ep.45 俺が、優里乃さんから学んだこと


 僕は本当にワガママな人間なんです、と彼は言った。


「つまり、マスターに無理やりシフトを入れられて、そのことを彼女さんに報告したら、あっさりと『いってらっしゃい』って言われて、虚しくなったから逆ギレ、と」

「……つまるところ、それです。纏めると本当にクズですよね、びっくりするほど」


 これは彼女さんの方が災難だわ。彼氏がクリスマスイブにバイトだってだけでも切ないのに、精一杯我慢して快く送り出そうとしたら喧嘩になるって、一体なんの地獄よ……


 まあ、その「彼女」ってのが、あのいけすかない美人だっていうのが、あたし的には喜び。ざまあ。


「いやー、なんつーか、若いっすね、お二人とも」

「若いというか、思慮が足りないというか」


 後輩くん、かなり反省モード。もちろん、悪いのはこいつなんだけれど、哀れに感じる。――そして、思う。


 あたしなら、ワガママで、人の愛情を無限に求めてしまう、このガキを受け入れてあげるだけの器があるのに、と。正統派美人って、そんなに正義? あんな空気読めない女より、あたしの方が、ずっと、ずっと。


「まあ、ね。田口くんの気持ちも分かるよ。――だって、彼女さん、なんにも考えてないもんね。この間のOB訪問のことだって、そう。あたしがあんたの立場だったら嫌だよ、自分のバイト先で、彼女が堂々と他の男に会ってたら。それって好きとか嫉妬とか、そういう次元じゃなくて、もうコケにしてるよね」

「……それは、就活で仕方なくて」

「でも、集合場所くらい配慮することはできた。あなたを不安にさせないために。違う?」


 確かにそうですけど、と彼は項垂れた。


「田口くんのこと、本当に大切にしてくれる子なら、そのことを一番に考えるはず。失いたくないからね? 」

「……」


 再び、彼の目が潤む。


「あの子、恋愛の美味しいところだけ取ってるよね、田口くんが尽くしてくれるのを良いことに。良いように利用されてるって、感じなかった?」

「そんな、彼女は――」

「あたしだったら、絶対にそんなことはしない」


 医学部所属の、頭のいいあなたなら分かるでしょう。


「最後まで、言わせないでよね」


 そして、顔を近づけた。――キスくらい、好きでもない人とだってできる。だって、春樹くんとなんて、最後までシたんだから。それが、「大人」のずるいところだった。



 でも、相手はガキだった。そのことを忘れていたのだ。


「……ごめんなさい、!」


 突然、大声で叫ばれ、身体を押し戻されて我に返る。――あたし、何をしようとしていた?


「ごめんなさい、俺……好きな人としか、こういうことしたくないんで。結局は明日香ちゃんが好きなんです。本当にバカみたいに、盲目的に好きなんです」

「……」


 あの美人、明日香っていう名前なんだ。後輩くん、彼女のことちゃん付けで呼んでるんだ。そんなことを、ぼんやりと考えていた。


「確かに、彼女はあまり人の気持ちを考えずに行動してしまうことがあります。俺自身、結構何度も傷つけられてるし、本人に悪気がないだけに、むしろ悪質だよなって怒ったこともあります。それでも好きだから、仕方がないんです」


 後輩くんは、顔をあげた。その目が、あまりに真っ直ぐだった。


「無神経なところもあるけれど、彼女は彼女なりに、一生懸命俺を大切にしてくれています。……上京したばかりの頃なんて、どれだけお世話になったことか。そういう想い出は、残念ながら他人には伝わらない」

「……ごめん、分かったようなことを言って」

「いえ。彼女のことで最近悩んでいたのは事実だし、それを実際に優里乃さんに愚痴っていたわけだから、仕方ないですよね。俺の方こそ、ごめんなさい」


 彼は頭を下げた。誠実さが、眩しすぎた。


「優里乃さんは、素敵な方です。ちゃんと周りのことが見えているし、人のために行動する。だから、絶対に、優里乃さんのことを見てくれる人は、いるはずです」

「フォローしてるつもり?」

「……取って付けたように感じたのなら、本当にすみません。でも、事実でしょう」


 事実か。周りのために行動するって、つまりは皆に良いように利用されているってことだよね。あたしのことを見てくれる人は、あたしの何に魅力を感じる? 優しそうだとか、ゆるふわだとか、そういう「あざとさ」に惚れる人間は多いけれど、それって結局は「自分の思い通りになりそう」とか、そういうことだよね。あたしがそのように振る舞うから、悪い? そうかもしれない。でも、嫌われたくないし、なんなら好かれたい、好かれることで、それがどんな形であっても、自分の価値を証明してくれるような気がして。


「……優里乃さん。いつも相談に乗ってくれて、ありがとうございました。このカフェはなくなってしまうし、優里乃さんは社会人になってしまうけれど、俺は優里乃さんから学んだこと、これからも大切にしていきますよ」

「あたしから学んだこと?」

「その一。一瞬一瞬の大切さ。学生生活も、永遠じゃないんで」

「人をババア扱いすんな」

「すみません。――そのニ。適度な適当さも、時には大事。苦手なことを克服することも必要だけれど、すべて完璧を目指すよりは、周りに助けを求めることも考える、とか」


 それは、あたしが常に後輩くんには無理をさせないように配慮していたことだろうか。彼は、時々頑張りすぎて失敗する子だったから。


「その三。たまにはちょっと冒険してみる、とか」

「それは……この数ヵ月の話?」


 彼は小さく頷いた。

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