とこの国とが戦争になる。まあ、こっちが勝つでしょうね。私の命で防げるなら上等よ」

 そう、これが王族だ。自分の行動が国を左右する。だから、今回のこれは大失態なのだ。

「分からない……」

「分からなくていいよ。さて、休むかな……」

 私はそっと目を閉じた。眠い。

「……あの坊主、殺していい?」

 こらこら。変な思考に陥ってるぞ。

「侍女の立場でそれやったら、本気でシャレにならないわよ。意味ないしね。だったら、私を殺しなさい。内心喜ばれるから、きっと恩赦になるよ……」

 ウトウトし始めた時だった。突然寝袋のジッパーが開けられ……。そう、私は寝ていた。全て夢の中の事。ただ、それだけ……。


六日目 午前一時十五分 海岸 天候:大嵐


「嵐、収まらないねぇ」

「そうだねぇ」

 すっかり通常運転に戻った私とマリーだったが、外は帰るに帰れない状況になっていた。

「こりゃ、本気で朝までここだね」

 マリーがため息をついた。

「そうだね。寝袋が一つしかないから、先に寝て。私は起きたばかりだから」

 私は幻影の魔法に通常の結界魔法を追加して、マリーに言った。

「うん、そうさせてもらうよ。さすがに眠い……」

 へぇ、スーパー侍女も寝るのね。なんて、当たり前か。

「はい、おやすみ」

 私はたき火代わりの炎を消し、カンテラだけに切り替えた。ほのかな明かりが辺りを照らす。

「さてと……」

 乾いている場所に座り、私は天井を見つめた。

 まさか、女の子に惚れられるとはねぇ。これは想定外だった。

 まあ、別に抵抗はないのだが、そうなるとマルスが完全に浮いてしまう。あれでも旦那様だ。ほっぽり出すわけにはいかない。

「悩ましいわねぇ。しっかし『殺す』とまで言いますか」

 マリーが寝息を立て始めたのを確認してから、私は苦笑してしまった。

 アイツが聞いたら泣くぞ。きっと。

「いつでも殺すよ。邪魔だもん。簡単簡単」

「おうっ!?」

 起きやがった。しかも、直ったと思っていたけど直っていない。

「いいから寝てなさい。「睡眠」!!」

 ぱたっと音がした。驚かすな、全く。

「半端じゃない惚れられ方したわね。私のなにがいいんだか……」

 私は姿勢が崩れているマリーを、ちゃんとした姿勢に直した。

「ついでに、キスでもしてやろうかな。なーんてね」

 一人で勝手に笑ってから、私は何気なく外の様子を伺う。

 風の音と波が砕け散る音、それしかしない。これが、なかなか怖い。

「魔法で眠らせちゃったから、朝まではこのままか……やれやれ」

 結局、二人だけど一人の夜は過ぎていった。


六日目 午前五時十六分 海岸 天候:晴れ


「うーん、過ぎたか……」

 風はまだ強かったが、空はすっかり晴れていた。

「あれ、おはよう」

 なんとなく気まずそうに、マリーも起きだしてきた。

「その、ゴメン。ちょっと、色々と我慢の限界だった……忘れて」

 やれやれ、全く……。

「何のこと? あなた寝言うるさすぎよ。うなされていたし、どんな夢みていたの」

 そう、あれは夢。そういう事。夜が明ければ全部消える。

「……ありがとう。さて、帰んなきゃね」

 マリー再起動完了。これでよし。

「まだ波が凄いね。救難信号でも上げてみる?」

 自力で帰るのはちょっとキツい。所在だけでも知らせておいた方がいいだろう。

「そうね。ちょっと待って」

 ブツブツと呪文を唱え、マリーは上空に向かって赤い光球を打ち上げた。誰か見ていろよ……。

 しばらくして、別荘方面から光球が上がる。これでよし。

 試しに戻ってみようと、裸足で痛い思いをしながら岩場まで行ってみたが……。

「うわ……」

 高波がガンガン押し寄せ、とてもビーチまで出られる状態ではない。

「待つしかないか……」

 これでは、向こうからも人は来られないだろう。

