第9話 王宮にて
二日後、別荘を離れた私たち一行は、無事に王宮へと帰還した。
ふぃ~、なんて言ってる暇はなかった。どういうスケジューリングをしているのか、帰って早々に「婚姻の儀」が執り行われる段取りが組まれていた。一週間後……早すぎるわ!!
「ああもう、心の準備がぁぁぁ!!」
部屋で叫んでいると、そんなものが仕込まれていたのか、テーブルの下にあったらしい床の蓋が開き、マリーがぽこっと顔を出した。
「どうされました?」
「いや、それこっちのセリフ。どこから顔出しているのよ!!」
遊園地か、ここは!!
「いえ、この程度の仕掛けは王宮の嗜みですから……」
……なんじゃ、王宮の嗜みって!?
「ま、まあ、いいわ。なんでもないから気にしないで……」
「嘘つき」
はぅあ!?
「さて、口調を切り替えましょうか……。どうせ、婚姻の義の準備が出来ていないとか、そんなところでしょ?」
「……」
「はい、図星。分かりやすいんだから、もう。こっちが恥ずかしくなるわよ」
なぜにマリーが恥ずかしがる!!
「あのねぇ、こんなのはダーってやって、バッとキスして、ザーッと帰る。それだけよ」
……わぉ。擬音で語るな、マリーよ。
「ねぇ、もしかして結婚していたりしてる?」
ここまで言い切るんだ。きっと経験者だ。
「あるわけないじゃん。十五の時から城に仕えているし、そんな暇ないもの」
私は思いきりすっこけた。
「あ、あのさ、なんで経験してないのにそんな……」
なんとか立ち上がりつつ、私はマリーを見た。睨む気にもならない。
「数多く見たのよ。これでも……。そんなに難しいものじゃないって」
あ、あのさ……。
「見るのとやるのじゃ違うって!!」
ったく、もう!!
「じゃあ、私相手に練習しよっか?」
「拒否権発動!!」
あのなぁ……。
「あはは、冗談よ。うんって言われたら……。まあ、それでも受けたけど……」
「あのねぇ……」
なんか、頭痛が……。
「ごめん、ちょっと横になる……」
私はボフッとベッドに横になった。ヤバい、この頭痛はマジだ。
「まさか、熱を出したとか言わないよね? 顔が真っ赤なんだけど……」
床の穴からズリズリと這い出したマリーは、素早くベッドの傍らに立ち、私の額に手を当てた。
「あちっ!! ちょっと、何度出てるのよ、これ!?」
極めて代謝がいいエルフの平熱は、大体四十度から四十五度。人間より高いのだけど……これは。
「あんまり触らない方がいいよ。ちょっと寝れば治る……って、なにしてるの?」
マリーは自分の手を凍り付かせ、私の額に当てた。あー、ヒンヤリ……じゃない!!
「その手大丈夫なの?」
大丈夫なわけがないけど聞いた。
「大丈夫に見える?」
私はそっと首を横に振った。
「だ、大丈夫よ。本当にちょっと寝れば治るから……解術!!」
私はマリーの術を解いた。ほれ見ろ、酷い凍傷になってる……。
「無茶しすぎよ……しみるよ。回復!!」
人間が使う魔法とは違う、エルフ魔法特有の淡い黄色の光りがマリーの手を包む。
「……くっ」
悲鳴を上げないだけでも大したもんだ。二秒ほどでマリーの傷は癒えた。
「ふぅ、というわけで寝るから……。あなたもゆっくり休んでいてね」
もう一度布団を被り、私はそっと目を閉じた。う~痛い。
「それにしても、婚姻の義だけで熱を出すなんて、大丈夫?」
ベッドの空きスペースに座り、マリーがため息をついた。
「うー、我ながら情けない……」
ちなみに、婚姻の義が終われば、ある程度はお互いの部屋を行き来できるようになる。
まだ好きとか嫌いとかそれ以前の問題ではあるが、政略結婚にそんなものは関係ない。ただくっつけてしまえばいい。味気ないものだ。
「あっ、髪の毛下ろすよ。それじゃ寝づらいでしょ?」
本日の髪型は「ウィンド・レザー・ノット ウィズ ポニーテール」。超高度なテクニックを要するが、寝るには向いていない。確かに髪が引っ張られて痛い……。
「そのままでいいよ。ちゃちゃっとやっちゃうから……」
マリーの手が素早く動き、髪の毛が素の状態に戻っていく。さすがだ。
「でも、本当にいい髪の毛だわ。あやかりたい」
解いたばかりの私の髪の毛を手でサラサラさせながら、マリーがポツリといった。
「実家から持ってきた、シャンプーとかトリートメント使う? まだ在庫がたくさんあったはずだから……」
「えっ? ホント!?」
ようやく髪の毛が伸び始めたマリーが、目を輝かせた。
「うん、100%植物素材。泡立ちが悪いけどね」
私は小さく笑みを作って見せた。今はこれが限界……。
「ごめん、本気で辛いから寝る……」
「分かった。なんか、ただの知恵熱じゃなさそうね。一応、ドクター連れてくる?」
マリーが心配そうに聞いた。
「大騒ぎにしたくないからいいよ。じゃあ、おやすみ……」
この判断は間違いだった。すぐに分かる事になる。
「絶対おかしいって。もう夜よ!?」
熱は下がらなかった。むしろ、悪化している。
「お、おかしいな……風邪じゃ……ないっぽいけど……」
ベッドサイドにはマリーの他に愉快な仲間たち、そして心配そうなマルスの顔もある。
「ドクター、どうです?」
マリーが城に詰めている医師に聞いた。
「原因が特定出来ない。対処療法で治すしかないな。まずは熱を下げねば。そこの薬品棚を拝見させてもらうよ」
こっちに来るときに持ってきた、わりと使いそうな薬品を棚にしまってある。医師はそこから数種類選び、調合を開始した。
全て生薬。大体、この世の物とは思えないほど苦い。はぁ‥‥。
「よし、出来た。飲めるか?」
クラクラする中、そっと水差しで飲んでみたのだが‥‥うっ!?
