第19話 バカンス編(移動日)

 ある朝、私の部屋にて……


「そういえば、明日出発だっけ?」

 以前よりだいぶ長くなった私の髪の毛を、丁寧に整えながらマリーが言った。

 「エイトフォー アルカス ウィンド」。相当な長髪じゃないと出来ない、手間の掛かるかなり複雑な髪型だ。長くなる分には、さほど魔法に影響は与えない。短い方が困るのだ。でってまあ、それはいいとして。

「明日って?」

 本気で知らないので、逆に聞き返してしまった。

「ゴメン、今ボケた?」

 マリーはややジト目で聞いてきた。

「いや、本当に知らないんだけど……」

 なんのこっちゃ?

「ああ、あの坊ちゃん、また忘れたか……。一応、王族にも夏休みってやつがあってさ。城を空にするわけにはいかないから、順次交代同じ場所に行くんだけど、今年は海みたいよ」

 ちょうど髪の毛のセットが終わり、マリーはゴソゴソと冊子のような物を取り出した。


『たのしいなつやすみのしおり』


 ……ナメてるのか?

 まあ、いい。それを開くと、まあ、事細かに場所や注意事項が書いてある。ああ、バナナはおやつには含まれないのね……って、コラ。

「これって、遠足?」

 思わず苦笑してしまった。

「うんにゃ、バカンスといって欲しいな。うん」

 無理でしょ。それ。

「交代は分かるけど、子供じゃないんだから、なんで同じ場所に日時指定で行かなきゃならないのよ」

 ちょっとだけため息。

「警備とか宿の手配の都合らしいよ。一応、この王宮の最大イベント」

 ……やっぱり、遠足じゃん。まあ、いいけどさ。

「なんでウチの旦那が教えてくれないんだか。海って行ったことないから、何が必要かも分からんのに、いきなり明日って言われてもね」

 全く、あとで蹴り入れとこう。

「ああ、大丈夫。こんなこともあろうかと、ちゃんと一式揃えてあるから。あっちに着いて水着に着替えりゃ即バカンス。楽しもうぜぇ!!」

 さすが、スーパー侍女!! って、水着ってなに?

「よく分からないけど、お~!!」

 気のせいか、なにかいつもより、マリーのテンションが微妙に高い気がする。

 完全に状況に振り回されながらも、私は明日の出発を待ったのだった。


 それなりに立派な馬車の隊列が街道を進む。今朝方に中継地点のペイブェイという宿場町を発ち、今日の夕方には宿泊地のマーベリックという一大リゾート地の別荘に到着予定だ。今のところ、オンタイムで進行している。

「全く、よく寝るわねぇ」

 ガタガタ揺れる馬車の中で器用に寝ているマルスを見て、私は思わず苦笑してしまった。まあ、朝早かったからね。

「あーもう、暇だな……」

 唯一の話し相手がこれでは、私は時間を持てあましてしまう。馬車の車窓に流れる景色を見ているくらいしかない。

「おやつおやつ……」

 鞄をゴソゴソやって、中にしこたま突っこんである果物類をダラダラ食べながら、私は見慣れぬ景色をそれなりに楽しんでいた。

 と、ガコンと派手に馬車が揺れ、やっと眠り王子が目を覚ました。

「あー、かーちゃんメシ!!」

 こいつ、寝ぼけてやがる。

「誰がかーちゃんよ。シャキッとしろ!!」

 ちょうど食べ終わったリンゴの芯を、ヤツの口に突っこんでやった。無理矢理口を開いた時に、ゴキッと嫌な音がした気がするが、気にしないでおこう。

「んぐぅううう!?」

 どうやらリンゴの芯が口から抜けないようで、ジタバタもがいていたマルスだったが、ようやく引っこ抜いた。

「痛ったいなもう!!」

 リンゴの芯をぽいっと投げながら、マルスが喚いた。

「お目覚めですか、旦那様」

 そんなマルスに、小さく笑みを送ってやった。

「うん、起きた。で、ここどこ?」

 どうやら、車窓を見てもピンとこないらしい。

「そうねぇ、地図によれば『コラン平原』かな。私に分かるわけないでしょ」

 とっくに未知の領域だ。私に聞かれても無駄だ。

「ああ、じゃああと数時間だね。海なんて久々」

 ニコニコ笑顔のマルスに、私は質問を投げた。

「海ってなに? ほら、森から出たことないもので……」

 このエルフ年齢二十二才。一度も森から出た事がないのである。興味はあったが、一応、王族なので気軽にとはね。

「うん、デッカイ水たまり」

 ……ありがとう、馬鹿野郎。

「あのさ、もう少し何かこう……」

 無駄っぽいが、とりあえず聞いてみる。

「そうだねぇ。しょっぱかったり、魚がいたり、ヤバいブツを取引したり、死体を捨てたり……」

「もういい!!」

 ダメだ、コイツじゃ話しにならん。

 そんなこんなで、私たちは予定通り夕刻に王族の別荘に到着したのだった。


「これはまた、無駄に豪華というか広いというか……」

 最初に言った別荘も十分過ぎるくらいだったが、ここはさらに巨大な別荘だった。

 今回は王家の「公式行事」という事でコックも待機しており、侍女チームがベッドメイクに汗を流す中、私とマルスは特にやることもないので、リビングの隅っこの方で膝を抱えて座っていた。

 ……だって、広すぎて落ち着かないんだもん。

「明日は海だねぇ。あれ、水着持ってきたかな……」

 なにか心配そうにいうマルス。

「ねえ、水着ってなに?」

 本気で物を知らない私である。はい。森の中に籠もっているとこうなる。

「えっ、知らないの?」

「うん」

 驚いた様子のマルスにうなずく私。

「まあ、簡単に言うと水泳用の服。当然濡れても大丈夫。知らないで、どうやって買ったの?」

 不思議そうに聞くマルス。

「うん、マリーがいつの間にか全部用意していたの。まだ、見てもいないんだけど……」

「うげっ、マリーが選んだって、絶対ヤバいよ!!」

 よく分からないけど、そこはかとなく嫌な予感だけはしていた。最初から。

「不安になるからやめて……」

「うん……」

 早くも暗雲が立ちこめ始めたが、もう後戻りは出来ない。

 こうして、一抹の不安を抱えつつ、移動日は間もなく夜を迎えるのだった。

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