第18話 スーパー侍女の暴走

「えっ、首輪交換? なんだ、そんな趣味があるなら早く……」

 ……この程度じゃもうコケないからな。うん。

「お約束ありがとう。指輪交換。ほら、式次第が省略されて、うやむやのままやってなかったなって、ふと……」

 まあ、あんなの目印みたいなものだとは思っているが、私はマルスと指輪交換をしていない。人間式ならやっておいた方がいいかなと、ふと過ぎったのだ。

「エルフにもそういうのあるの?」

 興味を持ったようで、マリーが問いかけてきた。

「まあ、指輪より面倒かな。新郎が魔法で新婦の左手に刻印とでもいうか……まあ、『契りの印』っていうんだけど、それをポンって押すの。これって、一度押したら二度と取り消せなくてね。エルフ社会って、実は猛烈に男性優位なんだよね。一夫多妻制だし」

 ここで軽くため息。エルフ社会での結婚は、その男性の「所有物」になるのとほぼ同義と言っていい。言葉は悪いけど……。

「へぇ、首輪よりえげつないわね……。女の子的には許せませんな」

 ちょっと怒り口調でマリーが言う。まだ首輪を引きずるか……。

「まぁね。だから独身を拗らせてこうなったんだけどさ。あはは」

 まあ、理由はそれだけではないが、これが結構なウェイトを占めていたの確かだ。

「ふーん、どんな魔法なの?」

 ふむ、魔法使いなら気になるか。未知への探究心は、誰にも負けない生き物である。

「そうね、えっと……」

 書架から分厚い魔法書を取り出し、パラパラとページを繰って、程なくそれを見つける」

「古典エルフ魔法だし『ルーン文字』だから、人間には読めないと思うわよ」

 ルーン文字とは、大昔(人間年で数千年前くらい)に使われていた魔法文字で、人間の間では完全に失伝したとされているものだ。

「グヌヌ……。これは、どっちから読むのかさえ分からない」

 スーパー侍女マリー様にも、さすがにこれは難しいようだ。

「これね。左上から下に向かって読んでいくんだけど……」

 今思えば、これが余計な事だった。

 私はマリーに簡単なレクチャーをして、ルーン辞書と呼ばれる専用の辞書まで貸してしまった。

 ここで、彼女の驚異的なポテンシャルを、目の当たりにする事になったのだが……。またもや、小さな騒ぎの発端となった……。

「ふーん……。ちょっと、ペンと紙を借りるよ」

 言うが早く、マリーは紙に猛烈な速度で紙になにか書き込んでいく。この時点で、私はすでに嫌な予感がしていた。

「あのさ……なにやってるの?」

 ……返事がない。まるで何かの機械かのように、紙が真っ黒になっては取り替えてを繰り返していく。怖いぞ。

「よし、出来た!!」

 三十分ほど経っただろうか、マリーが得意満面に一枚の紙を掲げて見せた。

「何が出来たの?」

 暇なのでお菓子を食べていたのだが、危うく喉に詰まらせるところだった。

「うん、現代魔法版『契りの印』!!」

 ……嘘こけ!!

「ちょっと、いくら何でも冗談にしては、出来が……」

「じゃあ、見てみる?」

 マリーから紙を押し付けられ……。うーん、一つの魔法としては成立しているけど、効果までは保証出来ないわねぇ。

 オリジナルはただ刻印を押すだけで特に変な影響はないはずであるだが、この構文は……ちょっと効果が読めない。

「悪い事を言わないから、この魔法は封印しておきなさい。何なら私が……」

「ダーメ」

 ピッと私の手元から紙を取り戻したマリーは、何やらブツブツつぶやき始めた。

「ストップ!! 十分な検討もなしに実証実験はダメ!!」

 遅かった。マリーの体が淡い光りに包まれ、そして……。

「痛っ!!」

 左手の甲にピリッと痛みを感じ、反射的に見ると変な紋様が浮き出ていた。

 うげ!?