「こりゃ、昼くらいまでは余裕でかかるね……」

 肩をすくめながらマリーが言った。

「しゃーない。戻るか……」

 とりあえず窪みに戻る。ジャージじゃあれなので、とりあえず着替えようと思ったのだが、服はとても着られたものではなかった。

「待って……『乾燥』」

 マリーが魔法を使った瞬間、服は一瞬で乾いてしまった。すごっ。

「侍女の嗜みってやつ?」

「そういうこと。分かってきたじゃない」

 マリーは得意げな笑みを浮かべた。

「じゃあ、着替えちゃうから……海でも見ていて」

「はいはい」

 実はこれで結構着替えるのは早い。ささっと着替えて、はい終わり。

「はい、お待ち!!」

「へぇ、やるわね……」

 何がやるんだかしらないけれど、マリーはそう言った。

「さてさて、人騒がせなミモザ王女様。この始末はどう致しましょうか?」

 ううう……。なにその、すっごく楽しげな笑顔。

「……好きになさい」

 絶対に嫌だったが、他に答えは見いだせなかった……。


六日目 午後一時四十分 別荘 天候:快晴


「えっと、なんで?」

 どうにかこうにか別荘に戻り、玄関を入って最初に現れたのは……おもっくそ土下座している、マルスとマリーの愉快な仲間たちだった。あの、過去最大級に怒られる覚悟だったんですけど……。

「ごめんなさい。本当に傷つけちゃった……」

 代表してか、マルスが何か言ったが、私は聞かなかった事にした。

 ……あー、こっちのリセットがあったか。いい加減、面倒臭いぞ。

「マリー、行くよ」

 私は無視してマリーを引き連れ、寝室に入った。

「ごめん、ちょっと足を治してくれる?」

「……分かった」

 なにか言いたそうだったが、それでもなにも言わず、マリーは回復魔法でズタボロの足の裏を治してくれた。

「さて、どうしたもんか。まいったな、どうしたらいいか分からない……」

「普通に『許す』って言っても、絶対にしこりが残るしね」

 マリーも困り顔だ。

「そうなのよ……ん、そうだ。いいこと思いついた」

 時には、私だってちょっとした悪魔的な事を思いつく。

「マリーはここにいて。巻き込んじゃうけどよろしく」

「はいはい、なーんか嫌な予感するけどね」

 ニヤッと笑うマリーに片目を閉じて見せてから、私は急いで玄関に向かった。そこには、どうしていいか分からないという感じの三人の姿。

「はい、恨みっこなし。マルス、あなた色々経験したかったんだよね?

「え、えっと……」

 ワタワタし始めるマルス。フフフ、エルフ式の懲罰で。

「ほら、私ってなにも知らない馬鹿でしょ。だから、そこの二人に教えてもらいなさい。これは命令です」

「えっ?」

「そ、それは!?」

 こちらもワタワタし始めるマリーの仲間たち。

「出来ないとは言わせないわよ。私の目の前であれだけやったんだから……」

 我ながら、意地悪いな。うん。

「はい、三人とも寝室にGO!! 私は見たくないから、ここにいるわ。はいはい、急いで、マリー様がお待ちよ。早くしないとお仕置き10辛だってさ」

 仲間たちが顔面蒼白になった。時には嘘も必要だ。

「み、ミモザ!?」

 悲鳴を上げるマルスだったが、我が身大事な二人に引きずられて寝室へと消える。

 なにせ、私が触っただけで気絶するヤツだ。あの二人相手なら……。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ざまぁ。一回死んでこい。

「さて、お酒でも飲むか……」

 本来なら今日ここを発つ予定だったが、これでは予備日を使う事になるだろう。それもいい。

 自分の旦那なのに平気なのかって? 平気なわけないでしょ。でも、その前に徹底的に幻想を叩き壊しておくのも私の役目だ。じゃないと、あのクソガキは……いやいや、我慢我慢。

