ep.44 いろいろと閉める
あたし、多分他の一般的な学生と比べれば、相当恵まれた人生を送ってきていると思う。勉強は大して努力しなくてもできる方だったし、春樹くんみたいにグレることもなかった。家庭はそこそこ裕福で、ちょっと人使いの荒い母親と、ちょっとシスコン過ぎる弟がいるものの、本当にど健全な家庭環境で育った。美人かといえばそれほどではないけれど、まあ、そこそこ可愛い格好をしておけば、それなりにモテたりもした時期もある。モテた挙げ句、選んだ男は最悪サイテーの浮気男・祐太だった訳なのだが……
何れにせよ、あたしはチートスキルを持って生まれた勇者のような人生を送ってきている。そんなあたしが泣き言を言ったり、人に地雷を踏まれたやなんやで引きこもるなんて、本当は許されないことなのかもしれない。
だけど、――それでも、ああ、無理だってなってしまうんだ。自分が誰かに利用されていると感じてしまうと、自分があまりに惨めで、そんな自分を見ているのが苦痛で、そんな心の弱い自分が情けなくて、逃げ出したくなる。
「春樹くん。――もう、あたしのことは、放っておいて。お願いだから。全部、面倒なの。自分の行いを反省するのも、人のことをあーだこーだ考えるのも」
「考えてくれなくて結構です、こちらももう大人なんだから」
「……ごめん」
「ただ、一緒に居てほしかっただけでした。楽しいから。笑えるから。――そして、優里乃さんも、当然そのように思ってくれていると思ってた」
「……」
「優里乃さん。俺と一緒に居て、楽しいと思ってくれたこと、ありましたか」
春樹くんと一緒に居た日々。あたし、何をしていたっけ。大学生活で、居場所を失うなよって教えて、なんか流れで御飯を奢って、そのついでにバイト地獄だった彼に助言をして、勉強を教えて、あたしが、このどうしようもない生意気な後輩をどうにかしなきゃって、いつもいつも考えて――
でも、彼だって大人なのだ。なんなら、あたしと同い年。あたしのしてきたことって、何? 他人に利用されたくないって言っておきながら、自ら利用されに行っていた? え、何これ。
「楽しんでいたつもりは、なかったな」
いつも、一生懸命向き合っていたつもりで、この様よ。――何やってんのかね、あたし。
「……じゃあ、どうして俺と寝たんですか」
「気まぐれ」
春樹くんの横をすり抜けて、あたしは歩きだした。彼は、追ってこなかった。
12月24日。あたしは、カフェの制服を着て、客を案内していた。――あたしらしい。リア充専用の日に、バイトでこきつかわれるやつ。寂しいぼっち女子にはうってつけの過ごし方。
きゃあ、なんて高い声がして、皿が割れる音。
「お客様、お怪我はありませんか」
カップルの席まで飛んでいって、愛想のよい笑顔で、片付け。心の中では、いい大人が皿なんて割ってんじゃねーよ、と悪態をつく。弁償させっぞ、こら。特にそこの女、へらへらブリブリしてんじゃねーよ。皿割ったのお前だろうが。せめての腹いせに、彼氏の方にキラースマイルをお見舞いする。
イブの飲食店はてんてこ舞い。――そんな修羅場に、似つかわしくない人間が、一人。
「田口くん、次、ホットのキャラメルラテ、二つ」
リア充代表・後輩くん。どこか冴えない表情で、黙々と手を動かす。あの美人な彼女とけんかでもした? それとも、マスターさんに頼まれて、断りきれなかった? 何れにせよ、彼がここにいるのは、おかしい。
イブの喧騒は、夜の十時に終息。なんだったんだろうな、という気分になりながら、あたしたちは片付けをしていた。
「桜庭さん。――本当に、お疲れ様」
「……飯倉さん」
飯倉さんは飯倉さんでも、飯倉パパ、つまり、マスターのこと。
「悪かったね、忙しいときに呼び出してしまって。やめるっていっていたのに、籍だけでも残しておいてくれって頼んでしまったし」
「……いえ、どうせ暇でしたし」
籍だけでも残せって、これ、あたしが春樹くんに初めて会ったときの台詞じゃん、と思った。彼は結局、あの後すぐにコール・アーソナから脱退しているはず。あたしは、そういうことができない。――こういうところだよ、あたしの損な体質は。
「二年半、本当にありがとう。よく働いてくれました。もう卒業だから関係ないと思うかもしれないけれど、お伝えしておきたいことがあります。――この店、三月で閉めようと思っている」
耳を、疑った。
「閉める、というのは」
後輩くんが、焦ったように口を開いた。
「……赤字が続いていたんだよ。今までも、細々とやってきた店ではあるけれど」
「でも、今日は繁盛してたじゃないですか」
「田口くん。――一年に一日繁盛したからって、仕方がないんだよ」
マスターさんは困ったように笑った。
「……なんというか、すごく惜しい気がするのですが」
「桜庭さんにそう言ってもらえるのは、嬉しいねえ。でもね、スタッフも不十分、売上も伸びないとなると、もう、廃業が丸いよ」
飯倉マスターの判断は、至極妥当だ。利益の出ない会社は、倒産する。それと同じ。あたしが惜しいと思おうが、後輩くんが彼女とのデート代を稼ぐのに苦労しようが、関係のない話なのだ。
「……本当に、ありがとうございました」
あたしは、ただ、マスターに頭を下げた。
コール・アーソナをやめて、行き場を失ったあたしの青春を受け止めてくれた場所だった。
シフトの多さだとか、服装規定の厳しさだとか、まあまあ納得いかないことも多かった。いわゆる「クソ客」だって、いた。――それでも、なんだかんだ、あたしの大切な居場所だったのだ。
廃業するときいて、初めてそう感じた。もう、関係ないはずなのに、この間までやめる気持ちでいたのに。すごく、寂しくなったのだ。
「……本当に、なくなっちゃうんですかね」
マスターが居なくなった後、後輩くんが、呟いた。
「冗談は言わないでしょうよ」
「悲しいです」
彼は項垂れた。
「それはそうと、なんであなた今日ここにいるのよ」
「なんでって? 」
「リア充でしょ、あなた。彼女は? けんかでもした?」
軽い調子で訊いたのに、彼の目が潤んで、驚いた。
「……ごめんなさい、」
そう言って、反対側を向く。
「もしあたしでよければ話、聞くけど」
なんだか、居たたまれなくなってそう言っただけだった。本当に、何の意図もなかった。
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