第7話 別荘の惨劇……というほどでもない
別荘の滞在も残りわずか。
「んー……」
いつも通りの時間に起きると、いつも通り早朝百本ダッシュでクタクタのマルスが、泥のように寝ている。いつも汗だくでシャワーも浴びずに寝るので、何というかスポ根な香りが漂っている。風邪引くぞ。全く。
そんな彼の頭を起こさない程度に軽く撫でてから、私はそっとベッドを下りて建物の外に出た。
朝靄が濃いせいか、今日はいつも鍛錬している警備隊もいない。侍女軍団もいない。珍しく一人が堪能出来そうだ。
「うーん、人間の王族って肩が凝っていけないわぁ。やっぱりこうでないと!!」
私は裏山の山林に入ると、数十メートルはあるであろう高さの木をスルスルと登り、てっぺんで辺りを見回す。うん、靄しか見えん。以上!!
しばらく眺めていると、近くもなく遠くもなくというところで、真っ赤な光球が一つ打ち上げられた。
「うん? なにかしらねぇ」
人間のしきたりは、あまり詳しくは知らないが……えっと。
また、光球が上がった。うーん、確か……。
「救難信号!!」
ようやく思い出した。そうそう、あれは救難信号。杖がないどころか寝間着ではあるが、取りに行っている場合ではないだろう。
私は素早く木を降りると、急いで救難信号が上がった地点に向かう。森でエルフに勝てる種族はない。救難信号の発射場所など、簡単に特定できる。
「さて、この辺のはずだけど……」
そこは、森の中に出来た小さな広場だった。間違いなくここから救難信号が上がったはずだが……なぜか誰もいない。はて?
その時だった、大勢の人の気配と殺気を感じ、私は身構えた。少なくとも、十人以上か……あと、巧妙に気配を消しているのが……十人以上。杖なしで魔法を使っても勝ち目は薄い。
「手を上げて、大人しくしてろ。そうすりゃ、命は取らねぇ!!」
どこからともなくだみ声が聞こえてきた。
あっちゃー、罠に引っかかっちゃったか。
「あなたたちは何者?」
言われた通り小さく両手を上げ、分かり切った事を聞いてみた。真っ当な連中のはずがない。
「んな事はどうでもいい……と言いたいが、まあ、『猟師』といっておこうか。餌を置いて掛かった獲物を捕るだけさ」
ふーん、少しはシャレが効くみたいね。
「で、その獲物の私はどうなるわけ?」
……完成っと。
「どうもしないさ。ただ売り飛ばすだけ。さて、時間稼ぎはここまでにしてもらおう。お前さんの魔法はキャンセルした」
「おっ……」
……そう、私は魔法の準備をしていた。杖がないので精度は悪いが、それを逆手に取った無差別攻撃魔法。しかし、やられた。確かにキャンセルされている。かなり高度な技だ。
「無駄な抵抗はよせ。俺も『商品』に傷は入れたくない……」
……まいったな。これは。
「分かった分かった。黙っているから好きになさい」
一つ大きく息を吐き、私はそう言った。この状況では、どうにも分が悪い。それだけである。
「ほう、悲鳴の一つも上げないとはな。なかなか肝が据わっている……気に入った」
……あんたに気に入られてもなぁ。
「ただ慣れているだけよ。ほら、早く『収穫』しないとまずいんじゃない?」
こういう時は取り乱さないこと。相手に主導権を持たせているようで、絶対に手放さない事。これが肝要だ。
「あ、ああ、本当に何者だ?」
「女の子には秘密が多いの。内緒」
かくて、私は囚われ人となったのだった。
「全く、やってくれるわ……」
抵抗しないせいで変な信用をされたらしく、縛られるわけでも何でもなく、ただ「魔封じ」の魔法だけはかけられた。
馬車でガタゴト揺られて着いた先は、おおよそ使われているとは思えない、朽ち果てた古城。その内部を改装して作られた人買い組織のアジトだった。
まあ、人間が使う魔法とエルフが使う魔法の発動原理は違うため、通常の魔法封じでは別に害は無いのだが……こいつら、エルフ用も心得ていやがったのだ。
「はて、どうしたもんかな……」
