ネバーランドという世界(3)

 しゃっしゃ、と慣れた手つきで、スミーがジャガイモの皮をむいていく。あっという間に一個が剥き終わり、目の前のジャガイモの山へと追加される。そしてまた、次のものを手に取る。


「……器用だねぇ」

「アッシはぁこんなことくらいしか、出来ないさァねェ」

「いや、誇っていい」


 船内にある厨房らしきところで、わたしはスミーの隣でひたすらひたすら玉ねぎの皮を剥いていた。コックは別にいるらしく何人かそれらしい男たちが火を使って調理しているが、まぁ海賊の人数が人数なので人手は足りないんだろう。スミーが手伝いに行くというのでわたしも買って出た。


 ……いや、女子力がどうとかって話ではなく、ただ単にフックとマキちゃんが一緒にいる空間に耐えられなかっただけです……


 そんでもってわたし、一人暮らしだしそこそこ自炊もするけど、ジャガイモの皮ピーラーなしで剥けないもんね! むしろピーラーですら時々指スライスしかけてるくらいだ。よってナイフ一本ですいすいとジャガイモの皮を剥いていくスミーはすごい。その技術は誇っていい。


 当り前っちゃ当たり前だけど、この世界にはピーラーはないらしい。仕方がないのでこうしてひたすら玉ねぎの皮を剥いているわけだけど。


「あー、手、玉ねぎ臭くなりそ」

「ヒッヒ、なりまさァ、アッシはいっつもそうでさァ」


 スミーが肩を震わせて笑う。その屈託のなさに、少しだけ気持ちがほぐされていくのが分かる。


「スミーはさぁ」

「なんでさァ?」

「いいの? フックのあんな言葉、放っておいて」


 きょとん、とした顔でスミーが首を傾げた。手が止まっている。


「んっとさ、ほら、妖精殺し」

「ああ、おやびん言ってましたねェ。それがどうかしたんですかィ?」

「どうか……って。いやいや、だってあれ、ようするにこの世界を壊したい、って言ってるんだよ? そしたら、フックも、あんたも」

 ――消えるよ、とは、さすがに言葉が重すぎて言えなかった。


 でもスミーは分かっているのかいないのか、ただにこっと笑って、


「おやびんの言うことは絶対でさァ」

 はっきりと言い切ったのだった。

 ちいさく息を吐いてから、いつのまにか止まっていた玉ねぎ剥きを再開する。


「スミーはフック大好きなんだねぇ……」

「もちろんでさァ。アータはあのマキノのことは嫌いなんですかィ?」

「いや、好きだよ? でも言うことなんでもかんでも絶対ってんじゃないよ」


 反論もするし、言うこと聞かないこともあるし。


「むしろ、絶対、ってほうが珍しいというか、ちょっと怖いなって思うけど、わたし」

「そうですかィ?」

「そう思う」


 信頼していると言えば聞こえはいいけど、それは妄信しているの間違いなんだと思う。

 スミーは少しだけ考えるように空中を見つめて、それからすぐにジャガイモ剥きを続ける。


「それでもアッシは、おやびんがいないと生きていけねェバカなんでェねェ。野垂れ死にかけてたのを拾ってくれたんさァ。命くらい捧げまさァ」


 何でもないようにさらっとそう言ってのけて。

 そうまではっきり言われては、もうそれ以上何も言えない。わたしはひたすら玉ねぎを剥くしかなかった。



 大量の玉ねぎとジャガイモはびっくりするくらい雑に切られて、給食室とかにありそうなレベルの大きな鍋にぶちこまれた。コック担当の海賊が手際よく調理していく。ざっと炒められた後は、香辛料と思しき数種類の葉っぱと大量のトマトがぶちこまれる。その間に、別の場所ではお魚が焼かれていく。

 トマトシチューみたいな、カレーみたいな、そんなやつだろうか。どうやら魚にかけるらしい。


「美味しいんでさァ。白身の魚に、トマトがよっく合うんでさァ」

「へー」

「もうすぐ昼でさァ。アッシが準備しとくんで、おやびんたち呼んできてくだせェ」

 スミーの言葉に頷いて、厨房室をあとにする。


 船が動き出してわたしがここに籠るまでの間に、ふたつほど『穴』を見た。

 ひとつは海に、ひとつは何もない場所。何もない――というのが比喩でもなんでもなく、本当にただ空中にぽかっと闇が口を開いていた。歪な四角形で、そこだけ空間が黒いのだ。その裏にまわると、そこは普通に何もないまま、という気持ち悪さだった。


