第2楽章

ep.26 塩澤濃度

「結局、バイトやめちゃったんですよ」

「マジで? 全部?」

「いえ、家庭教師だけ続けてます」


 ご実家と相談したら、かなりあっさりと仕送り額を増やしてくれたんだとか。頼めるものは、頼んでみてもいい。勝手に自分を追い込んでも、良いことないわ、やっぱり。



 学園祭の空気を引きずりながら始まった、月曜日。崎田くんの受講する講義が終わったあと、あたしたちは大学の学食で向かい合って座っていた。――彼に、呼び出されたのだ。


 最近、春樹くんに勉強を教えることが増えている。というのも、彼もあたしも経済学部で、あたしは四年生、あっちは一年生。バッチリ、れっきとした「同学部の優秀な先輩」であるあたしは、彼の専属家庭教師にぴったりってわけ。こっちとしては、イケメンの顔を拝めるだけでもひゃっほいなので、あたしの中ではWin-Winってことで片付いている。


「んで? 今日の講義で分からないところがあるんだって」

「……マクロ経済なんですけど、優里乃さん得意です? 」

「A」

「あっ、了解でーす」


 春樹くんがまだ知らない事実がある。――あたし、このまま何事もなければ、恐らく首席で卒業なのよ。ま、こういうことは自分からは言わないに限る。


「優里乃さんって、Aじゃなかった教科とかあるんですか」

「あるよー、英語のスピーキング」


 あれだけは不毛な教科だと思う。



 勉強の時間が終わると、あたしたちはバイバイをして、それぞれがそれぞれの場所へ向かう。バイトなり、家なり。



 自宅の最寄り駅の近くの小さなスーパーの前で、おばさんが声をかけてくる。……重い買い物袋を持ったまま会いたい相手ではない。


「あら、お久しぶり、優里乃ちゃん」

「ご無沙汰してます、塩澤しおざわさん」


 塩澤さん。――塩澤 有華ちゃんの、お母様。あのギャルの女の子の。


「しばらく見ない間に、すっかり大人びて……今、大学生?」

「はい、四年生です」

「あら、じゃあ来年は社会人なのねー」


 本当は内定先が気になる、って顔をしている気がしたんだけど、あえて気づかないフリをする。ま、第一希望の就職先だし、別に教えたっていいんだけど。


「修一くんは? 高校二年生でしたっけ。今もピアノ続けてらっしゃるんですよね」

「そうね、修一は音大付属の高校に通っていて、この間コンクールで銀賞とったのよ」


 このお母様の前では、とりあえず弟の修一くんの話題を出しておけばいい。そうすればご機嫌なの。


「じゃあ、私買い物があるんで。また」


 彼女の長い自慢話を聞かされて、やっと解放された頃には、身体が冷えきっていた。――学園祭が終わってからというものの、めっきり寒さが厳しくなった。冬眠したい、マジで。買い物袋も重いし、手が痛い。


「あの、優里乃ちゃん」


 そして、家のすぐ近くまで来た頃に、聞き馴染みの無い声に、振り返る。


「おお……修一くん、さっきお母様に」


 めっちゃ大きくなったな。声変わりしてたから、誰かわからなかったわ。ってか、今日塩澤濃度高くない?浮腫みそう。


「優里乃ちゃん。……姉を、助けてください」


 なんか、とんでもなさそうな何かを依頼されている気しかしないし。

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