恐らく、昔は地下牢として使われていたところだろう。城には必ずそういう場所がある。
大体薄暗くジメジメした場所なのだが、なかなかシャレが効いていてファンシーなピンクの壁に絨毯まで敷いてあり、湿気が多い事以外はなかなか快適だから困る。まっ、そのままリサイクルしたらしい鉄格子が邪魔だけどね。
王女の嗜みでこの程度の鍵は開けられるが、さすがに寝間着ではその道具も持っていない。要するに、暇なのだ。
と、私の耳は接近してくる足音をキャッチした。さて……。
「おう、暇させて悪いな」
覆面をしているが、声でそれなりの年齢で男という事は分かる。種族は人間だ。
「気にしないでいいわよ。好きにやってるから」
ニヤッと笑って見せたりする私。さっきも言ったが。主導権は渡さない。
「一つ困った事があってな。まさかエルフが網に掛かるとは思わなかったから、買い手を探すのに必死でね。エルフの報復を怖れて誰も手を出さない」
覆面のオッサンはため息をついた。
エルフを敵に回したら、未来永劫追われ続ける……っていうのが人間の常識らしいが、エルフだって暇じゃない。種族間戦争でもやって徹底的に敵にならなければ、いちいち個人の問題で追いかけ回したりはしない。
「あら、ちょっと傷つくわね。そんなに魅力ないかしら」
などと、適当に混ぜっ返してみた。
「なに、心配するな。すぐに買い手を見つける。大人しく待っていてくれ」
そう言い残し、オッサンは去っていった。
「うーん、心配するなって言われてもなぁ」
買い手が付く方が心配ではあるのだが、そこは言わないでおこう。
さて、魔法封じにより通常の魔法はダメだが、実は抜け穴がある。
人間の間では幻とされている魔法。それが、召喚術だ。思い切り魔力を使うので、必殺技としているのだが、今使わずにいつ使う。本当は杖が欲しいけどね。
「では……太古の鼓動 生まれ出ずる闇 生ある光 全てを統べる者 古の契約にて我が力となり、共にその力を示せ 汝の名はバハムート!!」
シーン……
「あ、あれ?」
ああああ、小っ恥ずかしいわぁ。呪文まで唱えさせて、空振りってないでしょ!! マジか。きっちり封じられている!!
「や、やりおるわ。人の子よ……」
これで、私の必殺技はなくなった。しかし、慌てちゃいけない。落ち着け私……。
そこに、全くタイミング良くオッサンが現れた。
「ここにいたんじゃ分からないだろうが、もう昼過ぎだ。なんか食っとけ」
そう言ってスリット状の口から差し込まれたのは、いかにも固そうなパンと何かのごった煮だった。見た目はアレだが、妙に美味しそうな匂いを立てている。
「はいはい、ありがとさん」
調子は崩さずそれを受け取り、ささっと食事を済ませる。パンなんて固すぎて食べられたものではなかったが、ごった煮の汁に浸けるとちょうどいい感じ。全く、よく考えている。
「それで、どんな感じなの?」
超高速で食事を済ませると、その速さに少し驚いた様子のオッサンに聞いた。
「ああ……、最終手段で、あるブローカーに声を掛けた。ヤツに買われたら、まともな扱いは期待しない方がいい。だから、本当は使いたくなかったんだがな。明日の昼頃、ここに来るそうだ……」
オッサンはため息をついた。だったら解放してくれって、まあ、この連中も商売だからしゃーないか。今が昼頃ということは、リミットは一日。見つけてくれないと怒るぞ。全く……。
「まあ、ゆっくりしてくれ。今のうちだけだからな……」
……怖い事言うな!!
「言われなくてもそうするわよ。最後の晩餐くらい、もっとマシなもん食べさせてよね」
適当に軽口を返しておき、私は誰にも分からない程度にため息をついた。
「それじゃ……」
オッサンがなにか言いかけた時、いきなり騒がしい声が聞こえてきた。
「親方、敵襲だ!!」
なんかこう、タンクトップが無駄に似合う「男一」がすっ飛んで来た。
「なんだと!?」
オッサンは「男一」と共に去っていった。よし、この期を逃すな!!