 詳細を聞き出そうとするマキちゃんと、なんだかんだはぐらかすフックが、もうひたすらピリッピリしてて、とても居たたまれなかったわけだけど。


「さって。どこかなぁ」


 最後に見た時の船長室には誰もいなかった。と、すると船の別の場所なんだろうけど、来たばっかりで何も分かりゃしない。適当にその辺を歩いていた海賊を捕まえて問うと、甲板の船尾側だと教えてくれた。感謝を告げてそちらへと足を向ける。

 船なんて数えるほどしか乗ったことはないので、ほかの船と比較とかは出来ないけれど、この海賊船は不思議とあまり揺れない。おかげで軽く小走りになりながら、ごちゃごちゃといろんな箱が積まれた甲板を進んでいける。


「あ。いた」


 フックとその傍にマキちゃんがいた。マストが張られた骨組みみたいなやつの下、船尾の縁に二人でもたれかかっている。二人で。


 ……ピリピリ、してんだろうなぁ。


 空気を想像して思わず足取りが重くなる。っていうか、なんであんなにマキちゃんがピリピリしているのか。そしてなぜそんな状況なのに二人一緒にいるのか。


「それで? 実際のところアンタは何がしたいわけ?」

「それは何度聞かれても同じ答えしか返さねぇぞ俺は」


 ……うん、いま入って行きたくないですね、これ。


 いそいそと、近くの積み荷の陰に腰を下ろす。タイミング。タイミングって大事です、たぶん、人生に置いて。

 出ていきやすいときに出ていくことにしよう、そうしよう、そのほうがいい。

 わたしの心の安寧のために。


「腹立つ」

「そりゃどうも。しっかしお前、ずいぶん俺を毛嫌いしているんだな? なんでだ?」

「アンタみたいな手合いの男大嫌いなのよね、アタシ」


 気候良くて寒くなかったはずなのに、真冬の夜パレ勤務してる気持ちになってきた。


 そぉっと積み荷の陰から二人を伺う。

 フックは縁に右手の肘をつき、トントン、と自らの顔を叩いてリズムを刻んでいる。にやにやと笑いながら。

 その横で縁に背を預けたマキちゃんが無造作に腕を組みながら空を睨み上げていた。


 ――マキちゃんは、別に絶対怒らない、ってわけじゃない。普段はニコニコしてるけど、マジ失敗したときとかゲストに迷惑をかけたときとかは、裏に戻ると結構ちゃんと怒る。怒ると実はめっちゃ怖い。実際まぁ、シンデレラの時も白雪姫の時もド叱られたわけだし。


 が、こういうのはあまりない。というか、見たことはない。ほぼ初対面の人を真正面から嫌って態度に出す、ということ。人との距離を上手に測る人だし、むしろ相手の警戒心をさくっと潜り抜けて懐に入り込んじゃうのが得意なタイプだ。いつものマキちゃんなら、たぶんフックも上手にいなすだろうに、どういうわけか今回はそうではないらしい。


 ……。

 わたしのせいか……?


 わたしとギクシャクしている苛立ちがフックのほうに向いているんだとしたら、なんというかちょっとフックごめんって気分になる。けど。


 でもなぁ。直接アンタが嫌い発言してるんだよなぁ、マキちゃん。


「まぁ別にかまわんが、俺みたいな、と言われてもなぁ」

「アンタみたいな高圧的な口調と態度を隠そうともしない男が嫌いなの」


 ドストレートに言いよった。

 あー、まぁ、確かになぁ。マキちゃんゲストでもこういうタイプのクレーマーに対しては絶対引かないしな。一応オンステだから接客モードではあるけど、中身は変わんないのかもしれない。とはいえ、別にフッククレーマーじゃないのに。

 言われた当のフックはくつくつと肩を震わせて笑っている。


「なるほど? じゃあ俺も言わせてもらおうか」


 ……まさか。


「俺も嫌いだねぇ。お前みたいな男のくせに女みてぇな言葉で話す輩は」


 ぬあああああああああ、やっぱりいいいい。

 それはダメだ。それは言っちゃいけない。そーいうのはダメだと思いまっす!


「あっ――」


 割って入ろうとした時、だった。


「なら」

 マキちゃんが低い声で、言った。



「俺、とでも言えば正面切って話せるのかよ」





 ………………え、っと?



 頭が真っ白になって、わたしはその場で石像よろしく固まるしかなかった。


 正直、空間に闇が開くとかよりこっちのほうが衝撃的だった。



 マ、マキ……ノ、サン?

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