もともと受け付けなかったのか苦すぎたのか、私は思いきり吐きだしてしまった。
「ゲホゲホ……。コイツはヘヴィね」
リトライと思った時に、マルスが水差しを取り、口に含んで……おっ?
「ぶぇぇ!?」
多分、口移しで飲ませてくれようとしたのだろうが、マルスは思いきり吐き出した。それも、薬だけでなく胃の内容物を容赦なく顔面に……。
大丈夫。怒ってないから、努力は買うから……。子供には無理よ。この味は。
その時だった、マリーがマルスから水差しをひったくると、一気にあの苦いヤツを盛大に口に含み、私の鼻をつまんで……口から流しこんだ。
「おぐっ!?」
呼吸経路が口しかないので、反射的に飲み込んでしまった。結局、水差しの中身を何回か分けて同じ事を繰り返し……全ては終わった。
「基本的にはこうやってやるんです。マルス様?」
ニコニコ笑顔だが怖い笑みのマリー。愉快な仲間たちもジロリと睨んでいる。
「え、えっと、あの、思ったより数万倍苦くて……あはは」
私以外の女の子全員を敵に回し、マルスの顔色は極めて悪い。男はつらいな、マルスよ。
「さて、綺麗にしましょう。誰かさんの汚いものまで被ってしまいましたし……」
掛け布団の交換と拭き吹きが始まる中、私はマルスを見た。
「あり……がとうね。次は……大丈夫」
その瞬間、マルスが泣いた事は言うまでもない。
「さすが、『クランタール』入りね。効きが凄い」
翌朝になって、私の熱はすっかり下がった。クランタールとは薬草の一種で、故郷ではそこらに生えている雑草みたいなものだが、万能薬として重宝されている。 そのため、人間の世界では狂ったような高値で取引されているのは、私もよく知っている。
「病み上がりなんだから、無茶しないでよ」
ブツブツ言いながら、ただ今マリーの着せ替え人形中だ。「エイトノット ウェーエール クラシック」。よくもまあ、これだけ通好みの髪型を知っているものだ。
「中庭でマルスの坊主が待ってるよ。さっさと行きましょう」
着替えて部屋のドアを開けた瞬間、顔が侍女のそれになる。器用だこと。
「さてと……」
もう道は覚えた。複雑な迷路のような城内を抜け、私は中庭に出た。マリーは影のようについてくる。マルスの侍女も同様だ。
「もうすぐ、婚姻の義だねぇ」
散策しながら、私の方から切り出した。
「うん……」
なにやら浮かない様子のマルス。あれ、どうした?
「あらら、なにか不満でも?」
私が聞くと、マルスはこちらを見た。
「こんなのが旦那だよ? いいの?」
……アホ。
「こんなのでもどんなのでも、あなたは私の旦那様なの。政略結婚だからなんて、悲しいことは言いたくないな。もう少し、距離を縮めてからの方が良かったんだけど、ほら、厳しいから……」
コホンと背後で咳払い。気にしない気にしない。
「でも、僕はまだガキンチョだよ?」
……そんな事は分かってる。痛いほど。
「そうねぇ、ガキンチョなのは認めるけど、相手は千七百十二才のおばあちゃんよ? そんなことぐらい織り込み済みさね」
私から見たら、どんな人間だってお子様だ。ややこしいので、基本的にエルフ年齢を使う事にしているけどね。
「結婚なんて考えてもいなかったよ。しかも、エルフのお姉さんなんて……」
「それは私も同じ。人間の十二才と結婚だなんてね。笑える」
私は本当に笑った。マルスが苦笑する。
「なんだか不思議だね。夫婦だって!!」
「実感ないけどね!!」
そして、さりげなくマルスが私を抱きしめ……。
「ブェックション!!」
彼は思いきりくしゃみした。
「この、オタンコナス!!」
なにもかもぶち壊しやがったマルスに、私は思わずグーパンチを叩き込んでいた。
「ああ、なんだか癖になりそう……」
「ファイア!!」
平和な中庭に、私の攻撃魔法が炸裂する。かくて、今日も王宮は平和なのだった。多分。
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