「チェストォ!!」
私は渾身の力で鉄格子の扉にミドルキックを叩き込んだ……が。
「いってぇ!!」
どうやら、魔法で強化されていたらしい。大岩を砕く私の本気キックは、見事に弾かれてしまった。マジで、こいつらの念の入れ方は何なんだ!!
しばらくすると、スタタタタと小さな足音が聞こえた。
「ミモザ様、ご無事で!!」
さて、スーパー侍女ことマリー様のご登場である。
「まあ、一応なんとか……」
小さく息を吐き、私はマリーに返した。
「すぐ開けますので……」
見れば分かる。マリーが取り出したのは、鍵を開けるためのピッキングツールだった。
……カチ。
「うっそ!?」
二秒経ったか? 今!?
「侍女の嗜みです。急いで!!」
嘘こけ!! どんな侍女だ!!
「わ、分かったわ。急ぎましょう!!」
鉄格子の扉を潜ると、そのまま全力ダッシュ……って、速すぎるってばさ!!
見事に置いていかれた私は肩で息をしながら廊下を抜け、階段の先にあった広間に出た。
そこでは、八人の護衛部隊と人買いチームの熱い戦闘が繰り広げられていた。
「こちらへ!!」
マリーの案内に従い、私は広間から出ようとしたのだが、そこには見慣れたオッサンがいた。
「よう、やってくれるじぇねぇか。一騎打ちといこうか」
オッサンは長剣を抜いて構えた。マリーが飛びかかろうとしたが、手で制した。
「マリー、私の杖を持っている?」
私は背後でバックアップ態勢のマリーに聞いた。
「申し訳ありません。急いで出立したもので……」
ちっ、素手か……。
そう思った時だった。どこにいたのか、マルスが飛び込んできた。
長剣を構えたその姿は、まあ、立派だったが……
「……ふん」
オッサンは無駄に大きな動きで振ったマルスの剣をあっさり避け、パンチ一発で黙らせた……。
「これを使え……」
気絶したマルスから剣を取ると、それを私に放ってきた。それをぱしっと受け取り、私もそれとなく構える。エルフ式の剣術は、しっかりした構えを取らない。自由が利くからね。その分難しいけど……。
「さて、いくよ!!」
先に仕掛けたのは私だった。一気に間合いを詰めて、剣をサッと繰り出す。剣なんて、何年ぶりだか……。
オッサンは私の剣を避け、代わりに突くように切っ先を繰り出してきた。おっと!!
避けたつもりが右頬を少しかすめた。痛いな、もう!!
「へぇ、やるじゃん」
「そうでもないさ」
私はギヤチェンジした。コイツは、お遊びでは倒せない。本能が告げた。でわ……。
あとは、剣と剣が交錯する激しい斬り合いになった。刃がぶつかり合う度に火花が散る。私はギアを最大まで引き上げた。しかし……。
「いい加減くたばれ!!」
すまん、言葉が荒い。
「お前が死ね!!」
キィン!!
ええい、埒が開かん!!
戦いは、完全に膠着状態になった。このオッサン、強い……。
私お得意の下段、中段、上段のコンビネーションも跳ね返され、浅いが一撃を食らった。くっそ!!
「ここまでの使い手は久々だ。楽しもうじゃないか!!」
ここにきて、いきなりオッサンがギアチェンジした。うがぁ、受けるのが精一杯なんですけど!!
「ここまでムカついたのは久々よ!!」
一瞬出来た隙を突き、私は決めるつもりで一撃を放ったのだが……。
「馬鹿め!!」
隙は誘いだった。オッサンの切っ先がざっくりと脇腹を抉った。チッ!!
とりあえず、間合いを取って様子をみる。明らかに、このオッサンの方が上だ。なにか、背筋に寒気が走る。このやろ!!
「では、最後の仕上げといくか……」
だいぶボロボロになったオッサンは、剣を構え直した。
「一撃。それで決めるからね……」
それ以上は体力がもたない。たったの一撃。それにかける!!