「ちょっと、どーすんのよ!!」

 思わず声を荒らげてハッとした。

 そこに立っているのは、虚ろな目をしたマリーの姿。完全に生気がない。その彼女の右手には、やはり私と同じ紋様が浮かんでいた。

 なにかもう、完璧に嫌な予感しかしない……。

「あの、マリーさん?」

 恐る恐る声をかけてみる。

「……はい」

 ……。

 私はマリーの足下に落ちていた紙を拾い上げ、机に突撃するや否や辞書片手に解析を始めた。

「……なるほど。分からん」

 これは、簡単ではない。なにをしたんだ?

「とりあえず……マルース!!」

 私は部屋から飛び出し、話し相手くらいにはなりそうな旦那様を呼びに、廊下を突っ走ったのだった。


「へぇ、これがミモザの部屋かぁ。初めて」

 なに脳天気な事言ってるんだ、馬鹿!!

「で、これがあのマリーかぁ。なんか、怖いね」

「うん、怖い」

 ここぞとばかりに、愉快な仲間たちが蹴りまくっているが、全く無反応。怖すぎる。

「いっそ、このまま置いておけば? 静かで……ぼぐっ!?」

 アホな事をいうマルスを、私は無言のまま杖でぶっ叩いた。もちろん、光線は出していない。殺人事件になってしまう。

「冗談でも、次言ったら捨てるからね?」

「ご、ゴメンゴメン。だから、指をボキボキ鳴らしながら、にじり寄ってくるのは……」

 念入れでもう一発ゲンコツを落とし、私は解析作業に戻った。

「基本形はオリジナルだけど、かなりカスタムしてるわね。えっと……」

 本来の「契りの印」は、実は大した魔法ではない。相手を使役するわけでも束縛する訳でもない、言ってみればただのスタンプだ。

 しかし、この魔法は明らかになにか邪な思惑が練り込んであった。構成を見ればすぐに分かる。だが……。

「マリー、お茶!!」

 いつもの癖で叫んでしまった。

「……はい」

 まだひたすら蹴っていた仲間たちには目もくれず、押しのけるようにゆっくりとお茶の準備を始めた。

「……ね、怖いでしょ?」

 その場にいた全員が一様に顔を青くしてうなずく。あれじゃ、ゾンビである。

 もう解説するのも馬鹿らしいくらい有名だが、ゾンビとは主に死体などに、無理矢理漂流霊を入れて使役する人形だ。そう、今のマリーのように。

 もう大体なにが起きたは、さすがに分かっている。私が「主」でマリーが「従」の関係で「契りの印」もどきが発動してしまったのだ。しかし、そのための設計図である魔法構成が全く分からない。癖が強い「汚い構文」なのである。これさえ読み解ければ、解除方法も見いだせるのだが……。

「……どうぞ」

 マリーがお茶を持ってきた。さすが手慣れているが、怖い!!

「あ、ありがとう」

「……いえ」

 全く無表情のまま、マリーはすーっと部屋の真ん中に戻って行った

 背筋に寒気が……。

「ちゃっちゃと解析しちゃいましょう。気持ち悪くて仕方ないわ」

 一つの文章になっている呪文を単語単位に分解して、前後の並びから術者の意図した事を推測して「当たり」をつける。同時にそれを打ち消す「カウンター魔法」と呼ばれるものを生成していく。これが流れだ。