「はぁ、飲まずにはやってらんないわね。全く……」


六日目 午後八時三十分 ビーチ 天候:晴れ


 結局……マルスは病院送りになった。

 そこまでやるとは、さすがに想定外だったが、まあ、マリーが監督していたら生半可で済むわけがない。これで、あのガキも当分は黙るだろう。

「いやー、エルフは怒らせたくないわ。私もここまでエグい事は考えないわよ」

 隣を歩きながら、マリーが楽しそうに言う。当たり前のように、私の腕にぶら下がってくるが……まあ、お礼ってことで。

「マリー、あなたの気持ちは痛いほど伝わってきたし受け止めたけど、受け取れるかは分からないわよ。これで、結構混乱しているんだからさ」

 ただの政略結婚。飾りだけの夫婦。そこに情なんてない。そう思っていたら、思わぬ尖兵が現れたのだ。

 まさか、侍女に好意を寄せられ、ガッツリ熱烈な告白されるなどと、誰が予想したか。

 しかし、ちゃんと返答は出来ていない。出来るわけがない。なにせ、恋愛経験ほぼゼロなのだ。どうしていいかも分からない。

「あはは、ごめんごめん。でもさ、私って結構意地っ張りだから、あなたが迷ってるなら……」

 私の腕を掴んだまま、マリーはいきなり止まった。

「おっと……」

 中途半端に転びそうになった。危ないなぁ。

 ちゃんと立ち上がった時、マリーは正面にいた。蒼い月明かりに照らされ、何か妖しい雰囲気を漂わせている。

「私が強引に奪うよ。誰にも手出しはさせないからね」

 言うが早く、私の反応速度を超える勢いで、強烈なキスをしてきた。やっぱり、上手い………。

 彼女から解放されると、私はその場にひっくり返ってしまった。

「ずるいな、そうやって追いこんでいくんだもん」

 月を見上げながら、私は呟いた。

「当たり前、恋愛は狩りみたいなものだからさ」

 ニッと笑みを浮かべ、私の隣にそっと座った。

「狩りねぇ……。哀れな獲物は見事に追い込まれ中か」

 私は自嘲気味に笑った。

「そういうこと。大人しく捕らえられておけばいいのに……」

「嫌だ。私は往生際が悪いんだな」

 そして、二人して笑う。

「全く、頑固だこと」

「それは、お互い様でしょ?」

 返事の代わりに、もう一度キスが来た。今度は軽く唇に触れるだけ。

 こういう時、どうすればいいのだろうか? 

 受け入れたら、全てが変わってしまうだろう。それは怖い。

「侍女との恋か、なにか禁断の関係ね」

 私は小さく笑った。

「あのガキを相手にしているより、いいんじゃない?」

「そうはいかないわよ。あれでもうちの旦那。未成年のガキンチョだけど、結婚したからには相応の行動を取らないとね」

 そう、当たり前だが、マルスを放りだすわけにはいかない。それが、政略結婚であっても……。

「やっぱ邪魔ねぇ……。どっか行かないかな?」

 憎らしげにつぶくマリーだったが、こればかりはいかんともしがたい。

「マルスはどっかいけないけど、あなたは侍女として堂々と私に接近出来る。それじゃだめ」

「……まあ、いいわ。獲物は大きいほど燃えるしね」

 怖いって!!

 その後、私たちは適当に散策し、別荘に戻ったのだった。


七日目 午前七時 別荘 天候:曇り


「よしっと」

 荷物を馬車に積み込み、撤収準備が完了した。

 悲喜こもごもの別荘滞在も終わりだ。これから中継点の街で一泊した後、王宮へ向かう事になっている。行きの逆だ。

 まあ、ここまではいいのだが……。

「ひぃ!!」

 マルスは完全に女の子に近寄れなくなってしまった。この私ですら、拒絶反応を起こす始末。

 仕方なしに、私は使用人用の馬車に乗ることにした。ちょっと薬が効き過ぎたかも知れない。

「容赦なくやったみたいねぇ」

 ガタガタと動き始めた馬車の中、私は誰ともなく言った。

「全く、あのくらいで情けない……」

 マリーがつぶやく。

 何をしたんだ、一体!?

 

 これがとんでもない事態を招くとは、私はまだ知らなかった。

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