「いくぞ!!」
オッサンがほとんど一瞬で間合いを詰めてきた。その瞬間の記憶は、残念ながら残っていない。
私が繰り出した剣はオッサンの胸元を貫通し、オッサンの剣は私のお腹に突き刺さっていた。相打ち……か。
素早くすっ飛んで来たマリーが、回復魔法をかけながらお腹の剣を引っこ抜いた。
「いってぇぇぇぇぇ!!」
回復痛と剣を引っこ抜かれた痛みが重なり、私は思いきり絶叫したのだった。
エルフは元々人間より生命力が強い。別荘へと帰る馬車の中でも、マリーが回復魔法をひたすら使ってくれたおかげで、到着する頃にはすっかり復調していた。
一方、マルスは……。
「……生きるって何だろう」
べっこりヘコんでいた。おいおい、大丈夫か?
「おーい、マルス。帰ってこーい!!」
私の声は心に届かず……。
彼は別荘に到着する早々、ベッドに潜り込んで寝込んでしまった。ある意味、こっちの方が傷は深いかもしれない……。
まるで意味がないかもしれないが、ここはお姉さんが人肌脱ぐことにした……。ああ、本当に脱ぐわけじゃないぞ!!
私は寝室の扉をそっと閉め、鍵をかけた。
「ねぇ、マルス。ちょっとこっち向いてくれるかな?」
……返事がない。ただの屍のようだ。
「ダメか……」
「うん、僕ダメな子……」
だぁぁぁもう、なんか鬱陶しい!!
「……どうしろと?」
「……分からない」
ぶん殴ったら治るかなぁ……いや、ダメだ。よけい籠もる。さて……次の手は?
「とぅ!!」
いきなりマリーの声が聞こえた。人が天井から降ってくる。い、いつの間に……。
「ちょ、ま、まさか、ずっとそこで待機していたの!?」
「はい、侍女ですので……」
いや、そんなところにいる侍女はいない。お前はスパイか!!
「僭越ながらご意見申し上げます。ここは、やはりショック療法がよろしいかと」
涼しい顔で言うマリー。
「やっぱり、ぶん殴ると……?」
私がそう言うと、マルスは嫌そうな顔をした。まあ、嫌だわな。
「いえ、フィジカルで攻めるよりメンタルで攻める方がよろしいかと……」
メンタルって……。
「ひたすら悪口言いまくるとか?」
いくらでもストックはあるが、それでは逆効果な気が……。
「いえ、そうではありません。例えば、そうですね。これは、侍女の役割の一つとして、ミモザ様に知って頂きたいことでもあります。無礼を承知でぶっちゃけてしまうと、あまりに稚拙で見ていられないのです。変な意味は全くありません。くれぐれも誤解なきよう……」
そう前置きすると、マリーはいきなり私の体を抱きしめた。ほぇぇぇ!?
マルスが飛び起きる気配を感じたが、こっちはそれどころじゃねぇ!!
「ちょっと、マリー。なに考えて!?」
「これが第一段階です。ここで、お互いの気持ちを高め合うのです。そして……」
うぉい、何が第一段階だ、コラ!!
逃げようとしたが、どこから湧いてくるのか謎の万力パワーによって、逆に体が吸い寄せられる始末。そして、
「第二段階はこうなります……」
マリーの顔が接近してきて……唇が接触する寸前で、マリーが人差し指をそっと当てた。
「ここでそっと優しくです。勢いよく突っこんだらダメです。マルス様、ここは男気を見せてリードして下さい。一二才では難しいかもしれませんが……」
「僕だって出来るもん!!」
あっ、治った。良かった、良かった……じゃねぇ!!
マリーのヤツ、後で厳罰だ!!
「マリー、退いて。僕が!!」
「もう、ええわ!!」
私が繰り出したパンチがモロにマルスの顔面を捉え、そのまま派手にぶっ飛んでいった。
「あの、よろしければ、次は『寝技』を……」
「ノーサンキュー!!」
ったく、この国の侍女は変なのばっかかい!!
「あのー、お食事出来ましたよ~」
暢気な声がドアの向こうから聞こえた。
はぁ……食って寝よ。危うく死ぬかと思ったわ。
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