 簡単に書いているが、これが難しい。こんな「汚い構文」だと、なおさらだ。

「マルス、バックアップ頼んだ。食事とかなんかその辺りを」

「分かった!!」

 これは、変な話しと材料を与えてしまった私の責任だ。意地でも解呪しなければ……。

 こうして、私の激闘は開始されたのだった。


 三日後……


「ふぅ……出来たかな?」

 クシャクシャに丸めて放り出した失敗作が床に散らばる中、私は一枚の紙を取り上げた。

 まだ、インクも乾いていない出来たてほやほやのカウンター魔法。疲れた……。

「全く、『使い魔』の構文を組み込むなんて、なに考えているんだか」

 使い魔というのは、よく魔法使いが連れている動物や低級の魔物の事。様々な雑用に使ったり、戦闘時はサポートしたりと大活躍である。私はあえて連れていないけどね。

「全く、人間がエルフを使い魔にしようなんて、無茶もいいところよ」

 しかし、使い魔に出来るのは、自分よりポテンシャルが低いものだけ。

 別に偉ぶるわけではないが、人間よりエルフの方が遙かにポテンシャルが高い。

 あの状況を鑑みれば、マリーが何をしようとしたかすぐ分かる。どさくさに紛れて、私を使い魔にしようとして、自滅したのである。失敗した魔法は自分に返る。主従がひっくり返ってしまったのはこのためだ。

「全く、なに考えているんだか……さて、とっとと解呪しますか」

 軽くため息をついてから、私はマリーの解呪に掛かったのだった。


「あーあ、結局この『紋章』だけは消せなかったわね……」

 マリーが組んだ魔法は、使い魔の件を除けば基本に忠実だった。

 彼女の右手にも同じ紋章があり、これも生涯消すことが出来ないだろう。

「なんかなぁ……」

 中庭のベンチの背に身を預け、私は大きく息を吸い込んではいた。

 ああ、マリーは私の部屋のベッドで寝込んでいる。少し荒い魔法だったので、ショックが大きかったのだ。今、マルスと仲間たちがせっせと看病しているはずだ。

「あー、いたいた」

 マルスの声が聞こえ、私はそちらを見た。彼は疲れた様子ではあったが、テロテロと走ってきた。

「はい、お疲れさん」

 私は笑みを送った。

「ホント、疲れたよ……」

 隣にドスッと座り、マルスは疲れた笑みを返してきた。

「そういえばさ、今回の件で思い出したけど、まだ結婚指輪を買ってないんだ。ほら、僕はまだ未成年だし、あえて要らないかって思ってね」

 なるほど。まあ、私もこだわりはないから問題はない。

「だけど、ちょっとだけ気が変わったよ。やっぱり、なにか証が欲しいな。ねぇ、その『紋章』の魔法って、ミモザも使えるの?」

 ちょっとだけ真剣な顔で、マルスは私の顔を見た。

「ええ、使えるわよ。女の子は使わないけど、知っておくのは王族の嗜みだしね」

 何の気なしに、私は答えた。

「じゃあ、僕に使って!!」

 私はベンチから滑り落ちそうになった。

「あのさ、これって男性が女性に付ける印よ。意味は分かるわよね?」

 いちいち説明をしたくもないので、私は手短にそう言った。

「うん、僕なりに分かっているつもり。僕はミモザの事が好きだし、もう結婚もしている。つまり、僕はミモザの物!!」

 今度こそ、私はベンチから滑り落ちた。

 あ、あのなぁ……。

「可愛いって思えばいいのかしらね。これ……。なんだか、おかしな展開だけど」

 ベンチによじ登り、私はガリガリ頭を掻いた。

「なんか複雑だけど、こんなのただの印だし、いいわよ。左手出して……」

「うん!!」

 目を輝かすな。馬鹿!!

「じゃあ、エルフ式婚姻の義から抜粋。『契りの印』刻印!!」

 ピジっと小さな音がして、マルスの左手甲に複雑な紋様が浮かび上がる。そして、同じ紋様が私の右手甲に……本来は相手だけなのだが、少しアレンジして相互にしたのだ。

「はい、終わり。これで満足?」

 私は思わず苦笑してしまった。

「うーん、まだ……」

 私の肩にマルスがそっと手を回してきた。そして……、ちょっとだけ深いキスを交わしたのだった。全く、微妙に男なんだかガキなんだか。

 さて、左手にマリー、右手にマルス。お姉さん大変だわ。これは……。

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