ep.32 老害生活、華やぐ

「リカードモデルは、二ヶ国間の生産技術が、比較優位を決めるってやつね。……ここの意味、分かる?」

「分からんです」

「……じゃあ、具体的な事例で計算しながら、理解していこう」


 人にものを教えるのは、難しい。文系の癖に数学が得意だったあたしからすると、こういうのって、具体的に計算した方が分かりやすいんだけど、春樹くんの場合、ぶっちゃけ混乱を来している可能性が……


「国際経済学の中間テストが、火曜日にあるんですけど、その日の夜とか、空いてたりします?」

「なんで?」

「飲みにでも行こうか、と思いまして。何か目標がないと、やる気でないくらいムズいんですが、今回の範囲」

「あー、なるほどね。空いてるよ」

「よし、了解です」


 春樹くんが、口の端を、少し上げる。……嬉しいのだろうか。本当に?何だか信じられない、という思いがよぎる。


 春樹くんとの出会い、といえば、


「俺と、友だちになってくださいよ。経済学部なんでしょ? 俺と一緒。履修の事とか就活の事とか相談に乗っていただきたいです」


 と言われたのを思い出す。意訳すると、


「お前、利用価値有りそうだからこれからもよろしく!」


 となるやつ。考えてみれば、彼にとってあたしは、「都合の良い先輩」でしかなかったはずだった。それが、今では積極的に飲みに誘ってくれている。


 あたしとしては、もちろんありがたい。楽しみの少ない老害女子大生の生活が華やぐ。――でも、もし、気を遣ってくれているのなら、そんなのいらないと思ってしまうのだ。


 ☕️ 🍺 ☕️


「いらっしゃいませ……マジか」


 カフェでホールの仕事をやっていると、見覚えのあるファーコートが目に入る。


「こんばんは、優里乃ちゃん! 飯倉さんいる?」


 キラッキラのネイルに、プルツヤのリップグロスが眩しい。今シフト上がったばっかりだよ、と伝えようとして口を開くと、奥から普段着に着替えた飯倉バイトリーダーが出てきた。


「あ!飯倉さんちょうど良いところに。――有華ちゃんが」

「有華ちゃん……バイト先にはもう来るなって言っただろ」

「そんなこと言うなんて、冷たい~!」


 おや、雲行きが怪しいぞ。


 少し腹をたてた様子の飯倉さんに、まとわりつく有華ちゃん。――他のお客様の目が痛い。


「とりあえず、有華ちゃんと一緒に出ていってもらっていいっすか、飯倉さん」

「おい、仮にも先輩に向かってその口のききかたは……」

「マスター呼んでこようかな」

「……分かった分かった、とりあえず出るっつーの」


 超不機嫌な様子で有華ちゃんを引き連れて、飯倉さんは店の外に出た。――ほんと、何やってんだか。


 まあ、あたしはあたしで、「有華ちゃんと飯倉さんを二人きりにする」というベタな引き合わせかたをしたってことで、どうか有華ちゃんには感謝してもらいたい。

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